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2023年8月18日金曜日

エントロピーは通過点、理解し賢く振る舞い、したたかに生きよ!


 猛暑は気圧の配置次第、エントロピーに見える自然界の因果に、イレギュラーな事例が増加しているが、それには原因がある。人間社会の経済活動にも理由があり、熱しやすく冷めやすい利害心の絡みがある。自然と社会の浮沈にも、気圧配置の仕組みでは同じこと。

 自然であれ社会であれ、連続する物事の因果関係を必然と理解し、偶然の成り行きに任せない。準拠するにも尺度の共有が必要となるから。激変する環境に応じて賢く振る舞い、したたかに生きよ!これが、反骨精神を貫いて得た、78年目の知恵袋。

 若者たち、無事「涼風」を得て、とりあえず激変する環境に適合した生き方・働き方を模索しよう。地球温暖化や沸騰化の原因解明や責任追及は後でいい。

 大事なこと:目先のエントロピーに右往左往しない。働くモノの連続性を理解して賢く振る舞い、誹りを招かないよう工面しつつ、したたかに生きること! バルフ・スピノザの『神学政治論』が参考になるかも。

宮村重徳(Shigfried Mayer)、法政大学大原社会問題研究所嘱託研究員 

Copyright © all reserved, 2023 / 08 / 17 、8月19日、8月25日更新

2022年5月12日木曜日

宇宙万象のリソースはガスと塵、エネルギー資源争奪戦の行方

 ·        前回ブログの続編、『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』が念頭にある。悟性同様、理解も精神もヌース。見えざる精神は不在の仕方で働くモノ、これを空として捉え直す、運動論的関心から、空け開く場(スペース)を位相幾何学的に探求する(Topologocal Research)必要が生じる。観測者(モニター)の討議要件が残るが、今日では情報科学の課題でもある。

·        例えば、願わしい国際平和のために何が必要かを考えるに、諸学を横断する行為者の知性改善論が求められる。知性とは、またしてもヌース、ラテン語でインテレクトゥス(intellectus)という。 旧くはスピノザの『エチカ』で、遺稿となった小論『知性改善論』で知られる、政治神学の実践課題。更に、オイケンの直弟子マックス・シェーラーが『実質倫理学』の課題として追究、『コスモスの中の人間』は道半ばの作。マルティン・ハイデガーの『オントロジー(事実性の解釈学)』の影に押しやられ、矢が折れてしまった。

·        シェーラーは、内奥的人格と社会的人格の狭間(立つ瀬のないスペース)で突破口を模索するよう、当時青年運動を指導する立場にあり活躍していたこと。エドモント・フッサールとの係わりの中で「内的時間の現象学」探求にひた走るハイデガーと、心理学的解釈を退ける点では両者と一致するが、「壁」理解のアングルを異にする点が注目される。言語の壁であれ民族精神のそれであれ、壁や幕はスペースを仕切るもの。どちらにせよ、いざ叡智を以て、自分の悟性(ヌース)を行使する勇気(カント『啓蒙とは何か』)、或いは存在への勇気(ポール・ティリッヒ)が要請される。

·        たかがガスと塵、されどガスと塵。物質の霊化(半田)を考えればなおのこと、ヌーロジーの系譜にそれをたどると、カントを初めオイケンもシェーラーもボッパルトも、ヴェーバーもフッサールもハイデガーもティリッヒも、今話題の人マルクス・ガブリエルもみなドイツ人。アングロサクソン系は、ユダヤ的知性と縁が深い。それは理由があってのこと、考える力は言語次第。摂食の如何にが問われる。

·        和製英語では、グローバルなアカデミー界に通用しない、学際的に討議できない。感性言語の区別と定義は後でいい。それでも、発想の豊かさ・着想の鋭さには驚かされる。随所にきらりと光る石あり、石庭の飛び石のようだ。点を線にするに、対座して親しく語らい食を共にする、陽だまりの縁側が欲しいところ、半田のヌース・アカデミアには、未来の子らを育成するために、流動食だけでは足りない。咀嚼するには硬めだが、歯ごたえのあるドイツ語の学習機会を設けることが望ましい。もちろん、ライ麦系の言葉を食しても胃腸での消化次第、生肉は火や熱を通さないと下痢をするが、エネルギー争奪戦は味わう舌ですでに始まっている。

·        熱源はもっぱら宗教的風土、深海の熱水噴出孔に微生物が群がるように、エネルギー資源争奪戦の背景には、宗教的動機が見え隠れ、例えば、プーチンのウクライナ侵略戦争を賛美し聖戦として祝福する、キリル・ロシア東方正教会総主教の影響が見逃せない。5月5日(木)、フランシスコ・ローマ教皇が「理解できない」と言い、ズームで(プーチン大統領の)「侍者になるな」とキリル総主教を叱責したそうだが、愛国精神を培うロシア的敬虔の根深い虚勢を穿つ勇気、フェイク情報に呪縛されたヌースの批判的行使は当然だろう。黒幕と疑われる大統領補佐官ウラジミール・メジンスキーの影響については、別途に譲る。

·        宇宙万象のリソースはガスと塵、いずれ地上の危機的事態は収束し、ガスと塵を巡る宇宙のエネルギー資源争奪戦にまで発展するだろう。そうなれば、ヌーソシオロジー(理解社会学)の出番となる。あくまで私見だが、半田のヌーソロジーはそのショートカットとして、より柔軟で射程の広い有効性を十二分に発揮することになろう。怪しく色めく主観的な民族共同体の精神(プロパガンダは洗脳の道具)をモニターする、経験妥当で諒解可能なシャンスの保証とモニタリングが必要となる。制約の多い古典モデルだが、とりあえず今はカントとヴェーバー、倫理ではシェーラーに注目しておきたい。

·        異なるイデア空間のモニタリングについては、場所論や記号論との微調整が必要となる。チャネルの認知空間と諒解可能性について詳しく論じる中で扱いたい。日経新聞の論説主幹・原田亮介が4月24日付で公開した最新記事「カントが嘆く新しい戦争、戦場は宇宙と認知空間」が参考になる。次回紹介する。

·        エイジング・ゼロに息吹く精神の現在、「遅れてきた青年」(大江健三郎)に、世代の壁はない。次々回ブログ(6月以降)のお楽しみ。

Shigfried Mayer(宮村重徳),  copyright © all reserved 2022,  法政大学大原社会問題研究所嘱託研究員

2022年2月17日木曜日

オミクロン憂世が浮世に変わるサインかな

 枯れ薊(あざみ)荒川土手に春一番

天高く雲雀(ひばり)一途に舞い上がる

コロナ禍もピークアウトのサインかな

泣き面の憂世が浮世に変わるのよ

 

安行しげ子(シュテファニー・クレメンス代筆)

2020年11月14日土曜日

地を憂い天を仰いで神々の黄昏に

新型コロナウイルスの世界的感染拡大の渦中でも、エッセンシャルワークは欠かせない。不謹慎に聞こえようと、あえて何事もなかったかのように、元気溌溂と生きています。ソーシャルディスタンスは当然のこと、マスク常備でフェイスシールドまで付けて、怪しく異様な出で立ちですが、アマゾン・ジャパンのワークスタイルを満喫しています。パンドラの箱のトラウマ(悪夢)を払拭し、付きまとうシャドー(暗影)から呪縛を解かれる日は近いと信じて。

コロナ禍で一変した職場と生活の環境、派遣切りを苦に自暴自棄になり自殺に走るシングルマザーや路頭に迷う外国人労働者も多いと聞いています。個別の相談に乗ります。

ウォール・ゲイジング(壁観)して心を落ち着ける、心身脱落・脱落心身(道元)に学んで、先行き不透明な状況に動転しない。次々と変異する手ごわい相手ですが、このウイルスは悪霊(あくりょう)ではないので、いたずらに恐れる必要はない。ウイズ・コロナの時代に有効な思考のワクチンは、マテリアリズムもしくわスピリチュアリズムのあれかこれかでは太刀打ちできない。「神即自然」(スピノザ)から「神即無」(エックハルト)へ、複合的真理の再発見を以て、哲学・宗教・科学のコンフリクトをリソートし直し、コロナ後のリデザインとリニューアルを試みてみたい。

高い天と深い淵にサインを求めよとのイザヤの挑戦に応じたい(イザヤ書9章12節)。地を憂い天を仰げば神々の黄昏(たそがれ)か、素粒子の物理神学を提唱するつもりはないが、発想を変えて比喩的に語り振る舞う、『コスモスの中の人間』(シェーラー)をヒントに、見せられるままヴィジョンを大空に描いたらいい。シグナルの地平は最新の電波望遠鏡でも覗けないが、淵廻りの暗夜行路の遠方に、一筋の光が天高く見えてくるでしょう。

一転深い淵に目をやれば、地獄で苦しむ母を救う話やキリストの黄泉下り(よみくだり)のような神話世界の話しも、人類が死んで生きるに欠かせない。ブラックホールは台風の目と似て非なる、人類を襲う未曽有のコンフリクト(葛藤)を紐解くヒントかも、話は飛躍するが暗いトンネルと無縁でない、事象の淵ではブラック・ライブス・マターが大事なリソース(未来の原資)となるのではと、アソシエーションとイマジネーション(社会学的連想と構想力)を逞しくしています。11月18日更新

Shigfried Mayer(宮村重徳)、copyright © all reserved 2020、解釈学研究所(東京)所長、理解社会学研究室主任 

2016年4月15日金曜日

歪む大地に怯まない、安心住まいの故郷を求めて

昨夜(4月14日に)起きた熊本大地震は、阪神・淡路大震災と同規模の震度7を記録した。今朝(4月16日)未明に本震に見舞われ、今も震度6前後の余震が相次いでおり、収束する気配は見られない。原因は、益城(ましき)町にある日奈久(ひなぐ)断層帯(全長約81キロ・メートル)が南北に大きく横ずれしたためだと説明されている。これに、もう一つの布田川断層帯がクロスし連動して、被害をいっそう大きくしている。震源地が10キロ前後と浅かったせいか、建物の被害は大きかった半面、犠牲者の数が41人で相対的に少なかったとしても、関係者にとって何の慰めにもならない。亡くなられた方々を偲び、ご遺族に哀悼の意を表したい。
最大加速度が阪神・淡路大震災の2倍に達し、余震は史上二番目に多かったという報告にも心底驚かされた。17日付のニュースでは、地震発生回数が2004年の新潟県中越地震を超え、最多のペースとなった。肥後弁で「魂消た」(たまげた)という。熊本は生まれ育った私の故郷、母の住む実家があり、他人ごとではなかった。これが戦争による人為的災害ではなしに、自然災害によることだから、仕方がないとため息をついているわけにはいかない。地震と戦争に揺さぶられても屈しない、歪む大地に怯まないのが、肥後もっこすの真骨頂だろう。記憶の断層に思いを馳せて、もう一度よく考えないといけない。どんなリスクにも備えがある、安心して住める故郷としての大地の環境造りを、背水の陣を敷いて考えないとね。私たちが逃げ腰・弱腰では、子供たちに申し訳ない。
4月18日(月)更新
Shigfried Mayer(宮村重徳), copyrights © all reserved 2016, the Institute for the Interpretative Sociology Tokyo