2020年8月31日月曜日

ウイルス変異の最前線で考える究極の素粒子論

 夜も昼も休みなく、宇宙から頭上に燦燦と降り注ぐ、素粒子(ニュートリノ)の荒波に晒されて、新旧を篩い分ける君は何ものか。命の種は無差別に、石地か藪か耕地の中に撒かれて所かまわず、次世代の新芽を育む環境を、神ならぬ人は自分で選べない。

およそ天上では、白色矮星の爆発に神々の死と再生をイメージするように、地球上の生命体も持続性社会を堅持するために、創造的破壊のその時を我が身に覚悟しなければなるまい。若者たち、ぼ~としてるとチコちゃんに叱れるぞ!

変異ウイルスは自然淘汰の一環か未知の見えざる神の手か。それが究極の素粒子かどうかはともかく、見た目には不自然に高齢化した社会へ楔を打つか大鉈を振るうかのようだ。物質に反物質あるも非対称性の破れが指摘されて久しい。木を見て森を見ない、宇宙の表層を覗いて深層を知らず働き主(神)を知らない。無知な政治家の首を挿げ替えても木魚の空、技術革新の蒙昧を反省しない限り、生態学的危機の事態は何一つ変わらない。医療従事者や宗教関係者も感染源となり、世情は混迷を深めるのみ。

新型ウイルスに無為無策の安倍政治が幕を閉じた。マックス・シェーラーが頓挫したところ(『コスモスの中の人間』)から始めるのも悪くないが、1920年スペイン風邪でなくなったマックス・ヴェーバー没後百年の今日、後継者候補には『職業としての政治』熟読をお勧めしたい。ヴェーバーには編集者としての手腕あり、壮大な理解社会学構想の再評価が待たれる。わたし自身アマゾン・ジャパン合同会社で働きながらその必要性を痛感している。

Shigfried Mayer(宮村重徳)、copyright © all reserved 2020, 理解社会学研究所所長、法政大学大原社会問題研究所嘱託研究員、㈱岡本カンパニー講師

 

参考文献:

今野元『マックス・ヴェーバー ―主体的人間の悲喜劇』(岩波新書、2020年)
野口雅弘『マックス・ウェーバー 近代と格闘した思想家』(中公新書、2020年)