2013年11月26日火曜日

特定機密法案に反対します。強行採決に抗を、暴走する車輪に楔を!

 これは何の法案でしょうか?軍事国家への布石でしょうか?誰が何を何のためにどこまでを機密扱いととするのか、一切を曖昧の儘にして採決を強行するとは、真実を知る国民の権利を封殺し目晦ましをする、主権在民の原則を頭から否定する許しがたい暴挙的事件です。何を基準にそう判断するのか、第三者監察機関はどうなるのか、肝心な点を不明な儘に審議未了で強行採決することは、考える国民を蔑にし真剣に問う民衆(人格存在)を侮辱していると言わざるを得ません。
 若者たちよ、原発再稼働の問題と同様、無関心を装ってはいけません。快適なスマートフォンにうつつを抜かして、なし崩しに悪に打ち負かされるようであってはいけない。善きモノを欲して、平和の壁を背に敢然と抗議行動しなさい。
 父たちよ、一時の経済的うるおいに騙されず、兵役に引かれ行く子らのことを思って、国家の暴走に対してはきっぱりノーと言うべきです。「強行採決」には、断固として「無効!」の声を挙げて杭を打ち、「暴走する車の車輪に楔を」!打たなくてはいけません。たとえ、中国の挑発が目に余ると言えども。
 子たちよ、特定機密法案は戦争準備の法案です。戦争に及んで自らの手を血に染めるのがいやなら、正直にいやだと言いなさい!平和憲法を捨ててまで曖昧で怪しげな法案を通しても、得るところは何もない。そうでしょう?自分たちにつけを回すな、言論の自由が平等に保証される権利・命の平和を願う権利を奪うなと、声高に叫びなさい!(12月7日更新)
Shigfried Mayer(宮村重徳), copyrights © all reserved 2013, the Institute for Rikaishakaigaku

2013年11月21日木曜日

「逆比の思考」で理解社会学する、次研究会再開予告

 ドイツ語での論文執筆もいよいよ佳境に入り、上々の仕上がり具合です。日本語で書くものには曖昧な点が多いので、あえて欧米語でテーゼ表を書いてみる。すると、思考回路が整理できる・論点が正確に絞れるのでありがたい。論文を書くときには、いつもこの「逆比の手法」を重宝しています。改めてこれを邦訳すると、それまでになかった目線(第三の解釈項)が加わるので、自筆ながら違った作品になるはず。次のステップアップが楽しみになってきました。
 さて、7月以降中断していた研究会活動は、まもなく再開します。具体的なことは、12月29日(日)に予定している年次総会で相談して決めるつもりですが、新年度から社会学本来の課題に立ち戻って、アンソニー・ギデンスの『社会学の新しい方法基準‐理解社会学の共感的批判』(1987年)を原書で読み合わせることから始めます。今日、理解社会学を代表する人ですので、いろいろな面で学ばされることが多く、為になると思います。ギデンスは、数年前来日した際に法政大学大原社会問題研究所でも講演したことがあるので、ご承知の方も多いでしょう。
 普段は「原資料のみ読んで参考書は読まない・読ませない」ことを信条としている私ですが、これを抜きにしては理解社会学の未来が語れないのでいいでしょう。たまには逆比の発想で、メソッド(方法論)を論じるのも悪くない。あくまで、ひ弱で腰砕けのメソジストにならない為です。
 原書は英語版のAnthony Giddens, New Rules of Sociological Method: A Positive Critique of Interpretative Sociologies, (Hutchinson, 1976, 2nd ed.1993, in the USA, Stanford University Press, California 1993). ドイツ語版は: Interpretative Soziologie : eine kritische Einführung. Frankfurt am Main ; New York : Campus, cop. 1984 (Campus Studium 557).のいずれかをご持参ください。英語もドイツ語もダメだという人は、邦訳書をお持ちになって参加していただいてもかまいません。考える頭と有るが儘の自分だけで十分だ、「哲学(書)なんかいらない」・まして翻訳(外国書)なんかくそくらえと考えている人(尊王はともかく攘夷にはやる諸君)は、どうぞ手ぶらでおいでください。
 旧来の「哲学と神学」解釈学から「理解と解釈」社会学への転換を目指してきた手順も、その中で明らかになるでしょう。参加希望の方は、前もってメールで申し込んでください。飛び込みでもかまいませんが ...受講者・聴講者を予め把握しておきたいので、よろしくお願い申し上げます。参加費は無料です。日時については、後でご連絡いたします。

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2013年11月18日月曜日

秋の特別集会、講演会のお知らせ(掲示板 2013年第2号)




行き方:京成本線お花茶屋駅北口下車、堀切菖蒲園方面へ80メートル戻り、東光幼稚園先を右折し一つ目の角を左へ、角より二軒目がそれ。

           

2013年11月2日土曜日

怪人オペラは代役者 (?)、日雇い職人の失踪とグーグル化の功罪

【11月7日更新】
 3年前には、働き蜂世代の高齢者が失踪する事件があった。今日では様相が少し異なる。正規であれ非正規であれ、世代や年齢を問わず、職人や労働者(opera-rius)が仕事場を失い、いつの間にかいなくなる・失踪するという話が、最近身近によく聞かれる。働きまた仕事はオペラ(operaまたは opus)という。ドイツ語でオペラは「歌劇」となるが、ここでの話題はオペラ座の怪人劇と直接の関係にはない。失踪事件についての詳しい実態は、後で調べて報告することにしよう。今回は、それにまつわる別の話題を取り上げる。
オペレーション(Operation)という言葉を知っているかな。オープス(仕事)を積み重ね、オペラ(製品)に仕上げる職人の作業だね。オペラと言えば、長い間重用(ちょうよう)してきたブローザーのオペラ(Opera)の調子が、最近どこかおかしい。しばらく前から、オペラに備え付きのグーグル検索で日本語の文字を入力しようとすると、漢字変換がうまくいかない。子音と母音がバラバラに(例えば、宮は「m_い、y_あ」、記録は「k_い、r_お、k_う」)と表記されていた。それでも検索結果は正しく表示されていたので放置していたら、いつの間にか不具合は修正されている。
ところがである。最新版のオペラ (17.0.1241.53) で、変換の不具合が修正されたのはいい。しかし自分の履歴を残せない、足跡が消滅してIDを確認できない。よくみると、グーグルの履歴になっている。つまり、オペラがオペラとして認識されていない、グーグルとしてのみ認知されているということだ。さっそく原因をリソースで詳しく調べてみると、グーグルのそれとそっくりに書き換えられている。意図的に、そういう仕様に造り替えられたのだろうか。アクターであることをやめてエージェントに成り下がったか、まさか身売りしたわけでもあるまい。なにもそこまでしなくてもいいのでは、という思いを募らせるのは私だけだろうか。
グーグルと同じモジラのリソース(IDは同じMozilla 5.0)であるとしても、これは仮の話であくまでも推測だが、手直しの結果が全面的にグーグル化されて、フェイスの個性IDを失い自己消滅してしまうというのでは、あまりに悲しい。同じモジラ系のファイヤ・フォックスでさえ、頻繁に改訂しても認識IDだけはきちんと確保しており、履歴の処理はユーザーに任されている。なぜ「オペラの怪人」は、一級労働者の失踪事件よろしく、自分のIDを明け渡して姿を消してしまう(或いはそのように見せる)必要性があったのだろうか。残るはオペラ(製品としての労働者)の仮面だけで、あとはキャピタルゲイン(利益確保)に奔走するグーグル(資本家・経営者)のトルソー(胴体)でしかないのだとすると、どうしたんだ!と叫びたくもなる。
(補足; 私自身、履歴は努めて消すようにしているので、どちらでもいい話ではあるが、認識IDに関する限り、長年にわたるオペラの愛好者として、また「日雇い職人・非正規労働者」(オペラーリウス)の立場を案じる身としては、気になる、笑えない、聞き捨てならない話だ。)

Shigfried Mayer(宮村重徳), copyrights © all reserved 2013, the Institute for Rikaishakaigaku