2014年8月26日火曜日

少子化社会の懸念と憂鬱、依存症につける薬はない

以前のブログで「有名病につける薬はない」と言ったが、やる気がない子や学生をその気にさせる薬もない。身体的に病んでいるわけではないから、薬物療法は効かない。少子化社会の懸念と憂鬱に特効薬がないのも、同じ理由からである。相手の目線で考えて、どこを突かれると自ら動かざるを得ないようになるか、辛抱強く対話しながら、ターニング・ポイントを一緒に模索する必要がある。初めから、答えを教えてはいけない。押し付けになると学習できない。
それを聞けば動かざるを得ない言葉は、人により様々で一様ではない。通り一遍のお叱り言葉や褒め言葉は手段に過ぎない。目標は自力救済である。ひそかに抱く深い願い事を察し、「脱自」の動機となる意外な一言を、惜しみなくヒントを出しながら、本人の口から語らせる。ただそれだけで、自ずと解決することがある。「言語療法」(ロゴセラピー、フランクル)が有効なのは、人の子だけである。不安な親子には、「その不安な心を持っておいで」と、促すだけでいい。気づくまで待ってあげることが肝心。気づけば御の字、ダルマの「安心問答」も自力救済の役に立とう。忍耐を失い非寛容となり、争いが高じて家庭崩壊してしまう前に、自らしかと肝に念じておこう。最後は君の「聴く力」、働くモノに聴き入る力が試されよう。
Shigfried Mayer(宮村重徳)、copyrights © all reserved 2014, the Institute for Interpretative Sociology Tokyo


2014年8月9日土曜日

自称「イスラム国」の暴挙とクルドの悲劇

チグリス川北岸に広がるイラク北部の都市モスルとその一帯は、かつてアッシリアと呼ばれたところ。ニネベを首都として栄えたアッシリア帝国に、預言者ヨナが宣教したことで知られる。モスルにあるその廟、ユダヤ教・キリスト教・イスラム教共通の預言者ヨナの墓が、先日7月27日にイスラム国によって無残に爆破された。クルドには、かつてはユダヤ教の上級神学校がありネストリウス派キリスト教の拠点でもあった。ネストリウス自身を初め同派の僧たちがここに身を隠し、インド・中国へと渡る足がかりとなった場所である。悲しいかな、イスラム国はこの地帯を一斉攻撃し、クルド系の少数派を殺戮しようとしている。
 かつて古代インドで、新興イスラム教が仏教を狙い撃ちにして、仏教徒を偶像崇拝者だとして排撃し、仏教寺院を焼き払った事件があった。貴重なサンスクリット語原典類が失われた。ついには、インドから仏教を駆逐した歴史的経緯が思い起こされる。当時も今日と同様の経過をたどったのだろうか。「イスラム国」を名乗る過激派集団は、スンニ派中心のグループだと言うが、信教の自由を踏みにじるそのやり方は残忍で容赦なく、アルカイダ系の過激さを超えた専横的権威で、文化財を破壊し、暴虐を欲しいままとしている。預言者モハマドは、そのようなこと(手前勝手なデマゴーグ)を許すはずがない。イスラム教を指導する立場にある法学者・神学者たちの覚醒を促したい。宗教の政治利用を止め、宗派間の「寛容」を学ぶべき時であろう。欧米の若者たち、インターネット上で流布する扇動的言論(デマゴーグ)に、軽々しく乗せられてはいけない。自分にしてほしくないことを、他人にするな。武器を捨て、平和を愛せよ。(10月13日更新)

Shigfried Mayer(宮村重徳), copyrights © all reserved 2014, the Institute for Interpretative sociology Tokyo