2015年5月21日木曜日

内定者への嫌がらせ、オワハラ?それともサスハラ?

 たまには言葉遊びをして、思考のスキルアップ計るのも悪くない。但し、今回はドイツ語でなく英語での話しです。
 昨日付の『日経ビジネス』(2015.5.19)に、河合薫さんの新リーダー術:上司と部下の力学、『「キミのせいで私が無能?」思考を放棄する日本社会の罪と罰 新卒一括採用の功罪を問う』という記事を楽しく読ませていただいた。確かに、企業が新卒予定の内定者に、優秀な人材を確保する目的だとしても、これ以上の「就活を止めよ・終わらせよ」と迫るのは、立派なハラスメント(harassment)です。だからと言って、「おわらせよ・ハラスメント」を縮めてオワハラというのはどうか。中途半端な造語ですね。「ハラスメントを終わらせよ」の意味でならわかるが(笑)。セクハラやパワハラと同様、ネイティブの欧米人が聞いてもさっぱりわからない、およそ通じない。
 英語で「内定」は a unofficial / informal decision。すると、話題のオワハラはさしづめ a harassment on unofficial decision ではないか。法律用語で仮免許を provisional licenseと言うから, 仮に内定者への嫌がらせを a harassment on provisional decision と定義してみても、肝心のノリのある楽しい言葉が見つからない。他方、会計用語で仮勘定を suspense account という。そこから連想して、a suspense decision harassment と読み代えてみると、サスペンス・デシージョン・ハラスメントとなろう。これを縮めて、サスハラと言えないこともない。少なくとも、オワハラよりは英語のイメージに近い。
 発信元が誰であれ、「思考を放棄する日本社会の罪と罰」を考える際に、「内定」の名目で企業の人事課が新卒予定者に圧力を加えることに抗議しないのは、丸投げすることに等しい。これでは、思考停止を招く日本語世界の歪みはいつまでも正されない。「内定」をいただいたからと言って、就活(job hunting)を反故にしたり権利の差し止め・差し押さえ(a provisional disposition)の扱いを強要されたりする理由はどこにもない。そうではないか。君たちの意見を聞きたいな。

Shigfried Mayer(宮村重徳), copyrights © all reserved 2015, the Institute for the Interpretive Sociology Tokyo

2015年5月9日土曜日

片仮名綴り本の困惑と爽やかな衝撃、脱在論への共感的批判

 先月保育園に書店ハンナさんが持ってきた、やたらと片仮名綴りが多い一冊の本に注目している。上智大学はカトリックの総本山、そこからトミズム(スコラ神学と哲学)の常識を覆す論文集、宮本久雄編『ハヤトロギアとエヒイェロギア』(教友社、2015年)が出ようとは。想定外の驚きである。アウシュヴィッツ以降の神学的模索に関心があり、ふと目を凝らす。節々でハンナ・アーレントが梃子となっているようで、物語論に打開の糸目をつける点でおもしろい。中でも、ハイデガーの「存在神論」を全体主義的だと批判した宮本久雄のエヒイェ論的「脱在論」は、久々に新鮮な驚きと爽やかな衝撃をわたしにもたらしてくれた。一気に読んで得た印象では、いかにも総花的で飛躍が多い。プロテスタントのわたしたちが普段扱わない教父伝承を駆使している点は参考になるが、点と線を結ぶ仕方がアーレント以上に乱暴である。山本山と同様、前から読んでも後から読んでもHannahはHannah、これをギリシャ語でパリンドローム(Palindrom)という。社会学的視点が欠落すると、存在と無を巡るせっかくの討議も空転しよう。看板が塗り替えられただけでは、真摯な対話に深まらない。接線は交わらず平行線のままだから、「解釈学的循環」の迷路から抜け出せない(のではと危惧する)。個々の聖書解釈の妥当性を含め、脱在論への共感的批判について、本格的評価は詳しく読んでからにしたい。5月18日更新。

Shigfried Mayer(宮村重徳), copyrights © all reserved 2015, the Institute for the Interpretive Sociology Tokyo