Products, Writings (著述活動)

Erklärung von meiner Produktivität, den verfaßten Blogsartikeln, Bücher und wissenschaftlichen Aufsätzen in der Zeitfolge  

 当サイトに掲載されるブログ記事、その他一連の諸文書(未公開論文を含む)リストについて、ご説明いたします。(2013年7月21日更新)

 ブログ記事は、基本的にウェップログの形式を踏襲し、コラム(時評)・レビュー(書評)・エセー(随想)の三つで構成されます。これにインタビュー(対談)・ディスコース(公開討議)・ダイアリー(公開日誌)・ニュースハイライト(重要なお知らせ)を加えると、全部で七つになります。月に二三本を予定していますが、どの形式を取るかはその都度の政治・社会・経済を巡る話題と討議の状況次第です。時を見計らって、初心者向けに「りかい社会学の基礎」シリーズ(青本・赤本)を始める予定です。なお、欧文タイトルは、日本語タイトルの単なる翻訳とは限りません。時に、内容に即した命題文でもあります。

著書・論文の紹介に入る前に、先ず基本的な概念とカテゴリーの定義をしておきましょう。カテゴリーとは、使用する概念や「言論の仕分け」のことです。ブログ記事のカテゴリー(ラベル)が、「哲学」か「社会」か、「哲学・社会」か「文化・芸術」か、「宗教」か神学かの区別は難しく、実際上は任意的なものです。もちろん、任意的(beliebig)とは必ずしも恣意的(willkürlich)ということではありません。例えば、「社会」という語彙一つ取っても、社会言論史上抜き差しならないカテゴリー理解の混同が問い質されることになります。ラテン語のソキウス(socius、「共生」)という語彙が基となっています。では、「社会」と同義の「共同体」はどうでしょうか。ドイツ語のゲマインシャフト(Gemeinschaft)やゲゼルシャフト(Gesellschaft)の概念は、ラテン語のソキエタース(societas)を基にしながら、gemein-(共通の、公共の), gesellen-(職人仲間の) 綴りで、独自の概念世界を築いています。この追加の仕分けが、ドイツ語で為される社会学思想の特徴です。もっとも、テニエスとヴェーバーとでは、同じ概念でもコンテンツを異にしているので、テニエスの「共同社会」と「利益社会」に対して、ヴェーバーのそれは通常カタカナ表記で、ゲマインシャフトとゲゼルシャフトにします。テニエスのように地域性や民族単位の関心に偏らせない、民族主義的熱狂に楔を打つために、ヴェーバーでは厳密な意味で「諒解関係」の理解の仕方が問われ、社会性(社会の身体性)を紐解く鍵となるからです。
「一般社会学言論」は、言語社会学・社会言語学・宗教言語学の課題と隣接し、総じて複数の領野に跨る(オーバーラップする)ので、カテゴリー(ブログの主題・概念の所属先)の判別は「どちらとかと言えば」程度の、重点の置き方の違いか比較上の僅差でしか判別できません。これは、以下の主要論文でも同様です。しかし、関心が多岐に渡るように見えても目指す先は只一つ、多様な身体現象学の彼方にある「臍の峠」(Hozo-no Touge, Bergpaß des Nabels)です。研究の主題が分岐し諸学に及ぼうとも、三択で表示される「道標」(Wegmarken)は、同じ一つのルートを指し示しています。すなわち、「人(ペルソーナ)に於いて働くモノが何か」(An-und-in-der-Persona-Wirkendes-Sein)に注目し、「現に其処に有る」現存在の仕様(如何に)を問うことです。あとは、「解釈項」となる史的事例がその都度異なるだけです。ブログのリストはBolgs Archivesで、論文等の詳細は以下の著作物でご確認下さい。

これまでの主要著作及び論文等(未公開・未完の分を含む。研究ノート・小論・事典項目・講演集・説教集・翻訳関係などはすべて割愛)は、時系列で以下の通り:
1."Die Kategorie der Bewegung im Denken des jungen Karl Barths - anhand der Metapher des Vogels im Fluge", Magisterschrift an der Eberhard-Karls Universität Tübingen, 1984. 病気療養中に書いた修士論文です。そのレジュメ『若きカール・バルトに於ける運動のカテゴリー、飛行中の鳥のメタファーを手掛かりにして』は、1991年に日本宗教学会で発表後に、『宗教研究』第64巻287号に掲載。.
2.『人格性(ペルソーナ)の思想と宗教』、61 accad(1985-1994). 1984年に帰国後の研究活動の集大成その一(未公開)。人格性と非人格化に関する印欧語族とセム・ハム語族の比較資料分析。
3.『思惟の課題としての人格性のメタファー』 3、改訂版(1995-1999)。集大成その二、前出2のメタファー論的探求(未公開)。
4.『ペルソーナ・働き・存在-「自己」経験の環境を探る、宗教社会学的メタファー論考』(三恵社、2004年)は、1999年に始まる初期ハイデガー研究の成果の一部、エバーハルト・ユンゲル教授70歳誕生記念献呈書。品切れ(目下、改訂新版を準備中)です。この改訂新版については、2010年12月20日付で書いたブログ記事、「改訂版『人・働き・存在』の行方」(改題:「ワイナリーに「革新」(旧稿改訂)の技法」)をご一読下さい。いずれ審議を深める中で、存在の「行方」は「彼方」になるはずです。
5.『ハイデガーに於ける現存在解釈-ペルゾーンの存在或いはヒトで有ることの位相』(未完)、大島淑子先生献呈書。すでに公開した『働くモノとヒト、非人格化の世界』(その一)の続編、(その二)でヴェーバーとハイデガーの水面下での対話について論じています。『ハイデガーのフマニスムス考』が出来上がっているので、こちらを先に発表する予定です。(その一)については、下記の8(1)参照。
6.『史的ダルマの研究-ボーディ・ダルマの壁観と「彷徨えるユダヤ人」』(未公開)、故マルティン・ヘンゲル教授献呈書。出版費用が足りず、目下出版に向けて待機中です。そのさわりの一部を、「史的ダルマ論の試み、生没年の秘密」として、昨年の日本宗教学会(2010年、京都大学)で発表いたしました。下記の後書き参照。
7.『ネストリオスのケノーシス神学と現象学』、及び『ネストリオスの壁に観る「歴史の彼方」-『バザール』終結部の不明なコード、預言者的発話について』(未公開)。他に、数多くの景教関連の論文あり。
*さしあたり宗教社会学や理解社会学に直接の対象としていない、それ以外の業績につきましては、余りにも膨大な数に上りますので、私のホームページ(作成中)にてご覧下さい。折に触れてそのコンテンツをブログでご紹介することもあろうかと存じます。 
8.ヴェーバー社会学研究論文。それと前後し方法論上の考察を重ねる中で、マックス・ヴェーバーの『理解社会学のカテゴリー』(いわゆる「カテゴリー論文」)の研究に従事してまいりました。政治家でもあったヴェーバーのリテラーテン(著作家と親交のある文化人・文芸批評家)批判は周知の事実ですが、社会言論批判のモデルとして扱うのは前例のないこと、私なりに誠心誠意取り組んできた研究成果です。2007年以降法政大学学術機関リポジトリ(JAIRO)にすでに公開された(法政大学紀要「多摩論集」の)諸論攷は次の通り、概要はアブストラクトで参照することが出来ます。:

(1) 『働くモノとヒト、非人格化の世界 ー宗教的・商い的ペルソーナの「自己」経験と環境を探る』(その一)(2007年)
(2) 『理解社会学のコンプレメンタリズム(試論) -マックス・ヴェーバー解釈のメタファー論的考察』(2008年)
(3) 『社会学言論のカテゴリー構想 -ヴェーバー「理解社会学」の解釈課題として』(2009年) 
(4) 『ヴェーバーに於ける「諒解行為」概念の留保或いは喪失事件 -経済倫理の古典モデル「蜜蜂の寓話・童話」を手掛かりに』して(2010年) 

*アブストラクト及びキーワード → http://ci.nii.ac.jp/nrid/9000016509620

9.『一般社会学言論』講義(鋭意執筆中)。『人(ペルソーナ)・働き・存在』(改訂新版)とは別に、その後のソシュール研究を元にした『一般社会学言論』講義にて、これまでの研究の成果をすべて総括します。

なお、法政大学紀要『多摩論集』(論攷シリーズ)掲載の諸論文について、皆様のご感想・ご質問・ご意見を初め、ご評価をこのブログサイトで承ります。私の四つの論攷は次のアドレス(CiNii 国立論文情報センターのナビゲータ)で参照することができます。国内であれば、通常はグーグルで法政大学を検索し、そのライブラリーから論攷をダウンロードできます(姓と名の間を空ける、例:鈴木 一郎)。海外在住の方は、直接わたし宛にメールください。

CiNii

10.事例研究: スピノザ、ジンメル、ヴェーバー、ハイデガー、アドルノーの解釈がメインです。フォイエルバッハとの関連でマルクスの読み直しを試みています。労働運動の中で事例研究をする今後に於いては、その成果は法政大学大原社会問題研究所関連の紀要、または関連するそのメディアで発表いたします。

11.ソシュール論は事例研究ではなく、わたしにとっては「一般社会学言論」講義の大前提です。ただ奥が深く一筋縄には行かないので、今は鋭意学習中とのみしておきたい。さしあたり、デュルケームとヴェーバーに関連してソシュール論を一部予約的に展開しておいたので、上記の第四論文、『ヴェーバーに於ける「諒解行為」概念の留保或いは喪失事件』の巻末にある附論(206ページ以降)を参照していただきたい。

12.史的ダルマ論は、理解社会学のコンプレメンタリズムに欠かせない史的事例研究の一環です。日本宗教学会(京都大学)で発表した『史的ダルマ論の試み‐生没年の秘密』(2010年)については、次のリンクをたどり、ご一読ください。
→ http://ci.nii.ac.jp/naid/110007580392
また、2012年5月16‐18日にプラハで開催されたコロキウム「身体経験と自己‐現象学と仏教」での講演、「ボーディ・ダルマの壁観、或いは身体存在の自己経験としての壁観凝住について」(Bodhi-Dharmas Wandanschauung oder -anstarrung als Selbsterfahrung des Leibseins)は、近日中にいずれかの紀要に発表予定。但し、ドイツ語です。邦訳するまで、しばらくお待ちください。

Shigfried Mayer (宮村重徳)