2015年1月1日木曜日

年頭所感:「退くことで先んじる」、私の「哲学宗教日誌」元年

  新年のご挨拶を申し上げます。今年も、当ブログ「理解社会学の工房」をご愛読・ご支援賜りますよう、心よりお願い申し上げる次第です。

   Ins Neujahr holen Sie sich wieder!                                                             
 Rahel = Hanna

  さて、スピノザとアーレントに在って私に無いモノは何だったのか、昨年来の反省課題である。八方塞がりでも弱腰にならない、簡単にやめない、降りたい自分に負けないで原点に「踏みとどまる」勇気だろう。不退転に構える意志の硬さより、「柔軟性」に偏り過ぎたことへの反省からである。すぐに和睦・妥協に持ち込ませない、自己意志貫徹の心得が「一歩後退、二歩前進」(“Schritt zurück“)にあるのだとすると、「自己反復」する真理の要件は、何処から「実存する」(ek-sistieren)のか、死から或いは生の始源から。宿命の選択は、「私」の意思決定に託される。
  そこで、今年の年頭所感は、「私の哲学宗教日誌元年」。一歩後退して、パーリア(賤民)的存在の働きを(自分を無とする)「神の身振り」に学ぶだけでなく、初源に「退くことで先んじる」(praevenire amando)、アーレント自身の「活動的生」(vita activa)をモデルにして、真理の如を虚心坦懐に学ぶことにした。これを以て実りある一年としたい。ヴェーバーの『古代ユダヤ教』参照は当然のこと、彼女の「政治神学」がヴェーバーの「支配社会学」的視点と異なるところは、随時明らかとなる。ハイデガーとの差異は微妙だが、それ以上に興味深い。
  「私の哲学宗教日誌元年」と銘打ったが、史的ダルマの墓標を後にして、次なる指標ヴィトゲンシュタインの峠にたどり着くまでの旅路の元年、初源に「退くことで先んじる」道を学び合う、一般社会学言論の哲学講座開設へ向けて。

2015年度獨協大学外国語学部ドイツ語学科に於ける「テクスト研究」(歴史・社会部門)の「予告」(Voranzeige):「自分を包み隠さず理解したい、アーレントに学ぶ」(《Ich will verstehen, ohne mich zu verbergen. Der Fall Johanna Ahrendts)。言わば、コミュニケーション的行為の理解要件です。
受講希望者は、原書テクストの他に、ヤスパースやハイデガーと交わされた「往復書簡」に目を通しておいてもらいたい。保証付きで、報われて余りが有る。(3月22日更新、画像差し替え)

Shigfried Mayer(宮村重徳), copyrights © all reserved 2015, the Institute for the Interpretive Sociology Tokyo.

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