2020年12月3日木曜日

生活習慣の小さな改善で感染ルートを遮断する

  最近朝夕に空咳が増えた、口内のねばねば感が強くなった。新型コロナ・ウイルスの感染拡大の渦中で仕事する身、危険なサインかと疑う。原因は、洗面台と流し場の執拗な汚れ、真菌対策はシングルの生活者に盲点となっている。そこで、キッチンの排水口に水切りゴミ袋を付けて水回りを浄化してみた。すると、嘘のように空咳がぴたりと止んだ。口内のねばねば感も消え失せた。歯科医院で処方していただいたオルテクサー(口腔用軟膏)も高価なバトラーF洗口液(うがい薬)も不要となりお蔵入り。

ウイルスに付け入るスキを与えない工夫、生活習慣の小さな改善で感染ルートを遮断することができる。原因と結果の法則を論(あげつら)うまでもない。壁観して何ものをも寄せ付けない、ウイルスには煙たい存在だと自惚れるつもりはない。社会学者である以前に、神に召され人に仕える身、「命への畏敬」(アルバート・シュバイツァー)にソーシャル・ディスタンスを一時も忘れず、安心のマスクして慎ましく生きるのみ。世代更新に必要な知性改善論(スピノザ)はその後でいい。

2020年11月14日土曜日

地を憂い天を仰いで神々の黄昏に

新型コロナウイルスの世界的感染拡大の渦中でも、エッセンシャルワークは欠かせない。不謹慎に聞こえようと、あえて何事もなかったかのように、元気溌溂と生きています。ソーシャルディスタンスは当然のこと、マスク常備でフェイスシールドまで付けて、怪しく異様な出で立ちですが、アマゾン・ジャパンのワークスタイルを満喫しています。パンドラの箱のトラウマ(悪夢)を払拭し、付きまとうシャドー(暗影)から呪縛を解かれる日は近いと信じて。

コロナ禍で一変した職場と生活の環境、派遣切りを苦に自暴自棄になり自殺に走るシングルマザーや路頭に迷う外国人労働者も多いと聞いています。個別の相談に乗ります。

ウォール・ゲイジング(壁観)して心を落ち着ける、心身脱落・脱落心身(道元)に学んで、先行き不透明な状況に動転しない。次々と変異する手ごわい相手ですが、このウイルスは悪霊(あくりょう)ではないので、いたずらに恐れる必要はない。ウイズ・コロナの時代に有効な思考のワクチンは、マテリアリズムもしくわスピリチュアリズムのあれかこれかでは太刀打ちできない。「神即自然」(スピノザ)から「神即無」(エックハルト)へ、複合的真理の再発見を以て、哲学・宗教・科学のコンフリクトをリソートし直し、コロナ後のリデザインとリニューアルを試みてみたい。

高い天と深い淵にサインを求めよとのイザヤの挑戦に応じたい(イザヤ書9章12節)。地を憂い天を仰げば神々の黄昏(たそがれ)か、素粒子の物理神学を提唱するつもりはないが、発想を変えて比喩的に語り振る舞う、『コスモスの中の人間』(シェーラー)をヒントに、見せられるままヴィジョンを大空に描いたらいい。シグナルの地平は最新の電波望遠鏡でも覗けないが、淵廻りの暗夜行路の遠方に、一筋の光が天高く見えてくるでしょう。

一転深い淵に目をやれば、地獄で苦しむ母を救う話やキリストの黄泉下り(よみくだり)のような神話世界の話しも、人類が死んで生きるに欠かせない。ブラックホールは台風の目と似て非なる、人類を襲う未曽有のコンフリクト(葛藤)を紐解くヒントかも、話は飛躍するが暗いトンネルと無縁でない、事象の淵ではブラック・ライブス・マターが大事なリソース(未来の原資)となるのではと、アソシエーションとイマジネーション(社会学的連想と構想力)を逞しくしています。11月18日更新

Shigfried Mayer(宮村重徳)、copyright © all reserved 2020、解釈学研究所(東京)所長、理解社会学研究室主任 

2020年10月31日土曜日

思考のワクチンは解釈学の課題

 コロナ禍で世界が混乱を極める中、学術世界も再編成を余儀なくされています。新年度より、理解社会学研究所を改め「解釈学研究所」とし、「理解社会学研究室」(ブログの「理解社会学の工房」は変わらず)をその一部門といたします。将来は、後者を法政大学大原社会問題研究所の関連組織としたい。

理由:①新型コロナウイルスの脅威に対すること。ご承知のように、ワクチンは当面期待できそうにありません。それは、構造体のDNAよりも解釈体のRNAウイルスに振り回されているからです。②相手が静止せず動くなら、私たちも柔軟な解釈体となって対応する他ない。思考のワクチンは解釈学(ヘルメノイティーク)の課題です。解釈は力、理解社会学では包括しきれないので、新年度より解釈学研究所に改める予定です。そうすることで、哲学・宗教・科学のいずれにも対応できる、マルクス・ガブリエルの挑戦的課題にも応えることが出来るでしょう。12月5日(土)更新

2020年9月24日木曜日

動く的を仕留める―持続可能な社会の条件

若者たち、クリティカル・フェイズ(危機の相・局面)のサインを見逃すな。サステナビリティー(持続可能性)の環境指数が変わるから。変異する新型コロナに関する限り、ワクチン開発は無駄になるかも。最大のクライシスを最高のチャンスと解すれば、一気に流れが変わる。でも、流鏑馬(やぶさめ)とはいかない、紅白玉入れゲーム同然、射る的が動くから右往左往する。福岡伸一(青山学院大学)の「動的平衡論」が参考になる。

ミクロやマクロの世界で同じか類似する、自己調整の働きと言うとき、その自己とは何か何者か?鬼面や神面を被せれば宗教学(禅学)、自利するか利他する面に的を絞れば機能社会学(パーソンズ)、ソーシャルディスタンス(隔たり)のあるコミュニケーションを論じれば哲学解釈学(ポール・リクール)が注目される。コアとなる精神を論じればマルクス・ガブリエルの関心の対象となる。天地を問わず、コアは二つないと回転運動しない。わずかな非対称性があって均衡破れ、円外への運動が起きる。ほら、身近なところに考えるヒントがたくさんあるよ。

政治社会でも同じことが考えられるが、コロナ禍ではノーマルが通じない、保守と革新の二極や一党独裁の思い通りにはいかない。ワクチン開発の利権をめぐる闇取引のアブノーマル、光を通さぬダークマターが多いから、政治力学のタクティック(選挙目当ての駆け引き)批判は避けられない。活動的生に人間の条件を論じれば、ハンナ・アーレントに登場を願うことになる。

デジタル庁設置を急ぐ前に、自分でよく考えて行動せよ。釣り合わぬアナログな人でも、大地のどこかに自分の居場所はある。派遣切りに悩む人にも、三人寄れば文殊の知恵、みなで探せば必ず見つかる。菅氏(自由民主党)の自助・共助・公助はあくまでスローガン、お手並みを拝見したい。結果次第では、立件民主党の躍進のチャンスとなる。それも、未来世代の主役たる君たちのよりポジティブな自己評価と政治参与への関心の高まり次第だよ。

9月28日(月)更新

Shigfried Mayer(宮村重徳)copyright © all reserved 2020、理解社会学研究所所長、法政大学大原社会問題研究所嘱託研究員

2020年8月31日月曜日

ウイルス変異の最前線で考える究極の素粒子論

 夜も昼も休みなく、宇宙から頭上に燦燦と降り注ぐ、素粒子(ニュートリノ)の荒波に晒されて、新旧を篩い分ける君は何ものか。命の種は無差別に、石地か藪か耕地の中に撒かれて所かまわず、次世代の新芽を育む環境を、神ならぬ人は自分で選べない。

およそ天上では、白色矮星の爆発に神々の死と再生をイメージするように、地球上の生命体も持続性社会を堅持するために、創造的破壊のその時を我が身に覚悟しなければなるまい。若者たち、ぼ~としてるとチコちゃんに叱れるぞ!

変異ウイルスは自然淘汰の一環か未知の見えざる神の手か。それが究極の素粒子かどうかはともかく、見た目には不自然に高齢化した社会へ楔を打つか大鉈を振るうかのようだ。物質に反物質あるも非対称性の破れが指摘されて久しい。木を見て森を見ない、宇宙の表層を覗いて深層を知らず働き主(神)を知らない。無知な政治家の首を挿げ替えても木魚の空、技術革新の蒙昧を反省しない限り、生態学的危機の事態は何一つ変わらない。医療従事者や宗教関係者も感染源となり、世情は混迷を深めるのみ。

新型ウイルスに無為無策の安倍政治が幕を閉じた。マックス・シェーラーが頓挫したところ(『コスモスの中の人間』)から始めるのも悪くないが、1920年スペイン風邪でなくなったマックス・ヴェーバー没後百年の今日、後継者候補には『職業としての政治』熟読をお勧めしたい。ヴェーバーには編集者としての手腕あり、壮大な理解社会学構想の再評価が待たれる。わたし自身アマゾン・ジャパン合同会社で働きながらその必要性を痛感している。

Shigfried Mayer(宮村重徳)、copyright © all reserved 2020, 理解社会学研究所所長、法政大学大原社会問題研究所嘱託研究員、㈱岡本カンパニー講師

 

参考文献:

今野元『マックス・ヴェーバー ―主体的人間の悲喜劇』(岩波新書、2020年)
野口雅弘『マックス・ウェーバー 近代と格闘した思想家』(中公新書、2020年)

 

2020年7月31日金曜日

非接触型エコノミーへの転換点

昨今の新型コロナウイルスの第二波となる感染拡大に伴い、不安になってパニックに陥る前によく考えてみよう。経済活動の最前線で日本人が好む現金支払いを止めて順次キャッシュレス化することで、リスクの軽減はあり得る。3密を避けてソーシャルディスタンスを保持しても根本解決しないなら、見えざる感染経路と貨幣決済の因果関係を調べ直す時ではないか。紙幣や硬貨は日常の経済活動に欠かせないから、主たる原因でなくても間接的に重要な作用因となっている可能性は誰にも否定できない。
 国別のデータ管理に信憑性の問題はあるが、キャッシュレス化が進んだ中国や韓国では感染拡大が抑えられているとのデータがある。例えば、「現金決済に関する公衆衛生上の問題点の整理」を論じた福本勇樹氏(ニッセイ基礎研究所の金融部門、主任研究員)の最新レポート、現金の付着物に関する実証研究が参考になる[1]
 お札が福沢諭吉から渋沢栄一にイメージチェンジしても変わらない。神仏を持ち出す前に、金回りの拘りや愛着を捨て、手垢のついた現金な関係におさらばする、非接触型エコノミーへ転換するいい機会ではないか。率直な諸君の意見を拝聴したい。
8月10日更新




[1] https://www.nli-research.co.jp/report/detail/id=64523&pno=1?site=nli

2020年7月3日金曜日

目から鱗の新実在論、わたしのマルクス・ガブリエル評

 マルクス・ガブリエルは本気だね。問題作『なぜ世界は存在しなのか』の真骨頂は、新実在論の立場から繰り広げられる「意味の場」論、すべてを包括する世界像が否定される。深い感銘と衝撃を受けた。倫理に踏み込む哲学本来の可能性に身震いしている。もう一冊の『「私」は脳ではない』と合わせ、今後を方向づけ関心を決定づける書物となったことは間違いない。[1]
現実と仮想の区別がつかない世代に向けて語るガブリエルの挑戦に半端ない。難解な論争もお手の物、身近な事例を繰り出しわかりやすく核心を解き明かす。「事実性」の理解と解釈にぶれがない。ポストモダニズム論争(相対主義)に終止符を打ち、思考の刷新を迫る勢いがある。新実存主義は、君たち若者世代に「自由の原点」となるのは間違いない。
「意味の場」は着け刃でない。自然主義(自然科学的・物理学的分別)に判断を任せない(決定論的唯物論や専門家集団に判断を丸投げしない)、さらに自由市場の付加価値(落札者の指)次第に関心を貶めない、フェティシズム(呪術主義)に回帰しない、宗教学・宗教史学・宗教社会学本来の課題を、21世紀に於ける「精神の哲学」として最適化するために、新実在論はまたとない頼もしい足場・ワクワクの跳び箱となる。
ガブリエルは、ハイデガーの「存在神論」の再評価でわたしを驚かせただけでない。ヘーゲル弁証法哲学の精神やシュライエルマッハーの宗教論(無神論?)の読み直しにまで迫り、今流行りの脳科学に及んでは、ニューロ還元主義(倫理的には構築主義)に「私」はいない、先端科学の構築主義に倫理がないとずばり指摘する。「私」を神と繋ぐ精神不在の事実性に着目させ、その源流をマイスター・エックハルトに辿る処は興味深い。禅思想との接点・共感ポイントもあり見逃せない。
ガブリエルは口数多いが、ズバリ核心に迫る。矛先は、相対主義や自然主義の批判に留まらない。「上に向かう野蛮化」と「下に向かう野蛮化」に触れ、先端科学の担い手(素粒子物理学者たち)の物質主義(唯物論的決定主義、倫理の欠落)を批判して、人間の自由(シェリング)を主張する。奴隷意志(ルター)から自由意志への切り替えしもお見事、目から鱗の新実在論(別称で新実存主義)には想定外の収穫がある。
新実存主義には異論もある(例えば岡本裕一郎氏)。従来の哲学概念の枠組みを壊し、哲学者の系譜を無視し系列をぶった切るように見えるのは、乱暴だが必ずしも恣意的とは言えない。自然科学の急激な発展を尻目に、後手に回るだけの人文科学を総動員して再編しようとするから、見た目のちぐはぐは承知の上か。荒業の外科手術に文句は言えない。あえて超域文化的に横断し挑戦的に思考する論争スタイルのせいか。矢継ぎ早の論点移動も布石同然、グランドセオリーの賛同者・飛び石を埋める仲間を広く募るためだろう。
それより、失われた「資本主義の精神とプロテスタンティズムの倫理」(ヴェーバー)の関連でこそ、ガブリエルの挑戦は最大限の効力を発揮するのではないか。踏み込みが足りないのが惜しまれる。あくまで私見であるが、「資本主義の終焉か人間の終わりか」を問う「未来への大分岐」点に立って、ゼロから自分を見直し実在思考へ仕切り直しする、時代刷新の狼煙また証左としたい。
若者たち、上記二書の邦訳書は分厚いから、インタビュー録や小さめの講演集でもいいよ。狭隘な自分を踏み超えるアセンション、アップグレードのチャンスとするよう、一読を勧めたい。ドイツ語原書は一括して発注済み、わたし自身の本格的評価は次回以降(晩秋から年度末まで)のお楽しみ。[2]
Shigfried Mayer(宮村重徳), copyright © all reserved 2020, 理解社会学研究所所長、法政大学大原社会問題研究所嘱託研究員、㈱岡本カンパニー講師




[1] マルクス・ガブリエル『なぜ世界は存在しないのか』、清水一浩訳、講談社選書メチエ6662020年;『「私」は脳ではない―21世紀のための精神の哲学』、姫田多佳子訳、講談社選書メチエ7102019年。
[2] マルクス・ガブリエル『世界史の針が巻き戻るとき―「新しい実在論」は世界をどう見ているか』、大野和基訳、PHP新書1215;マルクス・ガブリエル、マイケル・ハート、ポールメイソン共著『資本主義の終わりか、人間の終焉か?未来への大分岐』、斎藤幸平編訳、集英社新書、2019年。

2020年6月12日金曜日

グローバル世界の秩序崩壊から宗教社会学の復権へ

新型コロナウイルス事件で十分わかってきたこと、これまで神々が仕事を司ってきたことを、これからは我々人間が神々に成り代わり、取り仕切る責任を負うことになる。神不在を名目にして、生命倫理を無視した勝手な振る舞いをすることは、神ならぬ人の誰にも許されない。今日の政治経済の諸問題は、宗教社会学喫緊の課題となる。何をどう語っても通じない、微生物が人間存在に投げかける言語を絶する諸問題に直面する今、働くモノとヒトの対話に無への自覚性が必要となろう。
もう一つの気になる話題、中国共産党が推進する国家資本主義(National Capitalism)の実態は、欧米の市場型資本主義(Free Market CapitalismNHKの人気経済ドキュメントでは「欲望の資本主義2020、不確実性への挑戦」)との対比でどこまで把握できているか。ナショナル・キャピタリズムは、成り立ちからして「盗賊資本主義」(Capitalism of Robbery)ではないのか。高島俊男の『中国の大盗賊―完全版』(講談社現代新書)が参考になる。高島は東京大学経済学部卒、大学院で中国文学を専攻し人文科学研究科を修了している。「お言葉ですが…」などで、ポピュリズムの火付け役として知られる。囲碁を趣味とする異色の存在である。毛沢東までその大盗賊系に含めるとは、大風呂敷に聊かの懸念は残るが。乱暴でも一読に値する。
この書について、「中国共産党のマルクシズムは看板だけで、その革命の本質は昔ながらの盗賊集団の天下取りだから、経済を資本主義に変えても問題なかった。現代中国を歴史的に理解する視座を与えた名著である」と、産経新聞の論壇人・磨井慎吾は高く評価している。共通する関心は、人工知能のAI技術を駆使した監視型ポスト・キャピタリズム(Survillance)への取り組みだろうが、今はあえて立ち入らない。
グローバル政治経済体制崩壊の危機に際して、宗教社会学復権のチャンスを掴むことができよう。マルクスの『資本論』とヴェーバーの『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』を精読して、議論を本筋の軌道に戻すようお勧めする。欲望の時代に哲学する、マルクス・ガブリエルの話題の書はその後でいい。6月15日更新
Shigfried Mayer(宮村重徳), copyright © all reserved 2020, 理解社会学研究所所長、法政大学大原社会問題研究所嘱託研究員、㈱岡本カンパニー講師
 

2020年6月1日月曜日

分極化する世界、コロナ型国家資本主義と市場型欲望の資本主義

情報戦争の最前線では、資本主義の古典的定義に収まらない、派生態の特異性(シングラリティー)が討議されている。中国共産党言論統制下で変異したコロナ型国家資本主義(ナショナル・キャピタリズム)と、言論の自由と競争を原則とする株式売買による欧米の自由市場型「欲望の資本主義」の鬩ぎ合いに見える。しかし前者では、失われた資本主義の精神とプロテスタントの倫理が話題とさえならない。せいぜい、天上の火(コロナ?)を盗んだプロメテウスと同罪の、技術盗用の疑いがもたれている。コロナは核融合の秘密だが、アナログな微生物学や経済学のシンボルとしても目が離せない。
例えば、ナオミ・クラインが「コロナウイルス資本主義」というのは、中国へのさや当てではない。新型コロナウイルスのパンデミックは、合衆国市民に革新的変化を促すチャンスだと訴えている。『ショック・ドクトリン―惨事便乗型の資本主義』(2007年)の著作で知られる。[1]
他方、ショシャナ・ズボフは、今は「監視資本主義の時代」と言っている。その証拠に、「グーグルで検索のつもりが、グーグルに検索されていた」、監視的事実の相互関係が発覚した。[2] 
クラインとズボフ、二人の見方は、中国共産党の「国家資本主義」(National Capitalism)を意識したもの、論述スタイルで二人は一致する。わたしは、あえてパンドラの箱との関連で、コロナ型風に変異したナショナル・キャピタリズム(国家資本主義)の汎用的解釈事例として二人に注目しているが、所詮パンデミックへの表層的リアクションを出ないのでは。
それより、経済人(ホモ・エコノミクス)の深層を突き動かす貨幣欲が問題である。ジョセフ・スティグリッツの発話をめぐる『欲望の資本主義2020-日本・不確実性への挑戦』(NHK BS1ドキュメント・シリーズ)の評価が待たれる、これもアングロサクソン的発想(プラグマティズム)の枠内で横にスライドする、竪穴式に代わる横穴式の祭りごと、ネット上で何を神輿(みこし)に担ぐのか、欲望(Begierde, Begier, Gelüste)次第で世界の語り方・神輿の担ぎ方(資本運用の仕方)が違うだけのこと、理解社会学の「批判的共感」(アンソニー・ギデンス)を持ち出すまでもない。
評価は個々人の価値観や噂事(ツイート情報)も絡むこと、宗教的・政治的立場でころころと変わるから、ブログの読者には、カール・マルクスの『資本論』とマックス・ヴェーバーの『プロテスタントの倫理と資本主義の精神』の二本、古典の精読をお勧めしたい。いずれもドイツ語、原文で読むのがベストだが、時間があれば邦訳の読書会を再開してもいい。わたしが尊敬する哲人政治家ヘルムート・シュミットと異なり、現首相のアンゲラ・ドロテア・メルケルは理系女、国民の信頼と安心抜群の存在として注目される。今ネットで話題の人、欲望の時代に哲学する、マルクス・ガブリエルについては別途に述べる。6月3日更新
Shigfried Mayer(宮村重徳), copyright © all reserved 2020, 理解社会学研究所所長、法政大学大原社会問題研究所嘱託研究員、㈱岡本カンパニー講師

2020年5月22日金曜日

自宅待機中の君たちに勧める超図解コレクション

話題の「あつ森」(任天堂ゲーム「あつまれ、動物の森」)で盛り上がっているようですね。わたしは、『ニュートン式 超図解 最強に面白い!!』(ニュートン・プレス)を、コロナ禍で自宅待機中の学生たちにお勧めしたい。(注:◎〇X印はお勧めの度合い)
『人体』・『死とは何か』・『脳』・〇『虚数』・〇『微分積分』・〇『量子論』・◎『超ひも理論』・〇『人工知能』、◎『無とは何か』(別冊)など、ビジュアルでわかりやすく、家庭や学習塾の関係者の間でも最強におもしろいと評判。
ビジュアルな図解本は、理解力を高めるために有効な、あくまで後見人に頼らず自分で考えるための補助手段にすぎません。操作可能な数値(プロパガンダ)に騙されない、ビッグデータを正しく読み解くためには、まず基礎数学の力をつけること。
考える力を身につけるには、今は古典の『啓蒙とは何か』(カント、篠田英雄訳、岩波文庫)がベストチョイス。カントは、バウムガルテンの物理神学を批判するくらいだから、マス(数学)やフィズィーク(物理学)にも詳しい。迷ったら、伝記を読むこと。
わかりやすいからいいとは限らない。別冊の『無とは何か―「何もない」世界は存在するのか?」』(ニュートン・プレス)に興味津々。新型コロナの脅威に屈しない、わたしが「思考のワクチン」として、事あるごとに「神即無」を提唱する理由も、その内にわかってもらえるのではと、期待を込めて一読をお勧めする。5月24日、6月2日更新
Shigfried Mayer(宮村重徳)

2020年5月15日金曜日

そのとき、フェリーが港に戻ってきた!

今は昔、一九七三年(昭和四十八年)の体験談で、新型コロナの大騒動で疲れきった体の芯、冷え切った心を温めてほしい。
スイスのボーデン湖畔にあるフェリーの船着き場まで、まだ遠く二百メートルは優にある。重たい旅行鞄を両手に提げ、出航したフェリーを見て呆然と岸壁にへたり込んだ、東洋から来た見知らぬ旅人のわたしのために、あり得ない・信じられないことが起きた。
ボーボーと二度汽笛を鳴らして急旋回し、逆エンジンをふかして、フェリーが港に戻ってきた!ドイツのフリードリッヒスハーフェン行きのフェリーが、フライトの都合で遅れてきた青年に気づいたのか、コンスタンツの港にまい戻ってきた。見ると、乗組員が船を降りてわたしに急ぎ駆け寄り、手押し車にカバンを載せて、乗船を手助けしてくれた。
スイスからドイツへ出迎えられてたどる心の旅路、自分は待っても他人を待たせない、船長の機転とスピード感のある実行力を見せつけられた。フェリー事件は、驚きと感動の瞬間だった。こうして、わたし(当時三十一歳)のドイツ留学生活が始まった。それから指折り数えて十二年の歳月を過ごすことになろうとは、予想外だったが充実していた。
今年成人式を迎えた青年たち、記念の卒業式や入学式をオンラインで迎えた学生諸君に言いたい。残念は不要、不安は無用、君たちは歓迎されるべき存在、未来時間のキャリアだから、いつまでも家に引きこもる必要はない。コロナ禍にしり込みしても、一時生活費に窮しても、希望(偲んで待つ心)まで捨ててはいけないよ。
日本では「待てば海路の日和(ひより)あり」。中国では「天網恢恢」(てんもうかいかい)と言う(「老子」73章)。天は網を広げ、君たちを助けて一人も漏らさない、急ぎつつ待つ心と即実行の備えさえあれば、フェリー(大乗小乗を問わない、仏心の乗り物)は遅れてきた青年の君たちの元へ、いつでも急旋回し戻ってくる。5月17日更新
Shigfried Mayer(宮村重徳)

2020年5月1日金曜日

エスの系譜は進化中、我と汝の密談では追い付けない

 目を見張るべきは、マクロの天上世界だけでない。ミクロのバイオス世界は侮れない。エスの系譜は進化中、急速発信して跡かたなく消える。新型コロナウイルスは変幻自在だから、ホモサピエンスの言葉(我と汝の対話技法)だけではその働きを理解できず、有意味世界崩壊のリスクを避けられない。世界を席捲する虚無化の現象に目を奪われて、気晴らしの言語ゲームに拘っているだけでは、『人間の条件』(アーレント)を超えるエスの影響史は掌握できず、未知のインフルエンサーには追い付けない。
有効なワクチン開発に成功しても、一時の癒しでは済まされない。思考のワクチンとして今何が必要か。複雑系を貫く絶対無の働き、神即無に迫るシャンスとすること無しには、リスクマネージメントは為しえない。ここで人類を終わらせない、次世代の知性改善につなげる目的で、新型コロナ事件を啓蒙(エンライトメント)の機会とせよ。カントの『人類の歴史の憶測的起源』と『万物の終わり』(篠田英雄訳『啓蒙とは何か』に収録、岩波文庫、2011年)は必読本。
3月以来、当局の削除に屈しない「方方日記」(方方はペンネーム、本名は汪芳、女性)をフォローしてきた。今日(2020年5月1日)、逮捕覚悟で発信する武漢の青年の叫びを直に聞いた。感染拡大の悲惨な実態が、武漢市当局の公表数より、実際はずばりその100倍に上ると指摘する、生の声を聞き届けた。(1)
また同じYouTubeで、LAのミュージシャンYOSHIKIと山中伸弥教授の緊急対談を視聴した。無症状のヒトを感染者にするクラスター発生の秘密、日々進化中のエスの系譜は侮れない。それでも、我と汝の生対談をひとつひとつ積み重ねること無しに、人類史の明日は描けない、希望の未来は終ぞ空け開けないと確信する次第である。(2)
Shigfried Mayer(宮村重徳), copyright © all reserved 2020, 理解社会学研究所所長、法政大学大原社会問題研究所嘱託研究員、㈱岡本カンパニー講師

(1)https://diamond.jp/articles/-/230922;YouTubeで届けられた武漢青年の発した命がけのメッセージは、https://www.youtube.com/watch?v=EVg2gVlS94E その後の動向は知られず、おそらく亡くなったのでは、遺書動画となった可能性が高い。指名手配中の宅配男性と同一人物かどうか不明。悲痛な叫びは他にも、https://youtu.be/T3aviOtc_Ik
(2)https://www.youtube.com/watch?v=xrxAMEqnTuM

2020年4月20日月曜日

コロナ禍とパンドラの箱、噂の真相

二〇二〇年度理解社会学研究所春季オンライン公開講座(第二回)

誰がパンドラの箱を開けたのか、米中間で争われている新型コロナウイルス発症源の責任追及は後でいい。『感染爆発』の著者マイク・デイヴィスの寄稿論文「大疫病の年に」で、問題点は十分掘り起こされている。合衆国の医療制度の欠陥を述べる中で、「アメリカにはコロナというパンドラの匣を閉じたままにしておく制度が不足しているという事実に、驚くべき点は何もない。2000年以来、この国では保健医療の前線が何度も崩壊しているのだから」と指摘している。いまこのブログでコロナ禍とパンドラの箱(=匣、はこ)を論じる直接の引き金となった。[1]
古代ギリシャの詩人ヘシオドスが『仕事と日』(47-105)で若者に語り伝える処では、プロメテウスが天上の火を盗んで人に与えたことに怒った主神ゼウスが、職人の神ヘファエトスに命じて、粘土を捏ねて女というものを造らせる。人類(盗んだ火を使う人=男?)に災いをもたらすためという。その後、あらゆる災禍の詰まった箱(原語のピトンはボックスでなくジャー)を嫁入りの際にパンドーラに持参させる。
パンドーラは、またとない美貌を持ち、男を誘惑し苦悶させる官能的音楽のタレント、恥知らずの狡猾心をすべて具備した人類初の女性、聖書の創世神話に出てくるエヴァと、誘惑に負けた点では一致するが、蛇の話しは出てこない。 
     


「ゼウスからの贈り物を受け取るな」との兄プロメテウスの警告を無視して、弟のエピメーテウスは彼女に一目惚れして結婚する。ところが、パンドーラは興味津々、嫁入り道具として持参した箱(正しくは壺)を自分で開け、中を覗いてみたら大変なことに。疫病・悲嘆・欠乏・犯罪がジャーから外の世界に飛び出し、災禍が世界に蔓延してしまう。
あわてて蓋を閉じたが、「最後に希望という名の災禍が残った」という意味深長な文言をめぐり、研究者の間で解釈が分かれている。希望が即禍いなのかどうか、あらゆる災禍が出尽くした後に、最後の頼みとして、希望だけが残った(人類の手元に残された)と解釈するのが一般的で無難だが、希望と災禍が絡み合うプロパティーと矛盾する。この記述に、男性優位の社会的偏見と女性差別を疑う人も少なからず、議論は錯綜し落着していない。
表向き希望(エルピス)と称されているが、希望は男を欺くための甘いマスクにすぎない可能性がある。希望と禍い(神面と鬼面)は紙一重の両義性、世代更新の根幹にかかわること、あえて希望を「悪いことの予期」と解釈する人もいる。
予期される答えは二つ(ポジティブとネガティブ)、盗まれた天上の火が環状コロナの核かどうか、比喩を過ぎればぎくしゃくする。核のヌクレアス(nucleus)自体が多義的で、細胞の核や原子の核、彗星の核でもある。クラウドの環状コロナとのマクロ関連はよくわからぬが、ミクロの微生物世界では少しばかりわかることも。
パンデミックから帰結すること、グローバル化した資本主義世界を襲う大疫病は、マイク・デイヴィスが言うように、「公的保険のインフラストラクチャー」再構築無しに生物学的持続性は不可能だ。「巨大製薬会社と利益優先のヘルスケアの持つ権力が、民衆運動によって打ち破られなければ決して生み出されない」。希望は見えそうで見えない、利権に呪縛されているから。以下は余話、インフルエンサーの身近な観察、読み飛ばしてもらってもいい。
細胞膜を難なく超えて忍び込む、糖脂質でスパイク状の突起を覆う(包み隠す)ことで、自分は無害だよとヒト免疫細胞に予断させ、脳の指令に誤作動を起こさせる、類似した免疫不全(例えば腎不全)の症状が重症患者に観察されている。
症状の無いままで感染源となるからと、若者だけを非難するわけにはいかない。この度のウイルスは、自他を混同させ自性をすり替えるずるい働き、偽を真と見せかける狡猾な活動スタイルに於いて、パンドラとコロナのケースは怪しく似てくる。案の定、ウルイス研究の最前線では、イソップ童話の「赤ずきんちゃん」に準えて、「羊の皮衣をまとった狼」に譬えられている。〔2〕
パンドラ神話とコロナ禍の話題を単純に比較することはできないが、他にも興味深い接点がある。そもそも、なぜ感染者と死亡者の七割以上が男性なのか不明だが、性染色体の構造と分泌ホルモンの関係が取りざたされている。女性が二つのX染色体を持ち、ダブルチェックが可能なのに対して、男性にはX染色体とY染色体があり、免疫系破壊と無効化の非常事態に対応する余裕がないせいか。女性ホルモンが感染拡大を抑制するのか、安らぎの物質オキシトシン分泌の事例あり、男性には絆となるから、無関係とは言えない。
古来、火のないところに煙は立たないと言う。確かに、新型コロナのケースでは、被害者の七割を男性が占めるというデータの裏付けがある。そのつど免疫系を破壊し無効にする疾風怒涛の勢いだけでなく、回復しても再感染が後を絶たないファクト(事実)には、国籍に関係なくジェンダーの差がないように見えて、男性根周りに潜み庇護されるかに見える、妙な動きをする。
後追いのワクチン開発では、もはやヒットアンドランで全人類を襲う未曽有の災禍に対処できない、希望だけが後に残されたとの神話の意味を探るに、脳内スイッチのオンオフをどうコントロールすれば、「プロメテウスの罠」(朝日新聞、2011年の連載記事)以上の斬新な局面転回が期待されようか。〔3〕
とにかく、通説の自然変異では説明がつかないことが多すぎる。サルス(SARS)やエボラ出血熱と新型コロナ(Covid19)で似て非なる処、相手を選ばないコーティングの恣意性を見抜き、見えざる働き手の特異点を見破れるかどうか。
強毒性だが、マスクをして甘いシグナル物質を放ち、糖脂質(グリカン)で自分を覆い受容体を油断させる。惹き付けておいて乗っ取る仕方、無症状の人の赤血球(酸素を運搬するヘモグロビンのヘム)を襲い、酸化スイッチのポルフィリン(porpyrin、環状構造をした有機化合物)を奪い取る。血中の酸素が極端に欠乏する結果、呼吸器官に致命的なダメージを与え、たちまちキャリアを廃人とする。
宿主(ヒトの免疫系)に引導を渡すモノの働きは不気味であり、ウイルスとの安易な共生論を許さない。パスオヴァーした後から振り返れば、慣れ親しんできたものがすべて破壊されて、自分を偲ばせるものも奪われて、何らの影すら残されていないから。〔4〕
新型コロナの蛋白質(プロテイン)が、受容体の蛋白質(ACE2)にスパイク(突起)で結合するその仕草(「騙し」のテクニックは人為を疑わせる事件性)に、今は注目しておきたい。ACE2(アンジオテンシン変換酵素2)は女性の卵巣にない、男性の精巣に豊富にあり、ウイルスが免疫細胞の攻撃を避けようとして、睾丸に隠れる(精巣を隠れ蓑にしている?)との新説まで聞かれる。
喫緊の問題は肺より血中にあり、コロナ禍の治療に人工呼吸器より血液浄化器が必要かつ有効かどうか、最新レポートでは、人工透析が必要な腎不全との因果関係が指摘されている。少なくとも、医療関係者が院内感染せぬよう、注意深く感染経路をセルフチェックすることで、高齢の男性が終活する希望を次世代につなぎとめることはできよう。〔5〕
それでも、誰であれタブレット端末や紙幣・硬貨など、手垢のついたものにタッチせずにはいられない。手洗いやアルコール滅菌で、或いはキャッシュレス社会の実現で済むことか。濃厚接触を避け空気感染を予防しても、マスクだけでは防げない。土足でウイルスに塗れた土を家に持ち帰り、親しくハグしあう生活習慣を改め、靴底に付着したウイルスを徹底消毒しない限り、無念の悲劇は欧米で繰り返されよう。
ソーシャル・ディスタンシング(社会的距離)が強く要請される今日、「不安のあまり公共性のマスクするヒト」(非本来的実存、ハイデガー)に求められる、「隔たりのあるコミュニケーション」(ポール・リクール)はどう実現可能か。空々しい社会的距離を置いて、どこまで意思疎通を密に図れるのか。いつまでも、フェイスシールドを付けて経済活動するわけにはいかない。
活動的生の脱魔術化に理解社会学(マックス・ヴェーバー)、都市社会学(マイク・デイヴィス)が切り札となる。瞑想的生の自己吟味(共感的批判)には、「禅に学ぶ自己のテクノロジー」を以て危機に瀕した知性改善をはかる、自立思考のワクチンとしたい。
最後は蛇足、コロナ疲れの読者のために楽しい余話をひとつ:古来日本では、浦島太郎の玉手箱(カスケット)が筋書で一部似ている。『御伽草紙』(鎌倉時代末期から江戸期の作品)では、鶴と亀として男女が再会する心温まる話、竜宮城の乙姫に「絶対開けてはいけない」と念を押されていたのに、ご褒美の玉手箱を開けて一気にエイジング(青年がたちまち白髪の老人となる)。
エイジングの秘密:女(助けた亀の化身)に婚姻を迫られて、三年後故郷に逃げ帰る男の顛末、快楽の三年が苦渋の七百年になっているとは、誰も笑っては済まされない。民話は神話でないから、神々は登場しない。パンドラの箱と玉手箱、連続性は真であるが、似て非なるところ(旧新の非連続性)を見逃してはいけない。4月29日、5月4日更新
Shigfried Mayer(宮村重徳), copyright © all reserved 2020, 理解社会学研究所所長、法政大学大原社会問題研究所嘱託研究員、㈱岡本カンパニー講師

 追記:政府の緊急事態宣言を受けて、予定していた講演会が開けない。オンラインでの公開講座となる。引用される際には、著作権に留意し、著者名とアドレスを明記してくださるようお願いしたい。なお、当ブログの記事内容は、専門外のデータ分析を広く参照しており、分野を超えた生産的議論を深める目的でも、理解に何らかの偏り・誤り・不正確さもあり得る。ご指摘あれば正す用意あり。
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基本文献:中務哲郎訳『ヘシオドス全作品』(京都大学学術出版会、2013年);高津春茂(編)『ギリシャ・ローマ神話事典』(岩波書店、1960年);『御伽草紙』上下(岩波文庫、1985)。
脚注一覧
[1] マイク・デイヴィスはアメリカ合衆国の都市社会学者、わたしが読んだ英語の寄稿論文はJacobin誌に掲載されたもの、Mike Davis on Coronavirus "In a Plague Year". 03.14.2020. 
https://jacobinmag.com/2020/03/mike-davis-coronavirus-outbreak-capitalism-left-international-solidarity;
その後「特別掲載・大疫病の年に」が明治大学の政治学者・重田園江訳で筑摩書房のウェッブサイトに公開されている。http://www.webchikuma.jp/articles/-/2004
挿絵のパンドラはウォーターハウスによる、John Wiliam Waterhouse - Pandora, 1896.jpg
〔2〕220日付の時事通信社の報道(「スパイクの立体構造解明」)では、アメリカのテキサス州立大学と国立感染症研究所の研究チームのレポートが参照されている。また、サウサンプトン大学の最新研究では、スパイクがコーディングする際のシールドが、他のウイルスに比べて弱いと指摘されている。ワクチン開発の決め手になるかもしれない。  https://medical.jiji.com/news/28300
 https://www.southampton.ac.uk/news/2020/04/coronavirus-spike-glycan.page
〔3〕『プロメテウスの罠 -明かされなかった福島原発事故の真実』、朝日新聞特別報道部、学研パブリッシング、2012年。連載ディスクの寄稿者の一人宮崎知己は、私と同じ、法政大学大原社会問題研究所の嘱託研究員。プロメテウスの火を原子に火に準える暗喩(メタファー)の技法が注目された。
〔4〕ヘモグロビンは、赤色素の鉄原子ヘム(Heme)と球状蛋白質のグロビン(Globin)からなる。ヘムの鉄原子が酸素分子と結合することで、ヘモグロビンは体の隅々に酸素を運搬する。二価の鉄原子ヘムとポルフィリン(Porphyrin, 鉄と結合していない中間体、金属錯体、余分な蓄積または欠乏を防ぐために、総鉄イオンFe2+の存在の有無で厳密に管理されている)を生合成するのは、アミノレブリン酸合成酵素(ジンターゼ)。律速酵素ともいうが、細胞内のミトコンドリアにある。マラリア原虫がヘモグロビンを栄養分とするのと同じく、新型コロナウイルスは、活力を得るために血中のヘムを攻撃し、中間体である総鉄イオンのポルフィリン(酸化鉄系の産物)だけを取り込む。その理由はまだよくわかっていなかったが、酸化スイッチの働きに謎を解く鍵があろう。スイッチをオフにすることで、酸素の運搬が不可能となる。その結果を、重症患者の二割から四割が腎不全を患い、人工透析機器を必要としているとの最新報告が裏付けており、其処から及んだ影響関係の大きさ・深刻さを雄弁に物語っていよう。
 https://www.jiji.com/jc/article?k=2020041900132&g=int
〔5〕間接証拠:男性の感染者・死亡者が全体の六割にも上る、身近な新型コロナウイルス騒動の顛末と、微生物間のレヴェルで妥当するシグナル物質(フェロモンやホルモン系を含む)の話が、どこかリニアルにつながる予感がしてならない。
新型コロナが「肺疾患でなく、赤血球の疾患」を引き起こす点に注目して、血中の酸素運搬の不具合が解決するとの事例が報告されている。「コロナ治療、人工呼吸器より血液浄化器が必要か、中国新研究」、 NewSphere 2020, が参考になる。https://newsphere.jp/national/20200416-1/
例えば坑マラリアの炎症を抑える特効薬のクロロキン、マラリアは原虫が赤血球を栄養に取る感染症。日本のアビガンやアメリカではエイズ(ヒト免疫不全症)治療薬のレムデジビルに、ウイルスの自己複製を阻害する効果が認められていることからもわかる。この関連で、誤作動の原因がつかめるのではないか。騙し手を騙すテクニックに、ホモサピエンスとしての工夫があっていい。米中韓に負けない、若年世代の東大医学部系ウイルス研究者には奮起を、堀江宗正ゼミの「サステナビリティ―と人文知」(人文社会系)に突破口を期待したい。

2020年4月9日木曜日

先端技術のタッチパネルに感染経路の疑い

 医師や看護師が共有する医療機器用のタブレット端末が、休憩室と合わせ、院内感染のルートではと疑われている。大分国立感染症医療センターの事例について、厚生省担当員の調査報告による。【1】
タブレット端末は、日本が世界に誇る先端技術のタッチパネル仕様、素手の指でタッチするのは便利で快適だが、ウイルスの感染経路に早変わりもする。診察後みなが同じタブレットを使い回し、素手の指で触り捲ると、無意識に感染を広げている可能性があると指摘されている。
僕たちも、日頃からスマートフォンを使い慣れているせいか、駅などの切符売り場のタッチパネルを何気なく使っているが、その実背筋が凍る怖い話だ。多少面倒でも、パネルをアルコール消毒するか、使い捨てのゴム製手袋を使えば感染リスクは回避できる。
日本のタッチパネル技術をアイフォンに導入した、さすがのスティーブ・ジョッブ氏もそんなはずではと驚く・肝をつぶすに違いない、思わぬ展開に天国で顔面蒼白になっているかも。
いずれにせよ、感染経路の一つが判明したことで、新型コロナウイルスの脅威を軽減し、安心の日常生活を取り戻せるきっかけとなることが期待される。少なくとも、医療関係者の感染を防ぎ、院内感染に歯止めをかけることができよう。まだ、外堀がほんの少し埋められたにすぎないが、危機を超える一筋の希望が見えてきた。
 理解は力、言葉によることだが、不明な感染経路や敵の顔が見えぬ不安・虚無の勢力に打ち勝つには、同時に無の実践(無心の技法)が求められる。これだけは、AI(人工知能)にも新型ウイルスにもまねができない。
【1】「手摺・ドア・ノブは消毒したのに、大分の院内感染、盲点になった感染経路」(読売新聞49日付朝刊、電子版)参照。
Shigfried.Mayer(宮村重徳), copyright © all reserved 2020, 理解社会学研究所所長、法政大学大原社会問題研究所嘱託研究員、㈱岡本カンパニー講師

2020年4月6日月曜日

ホモサピエンスに誤作動をもたらすシグナル物質?

人類(ホモサピエンス)の知的営みを混乱させ、文化遺産を換骨奪胎して無意味化する、脅威的なウイルスの正体は何か、何者なのか。若者と高齢者を世代間の亀裂に持ち込むのは自然なのだろうか。非生物の自然が企てるにしてはあまりにも悲惨で大胆すぎる。人間の知的営み・コミュニケーション能力を笑いものとするのは、「自然が無差別」の理由で済まない、もたらされる結果があまりにも不自然で唐突だから、エス(「それ」)に係わる何らかの予期せぬ事件性(環境変数の劇的変化に想定外の因果関係)が予想される。以下では、「日経サイエンス」などに掲載された論文をいくつか紹介。
デボラ・ブラムは「匂いで伝える人間フェロモン」という論文(2011年)で、女性だけの集まりで月経周期が同調するとの実験結果を踏まえて、匂いを出して引き付け合う、シグナル物質のフェロモンを特定している。マーサ・マトリントックの論文「月経の同調と抑制」(1971)を参照していることからマトリントック効果と呼ばれているが、新型コロナウイルスが宿主候補の蛋白質に誘いをかけるメカニズムは男性でも同じかどうか。
私見では、フェロモンより性染色体のジグナル物質に、宿主側の注意が喚起されている。人間は、換骨奪胎されたそれを混同し、無意識に反応していよう。コロナウイルスの自己複製(カット&コピー・ぺ-スト)メカニズムとの関連を解明すれば、自分の乗っ取り事件を防ぐことも可能となろう。事例は一部にとどまらない、確かに匂いや味わいの初期障害が数多く報告されているが、脳科学での検証が待たれる。[1]
他方、生物学者の福岡伸一(青山学院大学教授)によれば、新型肺炎のコロナウイルスに、「動的平衡」のメカニズムが働いていると認識し、撲滅すべき対象でない。むしろ「ウイルスとの共生」こそ必要なことだと示唆している。福岡は、宿主側の蛋白質がウイルスのそれが容易に結合する背景に、宿主側の分解酵素が積極的に反応し、「招き入れているとさえいえる挙動を示している」と指摘している。誤作動の因果関係をめぐること、デボラ・ブラムの報告と合わせ、哲学者も宗教学者も社会学者も傾聴し、改めて共有すべき思考課題である。[2]
蛇足:感染爆発(エピデミック)の背後に、不安からマスクする群集心理あり、ひいては利権をめぐる思惑とワクチン開発競争の弊害がなくならない。=0の予想外割のような隠された人為的意図の介在を想定せざるを得ないと考えるのはわたしだけか。
新型コロナウイルスは、疾風怒涛(シュトゥルム・ウント・ドランク)を特徴的スタイルとする。自覚症状が現れる直前が最大の山場、感染拡大のピークを迎えるというから、門戸を閉じて外出しない、悩み耐え忍んで、疫病を「過ぎ去らせる」のみ。疫病をパスオヴァーする、ネガティブ・ケイパビリティ―に必要とされるのは、「希望の哲学」(ブロッホ)あるのみ。
『出エジプト記』(11章~12章、最後の災いと主の過ぎ越し)を参考にして、月並みの忍耐以上の何が必要か。長いトンネルを抜け出して安心の日常性を取り戻す、安心壁観(ウォール・ゲイジング)による突破が期待される。
4月8日、4月12日、4月20日更新
Shigfried.Mayer(宮村重徳), copyright © all reserved 2020, 理解社会学研究所所長、法政大学大原社会問題研究所嘱託研究員、㈱岡本カンパニー講師


[1] Debora Blum, The Scent of Your ThoughtsSCIENTIFIC AMERICAN October 2011). 
西オーストラリア大学動物生物学研究所(リー・シモンズ)から無効との反論はあるが、実験の再検証はあくまで人間同士に限られたこと。種の壁を越えた微生物間の分析レベルではない。脳科学での吟味と検証が待たれる。
[2] だから、「ウイルスは自己複製するだけの自利的存在でなく、むしろ利他的な存在である」と結論付けるのは早急ではないか。
https://www.asahi.com/rensai/list.html?iref=pc_extlink  


2020年3月25日水曜日

何ものも寄せつけない、安心壁観(あんじんへきかん)の効用

2020年度理解社会学研究所公開講座(第一回)

世を上げてどこも騒々しい、全世界を揺るがす感染のパンデミックスに、思考のワクチン(倉重宜弘)でもまだ物足りない。空観に徹して「何ものも寄せ付けない」(柳田聖山『ダルマ』)、「安心壁観」(あんじんへきかん)から「寂然無為」(じゃくぜんぶい)まで、無為にして為さざるは無し。老子も驚くダルマの教え、南山律師の道宣(どうせん)が『続・高僧伝』の達磨章(T50.596c8-9)で、「大乗壁観功業最高」(だいじょうへきかんこうぎょうさいこう)と評し、病める時代精神を癒す最高の社会効果を認めた、無の実践道。江戸期には、憂き世を浮き世とする達磨図がはやったことがある。令和二年の今、コロナはてなの憂き世を改め、こころ躍る浮き世とするか、遮断は転換の試金石となる。
遮断はシャットダウン、安心壁観がミクロ飛沫のウイルスをシャットダウンするわけではない。病は気からと言って済むことでないが、たしかに気の寄せ方・心次第で関係の密度が異なる、纏わりつく人影に濃淡あり、今話題のミクロ飛沫による空気感染(エアロゾル)への不安と深い係わりがあろう。菌が付着しないよう、日々努めて自心の鏡面を磨く必要あり、第三世代の国司・神秀(じんしゅう)の読み直し・再評価は必至。
仏心との対話に、多く言葉を弄するに及ばない、公私をめぐる一切の縛りを解き突破するに、健全なる悟性と理性の使用(カント)の他に、安心してノイズを遮断する、隔たりのあるコミュニケーションと、ひと閃きの碧眼力と懺悔告白の勇気があればいい。必要な実証データは後からついてくる。
さて、日本で新型コロナウイルスの感染者数と死亡率が低い(燻っている)のは、必ずしも偶然とは言えないかも。日頃から、石鹸での手洗い・うがい・温湯(あつゆ)に入るなど、清潔さを好む生活習慣ゆえか、緑茶を飲む習慣も関係しようか。
ちなみに、岡倉天心の『茶の本』の冒頭、「初めに茶は薬用(メディシン)だった」との指摘あり。菩提達磨(ボーディ・ダルマ)に始まる禅文化の風土が、西洋との接点と違いを露呈する。疫病がはやった平安末期から鎌倉時代以来のダルマ文化の興隆が「近代プロテスタントの宗教改革」と似ていると柳田聖山が『ダルマ』(講談社学術文庫)で示唆する処が興味深い。
不安のあまりマスクを着用するだけで済まない。国を挙げて隠蔽する自己の不始末は、今に始まったことではない。ブログの読者には、何ものをも寄せ付けない、反骨ダルマの「安心壁観」(ウォール・ゲイジング)をお勧めする。起き上がり小法師の神話は、本当にあった話しである。
中国武漢に端を発し、瞬く間に世界を席捲。欧米では医師も看護師も聖職者も為政者も、次々と新型コロナウイルスに感染し、医療崩壊が危惧される今日、不安が高まるばかりで、収束する気配が一向にみえない。これだけは物理的遮断(ロックダウン)で解決しない、言語リソースに拘る研究機関の頼りとする文献解釈学には無理難題かも、無との対話を抜きにしては、「世界を語る」次世代の知性改革は成し遂げ難い。
青年諸君、自分に与えられた悟性と理性を駆使してよく考えよ。国境封鎖から鎖国のドミノ現象にまで及び、世界の住民がみな引きこもり、無症状の若者と高齢者世代の相互不信からにらみ合いが続いて、人類自滅にならないために為すべきことはただ一つ、虚空に住する処無しと悟り、互いの期待に準じて振る舞うことで、みなが納得する経験妥当な蓋然性が得られる、諒解(りょうかい)可能な世界を再構築すること。
 マスク着用は他人のため、外来者のおもてなし・高齢者への思いやりである。ウイルスの脅威に対抗する思考のワクチンがあるとすれば、これしかない。
ヤスパースの理解心理学やヴェーバーの理解社会学の他に、手前味噌で恐縮だが、拙論「ダルマの禅に学ぶ自己のテクノロジー」を考えるヒントにして欲しい。
3月30日、4月4日更新
Shigfried Mayer(宮村重徳), copyright © all reserved 2020, 理解社会学研究所所長、法政大学大原社会問題研究所嘱託研究員、㈱岡本カンパニー講師

2020年3月15日日曜日

新型コロナのパンデミックに思考のワクチンが必要では

新型コロナウイルス(Covid19)は、十年前のSARSと同様、呼吸器官にダメージを与えるが、命を息する存在に感染して、人類の知的活動(コミュニケーション行為、慣習)に誤動作を引き起こす。後追いの対症療法では間に合わない。
「人類史上初の人間の思考そのもに感染するものかも知れない」(倉重宣弘)とは、論理の飛躍か形容矛盾に聞こえるが、隠喩か換喩でなら影響関係が理解できる。確かに、新型ウイルスは、これまでとは少し様子が違う。身体器官へのダメージより、経済活動を営む人(エコノミック・アニマル)の息の根を止める勢いは止まず、感染経路がつかめず、遮断できない。ソーシャル・マインドへの影響は見逃し難い。超高齢化したホモ・サピエンスへの挑戦と言えそうだ。
倉重氏は㈱ネイティブの代表取締役、コンピューターウイルス(CV)に似た特異性に注目している。代替手段を考えることで、「思考の誤動作に対抗する最大のワクチン」とすることができるのか。「止めることが止められない」現状では、鼻から息する存在(ヘブライ語でヌシャマー)に理解及ばず、肝心の「考える倫理」(藤原聖子)に孫の手が届かない。厄払いの大祈願を起こしつつも、自力で考える世代の立ち上がりを期待したい。「思考のワクチン」を提唱する倉重氏自身は若い世代の有望な代表者、その投稿は、https://nativ.media/16738/2/ を参照されたい。
Shigfried Mayer(宮村重徳), copyright © all reserved 2020, 理解社会学研究所所長、法政大学大原社会問題研究所嘱託研究員、㈱岡本カンパニー講師

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2020年2月26日水曜日

公教育の師範モデル、宗教の世界を語る斬新なスタイルに注目

 縁あって、昨年秋より東京大学本郷キャンバスの講義を聴講した。休日が月曜日という個人的制約あり、藤原聖子教授の講義「宗教史概論」に参加した。どこにも角々した言葉なく、満遍なく目配せし不安や疑問を残らず吸い上げる、対話型の講義スタイルも半端でない。優に500人を収容する大教室で、問題点を整理して無用な偏見を正される、圧巻である。学生たちに複数の選択肢を提示、史料の真偽は宗教史学で検証し、ヴェーバー社会学に準拠して納得の諒解ポイントを各自取得させる、その発見術的講義スタイルにぶれはなく、公教育の師範モデルに値する。アーレントとは気性もタイプも違う方だが、久々に活動的生を対話実践する師に巡り合えた感がする。
 個人的には、ヨーロッパ近代の聖書批評学で研ぎ澄まされた論争スタイル(史的イエス論では、ケンカ腰の印象を免れない)を捨てないと、広い共感ポイントと共鳴可能な公共空間が得られない。師に対面すると、自分に欠けていたものが露呈する。わかりやすい教科書レベルの公共性言論への不十分な取り組み、読者聴衆への不親切さに気づかされる。
公教育の師範モデルを目の当たりにし、改めて宗教の「世界を語る」にも、然るべき一般社会学言論のルール(運用規則)があること、経験妥当な範例を見せつけられて、共感すること大である。教科書検定論争のど真ん中で、ヴェーバーの価値自由の立場を貫いておられる。ホピュラー性を阻む自己原因の一端を思い知らされて、カルチャーショックを受けた。正直な感想である。
これまでわたしが書き綴ってきた諸論考(史的ダルマ論を含む)にも、論争の経緯から拘りや思い入れ故の偏りがありはしないか、垢抜けしていないぞと批判されているも同然、改めて神即無の命題集を零元の目線で一から書き直し、面奬の壁世界を解体し、壁観論を再構築する必要性に迫られている。藤原先生を禅師に見立てるつもりはないが、これはわたしにとってエンライトメントに相当する、一般言語学特殊講義(ポスト宗教史学派の社会言論)へのヒント以上に、覚醒と転回の機会を与えてくださった先生に、感謝を申し上げたい。
 一般読者には、藤原先生の『教科書の中の宗教:この奇妙な実態』(岩波新書、2011年)の他に、最新作『三大宗教 天国と地獄 QUEST』(大正大学出版会2008年)をお勧めする。教科書レベルのわかりやすい目線で検定外の取りこぼしがないのかどうか、評価は読者自身に判断をゆだねたい。
Shigfried Mayer(宮村重徳)、copyright © all reserved, 理解社会学研究所所長、法政大学大原社会問題研究所嘱託研究員、㈱岡本カンパニー講師、PKO法人キャッチ・アシャ―・コム代表



2020年2月23日日曜日

仏心との対話:欧米人がマスクしないわけ

仏心さん:欧米人がマスクしないのはどうしてかと、ネット(SNS)で話題になっていますが。

シグフリート:なぜ欧米人がマスクをしないのかだって?その理由は簡単さ、顔はマスクで隠すものではない。顔を隠すと不気味にみえるからでもない。顔がマスクであり、ガーゼのマクスが顔なのではない。自分の顔は付け替えできない、個として生きる権利・譲れない人権の象徴だから、犯罪人か病人でもない限り、素顔にマスクなど着けない、マスク=重病人という負面のイメージが強いから、素顔を隠したり素面を覆ったりしない。これは自己理解の根幹にかかわること、公衆衛生上のいかなる理由にも優先します。

仏心さん:なるほど、・・・

シグフリート:ハイデガーの弟子エマニュエル・レヴィナスの「顔の現象学」を一読すればわかります。

仏心さん:今韓国では、「新天地イエス教会(新天地イエス教証の幕屋聖殿)」という新興宗教(異端)の布教活動で、新型コロナウイルスの拡散が話題になっていますが・・・

シグフリート:中国(武漢)が病原菌の発祥地でなくとも、変異に人為性を疑わせる病原体の漏洩地なら、日本寄港のクルーズ船(ダイヤモンド・プリンセス号)や韓国(大邱)は温床地、ウイルスには格好の媒介地にすぎません。旗艦国や各国厚生労働省の手には負えない。疫病の痕跡は、教科書記述から削除しても、百害あって一文の益もなし。
 人類の知恵を結集しないと感染ルートを遮断できない、虚無化の勢いは止められず、世界疎外はおろか、生態系破壊から人類史破局の招来は免れないでしょう。コンピューターウイルス以上に、新型肺炎の感染経路は見えないから、面倒でもあり厄介でもある。自己免疫システムを攻撃するシャドーの働き(インフルエンサー)には、他力本願でなく自力で突破する、安心壁観の道(ダルマの禅)を模索するほかないでしょう。3月4日更新
Shigfried Mayer(宮村重徳)、copyright © all reserved 2020, 理解社会学研究所所長、法政大学大原社会問題研究所嘱託研究員、㈱岡本カンパニー講師 

2020年2月3日月曜日

危険物管理失敗のつけを国民にまわすな、万国民の人権と言論の自由を尊重せよ

昭和は説教強盗魔事件(2年~4年)に二・二六事件(11年)、平成はオウム事件(7年)、令和はゴーン事件(元年)で始まった。令和2年は新型コロナウイルス感染騒動で幕を開けた。昭和は思想犯取締法(思想犯保護観察法、11年)、平成はセクト団体防止及び取締法(12年)、令和はどんな取締法で始まるのか。ネット上のフェイクニュース対策の取締法は施行準備中と聞くが、新型ウイルス関連では、中国(武漢)訪問の履歴のある外国人の入国禁止令に始まり、遂には自国民の中国渡航禁止令となるのか。生物化学兵器禁止条約(昭和50年発効、日本では昭和57年)をザル法にしないために何が必要か。地球温暖化と無縁ではないが、そればかりでない、疫病の蔓延に予断は許されない。
今回の新型ウイルス性肺炎の拡大事件は、自然災害とは言えない要素が強い。案の定、ウイルスの自然変異でなく人工的変異が疑われている。危険物管理失敗は人為的災害である。ちなみに、今回の事件の発祥地・武漢センター区から10キロの目と鼻の先、海鮮市場からは30キロの地点に中国科学院ウイルス研究所微生物菌毒種保存センターあり、実験動物のずさんな管理から一部が市場に漏れ出回ったのではと、事件性が指摘されている。アメリカやイスラエルの軍当局の情報ではもっぱら公然の秘密。隠蔽体質を理由に、フェイクニュースだと断定はできない、限りなく疑わしくもあくまで推理であり、噂の真偽は確かめようがない。
 未必の故意(みひつのこい)か、事は共産党国家のメンツに係わること、初動の遅れに人災の疑いあり。今や世界中が感染しの危機的状況にある。公共データに漏れた人たちが大勢いる。チャーター機を使って自国民を本国に送りかえることのできる富裕国と異なり、東南アジアからの出稼ぎ労働者、タイ・ベトナム・フィリッピン出身の外国人たちはもっと悲惨だ。どこにも行き場なく誰にも顧みられない。生命保険がないから医者にみてもらえず、封鎖された感染地武漢の路頭に捨て置かれようとしている。注1
自国民ファーストが原則だから、マイノリティーの犠牲は仕方ない、と言って済まされない。中国政府が責任を感じてこの人たちにも配慮するかどうか、見通しが示されていない以上、とうてい期待できそうにない。アジアのために日本になすべきことがあるとすれば、そこだろう。マスク贈呈の美談で話を終わらせず、国境なき医師団のような、疫病対策の専門医療チームを派遣すべきではないか。感染死の危機に瀕した万国の労働者を差別なく救済するためである。注2
 空気感染(エアロゾル)が疑われる中、感染死は待ったなしの状況だ。苦境の中国を変貌させる動機があるとすれば、自他の国籍を問わず差別なく、万国の労働者を友として救済することを欲するかどうか。普遍的意思が問われている。それは人類愛と言うほかにない。曖昧な反省では事を仕損じ傷口を広げるのみ。全体主義の精神を正し党利党略を捨てないと実現できない。禅問答で云う「繋驢蕨」(けいろけつ)のジレンマを脱することは不可能に近い、人権無視に言論弾圧の現状では、習近平政権には所詮無理難題かも。
2月19日(水曜日)、3月9日(月曜日)更新
注1:1月31日(金曜日)付の毎日新聞の報道では、「封鎖前に「500万人あまりが市外に出た」と明かした。これは武漢に来た出稼ぎ労働者など流動人口を含むとみられ、現在900万人が市内にいる」という。地方の農村から都会へ出稼ぎにきた中国人だけでない、海外からの出稼ぎ労働者を含むは当然。当局発表のデータは疑わしい。カンボジアについては不明だが、国境付近で多くの感染者が出ていると聞いている。
注2:アメリカ合衆国の国家経済会議委員長クドロー氏から、医師団派遣の要請が中国からあったとも言われるが、中国側の反応がない、断られたとも聞いている。中国側の受け入れ態勢が整っていないのだろう。
Shigfried Mayer(宮村重徳), copyright © all reserved 2020, 理解社会学研究所所長、法政大学大原社会問題研究所嘱託研究員、㈱岡本カンパニー講師

2020年1月26日日曜日

得体のしれない、インフルエンサーの現象学的社会学

インフルエンザ(influenza)は、インフルエンスのイタリア語読み。冬に発生して春には収束する、得体のしれない病として大流行したので、パンデミックと呼ばれている。その昔、十六世紀のイタリア占星術者たちが「星の影響による病」と考えて名付けたことに由来する。
古来、渡り鳥の野鴨を媒体とする人畜共通の感染症として知られていた。ギリシャの医学者ヒポクラテスに最古の呼吸器疾患の記述、中国禅の『碧巌録』に野鴨の話が出てくるが、社会背景にそれが疑われる。古代日本では、平安と鎌倉時代の『三大実録』(862年)にも類した記録がある。「咳逆(しはぶき)、死者甚衆」というのがそれらしい。
今でも記憶に新しい二十世紀のスペイン風邪。マックス・ヴェーバーも犠牲者の一人、従事していた第一次大戦中の野戦病院で感染したのかもしれない。ヴェーバー家に通っていた誰かに菌をうつされた疑いも排除できない。たかが風邪、されど風邪である。
大流行した1918年当時、スペイン風邪で五億人以上が感染し、五千万から一億の人が死滅した。感染被害が人類の三割に及ぶ中、抗体を持つ高齢者は生き残り、抗体を持たない青年層を壊滅させた。その数は、二度の世界大戦での死者数を凌駕する。発生源は非参戦国のスペインでなく、合衆国アメリカのアラスカ州で見つかった野鳥の屍。スペインで発覚したのでこの名がある。世界大戦下で、最前線に補充される戦闘員の大陸間移動が係わること。戦争に明け暮れた二十世紀の特異性である。
今回の発祥地はお隣の中国、発生源は武漢の海鮮市場で売られていた野生動物(噂では蛇)。往来の激しい春節(旧正月)の時期、大型連休が始まったから訪日客も数多く、日本もうかうかしてはおれない。インフルエンザは一介の流行性感冒だが、高熱を出して悪性の肺炎・中耳炎・脳炎を引き起こす原因に。新型コロナウィルスは、致死性ではSARSに劣るが、感染力が10倍も強いので要注意。
イン・フル・エンザは、外より飛来し窓(鼻の孔)を通って流入する異物。譬えれば、飛ぶ鳥エンザの中に入る(エイリアンの影響を受ける)こと、或いは温暖化により永久凍土が解けて、淵に封じられた菌(ウイルス株)が活性化し、媒体を得て繁殖したものと言われる。悪質な日和見感染症への対策は、効力のあるワクチンがない以上、国民の不安は尽きない。
ドイツ留学中の1978年ころ、巣から落ちたカケスの子を引き取り、部屋で育てたことがある。アリストテレスと名付けていた愛鳥は、くしゃみをするようになり、一年後にインフルの風邪でなくなった。ドイツでは野鳥愛好会の一員だった自分の経緯から、この話は他人ごとでない。戦慄を覚える。運動して体力をつけても、免疫システムを破壊するウイルスに対しては、医学が発達していなかった当時、人類はなすすべを知らなったから、甚大で未曽有の被害が世界中に拡散した。
中国型国家資本主義の存亡を云々するより、人類を存亡の危機に晒す新型コロナウイルスによって、中国が自己崩壊する危険性の方が確率としては高い。環境適応力の高いウィルス変異の不気味さは比べようがない。「人類に最後まで残る厄介な感染者」(加藤茂孝、注1)に、如何なる数式も公式も当てはまらない?中間宿主が鳥か蛇なのか、カオスの担い手をめぐり学会でも議論は錯綜しており、予断は許されない。
不安のあまりマスクした世人の「ダス・マン」(ハイデガー)になりすましても、疫病の不安を主題化する『ヴェニスに死す』(トーマス・マン)に自己同期するにしても、君たち青年層を壊滅させる疫病の不気味さは、十分に語り尽くせない。
さて、此処が考え処、若年層を壊滅に追い込んだスペイン風邪と異なり、新型コロナウィルスは平均年齢73歳の持病を持つ高齢者。感染者がだれであれ、人が何処から来て何処へ行くかは不明のまま、おざなりに生きて人生を台無しにしてほしくない。最新情報では、予想に反して、感染するはずがないと思われた若年層にも広がりをみせており、状況は侮れない。
何事もなかったかのように、平然と語り振る舞うわけにはいかない。摂理論や神義論・教義学の正論を繰り返すだけでは、終ぞ安心は得られない、「神と悪魔の対話」(ゴウタマ)も精神療法以上の意味をなさないように見える。フェイク情報を刷り込ませた今日的世界の言語事情は商い人の利権絡み、インフルエンサーの「現象学的社会学」にかすかな望みを託したくもなる。注2
神も仏もあるものかと、自暴自棄にならないよう心掛けたい。不安に実体はないと悟りすます前に、マスクしたヒトの住まう世界に生きて、真理をして露呈させるのみ。当面は、ロゴセラピー(フランクル)や禅の公案で心を落ち着け、動態禅(鈴木大拙)で対処する。教会関係者も、日毎の祈りを欠かさないだけでなく、明日は我が身のことだと考え、命の危機に対する万全の備えをしておきたい。「禅キリスト教」(佐藤研)が参考になる。1月30日(水曜日)更新
注1:加藤茂孝は、風疹ウィルス胎児感染の遺伝子検査で知られる専門医(産婦人科)。国立予防衛生研究所主任研究官。『「インフルエンザ」-人類に最後まで残る厄介な感染症』は、人類と感染症との戦いシリーズ第9回、副題:「得体のしれないものへの怯えから知れて安心へ」。掲載先:モダンメディア57巻2号、東京2011年、MF1102_04 PDF文書参照。
注2:現象学的社会学は、ヴェーバーの『理解社会学』を継承し、その後フッサールの現象学に学んだアルフレッド・シュッツ提唱の研究分野。『社会的世界の意味構成』(1932年、英語版の原題「社会的世界の現象学」)参照。
Shigfried Mayer(宮村重徳), copyright © all reserved 2020. 理解社会学研究所所長、法政大学大原社会問題研究所嘱託研究員、㈱岡本カンパニー講師

2020年1月11日土曜日

ゴーン被告の虚実を問う、言質は自分を裏切らない

レバノン逃亡についてのゴーン氏の釈明が、世界の新聞紙上を賑わせている。国内の報道では、「(日本の)人質司法を耐えているたくさんの人には、私が持っている特権がない。私には発言力と金がある。他の人にはできないことができる」と語った。この発言で十分、釈明の綻びは明らか。日産の窮地を救った功績を鑑みるとしても、権力を振りかざし、金次第で自分の思い通りのことができると言って憚らない。ヴェニスの商人どころか、ロスチャイルドを連想させる。「地獄の沙汰も金次第」という諺通りだろう。法の裁きを逃れて、何をか況やである。明日12日に成人式を迎える若者と子供たち、こんな大人にはなってほしくない。
 カルロス・ゴーンはユダヤ人ではないが、フランスでは移民として、反ユダヤ主義と同列の国民的反感に晒されているらしい。純丘耀彰(すみおか・てるあき、東大卒の文学博士、大阪芸術大学芸術学部哲学教授)の指摘によれば、「フランスの支配層、財界人や政治家は、ゴーンの一件に。ドレフュス事件を重ねて見てしまっている。かつて自分たちが無実のドレフュスを悪魔島監獄に送って殺しかかった悪夢をかってに日本に投影し、自分たちの過去の罪業を贖おうとしている。しかし、フランスの庶民からすれば、ゴ-ンは「移民」であり、マクロンは「ユダヤの犬」。ただでさえ、ルペンのような極右が勢力を増しているのだから、対応を誤れば、フランス国内にくすぶる反ユダヤ、反移民の感情に火を着けかねない。いや、もう着いているのかもしれない。だから、日本が、その一方の言い分を真に受ければ、連中の内乱の巻き添えを食らう」ことに。[1]
 日本の政治家、検察官と弁護士の皆さん、これを考えるヒントにしてほしい。今後増えると予想される外国人の収監を鑑みれば、人権に係わることについてはなおのこと、「人質司法」の誹りを招かないよう、グローバル時代に見合った法制度の再整備は急務。社会言論の歴史を知らずに評論家ぶっているだけでは恥をかく、手痛い火傷どころか致命傷を被ることになる。
115日(水曜日)更新
Shigfried Mayer(宮村重徳), copyright © all reserved 2020, 理解社会学研究所所長、法政大学大原社会問題研究所嘱託研究員、㈱岡本カンパニー派遣講師



[1] 純丘耀彰「カルロス・ゴーンとドレフュス事件・パリ暴動:フランス百年のトラウマ」。

2020年1月9日木曜日

宇宙の過去問は神の数式で解けるか(その二)

通常、「数学的な美」は対称性(シンメトリー)に於いて言い表される。時間と空間は同じものと理解したアインシュタインの一般相対性理論がファイマンの念頭にある。今日究極の「神の数式」と呼ばれているのは、ポール・ディラックの方程式(Dirac Equation)である。「真空」の定義が斬新だ。
「真空とは、負のエネルギー電子が完全に満たされた状態」。通称空孔理論(Hole Theory)は、ディラック海の空孔が正のエネルギーを持ち反粒子に対応すること、真空中の空孔が光を吸収して正エネルギーに変換され、空孔だけが後に残る現象である。今日では、アンダーソンの発見以来陽電子として知られる。魔訶不思議な現象だが、数式に説得性がある。電子の持つ回転対称性と四次元時空が満たすローレンツ変換の相対性を同時に成り立たせるゲージ場での相互作用論、反粒子を含む最新の素粒子理論の特異点に注目すると、電子に対して光子(フォトン)の重さ(質量)はゼロである。


i γδ/δt Ψ + i Σγδ/δx Ψ= mΨ 、変形すると

i γδ/δt Ψ mΨ= 0 、自然単位系では
 i γμθμΨ(x) mΨ(x) 0、差し引きゼロ

「数学的美」に関する討議は、その後「自発的対称性の破れ」を指摘した南部陽一郎以来新たな局面を迎える、立てた鉛筆が倒れる処にヒントがある。それ以来、虚数を実体化する計算言語(言葉)に、対称性を破る非可換なゲージ対称性(global and local symmetry on the gauge theory)が一般に認められるようになった。ゲージは、元々測量概念である。エントロピー的否定総和から自発的対称性の破れが生じ、真空を満たす星間物質(マイナス因子)の解明に伴い、大局的且つ局所的なゲージ(強弱の判断尺度)を合わせ持つ場の運動論、神的数式のダイナミズムが発見された。
Ψ(プシー)はディラック場(スピノルの場)、m(マス)はΨの質量、左辺に時間と空間の微分項を持ち、4成分あるγ行列の値がどう変わっても全体量はいつも同じ(=0、エネルギー保存則)、量子力学的対称性乃至電磁気的相対性理論が成り立っている。ライプニッツのモナド論(無限小による微積分)に始まり、ニールス・ボーアの相補性理論を経て、近年続く新発見(「神の粒子」という異名を持つヒッグス・ボソン)に、人文科学(哲学宗教)が追い付かない。宇宙科学の先端技術者たちは神を論じ、三人の博士たちに負けず劣らず、いよいよ「神の数式」に魅了されて今日に至っている。それでも、宗教と民族の利害をめぐる争いごと(果てしない資源戦争)が収束するかどうかは、まったく予断を許さない。
運動のカテゴリーは、修士論文以来のわたしの追求課題である。過去三十年間に学習した経緯と成果から、二〇二〇年度は数多い形而上学的紐づけ(ゲージは判断尺度)を二択に絞り、「言葉と無」について思索し実践する。年頭所感なので、これ以上むずかしい話はしない。『黒ノート』で揺れるハイデガーの宗教哲学的読み直しも、「人間の神的根源」に満足せず、「民族の神的根源」に迫るアーレントの問い返しも、トーマス・マンのクルル的幻想形式の世界もその延長線上にあり、頭上に繰り広げられる光と闇のドラマトロジーは諸学を巻き込む未曽有の渦となっている。いずれも量子力学的基礎レベルの過去問の対象であることを免れない。
しかし、科学者たちはほんのわずかばかりを覗き見しているだけで、実際は「振動する紐」で奏でられる音のルートを知らず、大宇宙の壁(グレートウォール)に響く不立文字の囁きなど聴いていないか関心がない。ニュートンが告白して言ったこと、大海原の砂浜で貝殻を拾い集める少年のように、ハンブル(謙虚)であることが求められる。情報科学に於いても然り、データ主義を優先し破れを繕うことよりもっと大事なこと、文化人類学の関心枠に付かず離れず、宇宙論的視野で理解のカテゴリーの刷新と調整が必要となる。
2010年10月に本ブログを開設して10年目、2020年の今も「理解社会学」の看板を外さないのは、特殊相対性の理由がある。諸動機の布置連関から視覚的にイメージされる星座のフレームにとらわれず、ピタゴラスの聖数(数学的美)にも惑わされず、複利計算で怪しく色めくユダヤ的知性の秘密:「神と貨幣」(ジンメル)から目を離さないためである。移民系も例外でない。自らの功績に報いを求める武帝に応える、「無聖」(ダルマ)の一喝を聞き逃さないようにしたい。異論・反論があれば傾聴したい。
1月22日(火曜日)更新
Shigfried Mayer(宮村重徳), copyright © all reserved 2020, 理解社会学研究所所長、法政大学大原社会問題研究所嘱託研究員、㈱岡本カンパニー講師、東京大学大学院研究生志願中

2020年1月5日日曜日

年頭所感:宇宙の過去問は神の数式で解けるか(その一)

新年のご挨拶を申し上げます。2020年は十二支で鼠(マウス)年、理解社会学のブログを開設して10周年目の新年にあたり、流れ星に乗るマウスの尻尾で、宇宙の壁に書初めをしたい。今年は文字でなく数字、数え言葉に託し新春の初夢を載せてみたい。
広大無辺の宇宙空間では、渦巻く銀河の星々が回転し場所移動する。我々は運動の軌跡を準えるのみ。電波望遠鏡で今見ているのは、ビッグバンから数えておよそ百三十八億年前に起きた(映像が届くに、光速でもこれだけの時間がかかっている)ことなので、いま壁面四分座(へきめんしぶざ)の流星を頭上高く見るにしても、地球を含む宇宙空間の「過去問題」を解くに等しい。
人類史や民族史・宗教史などスケールが小さすぎて、巨大なガス雲の塊にミクロの塵を探し出すようなもの。実数と虚数 i の組み合わせ(複素数)を以て点と線を結ぶのが精いっぱい。それでも、四面ある平面座標にどうにか描画できるようになる。
虚数単位の i (二乗すると-Ⅰ、0未満となる)を用いて、万象を巻き上げ巨大な渦をなす創造前夜、恐竜と神々の争うカオス(混沌)の世界を解析幾何学で再現すると、反時計回りに世界が全く別様に見えてくる。
デカルトの解析学以来注目されたオイラーの等式、 i * i = -1を用いて座標平面が成り立つ。物理学者のリチャード・ファイマンを、「我々の至宝にして、数学における最も注目すべき定式である」とうならせたことで知られる。歴史の過去問題は神の数式で解く他ないと、当時高校生のわたしにそれを気づかせ指南してくれた、思い出の数式である。


は自然対数の底、ネイピア数(2.71828182845 … と無限に続く、1+1 /nn乗した数の極限、n → ∞)注1、ニヒリズムをめぐる表象文化の多事総論を黙らせるに十分であるが、世界の理論物理学者たちが競って、ヒッグス粒子の発見を以て宇宙世界の設計図に迫るも、「振動する紐」を極小単位とする超弦理論(別名:超ひも理論、Super String Theory)では、弦で奏でる音も意味も定かでない。音が資本・意味は利子の現実世界にほど遠く、壁観論の要「神即無」には遠く及ばない。(続きは→その二で)

付記:二〇二〇年(令和二年)のマニフェスト
比較宗教史の観点から要請されていることを再認識、東京大学大学院宗教学・宗教史学のみならず、駒澤大学仏教学部に禅宗史を学びなおすことで、超域文化的な対話元年を切に念願したい。水面に映る影に我が身を振り返り、脳中深層に淀む偏りを正すためである。壁を背に先輩禅師と向き合い、読者の声によく傾聴し、ブログ上の討議に参加していただけるよう、短くてわかりやすいスタイルの投稿を心掛けたい。年頭所感を二部に分けたのはそのためである。『ダルマコード:禅に学ぶ自己のテクノロジー』の公刊はその後でいい。今年もブログをご愛読いただけるよう、創意工夫を惜しまない一年としたい。
Shigfried Mayer(宮村重徳), copyright © all reserved 2020. 理解社会学研究所所長、法政大学大原社会問題研究所嘱託研究員、株式会社岡本カンパニー講師、東京大学大学院研究生志願中。

注1:自然対数の底(ベース)は、自然界では巻貝の例がある。1618年ジョン・ネイピアによって発見された対数研究の成果。ネピアの定数とも呼ばれる。厳密には、ネイピア数そのもを発見したのはヤーコブ・ベルヌーイと言われている。複利計算の用途で求められた。この数に定数記号 bを割り当てたのがゴットフリート・ライプニッツ、定数記号に e を用い始めたのがレオンハルト・オイラー(『力学』、1736年)である。デカルトはそれを取り上げ解析学の対象として一躍注目させたに過ぎない。自然対数に対して、常用対数の底(ベース)は10である。コンピューター処理に用いられる。a = e とするネイピア以来の自然対数に対して、情報科学では a = 2 とする二進対数が用いられる。半音のオクターブを表すに、音楽の分野でも二進対数が用いられている。