2015年12月27日日曜日

息づく生の哲学、反抗する若者の良心に期待する

 相変わらずの世を挙げてのクリスマス商戦に、はてなと思うのは私だけだろうか。神を考えることを忘れた近代世界は、ひたすら自利に走り利他を忘れ、良心を失くして貧しくなった。豊かさの記号である神存在の忘却に始まり、自己疎外(マルクス)からテロの脅威に晒された世界疎外(アーレント)に至るまで、今日世界規模で哲学的生の貧困が生じている。仏を思う心を忘れた日本社会でも同様である。利便に走る坊さんネットも、ほどほどにしてもらいたい。過ぐる一年の反省として、お決まりの復讐モードに流されず、生を粗末にする行為に心奪われず、息つく生の哲学を模索する、良心ある若者の出現に期待したい。君たちの生(なま)の意見が聞きたい。
12月29日更新
Shigfried Mayer(宮村重徳), copyrights © all reserved 2015, the Institute for the Interpretative Sociology Tokyo

2015年12月6日日曜日

師走に聞きたい・子らに聞かせたい、平和・融和の遁走曲

 師走を迎える少子高齢化社会には先行きがない。とすると、労働力をどう確保するのかが俄かに問われる。百万の移民・難民を受け入れて新規労働力として育成しようとするドイツの試みが、同じ境遇の日本が学び得る、先駆的成功事例となるかどうか、その成り行きが注目される。
 労働者の基本的人権の理解と宗教的寛容の精神があるドイツだからこそ、無事に為し得ることではないか。このように期待することで、ドイツを支援したい。ボランティアで難民のドイツ語教育を支援している無数の市民・友たち人がいるので、遠からず実現可能だと思う。
 難民鎖国状態の日本も懐を開いて、先輩ドイツに追随し、平和・融和の遁走曲(フーガ)を聞かせてもらいたい。大事なのは、経験妥当な成功事例を一つ一つ積み上げることだ。単発テロの脅しに屈せず、国際平和と民族融和、諒解関係で息づく安心社会の絆実現を、新年に向けて子らのために願いたい。
 12月7日更新
Shigfried Mayer(宮村重徳)

2015年11月15日日曜日

憎しみを返さない、でも、どうやって?理解し共感して辿る峠道

 パリ同時多発テロ事件はイスラムを詐称するグループの犯行、人類に一時的な禍根を残すだけで、何の得るところもありません。イスラムの友人たちも大迷惑でしょう。これでヨーロッパ共同体がシリア難民を受け入れる機運にブレーキがかかり、受け入れ態勢は一時不安定になるかもしれませんが、信教の自由と宗教の寛容を大事にするキリスト教社会の基盤が崩れることはありません。それより、一緒に考えてみませんか。憎悪の応酬は一切を血染めにし破壊するだけで、何も得るところがない。だとすると、他に道を探さないと受け入れ先は望めない。でしょう?彷徨えるユダヤ人たちは、パーリア民族(賤民)として二千年の歴史を彷徨い、同化と異化に苦しみつつ、統合への道のりを苦労して模索してきました。おそらく、イスラム教徒の皆さんがヨーロッパ共同体に定着するには、同じくらいの気が遠くなるような歳月が必要となるでしょうか。大事なのは敵味方の偏見を捨てて彼らに学ぶこと、受け入れ側も忍耐を失わないことです。
 「君たちに憎しみをあげない」と語ったフランス人映画ジャーナリスト、今回の事件で愛妻を失ったアントワーヌ・レリスさんの言葉に、FBで共感の輪が広がったことは周知の事実ですね。今ここでは取り上げません。それに代えて、先駆的事例をひとつご紹介します。安心無為で壁観するダルマ(禅の開祖、ペルシャ系外国人僧、私見ではユダヤ系難民の子)は、師自ら罪責を告白することで、弟子たちに憎悪の応酬を退ける道の実践(自己のテクノロジー)を教え、一切の宗教的・社会的偏見の壁を突き破って、誰もが安心無為で共感し共存できる青天霹靂の峠道へとたどり着くことができました。アブラハムを父祖とする限り、兄弟宗教だからいがみ合うのでなく、むしろ兄弟だからこそ手を取り合い親しく学び合えるのではないでしょうか。ダルマの禅は宗教でなく運動だから、改宗する必要がない。安心して学ぶことができます。
 唯一残されている漢文の『二入四行論』は奥深く、読めば読むほど味わい深い。私に「理解社会学」(マックス・ヴェーバー)と取り組むきっかけを与えてくれたテキストです。今読んでいるのはハンナ・アーレントの『活動的生』(「人間の条件」)ですが、古代と近代を問わず、理解社会学は有効です。古今東西真理への学びに、宗教・民族・思想の違いは無用、隔ての壁を理解し共感して辿る峠道、これを思考の対象とするに不足はありません。よかったら、声をかけてください。
 11月27日更新
Shigfried Mayer(宮村重徳), copyrights © all reserved, the Institute for the Interpretative Sociology Tokyo


2015年11月11日水曜日

哲人政治家ヘルムート・シュミットの生涯を偲ぶ

冷戦の暗夜に煌めいた異彩の星が散る、哲人政治家ヘルムート・シュミット(1918-2015)を偲ぶ。昨夜故郷のハンブルクで、享年96歳の生涯を終える、20151110日没。
ヴェルト誌は「危機時代の宰相、カンツラーからドイツ人のパトリアークへ」(Vom Kriesenkanzler zum Patriarchen der Deutschen)と題して、ヘルムート・シュミットの生涯を称えている。宰相のカンツラーに代えてパトリアークとは、東方教会で言うところの「総主教」でなく、分断された国民国家と冷戦下の国際政治のことをよく考えて、カント以来の哲学政治を実践した苦労人だから、「家父長」の名にふさわしい。
1933年と言えばヒットラーが政権を奪取する時、アーレントが一時ゲシュタポに逮捕されその後パリに亡命する時期と重なるが、当時15歳のシュミットは、「ヒットラー・ユーゲントに入ってはいけない、お前にはユダヤ系の祖父がいるから」と、身内から釘を刺されたという逸話が残されている。
私が1973年ドイツに留学して翌年の1974年に、当時のジラーム事件を機にブラント首相に代わり宰相の座に就く。以来1983年まで八年半に渡り、冷戦の壁に面して怯むことなく、冷静に思考し行動する宰相となり、「永遠のライバル」意識を梃子にして、ブラントやコールを凌ぐ不朽の栄誉を勝ち取る。私のドイツ留学生活の大半は、ドイツ社会民主党(SPD)の哲人政治家と切っても切り離せない時期と重なる、個人的には思い出深い縁がある。70年代のオイル・ショックやドイツ赤軍派によるルフトハンザ機ハイジャック事件での、シュミットの迅速な対応と沈着且つ見事な解決ぶりに、各方面より驚嘆と賛意が寄せられたことはいまだ記憶に新しい。このヘルムート・シュミットに関する限り、政治家の命運はパーリア或いはパーヴェニューの議論枠内に収まらない、一歩抜きんでた存在である。いつ起きてもおかしくない、忍び寄る戦争行為に、倫理的歯止めをかけるための政策と実行に、最大限の努力を惜しまなかったユダヤ系ドイツ人だからである。
蛇足となるが、私がパイプタバコを吹かすようになったのは、滝沢克己に対するカール・バルトの勧め(「神学者はパイプを吸わないとね」)によること(笑)、愛煙家で知られるシュミット氏の影響ではない。11月12日更新
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2015年11月8日日曜日

燃えさしの萌えを明りに聞き上手、ロゴペディアに秋波を

 昔から、「物言えば唇寒し秋の風」という。炎上するだけで後味が悪い。働くモノにじっと聴き入る余裕も工夫もないと、所詮炎上は避けられない。それよりは、「燃えさしの萌えを明りに聞き上手」(拙句)、ここでロゴペディアに秋波を送りたい。
 ロゴぺディア(Logopädia)は、字義通りロゴセラピー(言語療法)の応用分野、今日では言語聴覚士(dt.: Logopädist, Therapeut für Sprech-erziehung, eng. :Speech-language-therapist, ST)を育てる専門職のコース。ロゴマークの歴史を一瞥できるサイトの宣伝とは無縁な話だよ。ロゴペディアは、18世紀半ばドイツとスイスで始まり、20世紀のアメリカ合衆国でようやく医療関係者を中心に、失語症や認知障害のリハビリテーションを扱う技能職となる。言いだしっぺ(発起人)は、スイス改革派教会の牧師で教育学者のハインリッヒ・ケラー(1728-1802)。牧師にもたまにすごい人がいる(笑)。
 周りの人と同じことを言い、皆と同じことをしていてもつまらない。でしょう?思考と言語に関心のある学生なら、いっそ他の人に真似のできない、自立思考の対話スキルを身に着け、ロゴペディアで身を立てたらいい。ライン(Line)でお馴染みの炎上劇に見られる、言葉に絡む苛めの社会現象は、未成年者に限られない。見かけ上の保守と革新を問わず、出自の和洋・東西を問わず、どの国のどの言語ゲマインシャフト(話し言葉の圏域)に属しようとも、差し当たりまた大抵は言語発達障害に起因する要素が強い。よって、言語聴覚士は職業選択をする際に見逃せない大事なオプションの一つとなる。高齢化と少子化に拍車がかかる今後の日本社会では、自称成人世界の未成年状態を脱し世代交代を円滑にするために、働くモノにじっと聴き入るヒト(言語聴覚士)の役割がますます必要とされるのではないか。
 補足:ダルマに目を入れる作業は、個別に目のつけ方が異なるので、単独対面では限定的、オブザーバー(第三者)を含むグループ単位での作業療法が最も効果的。 11月9日更新
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2015年10月25日日曜日

マス・プロダクトの世界に埋没しない、自分を見失わない為には

 自動化は差分の捨象で成り立つこと、平均化で規格外・物象化でミスマッチとなれば自分を見失う。そうならない為には、レディーメイドで満足しない、オーダーメイドの生き方(正規の英語表現ではカスタムメイド、自分に見合った受注生産と委託、Bespoke)を模索すること。同化を拒み異化するのを嫌うくらいなら、既存の円に接線を引くことをお勧めする。その際に、接線とは垂直の法線(ダルマ)を意識した手動の心得、回転軸に対応する微調整が必要だよ。微分しても消せない自分の傾きが、最後に見つかる。何度も言ってきたことだが、社会学ではこれを諒解行為という。いいかな、言語活動の一環だということを忘れないでね。10月26日更新

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2015年10月7日水曜日

オートメーションに見る科学の夢実現と人間不在の困惑

  オートメーション(自動販売・自動翻訳・自動操縦)の普及で、君たちのどんな夢が実現したの?確かに便利にはなったけどね。「機械仕掛けの神さま」(Deus ex machina)の登場以来、いや増す人間不在の現実に、肝心の「私」がいなくても通用する、代用品と規格品だけが街頭に溢れ返る世界の奇妙さ、コンビニエンス的消費社会の不自然さに為す術もなく、誰も異議を唱えない。本当にそれでいいの?現にここで大地に踏みとどまりしっかり考えないと、人間じゃない。そろそろ君も「科学信仰」から脱却しないとね。アーレントの『活動的生』を読んでご覧。序論をだけ読んでも、ハイデガーの『存在と時間』に勝るとも劣らない、すごいインパクトがある。神不在に政治不在のツケは、どこまでも自己責任だよ。
 ということで、獨協大学の秋学期は、受講者と相談の末、計画していた『ラーヘル伝』第二部に代えて、ずばり主著の『活動的生』のドイツ語版(Vita Activa oder vom tätigen Leben)をテキスト研究の対象としました。よかったら、参加してね。自分が変わるよ。目つきから変わらざるを得ない。
10月13日更新
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2015年9月17日木曜日

「宗教戦争の世紀」を終わらせる歴史的大英断となるか

 難民問題に関するメルケル首相の政治判断は、その評価を後世に委ねる他ないが、あるいは「宗教戦争の世紀」と悪評の高い21世紀の流れを一気に変える、歴史的英断となるかもしれない。前回述べた物理学専攻という出自だからこそ為し得ること。ドイツでは、キッペンベルク教授を初め多くの有識者たちが、イスラム教の研究を推し進め、宗教と暴力について論議を重ね対話を深めることで、負の連鎖を断ち切る解決策を長く模索してきた経緯がある。メルケル首相の言う通り、イスラム教徒との忍耐強い真摯な対話により、関係諸国が宗教的寛容を取り戻し、欧州共同体構成員自身をキリスト教世界の「根源」に立ち返らせるきっかけともなり得よう。そうなることをぜひ願いたい。「根源を通る直線」(Ursprungsgerade)志向の政策決定に敬意を表する。
 未だに難民鎖国の状態を脱せず、昨夜も安全保障関連法案をめぐり泥仕合を演じるだけの日本の政治と雲泥の差がある。日本の政治家諸君には、渡来文化の過去に立ち返り、襟を正してもらいたい。各宗派を代表する宗教者にも言えること、内外の社会問題にもっと注意を払い、自他を問わず苦しむ人々(難民)を助けなさい。少子化社会に報われて余りがある。9月19日更新

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2015年9月15日火曜日

怒涛のように押し寄せる難民の問題、美しい数式では解決できない

 最近は、大学生の他に高校生(大学受験生)を指導する機会が多い。中でも、高校数学や高校物理を教えることがこれほど楽しいとは、思いもよらなかった。社会現象を扱う人文科学系の問題には悩まされることが多いが、物理現象を扱う自然科学系の設問にはそれがない、ずばり数式の応用で問題が解ける。すっきりとして、感情の縺れ・シコリがない。それだけの違いである。
 しかし、怒涛のように押し寄せる難民の問題について言えば、物理学の美しい数式で解決できない。無制限の難民受け入れには問題が多く、ヨーロッパ共同体内部破綻のリスクが大きい。これだけは、力のモーメントや運動の方程式では何ともし難い。見事な数式で割っても虚数を含む余りが多すぎる。だからと言って、余剰の定理でも簡単に解けない、力学における運動保存の法則がそのまま社会現象に通用しない。なぜかというと、近代以降の人間存在を問おうとすると、ニュートンの自然哲学の数学原理の枠を遥かに超え出てしまう。人間社会を動かす身体と精神の現象は複合的で、貧富の差を生む経済現象に加え、根底に宗教現象の複合指数(±)を見据えると、アインシュタインの特殊相対性理論やハミルトンの複素数応用(四元数の回転行列)でも解きがたい。あえて人間社会を座標系としてみれば、原点や単位ベクトルに相当する働きが如何なるモノか。それをヴェーバーは「諒解行為」(後には「社会行為」)と名付けた。それを今どう理解するのか、労働力確保の要件だとしても、一筋縄にはいかない。経済大国の事情を欧州連合の小国に強いるわけにはいかない。民族移動現象は事実上文化変動をもたらすから、どのような諒解関係が取り付けられるか、未曾有の大量難民に向き合う諸君(ドイツの友人たち)への宿題とする。
この記事を書いた理由:アンゲラ・メルケル首相自身がライプツィヒ大学の物理学専攻出身であり、現在の夫君ヨアヒム・ザウアー氏も量子力学者であること。メルケル首相の政策決定に、出自が影響していると判断するのは当然であると思う。9月16日更新
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2015年9月5日土曜日

狂気に動じず偏見に屈せず、座して「安心の非戦」を貫け!

     戦争は狂気です。一度暴走すると、止めるのが極めて困難。若者たち、有事体制を急ぐ人たちの狂気に動じることなく、座して安心の非戦を貫きなさい!政治に無関心でひ弱な世代という風評や偏見に屈せず、街頭に出て安心の波を次々と起こしなさい!原点を通る直線に注目し、荒ぶる波の勢いを穏やかな波線に変えることで、世界は確かに変わる、狂気から安心へと軸周りに回転し始める。非戦の決意と良心的兵役拒否は、君たちの権利なのだから。                        

追記: 8月30日の国会前での反安保デモに私も参加しました。
   多くの高校生が参加したは感動的でした。1970年の反戦デモ以来45年ぶりに歴史の記憶を更新する事件でした。9月10日更新
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2015年8月26日水曜日

ダルマさんに目を入れる、大事な節目を考える

 心仏を思う大化の改新に反旗を翻した物部の一件は昔のお話し、神を考えることを忘れて以来の思考停止は珍しくないが目に余る。実学に凝り技術に溺れることで近代人が陥った「存在の忘却」(ハイデガー)も困ったもの、それ以上に、教養を度外視し「無の忘却」に及んでは、「未成年状態」からの脱却は到底望めない。
  ところで、僕がダルマの話をすると、一部で時代遅れではという声が聞かれる。どんでもない。ダルマに学ぶと、宗教者の執拗な偏見が砕かれ、近代人の鈍った悟性がリフレッシュされる。理解社会学の古典モデルとして注目されたこと。
  「史的ダルマの研究」に専念する直接の引き金となったのは、大島淑子先生の明治大学での講演「ハイデガーと芭蕉」、それも東洋大学で宗教学Bを講じた際に面識を得た名誉教授の河波昌先生(「住」-場所的主体性論、クザーヌス論)の強い影響、学生時代に愛読した久松眞一の「東洋的無」(能動的無)と西谷啓治の「宗教論」、加えてテュービンゲン時代の友人で当時大谷大学の助教授だった堀尾孟氏の介在なしにはあり得なかったことを、遅ればせながらここで告白しておきたい。因みに、我が家の宗旨が代々浄土真宗の篤い檀家であったことも。叔父の宮村光徳が東京大学文学部の学生であった時に自殺をする。この事件をきっかけに、父は長男の私をルーテル派の九州学院中等部に入学させた。父の思惑に反して、一年後に僕は洗礼を受け、家業を継ぐことを拒否して神学校付属の高校に進むことになる。振り返れば、亀谷凌雲を初め大事な節目となる人との出会いがここに始まる。
 付記:史的ダルマの壁観を論じた本論(プラハ講演)のドイツ語訳が遂に完成!来春公開予定。邦文論攷の掲載を許していただける紀要を模索中。また、理解社会学関連の論文集と『史的ダルマの研究』の出版を引き受けてくださる方(出版社)あれば歓迎したい。
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2015年8月23日日曜日

理系実学優先と文系不要論のつけ、世代論は先細り

  文部科学省が推し進める大学再編案、理系の実学優先と文系の不要論・統廃合の試みに、随所で懸念の声が聞かれる。奈良平安時代に始まる日本固有の精神文化の芽を摘み、文芸復興の足場を崩してどうするの?近代人が学び損なった宝の山(Schatzkästchen)が歴史(神話や逸話を含む)には隠されているのに。手摺りなしに、どうやって自ら考える力を養えというの?間に合わせの政策で、世代論は先細りして後退するのみでは?
8月27日更新。
Shigfried Mayer(宮村重徳)

2015年8月9日日曜日

悪夢の大量破壊兵器、霞む赤と黒の記憶、戦後七十年によせて

 遮二無二有事体制の安保関連法案を通した安部現政権の政治判断の過ちを正すに、被爆者を偲ぶ8月の今がそのよいチャンスではないか。
 敗戦濃厚な状況下で、原爆投下は必要でなかった。戦争を終わらせる手段としても、故意に非戦闘員の大量殺人を狙った原爆投下は到底赦せない。戦勝国・敗戦国を問わず、世界市民の感情としてはそうであろう。もっとも、日本が仕掛けた第二次大戦と大東亜共栄圏の構想自体が間違っていたのだから、文句の付けようはないのだが、矛を収める時を逸したことで、政府は悲惨な末路を辿ることを国民に強いることになってしまった。「引き際」のむずかしさを思い知らされる。
 戦時下とは言え、人類史上あってはならない未曾有の事件、人の形をとどめない焼けただれた塊に、赤と黒に塗りつぶされた地獄絵に、戦争を知らない世代の君たちは今何思う?
 私は思う。虚無化と廃人化をもたらすだけの大量破壊兵器(a Weapon of Mass Destruktion)の使用禁止を唱えるなら、昨今のイラク戦争に限らず。原爆投下の第二次世界大戦にまで遡って、自らの襟を正す必要があるのではないか。ピューリタンのアメリカがカトリックの長崎にまで原爆を投下する必要がどこにあったのか。ルーズベルトとトルーマンの政治戦略に一抹の逡巡・錯誤はなかったのか。
 矛盾したこの気持ちを理解できるのは、オバマさん、歴代アメリカの大統領の中で貴方の他にいない。政治的決断の迷走と過誤の可能性を理解できるのは、合衆国の大統領の中で貴方しかいない。民主党・共和党の次期大統領候補者に当面望めそうにない。過去の大戦を振り返り、その反省をもとに責任を自覚した上で、戦争行為を憎みはしても、私たちはアメリカ国民を憎んだり、ロシアが望むような「戦争法廷」に訴えることを望んだりしません。どこまでも、平和を願う日米双方の子供たちの為です。日本にお越しの際には、広島と長崎の被爆地を訪問し、痛みを共有するアメリカ国民の良心ある所を子供たちに示してください。
 ケネディー駐日大使、ぜひオバマ大統領訪日の際に現地で献花していただけるよう働きかけてください。戦争を退け平和を愛する一国の大使として、日米間の諒解関係深化を促し、明日を担う世代の育成と交流の仲介をされることを心より願ってやみません。
8月20日更新

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2015年7月24日金曜日

若輩の友となり、庶民の目線で思索三昧、鶴見俊輔の生涯を偲ぶ

 いち早くパースのプラグマティズムを日本に紹介し、閉鎖的なアカデミズムの壁に風穴を開けた、鶴見俊輔を偲ぶ。若者の友となり、徹頭徹尾庶民の言葉で思索し行動した人、2015720日肺炎を患い逝去、享年93歳。1965年に小田実らと「ベ平連」(ベトナムに平和を!市民連合)を結成、安保条約改定の強行採決に抗議して東工大助教授を辞任した61年以降、「日常性の思想の可能性」(67年)を追求。70年に学園紛争の際に機動隊導入に抗議して、同志社大学教授を辞任。その後、経済学者の都留重人・理論物理学者の武谷三男・同じく理論物理学者で情報科学に詳しい渡辺聡・キリスト教思想史家の武田清子・政治思想家の丸山真男らと共に九人で思想の科学研究会を立ち上げ、「思想の科学」誌を創刊。何を隠そう、当時東京神学大学の学生だった私の愛読書の一つとなった。
 数年前、私はドイツのヘッセン州の女性市長が日本を尋ねてきたときに、文京区の市民会館で通訳をしたことがある。その際に小田実とは個人的に知り合えたが、鶴見俊輔とは残念ながら面識を得ることは一度もなかった。それでも、ハンセン氏病患者の社会復帰を先頭に立って支援した人なので、深く心に留めていた一人である。安全保障関連条約が強行採決された自民党阿部政権の今日に於いて、何よりも先んじて辿るべき「一里塚」的存在である。若者たち、お上(アッパー)の目線でない、常に下(ボトム)から考えることを学ばせたこの先人を思い見なさい。5月27日更新

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2015年7月5日日曜日

哲学と政治の大国が経済に躓いても、尊厳性を疑わず

 哲学と政治の大国ギリシャが一時の経済事情で躓いても、私たちはその尊厳性を疑いません。官僚体質の克服は、どこにでもある共有課題だからです。誇り高いギリシャ国民の皆さんがよく考えて決断されることを尊重し、欧州の一員に留まることを私たちは強く期待しています。デモクラシーとオリンピック発祥の地である自覚を基に、その精神を次世代の子供たちに語り伝えていくために、ここは辛くても考えることをあきらめず、可能な限りの知恵(Phronesis)を出し合い、無事に壁を乗り越えていただきたい。

Anton Kolakovski, Steffanie Clemens, Shigfried Mayer, 5. Juli 2015

2015年6月25日木曜日

どしゃ降りの雨に降られて生きてます

 考えずに済むなんてもったいない。お頭も手足も委縮して、人任せでお蔵入りでは情けない。どしゃ降りの「雨に降られて生きてます。」これはラーヘルの言葉ですね。「どしゃぶりの」は私の解釈、「傘なしに」というのは、アーレントのコメントです。傘を持たずに外出して突然の雨に見舞われた時のように、宿命(存在意味)を理解し覚悟して生きるにしても、因縁の出自を隠して(嘘=擬制に)生きるにしても、考えることだけはやめない。すごい人ですね。ユダヤ人女性にして不運な人(Schlemiel)の募る思いが「堰止め」(Staudamm)に、どしゃぶりの雨を湛え、大地を潤す水源となるところ、「堰止め」に行きつくまで、考えることを止めない。「女性解放」の歴史を原点にまで遡り考える、アーレントが共感するわけです。
次回のテクスト研究(明日626日金曜日、午前1045分~1215分、獨協大学5棟316番演習室)では、ラーヘルの映像資料はないので、アーレントの映画を鑑賞します。どなたでもお越しください。

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2015年6月14日日曜日

悩ましい「三角形の五心」を解析する

質問: 三角形の頂点から垂線を引いたときに、着地点を"H"で表すのはなぜですか?
答え: ドイツ語で垂線をSenkrechte,  垂心をHöhenschnittunkt と呼ぶことから、"H"で表します。
ちなみに、三角形の五心、外心, 内心, 重心, 垂心, 傍心は、英語で circumcenter, incenter, barycenter (center of gravity), orthocenter, excenter(s) ですが、ドイツ語で言うと、以下のようになります。
外心は Mittelpunkt des Umkreises、三角形の頂点が同一の円周上にあるとき外接円(Umkreis)と言い、その中心が外心です。三辺の二等分線が交わる所です。多角形の頂点から引かれた外接円の交点は、三角形の内心から少しずれた位置関係になる。
内心は  Mittelpunkt des Inkreises、三角形の各辺が同一円の接線となるとき内接円(Imkreis)と言い、頂点角の二等分線の交点を内心と言います。 Gergonne (ジュルゴンヌ点)とも言います。因みに、三辺は内接円の接線(Tangent)で、対辺に引かれた垂線の長さは常に等しい。
重心は  Zentrum des Schwerpunktes, Baryzentrum、中点を挟む辺の比が 2 対 1 となるところです。中点は Gravitation (重力)の"G"で表します。因みに、重心は移動します。例えば、車を加速させて重心移動が生じることをベクトルVektor と言いましたね。
垂心は  Höhenschnittpunkt der Senkrechte, Orthozentrum、三角形の頂点から対辺に引いた垂線は一点で交わります。垂心はその頭文字の "H" です。底辺の着地点は垂線の延長、高さ(Höhe)に当たるので、同じく大文字の "H"で、実際の高さは小文字の "h" で表します。
傍心は  Exzentrum、離心円を exzentrischer Kreis という、離心率が高いと楕円となります。三角形の頂点と傍接円との接点を Nagel ナーゲル点と言います。ナーゲルとは釘のこと。大事なところに楔を打つ時のあれです。メネラウスMenelaus の定理を応用し、ジェヴァ Geve の定理の逆で、外向きに一点が共有されます。
余談: 「三角形の五心」は人生の重石をどこに置くのか、それ次第で異なる生き方のヒントになりますね。各自図形を描いて確かめてください。次回は座標の原点 "O"の秘密に迫ります。 8月9日更新

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2015年6月7日日曜日

ブラックバイト(?)では話が通じない、シュヴァルツ・アルバイトの実態

 学生諸君が学習塾などでアルバイトをして、時間外の残業手当がもらえない、賃金未払いなどで被害をこうむる例が最近数多く報告されています。ブラックバイトと言われていますが、英語表記では Unreported Employment (届出なしの雇用)のはず、Blackbeit?では話が通じません。ごちゃまぜの和製英語だからね。元はドイツ語のSchwarz-arbeit(シュヴァルツ・アルバイト)だとすると、これを英語風に言い換えたものでしょう。茶化した言い方も風流でいいじゃないかと言う人もいるでしょうが、ここはきちんと正規表現で、シュヴァルツ・アルバイトと言うようにしましょう!そうすることで、国際的討議の場に引き出せる。国内外の人と課題を共有できるようになります。但し、Schwarzarbeit には不当な雇用関係の他に、不法就労の意味もあるので注意が必要です。英語サイトでは illegal Employment (非合法な雇用)と明記されています。 
 言語は大事な共有財です、聴き手に意味が伝わらないと価値がありません。不正規な言語使用は混乱の元です。アルバイトする(Arbeiten)のは就職して正規の雇用関係に入り給与を取得して生活すること。その点で、小遣い稼ぎの副業(Nebenarbeit leisten, ネーベン・アルバイトする、jobben ジョッベン)とは区別されます。
 不当な扱いを受けた時に困らない、ひとり泣き寝入りしないために、自らよく考えて(Selbst denken)、仕事し(Herstellen)活動する(Handeln)。ハンデルンとはコミュニケーション的行為ですから、職場の仲間と諒解を取り共同歩調を取ることが期待されています。例えば、君たち非正規就労者の中から労働組合相当の自立組織を立ち上げるか、身近な労働組合に相談することをお勧めします。もちろん、組合員だから「活動的生」(アーレント)を考えて生きているとは必ずしも言えない、即断できませんよ。考えるのも見破るのも、他ならぬ君たち自身がすることです。いずれ、大原社会問題研究所でもシュヴァルツ・アルバイトの問題を集約して対応できるようにしたい。6月8日更新。

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2015年5月21日木曜日

内定者への嫌がらせ、オワハラ?それともサスハラ?

 たまには言葉遊びをして、思考のスキルアップ計るのも悪くない。但し、今回はドイツ語でなく英語での話しです。
 昨日付の『日経ビジネス』(2015.5.19)に、河合薫さんの新リーダー術:上司と部下の力学、『「キミのせいで私が無能?」思考を放棄する日本社会の罪と罰 新卒一括採用の功罪を問う』という記事を楽しく読ませていただいた。確かに、企業が新卒予定の内定者に、優秀な人材を確保する目的だとしても、これ以上の「就活を止めよ・終わらせよ」と迫るのは、立派なハラスメント(harassment)です。だからと言って、「おわらせよ・ハラスメント」を縮めてオワハラというのはどうか。中途半端な造語ですね。「ハラスメントを終わらせよ」の意味でならわかるが(笑)。セクハラやパワハラと同様、ネイティブの欧米人が聞いてもさっぱりわからない、およそ通じない。
 英語で「内定」は a unofficial / informal decision。すると、話題のオワハラはさしづめ a harassment on unofficial decision ではないか。法律用語で仮免許を provisional licenseと言うから, 仮に内定者への嫌がらせを a harassment on provisional decision と定義してみても、肝心のノリのある楽しい言葉が見つからない。他方、会計用語で仮勘定を suspense account という。そこから連想して、a suspense decision harassment と読み代えてみると、サスペンス・デシージョン・ハラスメントとなろう。これを縮めて、サスハラと言えないこともない。少なくとも、オワハラよりは英語のイメージに近い。
 発信元が誰であれ、「思考を放棄する日本社会の罪と罰」を考える際に、「内定」の名目で企業の人事課が新卒予定者に圧力を加えることに抗議しないのは、丸投げすることに等しい。これでは、思考停止を招く日本語世界の歪みはいつまでも正されない。「内定」をいただいたからと言って、就活(job hunting)を反故にしたり権利の差し止め・差し押さえ(a provisional disposition)の扱いを強要されたりする理由はどこにもない。そうではないか。君たちの意見を聞きたいな。

Shigfried Mayer(宮村重徳), copyrights © all reserved 2015, the Institute for the Interpretive Sociology Tokyo

2015年5月9日土曜日

片仮名綴り本の困惑と爽やかな衝撃、脱在論への共感的批判

 先月保育園に書店ハンナさんが持ってきた、やたらと片仮名綴りが多い一冊の本に注目している。上智大学はカトリックの総本山、そこからトミズム(スコラ神学と哲学)の常識を覆す論文集、宮本久雄編『ハヤトロギアとエヒイェロギア』(教友社、2015年)が出ようとは。想定外の驚きである。アウシュヴィッツ以降の神学的模索に関心があり、ふと目を凝らす。節々でハンナ・アーレントが梃子となっているようで、物語論に打開の糸目をつける点でおもしろい。中でも、ハイデガーの「存在神論」を全体主義的だと批判した宮本久雄のエヒイェ論的「脱在論」は、久々に新鮮な驚きと爽やかな衝撃をわたしにもたらしてくれた。一気に読んで得た印象では、いかにも総花的で飛躍が多い。プロテスタントのわたしたちが普段扱わない教父伝承を駆使している点は参考になるが、点と線を結ぶ仕方がアーレント以上に乱暴である。山本山と同様、前から読んでも後から読んでもHannahはHannah、これをギリシャ語でパリンドローム(Palindrom)という。社会学的視点が欠落すると、存在と無を巡るせっかくの討議も空転しよう。看板が塗り替えられただけでは、真摯な対話に深まらない。接線は交わらず平行線のままだから、「解釈学的循環」の迷路から抜け出せない(のではと危惧する)。個々の聖書解釈の妥当性を含め、脱在論への共感的批判について、本格的評価は詳しく読んでからにしたい。5月18日更新。

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2015年4月18日土曜日

自我と非我、「予言者的壁観のルーツ」に見える峠道

問い合わせにお応えいたします。2014年の秋に同志社大学にて個人発表した「予言者的壁観のルーツとダルマ伝承」は、宗教学会の都合により学会誌がオンライン版のみになったために、紙面での参照が難しくなっています。著者名と論文名が検索項目として登録されていないせいでしょう。面倒でも以下のアドレスを辿り(雑誌名をクリック)、日本宗教学会のHPより「別冊」をダウンロードして、レジュメを直接ご参照ください。第二部会の211~212頁です。第三部会から二つ前に戻るのが早道。

『宗教研究』第88巻別冊 第73回学術大会紀要号 211-212頁。
第88巻別冊

 

なお、「本稿」の方は長文です。予言者的壁観のルーツに広がる、自我と非我(無我)の峠道を散策します。近日中にいずれかの大学の紀要に掲載する予定です。しばらくお待ちください。当ブログでダウンロードできるよう配慮してほしいとの問い合わせには、今のところ応じられません。また、プラハでのドイツ語講演につきましては、公開は次年度になります。獨協大学『ドイツ語学研究』誌に掲載予定。5月3日更新

Shigfried Mayer(宮村重徳)

2015年4月11日土曜日

仮想的生の実践、まるで初めてすることであるかのように

「ゆとり世代」は実は「焦り世代」?の、デジタルネイティブな君たちだからこそ、あえて言いたい。一切の縛りから解放されて、「まるで初めてすることであるかのように」、何もビビらず焦ることなく、仮想的に生の根源を問い且つ実践しなさい。壁となって立ちはだかるモノと向き合うに、死への勇気と気取る必要はない。与えられた自分の悟性を使って理解し判断すれば、過剰で無縁な情報に惑わされず、一切の苦役なしに無やゼロ(生誕)の根源から安心して生きる勇気が持てるようになるよ。ジェンダーのバリヤはない。法師ダルマに続き、哲人カントとアーレント学習をお勧めする。ヴェーバーとハイデガーの勉強はその後でいい。考えることが苦手な人は、森鴎外の「かのように」を参照せよ。
Shigfried Mayer(宮村重徳), coyrights © all reserved 2015, the Institute for the Interpretive Sociology Tokyo

2015年3月21日土曜日

スマートデヴァイスは禁断の木の実、自分を見失わないよう半目で考えよ

 高度な情報処理機能を満載としたノートパソコンの登場は今や昔の話し。アイパッドやスマートフォンが発売されて間もないのに、今度はスマートウオッチがアップルから発売された。便利で快適になった反面、利器を使う人間のお頭は一向に賢くなっていない。論文不正で話題となったコピーアンドペースト(copy & paste, Kopie und Einfügen) の弊害も今や昔。アイパッドやスマートフォンが発売されて間もないのに、今度はスマートウオッチがアップルから発売されたね。人のお頭が賢くなっていない証拠に、女子のスカート内を投影する教師や僧侶が紙面を賑わしている始末。禁断の木の実を食べた人間たちは、際限ない快の追及故に悪用するばかり、奈落の底を徘徊して恥じるところが無い。世代を問わず思考停止の状態では困ったもの、先行きが危ぶまれる。
 「快」ばかりを追求して思考停止になるより、多少つらくても「不快」な経験に学んだらいい。不便さが発見に繋がるように、「不快」なことって意外と大事なターニングポイントだってこと忘れないで。自分と向き合うことが嫌だったり、他人と話すことが不得意また面倒でも、苦痛や摩擦があればこそ進歩・成長がある。当たり前だけどね、たまにはスマートフォンの電源を切って、自ら考える癖を身に着けよう。
 K君にSさん、オンラインの自動翻訳など信用してはいけないよ。コピペを止めるために、まず日本語に翻訳しない、独文はドイツ語で理解する、パラフレーズ(分節化)するだけでいい。「或る時は著者を忘れて言葉に戯れ、或る時は言葉を忘れて著者と戯れる。」(シュライエルマッハー)。多少は苦労しないとね、考える力は身につかないよ。
 近代人が神を考えることを忘れて以来、カオスの勢力に太刀打ちできない。フェイスの取り込み(友達選び)に失敗して、仮想世界のライン上で立ち往生しているじゃない。そこで半目になって考える、自分に立ちはだかっている壁は何だろうと。でもね、見えざる壁を前に或いは壁を背にして存在や無(の真性)を考える・瞑想するにしても、孤独な実存ではすぐに行き詰るよ。何を語り何をするにしても、ハンナアーレントが言うように、基本的に二人(対となる要素)で理解する(Verstehen zu zweit)工夫、複数性の対峙的アングル(男と女、神と人、天と地、筆者と読者、私的・公共的領域)が必要だね。それも適度にピーンと張ってないと顔は輝かない、念願の生は躍動し始めない。強く張りすぎると切れる、緩すぎると音は出ない。でしょう?君たちの意見・本音を聞きたいな。
(3月23日更新)
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2015年2月26日木曜日

複雑系に負けない知恵比べ、接線と(垂直な)法線の導関数を使い湾曲に

 昨今に顕著な未曾有の事件多発は、複雑怪奇な「曲線」的諸問題に直面させ、就活世代の君たちを困惑させています。動画メディアに踊らされ右往左往したりせず、猛々しい宣伝文句に乗せられ付和雷同したりしてはいけないよ。大切なことは、他と違う自分の差分と「傾き」をどのように理解するか、これとどう向き合うのか。さしあたり接線を引いて平均変化率を調べ、法線を見極めながら湾曲にしておく。
 就職活動の傾向と対策についても、同じことが言える。言うまでもないが、自己分析と関心のある職域の分析は欠かせない。転んでもただでは起きない。どんな失敗もトラウマも峠道への一里塚。かならずメモを取っておく。理由は、得られた数値データから進路にマッチする経験妥当な傾き・受け入れ可能な思潮(収束点)を取り出すため。
 基本は「補助線」を引いて見る、トライアルの精神だよ。すべては「近似値の直線」(=「接線」)を引くことから始まる。おかしな傾き具合があれば、あとで修正すればいい。適時にこれを質すことで座標化し、次につなげることができる。ネット空間を闊歩する疑似宗教的プロパガンダに気を許さず、見た目を楽しませるだけの怪しげな「自己相似性のフラクタル」に惑わされてはいけないよ。自分に与えられた悟性を使う勇気さえあれば、接線と(垂直な)法線の導関数を応用して、だれでも難局を突破できる。

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2015年2月1日日曜日

イスラム詐称の恐怖政治をここで食い止めないと悔いが残る。でもどうやって?

後藤健二さんの悲報に接し、衷心より哀悼の意を表したい。       

                                 Photo Reuter
「目を閉じて、じっと我慢。怒ったら、怒鳴ったら、終わり。それは祈りに近い。憎むは人の業にあらず、裁きは神の領域。そう教えてくれたのはアラブの兄弟たちだった」。これは後藤健二さんが2010年9月7日に自身のツイッターアカウント(@kenjigotoip)で発信した言葉だ。2015年2月1日の午後4時現在で、すでに8000回を超える反響があり、今もツイッター上で拡散が続いていると、今朝の毎日新聞は報じている。2010年12月2日にも、「そう、取材現場に涙はいらない。ただ、ありのままを克明に記録し、人の愚かさや醜さ、理不尽さ、悲哀、命の危機を伝えることが使命だ。でも、つらいものはつらい。胸が締め付けられる。声に出して、自分に言い聞かせないとやってられない」と、ジャーナリストとしての使命感を率直に告白していた。このような素晴らしいアラブの仲間を、良心的なイスラム教徒が殺せるはずがない、そうではないか。
節分を前にした後藤さん殺害の悲報は、「イスラム国」を名乗るも実は「詐称」するだけの、黒ずくめの覆面がかち割れた一瞬である。一二年で鎮静化するだろうが、放っておくと第二第三の犠牲者が出よう。虚無化の嵐をここで食い止めておかないと、後々まで悔いが残る。カオスの勢力と交渉しないのは当然だとしても、暴虐の芽を早く潰さないと、後手に回れば鬼退治を仕損じる。子らの世代を危機に晒すことになろう。だから、何らかの仕方で欧米諸国が介入しても、ベトナム戦争の二の舞にはなるまいと考えるのは間違いの元。冷戦時代には、イデオロギーというそれなりに理解できる戦争の大義があった。しかし、残虐を究めるこの自称「イスラム国」勢力には「それ」さえない!「言論の自由」を理解する良心の一欠片もない。アメリカの中東政策の失政による「鬼子」だから、「泥沼化」は避けられない。
イスラム教徒たちにとって事態はもっと深刻で、神の裁きの執行人を自認して憚らず、形振り構わぬその暴虐は「詐称」に等しく、預言者のプライドを云々する風刺的表現のレベルを遥かに超えていよう。それでも良心を信じ面子にかけて、イスラム法学者たちの奮起を促したい。不用意な切っ掛けを造った日本の阿部政権と、人権の優先順位を巡りもたつくばかりのヨルダン政府にも、同様の猛省を促したい。
Shigfried Mayer(宮村重徳), copyrights © all reserved 2015, the Institute for the Interpretative Sociology Tokyo


2015年1月11日日曜日

テロに屈しない、憎悪に口実を与えない、言論の自由に理解と工夫を、善への刺激策を!

 風刺画掲載で知られるフランスの週刊誌シャルロー・エブディがアルカイダ系テロリストに襲撃されたのが7日、「アッラーは偉大かな!」と口々に叫び、著名な風刺漫画家で編集長シャルボニエ氏を初め12人が皆殺しされた。言論の自由を謳歌する欧州世界に衝撃を与えたこの事件は、9日に特殊部隊の投入によりテロリストたちの全員射殺で終わった。パリを舞台にした二件の内一件は、ユダヤ人の若い商店主が犠牲となった。彼らに殺された婦人警官はイスラム教徒だったことが判明している。神の名をみだりに唱えるだけでない、自爆することがコーランで殉教だと教えられたと容疑者は自白している。誤った解釈(プロパガンダ)に踊らされていることは確かである。
 他方、イスラム教の預言者を風刺することがいいとは思われない。相手が一番嫌がること、代表の人格誹謗に近い諧謔が好まれる風潮も困ったものだ。西洋知識人の尺度を彼らに押し付けてはいけない。憎悪に口実を与える刺激物はできるだけ控えた方がいい。余計な刺激物は、誤った理解を焚き付ける温床となる。もっとも、今回は自国民による犯行だから、事件の衝撃度は大きく一線を超えた。風刺画(カリカチュア)も文字(エクリチュール)と同様に独り歩きするから、ルサンチマンの応酬に口実を与えるだけだ。主観的意味の押し問答より、悪の刺激物に負けない、経験妥当な正しい「理解への欲求」(善への衝動の促し!)こそが望まれていよう。
 若きアーレントは、「ユダヤ人として迫害されるのであれば、ユダヤ人として抵抗しなければならない」と告白したことが思い出される。たとえ「悪」の首謀者が「凡庸」であるとしても、ここで身を引いてはいけない。パーリア的存在の自由を求めて戦う必要があると彼女は確信した。悪が世界を滅ぼうとしても表層のみ、善のみがラディックス(深層、存在の根底)に迫りうると。このたびの事件を目の当たりにして、21世紀に於いて言論の自由を行使する際に、風刺画や文字を理性の限界内に抑えることの難しさ、カオスの勢力に対してはひるまず抵抗することの大事さ、最後は自分と戦わずして身を引くことの愚かさを痛感させられた。アーレントへの学びは、時機に適ったそれぞれの「我が身」への反省となるだろう。
 憎悪の糸口となるものをつくるべきではない。挑発行為(「侮辱権」の主張)はやめたほうがいい。むしろ言論の自由に関する理解の妥当性を問い、「善」意志を刺激する政策実現(「認知権」の平等)を求めよ!共感のポイントは、双方にとって「善」の理解が食い違っている点に求められる。如何にこれを自己調整するか、諒解関係の構築は、共通の「善を欲する」意思に委ねられる。紛争の元はと言えば、イスラエルとパレスチナを巡る欧米主導の強引な戦後政策に起因していよう。貧富の格差と民族差別が宗教対立の背景にある。それが解決しない限り、政治的に対等な「平方完成」は望めないが、互いの「平方根」を求める(「複素数」を導入する)ことで解決することもあり得よう。 負の遺産(虚数)を"i" に置き換えよ!1月14日更新。
Shigfried Mayer(宮村重徳),
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2015年1月1日木曜日

年頭所感:「退くことで先んじる」、私の「哲学宗教日誌」元年

  新年のご挨拶を申し上げます。今年も、当ブログ「理解社会学の工房」をご愛読・ご支援賜りますよう、心よりお願い申し上げる次第です。

   Ins Neujahr holen Sie sich wieder!                                                             
 Rahel = Hanna

  さて、スピノザとアーレントに在って私に無いモノは何だったのか、昨年来の反省課題である。八方塞がりでも弱腰にならない、簡単にやめない、降りたい自分に負けないで原点に「踏みとどまる」勇気だろう。不退転に構える意志の硬さより、「柔軟性」に偏り過ぎたことへの反省からである。すぐに和睦・妥協に持ち込ませない、自己意志貫徹の心得が「一歩後退、二歩前進」(“Schritt zurück“)にあるのだとすると、「自己反復」する真理の要件は、何処から「実存する」(ek-sistieren)のか、死から或いは生の始源から。宿命の選択は、「私」の意思決定に託される。
  そこで、今年の年頭所感は、「私の哲学宗教日誌元年」。一歩後退して、パーリア(賤民)的存在の働きを(自分を無とする)「神の身振り」に学ぶだけでなく、初源に「退くことで先んじる」(praevenire amando)、アーレント自身の「活動的生」(vita activa)をモデルにして、真理の如を虚心坦懐に学ぶことにした。これを以て実りある一年としたい。ヴェーバーの『古代ユダヤ教』参照は当然のこと、彼女の「政治神学」がヴェーバーの「支配社会学」的視点と異なるところは、随時明らかとなる。ハイデガーとの差異は微妙だが、それ以上に興味深い。
  「私の哲学宗教日誌元年」と銘打ったが、史的ダルマの墓標を後にして、次なる指標ヴィトゲンシュタインの峠にたどり着くまでの旅路の元年、初源に「退くことで先んじる」道を学び合う、一般社会学言論の哲学講座開設へ向けて。

2015年度獨協大学外国語学部ドイツ語学科に於ける「テクスト研究」(歴史・社会部門)の「予告」(Voranzeige):「自分を包み隠さず理解したい、アーレントに学ぶ」(《Ich will verstehen, ohne mich zu verbergen. Der Fall Johanna Ahrendts)。言わば、コミュニケーション的行為の理解要件です。
受講希望者は、原書テクストの他に、ヤスパースやハイデガーと交わされた「往復書簡」に目を通しておいてもらいたい。保証付きで、報われて余りが有る。(3月22日更新、画像差し替え)

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