2021年5月20日木曜日

パンデミックを終わらせる人間の条件とは

 コロナ禍という未曽有の事件をしり目に、諸学の危機を吹き抜けて、安心無事の宗教学が台頭する。これは、禅の祖師ダルマに学んで、壁観(へきかん)して初めてわかること、旧約聖書『コヘレトの言葉』729節に「神は人間をまっすぐに造られたが、人間は複雑な考え方をしたがる」とある。まっすぐにとはシンプルに、複雑に考えるはコンプレックスの複合的(複利計算的)に考えると言い換えてもいい。

直線に対して曲線を好み、直球勝負に対して巧みに変化球を多投する。これをヒントに、言葉を弄し好奇心から付加価値を追い求めてもよし、その反対に、あえて何も語らず、「仏即是無心」を以て追い求めざるもよし、不安を煽る有事の危機をしかと理解し、安心無事を人道ならぬ獣道にたどること、危機に瀕した事象の虚実を貫いて働くモノを理解する、右回りに神即自然でもいい、左回りに仏即是無心でもいい、歴史の表舞台から退いて無名とあえてなり、自ら無となって働くモノ(根源者、インフルエンサー)を理解しないと、アッバー父の働きに迫れない、複雑に解釈するヒトの知恵も生かせない。

新約聖書『ヨハネによる福音書517節』にある、一切の働きを厳しく禁じる安息日でも、「わたしの父は今なお働いておられる。だから、わたしも働くのだ」との、イエスの言葉が終ぞ誰にも理解できない。真理は饒舌でない、イザヤが4515節で語るのはパラドックス、隠れたる神(デウス・アプスコンディトス)は言葉の綾でない。神は人をまっすぐでシンプルに造られたが、人がコンプレックスにしたがる、それはなぜか。我先にと競い、ワクチン接種予約にひた走る前に、自分の胸に手を置いてよく考えてほしい。

わたしたちが享受する生物学的遺伝子DNA解析やmRNA改変を駆使した先端モデルのワクチン開発技術は、神の領域に深く踏み込んで久しい。もはや造り主を畏れる人なく、医者・為政者のだれも予期せぬ結果に責任が取れない。AIを占い師とし、貧富の格差を広げる機械仕掛けの神・金の小牛の前にひれ伏す日が近いのは目に見えている、これでは先行きが危ぶまれる。

パンデミックを終わらせる人間の条件は何か。危機のピークを見極め安心無事を得るに、尋ね求めるもよし、追い求めざるもよし。大事なことは、イザヤ書511節にある、自分のルートを見失わないよう、「あなた方が切り出された元の岩、掘り出された岩穴に目を注ぐこと」、中国禅で壁観(ビクアン)することに等しい。

道元の言葉(『正法眼蔵』)では心身脱落に脱落心身の両側面を忘れない、偏らないための側写法だ。真理追及のスタイルは真逆だが、アプローチは多様にして多角的なアングルに時間差があっていい。人生半ばで自分を立ち枯れにしない、貧しさを乗り越えて豊かさを身に着けるにも、変位と正位の双極面に意味の位相を見極める上で、パラボレーの技法は役に立つ。詳細は、幻冬舎で出版準備中の『ダルマ・コード』を後で参照してもらいたい。

Shigfried Mayer(宮村重徳)、copyright © all reserved 2021, 理解社会学研究所所長、法政大学大原社会問題研究所嘱託研究員、日本基督教団正教師

2021年5月3日月曜日

心が折れそうな君のために、賢治の詩を朗読する

コロナ禍で苦しむ日本の友へ、マルクス・ガブリエルの哲学はむずかしすぎてわからない、手がつけられない若者たち、今にも心が折れそうな君たちに、新実存主義を先取りした日本モデル、宮沢賢治の詩集から『春と修羅』一読をお勧めする。英語表記のメンタル・スケッチ・モディファイドとは、様々な気苦労で「移り行く心のスケッチ」、文中のツィプレッセンは糸杉、ドイツ語だね。複数形になっている。糸杉は砂漠にも生い茂る神木、旧約聖書の『イザヤ書』(41:19, 60:13など)参照。

読者も詩を各自読み上げて、心に響くメッセージを一緒に確かめてもらいたい。全文は青空文庫にあり、ダウンロードしてアマゾンのキンドル(kindle)でいつでも読めるようにしておくといい。鈴木大拙(『無心』、岩波文庫)の「動態禅」に共鳴するところがある。『考えるヒント』(小林秀雄)以上に、『理解社会学』(ヴェーバー)への確かな手がかり・先行く道を塞ぐ障壁を超える足掛かりになればいい。

春節の因縁、今日は5月3日、4月にブログ掲載予定だった。『春と修羅』は192248日の日付になっている。

 

春と修羅

mental sketch modified

心象のはひいろはがねから
あけびのつるはくもにからまり
のばらのやぶや腐植
[ふしょく]の湿地
いちめんのいちめんの諂曲(てんごく)模様
(正午の管楽(くわんがく)よりもしげく
 琥珀
[こはく]のかけらがそそぐとき)
いかりのにがさまた青さ
四月の気層のひかりの底を
唾(つばき)し はぎしりゆききする
おれはひとりの修羅なのだ
(風景はなみだにゆすれ)
砕ける雲の眼路(めぢ)をかぎり
 れいろうの天の海には
  聖玻璃(せいはり)の風が行き交ひ
   ZYPRESSEN
[ツィプレッセン]春のいちれつ
    くろぐろと光素(エーテル)を吸ひ
     その暗い脚並からは
      天山の雪の稜さへひかるのに
      (かげろふの波と白い偏光)
      まことのことばはうしなはれ
     雲はちぎれてそらをとぶ
    ああかがやきの四月の底を
   はぎしり燃えてゆききする
  おれはひとりの修羅なのだ
  (玉髄
[ぎょくずい]の雲がながれて
   どこで啼くその春の鳥)
  日輪青くかげろへば
    修羅は樹林に交響し
     陥
[おちい]りくらむ天の椀から
      黒い木の群落が延び
       その枝はかなしくしげり
      すべて二重の風景を
     喪神
[そうしん]の森の梢から
    ひらめいてとびたつからす
    (気層いよいよすみわたり
     ひのきもしんと天に立つころ)
草地の黄金をすぎてくるもの
ことなくひとのかたちのもの
けらをまとひおれを見るその農夫
ほんたうにおれが見えるのか
まばゆい気圏の海のそこに
(かなしみは青々ふかく)
ZYPRESSEN
しづかにゆすれ
鳥はまた青ぞらを截
[き]
(まことのことばはここになく
 修羅のなみだはつちにふる)

あたらしくそらに息つけば
ほの白く肺はちぢまり
(このからだそらのみぢんにちらばれ)
いてふのこずゑまたひかり
ZYPRESSEN
いよいよ黒く
雲の火ばなは降りそそぐ

 

Shigfried Mayer(宮村重徳)、copyright © all reserved 2021, 理解社会学研究所所長・法政大学大原社会問題研究所嘱託研究員