2014年10月28日火曜日

百三十周年と五十周年に、二十六年の親しき因縁、獨協大と私の係わり

 昨年は130周年の獨協学園(初代校長:西周)、今年で50周年の獨協大学(初代学長:天野貞祐)、個人的には1988年から勤務して26年目に当たる。式典に参列された著名な諸先生に比べれば、無名無冠の教師にすぎないが、学園には百三十年の五分の一、大学には五十年の半分、二分の一を少し上回る係わりとなる。逆算すれば、26の五倍で130年26の二倍で50年プラスアルファである。あえて非常勤で貫いた辛苦の歳月を思い返せば、数字では言い表されない感慨深いものがある。ずっしりとした「時の重さ」が感じられるからだ。(11月24日更新)

Shigfried Mayer(宮村重徳)

2014年10月21日火曜日

ヴェーバー年表に見る、大戦前夜と百年後の今日

【訂正版、10月24日更新】
 マックス・ヴェーバーが『世界宗教の経済倫理』を執筆開始したのが1911年。それに前後して病気療養のためイタリアに行くが、帰国後間もなく出版されたフッサールの『イデ-ン』に刺激を受け、急遽「理解社会学」について構想を練り、『ロゴス』誌上に『理解社会学の幾つかのカテゴリーについて』を1912年秋に掲載、出版したのが翌年の1913年。その一年後1914年に第一次世界大戦が始まっている。2014年の今から数えて、ちょうど百年前のことだ。
 二年後の1916年に『儒教と道教』・『ヒンズー教と仏教』を、1917年に『古代ユダヤ教』を連綿と書き著している。野戦病院で従事しながらの執筆だというから、まさに驚きである。
 「宗教社会学選集」と「経済社会学綱要」、この二つをXY軸にして、宗教と経済がクロスする「社会的行為」の如何にを考える、壮大な座標系の「理解社会学」を展開するはずであったと思われる。夭折が惜しまれる。今みなと手分けして『古代ユダヤ教』を原書で読んでいるが、リソースに借用感の強い先の二書と比べて比較にならないほど、完成度の高い「珠玉の作品」と言える。後に「パーリアとしてのユダヤ人」(Die Juden als Paria, in: Die verborgene Tradition、「隠れた伝統」)を書いたハンナ・アーレントに強い影響を与えている。次年度、大学のテクスト講読で取り上げる予定。今から期待しておいてもらいたい。
 あれから百年後の今、新たな世界大戦を起こさない為に考えるべきこと。仮に想定外の戦争が起きても為すべきことを弁えた自分であるために、普段の学習(原書講読)は欠かせない。翻訳書を読んでわかった「つもり」でいると、すぐ綻びが生じるよ。

*お詫び: 二百年でなく百年が正解、「二」は余計でした。書き込み中「に」の消し忘れによるイージーな変換ミスです。事のついでに、二百年前の1814年といえば、米英戦争ですね。ナポレオン・ボナパルトが島流しにあい、洪秀全やバクーニンが生まれた頃、ヴェーバーはまだ生まれていません(笑)。

Shigfried Mayer(宮村重徳)