2013年2月19日火曜日

失われた二十年の世代、原石の輝きを取り戻す鍵は

【2月21日更新】
 この春に成人式を迎えた諸君にまだ一言の祝辞も述べていなかったので、遅ればせながらこの場を借りてお祝い申し上げたい。「失われた二十年の世代」と揶揄されて、気持ちも晴れず複雑なことでしょう。でもね、失われた二十年という存在と時の刻印を帯びた世代が、原石の輝きを自分たちに取り戻す鍵は、実は君たち自身の手にあるのです。諸君がそれを発見するまで、わたしは友としていつまでも君たちに語るモノでありたい、問いかけるモノであり続けたい。
 さて新年度になって、ハイデガー研究会に新たな仲間が二人増え、それも社会的立場は多様な大所帯で、世代間の討議もいよいよ活気を帯びてきました。話し合いの結果、みんなの共有可能な関心が、どちらかと言えばハイデガーよりもカントとヴェーバーにあることを確認いたしました。並立を望んでも、三足の草鞋には無理難題。孫悟空のように、分身というわけにはいきません。そこで、ひとまずハイデガー研究会をいったん休会として(秋に再開予定)、これに代えてカントの『啓蒙とは何か』をドイツ語の原書で読み合わせ討議する会合(学習会)に組み替えることにしました。これは、理解社会学研究会の主催となります。
 振り返ってみれば、三年前(201011月)にブログを初めて書いたのが、カントについてでした。すでにブログのタイトルは「働くモノと自分のこと」から「働き蜂の失踪事件、語るモノを失ったヒトの群像」に更新されていますが、内容はカントの『啓蒙とは何か』を論じたものでした。そこでこの機を見逃さず、成人式を迎えたのに未だに「未成年状態」から脱せないで苦闘している諸君の先輩たち、就活中か就職後の、或いは転職を繰り返して路頭に彷徨う寸前の、悩み多き若者世代のために、自分に与えられた悟性や理性の使用についてカントが何を語ろうとしていたのか、翻訳書依存をやめ原書で(=判断を後見人に託さず自分で)その真意を探ることで、誰にも依存しない自由な存在の意味連関を確かめておきたいと存じます。僕たちは誰かのコピーなんかでない、失われた存在のルートに逸脱した自分の峠道を探り、野道にそっと捨て置かれた原石(考える我)を見つけ、その輝きを見極める縁と機会を提供することが、研究会組み替えの狙いです。
 場所はいつものJR北千住駅東口前にあるカフェーサンローゼ、時間は第三週日曜日の19時から21時までとします。テクストはドイツ語原書から複写して手渡しますので、持参するのは辞書とノートのみ、それが不要な方(「哲学なんかいらない」と考える人)は手ぶらでおいで下さい。ドイツ語が分からない人も、日本語訳(岩波文庫本)を持参して討議に参加されて結構です。丁寧にわかりやすく手ほどきいたしますので、心配は一切無用、一般参加は無料です。終わったら、近くの魚河岸グルメのお店で、味が失せない前にわいわい論じ合いましょう。思索するモノにも味わう時があり、口にするモノに賞味期限があるように。

Shigfried Mayer(宮村重徳), copyrights all reserved 2013, by the Institute for Rikaishakaigaku

2013年2月5日火曜日

実体が無いのに、豊かさをどうやって実感するの?

【9月2日(月)更新】
 がむしゃらに働けば、豊かになるというわけでないことぐらいは、誰もが実感していることでしょう。働く人のすることが、期待値と経験妥当な値を満たしているかどうか。それが社会行為の適性(=諒解関係の指標)を計る二針の試金石です。矢を射ることに例えて言えば、洗練された言葉と的を得た行為でないと、何を語り何をしても、豊かさの実体を手にすることはできないだからです。
 あとは、囮(おとり)や騙しの金融派生商品(デリヴァティブ)に手を出さないこと、話題のモルヒネ経済政策の謳い文句には惑わされないこと。他でもない、「自分」のために働くのですからね。用心することに越したことはない。
 では、自分とは何でしょうか?考えるヒントは、前回もお話した、比の一の値で計られるものです。君たちが、整数倍で得をするか分数倍で損をするかのいずれであれ、豊かさの実感はそれ次第で増幅します。実体が無い(貧しい)にも拘らず、自分は豊かだ(満足している)という人さえいるのです。別に、清貧の徳をお勧めしているわけではないですよ。それでもご覧、貯金がゼロでも自給自足で誰にも依存しない、自由闊達な自分が、ほら其処にいる。ほらっ、此処にもいる。
 誰かに付く(師事する)としても、デダクティブ(演繹)やインダクティブ(帰納)だけでは、所詮自分の「帯に短し襷に長し」です。ならば、パースが唱えるアブダクティブ(仮導推論、仮説設定)ではどうでしょうか?ただ、投企するのは自分です(sich entwerfen)。景況の好き嫌いで投機的に走って、自分まで売り飛ばされないよう、くれぐれもご注意ください。放っておくと、「存在の忘却」(ハイデガー)は避けがたい。

Shigfried Mayer(宮村重徳), copyrights ⓒ all reserved, by the Institute for Rikaishakaigaku