2020年3月25日水曜日

何ものも寄せつけない、安心壁観(あんじんへきかん)の効用

2020年度理解社会学研究所公開講座(第一回)

世を上げてどこも騒々しい、全世界を揺るがす感染のパンデミックスに、思考のワクチン(倉重宜弘)でもまだ物足りない。空観に徹して「何ものも寄せ付けない」(柳田聖山『ダルマ』)、「安心壁観」(あんじんへきかん)から「寂然無為」(じゃくぜんぶい)まで、無為にして為さざるは無し。老子も驚くダルマの教え、南山律師の道宣(どうせん)が『続・高僧伝』の達磨章(T50.596c8-9)で、「大乗壁観功業最高」(だいじょうへきかんこうぎょうさいこう)と評し、病める時代精神を癒す最高の社会効果を認めた、無の実践道。江戸期には、憂き世を浮き世とする達磨図がはやったことがある。令和二年の今、コロナはてなの憂き世を改め、こころ躍る浮き世とするか、遮断は転換の試金石となる。
遮断はシャットダウン、安心壁観がミクロ飛沫のウイルスをシャットダウンするわけではない。病は気からと言って済むことでないが、たしかに気の寄せ方・心次第で関係の密度が異なる、纏わりつく人影に濃淡あり、今話題のミクロ飛沫による空気感染(エアロゾル)への不安と深い係わりがあろう。菌が付着しないよう、日々努めて自心の鏡面を磨く必要あり、第三世代の国司・神秀(じんしゅう)の読み直し・再評価は必至。
仏心との対話に、多く言葉を弄するに及ばない、公私をめぐる一切の縛りを解き突破するに、健全なる悟性と理性の使用(カント)の他に、安心してノイズを遮断する、隔たりのあるコミュニケーションと、ひと閃きの碧眼力と懺悔告白の勇気があればいい。必要な実証データは後からついてくる。
さて、日本で新型コロナウイルスの感染者数と死亡率が低い(燻っている)のは、必ずしも偶然とは言えないかも。日頃から、石鹸での手洗い・うがい・温湯(あつゆ)に入るなど、清潔さを好む生活習慣ゆえか、緑茶を飲む習慣も関係しようか。
ちなみに、岡倉天心の『茶の本』の冒頭、「初めに茶は薬用(メディシン)だった」との指摘あり。菩提達磨(ボーディ・ダルマ)に始まる禅文化の風土が、西洋との接点と違いを露呈する。疫病がはやった平安末期から鎌倉時代以来のダルマ文化の興隆が「近代プロテスタントの宗教改革」と似ていると柳田聖山が『ダルマ』(講談社学術文庫)で示唆する処が興味深い。
不安のあまりマスクを着用するだけで済まない。国を挙げて隠蔽する自己の不始末は、今に始まったことではない。ブログの読者には、何ものをも寄せ付けない、反骨ダルマの「安心壁観」(ウォール・ゲイジング)をお勧めする。起き上がり小法師の神話は、本当にあった話しである。
中国武漢に端を発し、瞬く間に世界を席捲。欧米では医師も看護師も聖職者も為政者も、次々と新型コロナウイルスに感染し、医療崩壊が危惧される今日、不安が高まるばかりで、収束する気配が一向にみえない。これだけは物理的遮断(ロックダウン)で解決しない、言語リソースに拘る研究機関の頼りとする文献解釈学には無理難題かも、無との対話を抜きにしては、「世界を語る」次世代の知性改革は成し遂げ難い。
青年諸君、自分に与えられた悟性と理性を駆使してよく考えよ。国境封鎖から鎖国のドミノ現象にまで及び、世界の住民がみな引きこもり、無症状の若者と高齢者世代の相互不信からにらみ合いが続いて、人類自滅にならないために為すべきことはただ一つ、虚空に住する処無しと悟り、互いの期待に準じて振る舞うことで、みなが納得する経験妥当な蓋然性が得られる、諒解(りょうかい)可能な世界を再構築すること。
 マスク着用は他人のため、外来者のおもてなし・高齢者への思いやりである。ウイルスの脅威に対抗する思考のワクチンがあるとすれば、これしかない。
ヤスパースの理解心理学やヴェーバーの理解社会学の他に、手前味噌で恐縮だが、拙論「ダルマの禅に学ぶ自己のテクノロジー」を考えるヒントにして欲しい。
3月30日、4月4日更新
Shigfried Mayer(宮村重徳), copyright © all reserved 2020, 理解社会学研究所所長、法政大学大原社会問題研究所嘱託研究員、㈱岡本カンパニー講師

2020年3月15日日曜日

新型コロナのパンデミックに思考のワクチンが必要では

新型コロナウイルス(Covid19)は、十年前のSARSと同様、呼吸器官にダメージを与えるが、命を息する存在に感染して、人類の知的活動(コミュニケーション行為、慣習)に誤動作を引き起こす。後追いの対症療法では間に合わない。
「人類史上初の人間の思考そのもに感染するものかも知れない」(倉重宣弘)とは、論理の飛躍か形容矛盾に聞こえるが、隠喩か換喩でなら影響関係が理解できる。確かに、新型ウイルスは、これまでとは少し様子が違う。身体器官へのダメージより、経済活動を営む人(エコノミック・アニマル)の息の根を止める勢いは止まず、感染経路がつかめず、遮断できない。ソーシャル・マインドへの影響は見逃し難い。超高齢化したホモ・サピエンスへの挑戦と言えそうだ。
倉重氏は㈱ネイティブの代表取締役、コンピューターウイルス(CV)に似た特異性に注目している。代替手段を考えることで、「思考の誤動作に対抗する最大のワクチン」とすることができるのか。「止めることが止められない」現状では、鼻から息する存在(ヘブライ語でヌシャマー)に理解及ばず、肝心の「考える倫理」(藤原聖子)に孫の手が届かない。厄払いの大祈願を起こしつつも、自力で考える世代の立ち上がりを期待したい。「思考のワクチン」を提唱する倉重氏自身は若い世代の有望な代表者、その投稿は、https://nativ.media/16738/2/ を参照されたい。
Shigfried Mayer(宮村重徳), copyright © all reserved 2020, 理解社会学研究所所長、法政大学大原社会問題研究所嘱託研究員、㈱岡本カンパニー講師

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