2017年10月17日火曜日

運動体の長には、歴史を俯瞰する力が求められる

  蓮舫さん、「排除の言葉に耳を疑った」と言う前に、革新政党でもない希望の党になぜ合流の伺いを立てる必要があったのか、説明責任がある。あなたが辻村さんを支援する場で前原代表を批判するのはわかる、それはそれで結構だが、最初から保守系改革派を標榜している小池百合子氏(現:東京都知事)に、党を挙げて「下駄を預ける」ようとする姿勢自体を自己反省しないと、便乗か風雲任せではと疑われ、排除されたのは自己責任ではと国民の失笑を買う。
 希望の党は立ち上げたばかりの、女性が多勢を締める弱者の政党、政治への女性参加の比率が極端に低い日本を改革しようとする試みについて、判断は慎重に選択は常にオープンにしておきたい。私自身は枝野氏の立憲民主党に近い立場だが、あえて申し上げておきたい。前代表の蓮舫さん、揚げ足取りをしたり、合流した仲間を誹謗したりするだけでは、現行主流派の保守系を利するのみではないのか。
 枝野さん、あなたが言う通り「後ろ向きならない。排除の論理を取らない」なら、希望に合流した仲間を排除しないはず。総理経験者の野田住彦氏のように、彼らも支援してあげたらいい。歴史を動かす運動体の浮沈には、それなりの因果がある。トップを目指す政治家には、歴史を俯瞰する力が求められ、それ次第で真意が試される。よく考えてほしい。
  前原さん、現代表としての決断に敬意を表したい。事態の成否は見守る他ない歴史は縁の結ぼれ次第、後は説得力です。国民が納得して共鳴してくれることを祈りたい。反論があればお聞きする。
 小池さん、少しちぐはぐになりましたね。風聞に気後れせず、女性政治家としての真実一路を追究してください。今は辛抱の時、遠からず希望の時は来るはずです。ツィートの第五段。

2017年10月15日日曜日

男性優位のやくざ政治に女性が挑む選挙とも

 政治界に於ける女性の役割が極端に低い日本では、醜聞に隠蔽を辞さない男性優位のやくざ政治が原因となっている。これに怯まず、政治未経験で弱い立場の女性たちが挑む、未聞の選挙態勢となる。誰を応援するかは、候補者の心中を見破る諸君の隻眼に委ねられる。
ツィート第三段。

2017年10月12日木曜日

身命を賭け己を抛(なげうつ)覚悟が無いと

 各新聞社のアンケートが指摘する処では、与党保守勢力の現状維持が予想されています。せっかくの「希望」が勢いを持たないのは、自らの身命を賭して己を抛(なげうつ)覚悟が見えないからではないか。惜しまれるが、勝負は始まったばかり。革新派を自認する諸君と小池氏の奮起に期待する他ない。
 変動期に立場の移動や組み換えが生じるのは当然のこと、「ころころと変わる」との与党の宣伝文句に惑わされてはいけないよ。若者たち、誰が一番信頼できるか、口上手でなくても安心して任せられる人を選びなさい。ツイートの続き。10月13日更新。

2017年10月8日日曜日

憲法九条に文民統制明記も、森友・加計学園の説明責任放棄では

 安倍首相の最新の発案、憲法九条に文民統制を明記しても、森友・加計学園の説明責任放棄では、誰も信頼するはずがない。選挙の為のリップサービスに惑わされてはいけない。今日のツィートから。

一般社会学言論講義は、終わりから始める対話の技法

 一九八八年以来三十年務めた獨協大学での最終講義(テクスト研究)は、受講者と相談の結果、テクストはマックス・ヴェーバーの『理解社会学のカテゴリー』構想に決定しました。実は、何処から切り込んでも同じなんです、シュライエルマッハーの弁証法講義でも、ハイデガーのプラトン講義でも、自他と向き合う仕方を学ぶ点で、禅で云う「己事究明」(こじきゅうめい)に尽きることです。これを、主観的意味理解と客観妥当性を巡り社会学的に「諒解経験」(りょうかいけいけん)として論じるか、弁証法で対話する「心」について心理技法(後の精神科学)から論じるか、洞窟の壁に映じる影を観て、真理に関する譬喩言論を捉え直し、「覆われの無さ」として自己究明をするか。いずれも同じことです。学生諸君の決断に敬意を表し、この秋学期は一番身近な問題、自ら理解することが誰にでも納得のいくような経験妥当性を得るにはどう対話したらいいのか。終りから始める対話の技法を習得する為に、一般社会学言論の総論を講義じます。その真骨頂は公開性、覆われの無さにあり、今日衆議院選挙をめぐりお騒がせな政治家の崢論(じょうろん)でも然り、いずれ、影で何と向き合っているかではっきりとします。近代人の陥りやすいジレンマについては、一緒に考え追求してみましょう。私が学び得たすべてを提供します。終りから始めること(目的合理性)に関心のある方の聴講を募ります。