2022年9月7日水曜日

淵のある原風景、フラットな世界の終息と自己環境の見直し

 覚えているかな、前回のブログで、コロナ禍の憂世に光と影があれば、ロシアによるウクライナへの侵略戦争にも光と影あり、と言ったね。

 影は存在(光るモノ)の軌跡、森羅万象が運動している証拠、何かが光るのは働くモノ自体である証左。基本は円運動だが、唯我独尊の同心円でない、やがて彼我の存在と係り、利害関係に入る。すると、楕円を描いて連動し、渦をなすに至る。渦巻き運動にも右回り左回りあり、その違いは自転する軸周りの速度の違いによって生じる。はたして、人間の条件は気象条件と同じか、ミクロとマクロの世界でどう違うのか。

 周知のように、神経伝達物質は光る、癌細胞でも然り。では、気圧の谷間に生きて命の光を灯す、実存者として知恵の工夫が必要。知恵はフロネーシスだが、運用するのはロゴス、商いするヒトの語り振る舞いは、そのつど佇まう自分の時と場を数える。『時間と存在』で「存在論的差異」(光と影!)に着目したハイデガーの論究は見逃せない。脳内の神経伝達物質の場合は、濃度の違いで数値が異なる。線状態の降雨は、雷神神話と異なり、高層低層で異なる電位差によること、実存者のケースでは関係度が濃淡として問われようか。

 数といえば自然数、正の整数だが、四則計算には負の整数が必要となる。そもそも、数えるとは如何なることか。有理数(富の実数)ならいざ知らず、実数に奢らず無理数に怯まず、虚数を含む複素数の発見を以てしても、VRの虚像に惑わされずプロパガンダに踊らされず、木偶の坊と呼ばれようと、お前は非正規労働者として、最後まで無名の生涯現役を貫けるか、フラットな存在論の世界を見極め淵にさ迷い出て、詩歌を詠んで真理探究を貫く優れ人が何人いようと、体感する物価高と消費者物価指数は乖離するのみ。もはや、経済界の正論ではビンエラーは解決できない、変動する自己環境指数の実状(サイクルエラーの因果)を理解しないとね。デフレもインフレもごった煮の始末。

 識者のオピニオンは指摘する、「こうした中で原材料のコスト高と消費増税の負担を価格に十分に転嫁できない企業が編み出した苦肉の策が、「隠れ値上げ」「ステルス値上げ」とも呼ばれるシュリンクフレーション(値段は据え置いて商品の容量を減らすことで実質的に値上げを行う販売手法)」では(https://synodos.jp/opinion/economy/28119/)、

もう手に負えない。出口のみえない負の連鎖、日銀主導の成り行き任せでは、ビンエラーやサイクルエラーの因果関係は見破れない、首尾一貫性が得られるまで流通ルートの光と影を見逃さず、生活苦にあえぐ消費者の目線で、人的資本の価値を再評価する必要がある。

 他方、真空域にワープする宇宙空間でも、光のメタファーだけで話は片付かない。なぜなら、未知のダークマター(陰るモノ)が多すぎる。人は星屑同然、ガスと塵よりなる存在にすぎないが、ツイートして語り継ぐことはできる。見えざる宇宙の壁に瞑想入りするには、キリスト教の自己犠牲論で不十分とも。釈迦牟尼に智慧(フロネーシス)を学び光と影を分別する「神と悪魔の対話」が必要か。それは旧約聖書「ヨブ記」に共有された主題、社会学的には、双方のレプレゼンタントに第三の受益者グループが介在し、混迷を深める点はどこも同じだね。

 光と影の二極化が膠着化し、堂々巡りの平行運動に終わらせないためには、縁取りのフラットな面でなく、新たなスペースのアングル、第三の軸対称の立体面があって初めて、有意味な場所移動が始まるよ。星を紡ぐ子らたちに、量子力学が参考になるのは、そこからだね。

宮村重徳(Shigfried Mayer)、copyright © all reserved 2022, 法政大学大原社会問題研究所嘱託研究員