2011年8月22日月曜日

デッサンとしての『経済と社会』、再評価への道筋

 Sozial-ökonomische oder ökonomisch-soziale Rede als "Dessin", was ist.
 【9月4日(日曜日)更新、付記三つ、誤字訂正】
 いざ「社会学言論」と銘打って始めたはいいが、ヴェーバーのドイツ語文は決して読み易くはない、確かに難解である。すでに公刊された宗教社会学論集やカテゴリー論文(1913年)は別にしても、遺稿編集となった『経済と社会』(1921年)には新旧の原稿が混在しており、最後の完成イメージから再構成する試みを阻んでいる。悪く言えば「名目的定義のがらくた」(ミュールマン)か、さもなければ至る所が迷路まがいの「露地ばかり」(清水幾太郎)で、研究者を悩ませ嘆かせている事態には今も変わりない。これがデッサン(Dessin)であれば、斯くも鼻息を荒くして大騒ぎする必要などないのではと思われるのだが、ともかく第一次資料にしてこうである。第二次資料となるドイツ内外の言論事情はその比ではない、世代間の議論が錯綜し混沌としている。その上、信頼性に劣る饒舌な批評に根も葉もない噂話から風評を分析対象に含めると、その範囲があまりに広く的が絞りづらい。社会言論の複雑さは有るが儘の人間模様か、マスクした存在の心象を映し出しているとも思われるが、とにかく影を引き摺るモノのしっぽが摑みにくい。
 それに比べると、経済学言論はすっきりとしている。『ヴェーバーに於ける「諒解行為」概念の留保或いは喪失事件』(法政大学紀要「多摩論集」第26巻、2010年)の末尾で敢えて付記しておいたように、意外にもパレートが解読の鍵を握っている。ソシュールに強い影響を与えたヴィルフレード・パレートの『経済学提要』(イタリア語版、序、第1章)を法政大学の川俣雅弘教授が『社会志林』(2007, vol.54.1)で翻訳しておられるので、改めて読み直してみた。正直に言うと、簡潔明瞭で歯切れのいいパレートの論理展開と経済学言論のスタイルに衝撃を受けた。引用すると長くなるので、あとで学会発表の論攷で参照していただきたい。
 惜しくもスペイン風邪で早死にしたヴェーバーだが、たとえそれが出版社(JCB Mohr)からの熱い要望・要請を受託したものだったとしても、『社会経済学綱要』(Grundriss der Sozial-Ökonomik)の一環として、第三部に割り当てられた『経済社会』(Wirtschaft u n d Gesellschaft)という名の未完の大作(遺稿)を後世に残したことに、我々は改めて深い感慨を覚える。なぜなら、経済学言論を抜きにした社会学言論は無意味であり、単独では無謀で不可能だからである。「と」は散策の縁(よすが)、暗夜行路の渡り舟である。ではなぜ「社会(と)経済」学でなく「経済(と)社会」学なのか。それは社会言語学と言語社会学の違いと似て、後置されるものが先行するものを規定するので、ヴェーバーにとって軸足を置く順序は逆にならない。カテゴリー論文を台本にした「経済(と)社会」学言論の修正課題と認識して初めて、ヴェーバーの言語資産(Sprachgut)を正しく受け継ぐことが出来よう。パレートに負けず劣らぬ、直感的に分かる簡潔な論理で説得性(経験妥当性)の高い「一般社会学言論」を模索する我々の試みは、こうして初めて学問的に基礎付けられることが可能となろう。なるほど、『経済と社会』は「芸術作品」ではない。しかし、その元となるカテゴリー論文が有るのだから、ヴェーバーの遺稿作品もまた「根源」(Ursprung)となるモノとの関係で、見直され再構成されることは十分に可能である。

Shigfried Mayer, copyright all reserved 2011, by 宮村重徳, the Institute for Rikaishakaigaku



付記1: 就活中の若いハイデガーは、ヴェーバーのミュンヒェン講演(『職業としての政治』、1919年)を聴いて影響を受けている。その彼が『存在と時間』(1927年)を著し、後に「時間と存在」へと語調を変え、東洋的「無」の立場と対話するに至る。此処で軸足の「転回」をしたことは周知の事実、此処でも其処でも同じ「と」の技法が用いられている。関心のある学生諸君は、その関連をレポート課題にして論じてみるといい。サルトルの『存在と無』を論じるにせよ、大島淑子『禅は、別様に考える』("Zen, anders denken")参照は避けられない。文献詳細は→ Textforschung2011(Kultur /Kunst) 


付記2: A君、パレートとヴェーバーの比はエリート(数理経済型)と理想型の比?、極論にならぬよう、アイザーマンの文献を参考にして、近さと遠さについてレポートすること。K子さん、修正動機を問うのであれば、むしろ「経済と社会」のデッサン論に期待、露地はその侭に樹形図にして、連続性と非連続性を整理した上で、修正ポイントを「見える化」すること。


付記3: 公開論文では触れていない細かい様々な視点をフィードバックする目的で、このブログでは分かりやすく論じることにしている。学生諸君に限らず一般読者の方にも、他に質問・意見・提案があればお聞かせ願いたい、喜んで拝聴したい。一般社会学言論は、手を「結んで開く」諒解可能な言葉への学び、誰にでも出来る経験妥当な「縁結び」の技法である。

Shigfried Mayer, copyright all reserved 2011, by 宮村重徳, the Institute for Rikaishakaigaku

2011年8月1日月曜日

ザリンコに、乗ってよすがの、峠越え [近況報告]

 Sei euch wohlgefällig, mit dem "Hummer" jeden Bergpass überzusteigen!
【8月27日(土曜日)更新、一部画像差し替えと追加  
国内では3.11の東日本大震災に原発事故、これに節電対策や外因の円高不況が加わって、多くの中小企業の台所は火の車である。四方を跨ぐ四輪駆動の大企業ならいざ知らず、中小企業の場合は前後しか先行きがない、言わば二輪車の宿命で、左右の支えがないから倒れやすい。倒れないためには、ペダルをひたすらこぎ続けなければならない。
ドイツ滞在中の1976年頃、私に日本から一通の便りがあった。当時大谷大学の助教授であった知人の堀尾先生からの便りで、書面には「自転車を漕ぐばかりの毎日、漕ぐのを止めると倒れてしまいそうです」と書いてあった。勤勉な日本人の社会では残業が稀でなく、会社のために夜もすがら働くことが賞賛される。会計もその場しのぎで遣り繰りするだけの経営は、確かに「自転車操業」(eine zu überspielende Betriebsamkeit, wie Radfahren, das nie stillstehen darf、私訳)によく似ている。しかし、リスク満載の「自転車操業」が資金繰りに窮するのは時間の問題、当然デフォルト(債務不履行)に弱い。自転車操業を強いられた状態に歯止めがかからず、現に経営者も労働者も落胆の域を超えてまさに虫の息であろう。しかし、チャリンコの二輪車には欠点だけでない、二輪車なりの小回りがきく・自由度の高い利点がある。とりわけ、ザリンコのマウンテンバイク(MTB)には、かなりの起伏やどんな障害でも乗り越えられる設計になっている。
Bi-cycle(ラテン語で「二つの輪・環状」、両輪に跨る人力車)のアイディアは17/18世紀にまで遡るが、初期モデルはドイツ人のカール・ドライスが試作した、足で漕ぐ木製の乗り物だった(下の画像参照)。今日のように空気タイヤがあり、歯車式の駆動装置をチェーンで繋ぎ、ペダルを漕いで前後の車輪を効率よく動かす仕方は1980年代の、つまり20世紀の終わり頃の話で、歴史はまだ浅い。他方のマウンテンバイク(MTB als Gelände-fahrrad)はそれよりも少し早く、1976年にゲレンデ競技のスポーツ用としてカリフォルニアで開発され、同時に軍事訓練用として合衆国軍部に採用された。その初期モデルが "Schwinn Cruiser“(シュウィン・クルーザー)というタイプで, ハマーの原型となったものである。1981年に今日のモデルがSpecialized社より発表され、日本の自転車部品メーカー島野製作所の優れた技術を加えて完成したのが1982年、普及したのが1990年以降というから、(およそ戦後生まれの私にとっては)驚きである。今年が卒業年度にあたる1991年生まれの学生諸君にとって、享受する技術の進歩(便利さと豊かさ)は当たり前に思われようと、廃墟からの復興(ゼロからの出立)を知る私にとっては陳腐でない、感慨を呼び起こすに十分過ぎるほどの新鮮な驚き(Staunen)である。

下は自転車の原型と言われる1817年のドライジーネ(Dreisine)の画像、

              

次の画像は私の愛用車、Hummerのロゴが随所に烙印されている(Hummer like nothing else


             
                                 
 では、なぜハマーの愛称がザリンコなのか、それが似つかわしいと思われる理由と因果関係を紐解いてみよう。1999年秋に、長年住み慣れた草加から隣町の三郷に引っ越した当時、大家の市原さんから中古のマウンテンバイクをいただいたのが縁の始まり。それ以来今年の五月に壊れる(車軸が折れて空回りする)まで、これが非常勤講師(自転車操業!)の人生を無事に支えてくれた。新たに折り畳み式のマウンテンバイクを手に入れたが、遠距離には使えないので通勤の用を為さない。そこでこれを下取りにして、ハマーのフルサイズ仕様(三六十八段ギア)のマウンテンバイクを新たに購入した。買った理由は性能のよさだけでない。普及している通常の黄色でない、一部グリーンの車体が気に入ったこともあるが、由緒あるブランドのハマー(Hummer)というメーカーの名称に関心を持ったからである。初め、これはドイツ語のフマー乃至フンマー(Hummer、ザリガニ)と綴りが同じであることから、何らかの関係があるのではないかと疑った。試しに同僚のドイツ人教師に聴いてみると、その昔(20世紀半ば)アメリカに移住したドイツ人が、移住先で自転車屋を開業したのでこの名が付いたのではという。この分野でパイオニアのゲーリー・フィッシャーが移民系の人かどうかは不明だが、Hummerと同様Schwinnシュウィンもドイツ語風の綴り、ビーチクルーザーを楽しむ若者たちの中に、ドイツにゆかり(縁)のある関係者がおり、その名前であった可能性が高い。その紛れもない証拠に、1895年10月22日、シカゴにArnold,Schwinn & Companyがイグナズ・シュウインとアドルフ・アーノルドによって設立されたが、名称からして彼らは間違いなくドイツ系移民の子らである
 因みに、英語にはこのような綴りの語彙はない。外来語であることは間違いない。フマー乃至フンマーは英語読みでハマー乃至ハンマーである。現在のドイツにはハマー(Hammer Co.)という自転車会社があるが、綴りは似ていても、ハマーの由来はハンマー(金槌)でなく、フンマー(ザリガニ)である。フンマーはホマルス科で、淡水でなく海に棲息するザリガニである。母音の違いから推測すると、おそらく別会社であろう。もっとも、ハマーの由来はドイツ語だったと考えられる。母音のu とaは交換可能な音便だから、フンマーをよく知るドイツ人(上記のシュウィン、正しくはシュヴィンとアーノルドの一族、恐らくユダヤ系)がアメリカに移住して、これを英語風にハマーと呼んだのは、ごく自然の成り行きである。

 以下はハマーオリジナルの画像、岩場をよじ登り起伏の追い山岳地帯をかけずり回る、屈強なMTBのイメージにぴったり:



            
  
 上がHummer in north Germany、下がAmerican Hummer in north-east Japan

 以上の理由から分かるように、ハマーのルートはハンマー(金槌)でなくフンマー(ザリガニ)である。ザリガニは、北海に面したドイツ北部や日本では東北地方以北の小川や水田に棲息する小動物としても知られている。キールの北西にあるフーズムという漁村で見かけたことがあり、大変美味しかった記憶がある。そのオリジナルイメージからして、ハマーはスタイリッシュなシボレーよりは堅牢さを特徴としており、動きに北部ドイツと東北日本の人に共通した粘り強さ・堅実感がある。ザリンコの愛称がぴったりである。いずれであれ、私は大学での専門講義・教会での説教奉仕・自己修練の座禅会に行くにしても、どの様な学会行事や奉仕が目的であれ、「雨にも負けず、風にも負けず、…木偶の坊と言われようと」(宮沢賢治)、謂われのないどんな非難を浴びようとも、夜もすがらハマー(ザリガニ)の背に乗って出かけるのが楽しくて仕方がない。ときには「我思う」あまりに、ザリンコに乗ったままで三郷の用水路(半郷用水)にざぶんと半身水没したこともある(笑)。存在の家郷を尋ねつつ…時間に追いかけられるよりは追いかける、時の運用(Zeit vertreiben oder zubringen)に気遣いながら、MTBには他にない格別の楽しみがある。あまたの起伏を乗り越える、それだけでない。未曾有の風雨に負けず大震災にも負けず、「峠越え」の現に其処までいくら漕いでも疲れを感じさせない、倒れる不安も全くない。
 思えば、身近には賢治の他にも利休がいる。生きる苦難に立ち向かう仮初めの気概だけでない、利休のように「死」(神死!、祖仏共殺)の剣さえ歓迎する先達がいようとは、不思議というより絶句しつつ共感するほか無い。政局のガチンコ(政争の具=愚)を茶と生け花で制するだけでない。最後は、己を永遠の剣の生贄として献げる。見事な境涯である。遠近や明暗もさることながら、起伏の障害をものともしない、むしろ起伏を歓迎する乗り物(マウンテンバイク)でなら、利休が体現する審美禅の境涯に一歩近づけるかも知れないぞと、思わず一人でにやりとする。(これは次回のお楽しみ)

 ザリンコに、乗ってよすが(縁)の、峠越え 

 ハマーはザリンコ、渡りに舟の縁(よすが)に過ぎぬが、私にとって奥州が欧州である言葉の縁はそれで言い尽きることはない。待たれる峠越えは、存在の此方にあり彼方にある。自転車操業で尽き果てる前に、中小企業の諸君も、一度真剣にザリンコ操業(荒立つ景況感の起伏を恐れない、存在への勇気を証左する捨て身の技法)を試してみてはどうか。求められるよすが(縁)は有るものではなく造るもの、終わり目線からするにしても、出来上がった「最終生産物」( Endprodukt)からでなく、常に新たに「根源」(Ursprung)のイメージから自ら考えて造る(自分の感性・悟性・理性を用いてデザインする)ものだから。

Shigfried Mayer, copyright all reserved 2011, by 宮村重徳, the Institute for Rikaishakaigaku