2010年12月26日日曜日

クリスマス神話と「ローマの平和」

Weihnachtenmythos und "Pax-Romana"
 日本中どの街角を訪ねても、クリスマス商品で大賑わいですが、クリスマス自体の詳しい由来など誰も知らないようですね。キリスト生誕のお祝い事だと知っている人でさえ、1223日のクリスマス・イブくらいしかご存じない。クリスマス行事が23日に始まり、26日まで続くことまで知る人はもっと少ない。ローマ帝国の国家行事だったことなど、知る人は皆無です。クリスマス休暇は一ヶ月近くあります。そもそも、12月を定番とするクリスマス行事がキリスト教のお祭りであるというのは、歴史的には少しおかしな話です。と言うのも、確かにベツレヘムに幼子イエスが誕生したという福音書物語に由来することですから、キリスト教と無関係ではありません。しかし、23日の前夜祭を含め、24日まで待降節(アドベント)が続き、12月25日が肝心の降誕祭(クリスマス)だというのは、長い間キリスト教の伝統とされながら、成立の事情は全く違います。元はと言えば、名もない非合法のキリスト教徒集団が、一躍ローマ帝国の国家宗教になって以来のこと、つまり、コンスタンティーヌス大帝が312年に、十字架を錦の御旗にミルヴィウス橋の辺でマクセンティウスに勝利して、翌年リキニウス帝とミラノ協定結んだ後、ローマ帝国をキリスト教化する基礎を築いたのが始まりとされています。実は、それまでローマ帝国の軍事宗教であったミトラス教の冬至祭(サテルヌス祭)が1217日に催されており、それが一連のクリスマス行事の起源なのです。もっとも、行事の形式や日程は踏襲しても、コンテンツは全く新しいのだと言われます。キリスト教が国家宗教の営為を受け継いだのは、ミトラス教の冬至祭だけでない。その後の長い歴史に於いて、種々様々な異教の伝統祭をキリスト教の慣習として取り入れ、自家薬籠中のものとしていった経緯があります。祝祭に肖り蜜や富を得んとして、国を挙げての神話的行事に群がる蜂蜜巣作りの世界、表向きはいわゆる「ローマの平和」で象徴される、お国のために働くモノとヒトの交流、「諒解」ゲマインシャフト(corpus consentionis)の古典的モデルが、こうして成り立っています。古典的と言ったのは、農業以外に核となる産業がない古代ローマ社会(societas)の事情があり、更には「ローマの平和」を保証する「諒解関係」が市民レベルでなく、祭りに政(まつりごと)を執り行う官僚レベルの話だからです。、
 ところで、サンタクロースの話にように、原資料になかった話が後代に於いて追加され混入してきた事例は後を絶ちません。例えば、キャンドル・サービスに使う台座の植物が何かご存じでしょうか。赤い実を付けた「宿り木」(Mistel, mistletoe)です。その「宿り木の下でキスをする」とよい縁結びになるという、昔からの言い習わし(Kuesse-freiheit unter dem Mistelbaum)が評判となって慣習化し、クリスマス行事として欧米に定着していった背景には、いずれも北欧神話(ゲルマン系民族の神話)が係わっています(日本では、皆目知られていませんが)。由来が異なるにも拘わらず、キリスト教の行事として広く認知されて、今日にまで至っています。もっとも、ローマ帝国に侵入するゲルマン民族が異教からキリスト教に改心した際に、旧来の祭儀を持ち込んだというのが真相でしょう。政局に勝利したが為に失われた何かが、現に其処に有るのです。「ローマの平和」(Pax Romana)の下、マスクしたヒトの現存在ルートに係わる「社会言論」の変容が、法の実定化と富の実体化に裏打ちされて、ローマに通じる街道の要所に設置された、バザール(商い市場)でモニターされます。
 福音書物語の「原資料」が何であったかについては、「イエスの語録」(Q資料)説・「受難物語」優先説・ガリラヤの「イエスという男」説(田川)など、聖書学会周辺では複雑な議論が多々あり、一般読者が理解するのは困難でしょうから、このブログでは取り上げません。一つだけはっきりしていることは、「誕生物語」が最後に追加されたという事実です。ヘロデ王による幼児虐殺という、暗いイメージの政治スキャンダルを報告をするマタイと異なり、一転してルカでは、天使と羊飼いに彩られた明るい田園風景のイメージと、平和のメッセージで一杯です。ルカが福音書の冒頭でローマの有力政治家テェオフィロスに献呈していることで分かるように、キリスト教が反ローマ的な政治団体ではない、むしろ積極的に「ローマの平和」に寄与する、柔順な小羊の集団なのだという、イメージ造りに腐心している様子が一目瞭然です。しかし、クリスマス行事に関して、具体的なことは何も示唆されていません。
 では、本来「原資料」になかった(で無かった)要素が、なぜまことしやかにキリスト教の伝統行事として、(で有るかのように)語り伝えられるようになったのでしょうか。ヒントを一つプレゼント。クリスマス神話を物語るヒトの存在は、実は「神もしくは貨幣」(で有る)モノの秘密です。さすが、「神もしくは自然」を語ったスピノザは偉い!で、ひとまず話を終えておきましょう(笑)。教団会計を左右するモノ語り「で有る」も「で無い」も、同じ神か貨幣の裏返しに過ぎないことが多い。それほど、「神もしくは自然」の富(属性の共有と交換、働くモノの因果)を満喫するか収奪する、人間の自己管理責任は大きいということです!

Shigfried Mayer, copyright all reserved 2011 by 宮村重徳, the Institute for Rikaishakaigaku

2010年12月20日月曜日

ワイナリー「革新」(旧稿改訂)の技法

Erneuerung der "Schläuche" (alten Manuskrips), in weinarischer Kunst 

【2012年2月2日更新、誤字等訂正】
 拙著『人(ペルソーナ)・働き・存在』について、読者より再販の問い合わせがありました。クリスマスをめどに、再版でなく改訂版を準備中でしたが、出版費用の調達がむずかしい。考えてみれば、その後の社会学分野での精力的な研究成果と整合性を取る必要があり、そのためには旧資料その侭の再販や、照合しているリソースのミスマッチを正しただけの改訂版では十分でない。いずれ新書にして、改めて世に問う方が無難であり正解であると判断するに至りました。聖書にも、「新しいブドウ酒を旧い革袋に入れる人はいない。そんなことをすれば、革袋は破れブドウ酒は流れだし、どちらも台無しになる。新しいブドウ酒は新しい革袋に入れるものだ。そうすれば、どちらも長持ちする」(『マタイによる福音書』9章17節、私訳)と言われているとおりです。ペットボトルのような便利な容器がなかった時代のこと、羊や山羊の骨と内臓を取り除き、裏返しにして袋状に仕上げ、首もとを飲み口にしただけの粗末なもの。取り立てのブドウ酒(ワイン)は酸味が強いので、旧い革袋(スキン)に入れると劣化し裂けてしまう。ユダヤ教の旧い体制に真新らしいキリスト教精神の一部を取り入れて、旧いユダヤ教の生活形式を取り繕うとしても、継ぎ接ぎのミスマッチから裂け目が生じ、両方とも台無しにすると警告している。これが必ずしも昔話でないことは、無機質のガラス製ビンやペットボトルより、有機質のワインスキンがワイナリーやエコマークのマーケットで、好んで用いられている現状を考えてみればいい。生ビールや日本酒では、樽に相当するでしょうか。翻って、著者の生の声を送り届ける、書物の改訂について考えれば、ワイナリー仕込みの編纂が課題となるでしょう。ここではさしあたり、著作の一部修正による継ぎ接ぎでなく、抜本改正・全面改訂への勧めとして理解しておきたい。古来、「革新」とはその字義通り「皮革を新たにする」、革製の道具・武具を改める」ことに喩えられています。とりわけワイナリーには、以上見たように、「革新」(旧稿改訂)の技法を学ばせる、大事なヒントがあります。以下では、執筆の動機と経過、書の成り立ちと改訂の必要について説明責任を果たすことで、クリスマス・プレゼントを出し損ねたことへのお詫びに代えたいと存じます。

 本書(初版本)は1999年の秋以降数年に渡り、フライブルク禅アカデミーの大島淑子先生が明治大学でなされたご講演を拝聴した際に、大悟するところがあり一気に書き下ろしたもの、一般読者向けの哲学入門書です。限定出版だったせいもあり、書店でご覧になった方はおそらくおいでにならないでしょう。大島先生に触発されて取り組んだのが、初期ハイデガーの『オントロギー』(事実性の解釈学、1923年)と『存在と時間』(1927年)の二書でした。旧稿・新稿のどちらであれ、リソースと一体になっています。執筆スタイルもリソース次第ですから、原資料の扱い方(理解と解釈の仕方、入れ方・盛り方を含む)が異なると、先程の譬えで言えば、革袋と葡萄酒の新旧関係から、いずれ裂け目が生じます。あくまで譬えですから、過度にアレゴリカルな意味付けは禁物です。姑息なまでに旧稿削除を常としていたハイデガーと異なり、スペイン風邪で急逝したヴェーバーの場合、トルソーの「頭」に当たるはずの一部を除く、ほとんどが旧稿の侭である「遺稿」の扱いを巡って、同様の問題が発生しています。ソシュールの場合は新旧のいずれもない、一部の原資料を除けばトルソーもない、学生たちの「聴講ノート」頼りの「暗中模索」といったところでしょうか。バルトは、『ローマ書講解』の旧稿も新稿も隠し立てせず、改訂前後のすべてをオープンにしていました。わたしの場合も隠し立てなど一切無用、新旧改訂のポイントは三つ、原則オープンにしています。いずれも方法論に係わることなので、難解だと思われる方は、遠慮なく次の段落にスキップして下さい。

 先ずは理論的に、命題間の整合性を高めました。初期ハイデガー研究の成果を踏まえて、「人(ペルソーナ)に於いて働く存在」の地平を解明するのが目的です。現に其処で働くモノの如何にを、三つの位相に分節化する移行形態として捉え直します(通時論)。更に三つの関係子(言葉・体・貨幣)との絡み具合を再調査し、文化資本的な成り立ち・構造を解明します(共時論)。最後は、全体をメタファー論的な社会学言論の、弁証法的な討議課題として探求します(討議論)。
 次は実践的・具体的に、リソースの再編に伴う読み直しと最適化、参照する事例と実例の後付を強化しました。人格性(ペルソーナ文化)理念の興隆 → 現象学的働き(パフォーマンスとしての非人格化)の解明 → 存在の地平(オントロジー)の探求は、その後の調べで、シェーラー・フッサール・ハイデガーの論争史に見て取ることが出来ます。
 最後は応用面で、必要な課題修正を試み、言語経験上の妥当性を高めました。解釈項を参照する際に討議の前提となる第三人称系が限りなく曖昧で機能していない日本語文化の批判は、避けて通れない課題です。それでも、森有正の日本語批判(二項形式・現実嵌入)と八木誠一の宗教言語論(禅問答の論理分析)だけでは片付かない、様々な分野でのリソースの読み直しが必要となりました。その後の議論を踏まえると、参照していたリソース(旧資料)の大胆な組み替えが必要とされ、それに伴い改訂は避け難くなりました。

 この著書が出版された2004年11月の時点では、まだヴェーバーとハイデガーの接点は明らかにしておりませんが、政治家でもあった晩年のヴェーバーがリテラーテン(著作家と親交のあった出版関係の文化人・社会評論家)批判を展開する中で、就職活動中の若いハイデガーに影響を与える事件がミュンヒェンで発生します。二人が遭遇するその現場へと向けて予備的研究をすることに、拙著(初版)の狙いがあります。「宗教社会学的メタファー論考」という副題から分かるように、一般人向けに分かりやすい「言語哲学入門」を主たる課題としています。世論として通用している「社会言論」批判を展開する中で、言葉の連鎖と共鳴に「言語事件史」を読み取り可能な「一般社会学言論」講義を構築することが出来るかどうか、本書執筆の正念場を迎えることになります。
 当時、表向きはヴェーバー論とソシュール論の突き合わせはまだなされていませんが、伏線としてはすでに予想されていたこと、その後講読会で学習した副次的産物です。ヴェーバーやソシュールが思いもつかなかった「社会学言論」という新たな課題分野を拓き、最後は「理解と解釈」社会学から「諒解」関係の経験妥当域を取得するために必要となる技法を収集しつつ、弁証法的思索と討議(dialektischer Diskurs)による、慣用的な「社会言論」(konventionelle Sozial-Rede)批判として、「一般社会学言論」講義(Lektüre der Allgemeinen Sprachwissenschaft nach der soziologischen Kategorien)を構築すること、そこに本論の最終目標があったことは、事後的になりますが敢えて明言しておきたい。改訂新版では「弁証法」とは何かを再定義し、それがヘーゲルやマルクスに於いても然り、論理や物自体の自己展開を可能とする「法則」科学的なものであるより、むしろ優れて人格的な諒解行為を必要とする言語経験の第一要件であること、非人格化(非人称化・非人間化)を強いる官僚制や制度言語の社会に於いてであれば尚のこと、働くモノとヒトの影響史的・位相幾何学的探求が、妥当な「諒解関係」構築を目指す「一般社会学言論」に固有な課題であることを論証します。ソシュールの原資料の中で最後まで曖昧の侭に使用されている、「社会協定」という言葉遣いの真意に迫ることにもなります。
 はたして、ソシュールの言う「社会協定」はデュルケームの概念だとしても、協定があるかのように行為する「諒解」概念とどう違うのか。デュルケームとヴェーバーでは概念理解に違いがあり、コンセプトの隔たりは小さくないとしても、同じ欧州大陸内のフランスとドイツでの話、思考スタイルの違い以上に出るものではない。二人は主題の変域・共鳴域を同じくしており、関心の方向性・概念の近接性に重なる部分があって当然だろうと考えられます。そこで更に一歩踏み込んで、東西世界で異なる「諒解関係」が有るの無いのか、有るとすればその如何にを問い吟味しつつ、無ければ「語り終えることの無い」モノの働きを語らせる、非人称的「言語事件」の解明が促されます。
 最後は、ネストリオスや「史的ダルマ論」の研究成果を踏まえて、上限(言葉)と下限(無)へ迫る問い("Zen -anders denken?Zugleich über Zen und Heidegger" での大島淑子先生の命題)が無駄ではなかった、と私は言いたい。現に其処から、有意味且つ生産的な討議の「一般社会学言論」講義へと繋がる、後退不可能な確かな一歩が踏み出されたことを、読者と一緒に喜び祝いたいと願う次第です。改訂版の出版は、大島先生と出会った時から数えて七年目にあたる、来春以降を予定しています。原資料の再仕分けをする中で、改訂新版が別のタイトルを冠することは避け難いことを、予め示唆しておきたい。

Shigfried Mayer, copyright all reserved 2011 by 宮村重徳、the Institute for Rikaishakaigaku

2010年12月5日日曜日

ツイートに、足りぬ煉瓦のヒント得て

Einen Wink siehst du am zwischernden Spatzen, der vor Augen vorbeifliegt
ツイッターは「つぶやき」(呟き)だと言うが、英語では murmur でな く twitter の綴りだから、正しくは暗いイメージの「つぶやき」や「ざわめき」でない、明るいイメージの「さえずり」(囀り)か「ささやき」(囁き)を意味する。元はと言えば、それはドイツ語で、murmeln に対して zwitschern という、いずれも同じ擬声語で、共鳴する言葉の変域内にある。その聴覚イメージで、両者の明暗が分かれる。マーマルがザワザワした音で不明瞭に話す(murmeln, lärmen)のに対して、ツイートは小鳥たちがチッチと「さえずる」(囀る、zwitschern)様子に由来する。例えば、雀たち(Spatzen)が群れをなして賑やかにチュンチュンと「囀る」(tschilpen)様子に、濁り・曖昧さ・不明瞭さの面影は微塵も無い。ところが一方で、生徒たちが授業中に不満げな面構えで「呟く」(murmeln)のは、何やら言いたいことが有ってのこと、「もぐもぐ・ぼそぼそ・ぶつぶつ言う」(murren)に始まり、制止しようとする教師を無視して、勝手にあれこれ「私語をする」(whisper, wispern)ようになる。所詮私語はモノローグ、学級崩壊はこうして始まる。私語は「呟き」と同じ、「曖昧さ」(Undeutlichkeit)の系譜である。他方で、近所の主婦たちが井戸端に集まり、世間話からあらぬ事まで、饒舌になりぺちゃくちゃ「しゃべる」(喋る, schwatzen)ケースは、コンセプトに明暗の差はあれ、語るスタイルは「囁き」と同じ系譜で、元気印の「お喋り」 (Geschwätz)である。それなりに、広場(公共性)でのダイアローグの形を踏襲する。「曖昧さ」と「お喋り」(饒舌)に三つ目の「好奇心」(Neugierde)が加わると、不安の余り「公共性のマスクしたヒト」(das Man)が其処に佇む、ハイデガー哲学の世界である。
「好奇心」に、実名と匿名の差はあるのだろうか。ゲームのアイテム購入を巡る詐欺事件で、俄にざわめき色めき立つ実名主義のフェースブックと異なり、ブログにチャットの対話要素を加味した匿名主義のツイッターには、記号の恣意性を手玉に取った、ひょうきん(剽軽)に明るい言葉の狼煙(囁きの共鳴)がある。中にはくだらない洒落や根も葉もない噂話も多くあるが、話がどう広まっていくのか、投げた球がどちらに転んでいくのか、誰と出会うかも分からないという、奇妙な不安と期待感が入り交じった、ソーシャルゲームの感覚でのみアプローチ可能な楽しみを満喫するに、散文のショートメッセージは効果的である。これが韻文なら、其処は連歌の歌詠み世界に変貌しよう。さも仮想の歌詠み会か仮面舞踏会にいる「かのように」(als-ob)、マスクした自分を語らせ、第三者として振る舞わせることで、希薄な存在感を充填することが出来るような、人の温もりを体感させるに取りあえず十分な、コミュニケーション・ツールの趣が其処にある。もちろん、消費者の落とし所を狙った計算済みの趣である。情報源としての信用価値云々よりも、波上の言葉が上下左右に激しく揺らぐ大海の表面運動に過ぎないとしても、「時間は貨幣で有る」の言葉で巻き上げられた「文化資本」(プルデュー)の成り立ちが、ネット世界をサーフィンする若者たちの語り言葉にしげく伺われる(その実、巧みに縫い込まれている)ので、耳元で囁きながら呟く(flüstern)ように仕向けける情報筋、衝動買いの場を演出し囃し立てるコ・マーシャル(商用価値)の折り込み情報に、格別の注意が必要だ。注意を怠ると、どうしようもなく散漫になる。携帯で繋がっているようで何処にも繋がっていない、派遣労働の駒に過ぎない将来への不安から、藁をも掴む必死の思いで、、叫びを「囁き・呟き」にしてサインを発信する。これは、働くモノとヒトが共鳴(ペルソナーレ)する文化の、理解社会学的・記号論的な解明の貴重な共有課題となろう。解明の鍵となるのは、就活中の君がすがる「一本の藁」である。
私がドイツに留学した1973年4月の中旬、近郊のウルムという町で珍しい買い物をしたことを、今でも鮮明に覚えている。嘴に一本の麦藁を咥えたチョコレートの雀が、当地で評判のお土産になっていた。話を聞くと、その昔ウルムのゴシック風大聖堂を建築する際に、煉瓦が足りなくなったという。付近の土を捏ねても強度が足りない。小春日和のある日、領主(事業主)がふと庭先で賑やかな雀の「囀り」(schwatzen)を聞いた。何と、嘴に麦藁を一本咥えて、建築中の教会堂の前を横切って飛んだ。咄嗟にこれだ!、これさえあればどの土でも強度は何とかなると気づき、土に麦藁を混ぜて残りの必要な煉瓦を造り、世界一のっぽの大聖堂を完成したという逸話である。ツイートに、思わぬヒントを得たモノ語りとは、単なる洒落ではない。見る目と聞き耳さえ持っていれば、ささやき(囁き)もつぶやき(呟き)も、世代交代が必要とする「それ」を働かせるシャンス(大事な縁)となる。「それ」が、メタファー(隠喩)でのみ理解可能であることは、言うまでもない。
「囁き」も「呟き」も、世代・時代の関心の持ち方次第で趣が変わり、社会言論の様相も一変する。「諸学の危機」(フッサール)が叫ばれた世紀の転換期に話を移そう。著名な作家と異なり、本人と親交のある文化人や批評家たち(リテラーテン)があれでもないこれでもないと、しきりに他人の揚げ足を取り、「何でも齧り家」の物言いをして憚らない。これに対しては、Geschwätz でなく Gerede という言葉が使用されるケースもある。一方でヴェーバーはGeschwätzと、他方でハイデガーは Gerede と言うも実は同じこと、どちらも「お喋り・饒舌」だけが取り柄で、さしたる相違はない。ヴェーバーの親友トレルチは、第一次世界「大戦が終わって、これでやっと、物書きネズミ(Nagetiere, 囓りネズミ目)たちはいなくなってくれた」と安堵したという。「語り終えることのない」ものを、強いて語り尽くそうとする面々、「少し囓っただけで、あれこれと論じ物書きする」大衆受け狙いの文筆家たち、言葉を売り物とした商魂逞しい知識人(噂の種本造りに精を出す出版関係の教養人)たち、口先八丁の評論家たち(文学者・哲学者・社会学者の取り巻き連中)への警告であろう。
しかし、問題の根は深い。人間は他の動物と異なり、言葉を有する生きモノ(アリストテレス)である。読み書きの技術だけでない。互を理解しあう仕方で語る・語らせる、説得性の技術を持っている。言葉を使って自分を語るか相手を語らせる、(さもなければ、金を使って黙らせるしかない)、総じて対話的な生きモノ(理性的人格存在)である。自分で「語る」(reden, Rede halten)には、これに「応じて語る」(Gegenrede halten)相手が予想される。対話や討議には、当然第三者の介入(参照すべき解釈項)が常に意識されている。協定文書が無くても、相手が予想を立ててすることに準拠して、事実協定が有る「かのように」行為すれば、その通りになるシャンス(蓋然的な可能性)が事実存在する。それに準拠して振る舞うことをヴェーバーは「諒解行為」(Einverständnis-handeln)と呼んだ。我々が誰かと向き合い対話するときも、同じ「諒解」関係が予想される。討議(Diskurs)に於いても然りである。語るモノ(エス)を講ずる(halten)だけの主我的な態度を改め、「それ」へと自分を繋ぎ止める、或いは「それ」自身を語らせる(結果、沈黙を余儀なくされることもあり得る)、再帰的ルートを意識した社会的行為(,soziales Verhalten, < sich verhalten)が期待される。自他の利権や利害が絡めば尚更のこと、等閑(なおざり)には出来ない。対話や討議に於いて第三人称で働くモノを見据えること、これを「弁証法」的な社会言論の技法を修得する自分の好機とし、相互理解の良縁として捉えるよう、読者の奮起を促しておきたい。それは、日常的なお喋りや呟きの中でさえ、いつでもそっと無差別に贈られてくる、分け合うべき(「言語事件」としては一度限りの)良縁なのだ。自分の目の前に立ちはだかる壁でさえ、「ふと見れば、薺(なずな)花咲く、垣根かな」(松尾芭蕉)である。

Shigried Mayer, copyright all reserved 2011 by 宮村重徳, the Institute for Rikaishakaigaku

2010年11月18日木曜日

よもや・はてなの「無縁社会」論

Verdächtige Ahnung von der "familienlosen Gesellschaft" (Mu-En Shakai)
周囲に話し相手が一人もいない、最後は弔う親族も知人もなく、孤独死する高齢者が大勢いるのは、否定しがたい悲しい現実である。「無縁社会」というHNK特集の番組(2010年10月30日、土曜日)に居合わせた青年たちの中に、自分たちの将来を重ね合わせ同じ宿命を予感している様子が放映されたときは、正直に言って驚きを禁じ得なかった。しかしよく考えてみると、NHKという半ば官制メディアの流すことだから疑わしくもある。案の定、影で申し合わせたように「無縁」は「無援」と言い換えられ、脚本の筋書き通りに高齢者から青年の世代へと話題がするりと切り替わる。むろん、明日を担うこれからの若年世代に、「無縁」(Irrelevanz)は似つかわしくない。たとえそれに「無援」(Hilflosigkeit)の意味が添えられ上書きされようと、理解はおろか説得性は到底望めない。「よもや」の予感に共感を禁じ得ない、非正規の派遣労働に従事する若者が現に大勢いるとしても、不幸な誤解を招かないよう、「はてな」のマークを三つ付けて、一筆献上しておきたい。
一般的な話で言えば、我々日本人は他人(その典型が外国人)とのつきあいが下手で、深い関係に立ち入ることを好まないと言われる。核家族化から家庭崩壊にまで及んで、その傾向は大都市に於いて増長している。対策は、近所の人に日頃から毎日挨拶する習慣を付けること、挨拶に微笑みを絶やさないことだ。大都市に於いては、匿名性を享受できるよう、密閉した空間造りになっている。都市設計や建築構造物が欧米風に偏り、日本的家屋の良さが失われてしまったことも、大きな原因の一つだろう。マスクした希薄な関係がいやなら、大都市を捨て農村暮らしすればいい。高齢者支援の政策決定やPKOなどを活用することで、これは解決可能なジレンマだ。しかし、「無縁社会」という話題の背後には、人並みに楽をしたい・面倒や苦労は嫌だという、生活設計に拘わる別世代の課題が絡んでいる。
「苦は縁起、恥は無縁の、花菖蒲」(拙句)。縁無くして出世した人がいないように、「苦」(Qual) 無くして成功した人はいない。どう自分(の体)を苛める(sich quälen)か、職人的な目的合理性の自覚が問われる。目的が有れば自ら禁欲(節制)するもの、職人の「マイスターは、制約することの中で立ち現れる。法だけが君たちに自由を与える」(ゲーテ、私訳)。制約する (beschränen) とは、的を絞るということ、あれもこれもと欲をはらずに、「已(すで)にとする」こと。終わり一つの目標(ターゲット)が決まれば、苦も縁として自在に楽しめよう。「縁起が悪い」とか「縁を担ぐ」が誤解であるように、今話題の「無縁社会」は、若年層の君たちには誤解されやすい。例えば、商いの縁は有るものでなく造るもの、顧客(他者)と拘わる中で成る・立ち上がるものだ。だから、「法」(ダルマ)に従い縁を起こす意味で「縁起」と言われる。中観派を代表するナーガルージュナのむずかしい話はさておいて、コモンセンスとしてはそうであろう。では、縁造りに失敗して孤立化するのは何故か。高齢者の不在発覚事件に始まり、若年層の世代を蝕む「孤立無援」化の現象は、宗教学や深層心理学の対症療法では、根本的な解決に至らない。虐めによる自殺といった悲惨な悪循環を繰り返さないためには、受苦者の抱く主観的意味を解明しつつ、経験妥当な「諒解」関係を目的合理的に学ばせ取得させる、始終に双眼の「理解社会学」が必要とされる。若年層にこれを理解させるには、面倒な言葉の問題をクリアにしないといけない。啓蒙主義の原点はカントが指摘しているように、自分の言葉が話せない・自由にならないという、近代人が自ら招いた「未成年状態」からの脱却であったことを、思い起こす必要がある。世代が成年・未成年のいずれであれ、また立場が経営者か労働者のいずれであれ、言葉(語るモノ、エス)の暴力にどう向き合うかは、一般社会言論の課題なのである。
各々は集団社会の駒であって、歴史的個の確立を未だに知らずという、日本の特殊事情を考えるにせよ、苛める側も苛められる側も実は犠牲者であって、自分の心の叫び(愛の飢え)を聞いて貰いたいのだといった議論にしても然り、思い入れが過剰な(その実、人格性・非人格性を混同した)言語経験の環境を元から見直さない限り、目的と手段の混同を許したり、口実を合理化したりするだけで終わる。これでは、「無縁社会」の偏見は解決しない。2007年にアメリカのバージニア工科大学で起きた銃乱射事件のケースでは、「日本のいじめ自殺には、復讐する(一生後悔させる)という発想がある」が、「アメリカにはそういう発想はなく、直接危害を加えないと復讐にならない」(Pink Freud)からと言って、ニーチェ流のルサンチマン論を蒸し返して済むかどうか。高度なニーチェ解釈を交える前に、非人称化や非人格化に耐えうる言語経験の見直しが必要ではないかと、「わたし」には思われる。見えざる「諒解関係」を予想しこれに応えるシャンス(可能性)を分けあうこと、物理的・精神的に追いつめず、相手にもその様なシャンス(逃げ場)を与えること、これが共有可能な「縁」、良縁ではないかと思われる。
繰り返す。「縁」がどこかに転がっていたり、「無縁」という宿命的な何かが背後で君たちを縛る・操るのではない。君たちの目の前に、「壁」となって立ちはだかるモノが何かを考えてみよ、壁に目を凝らして、鼻から出入りする「それ」を嗅いで観よ観よ(臨済)。仮初めにも、「無縁社会」に怨念(ルサンチマン)で応えないこと。縁に従って働くモノを自から語らせると、それがシャンスとして贈られてくることに君たちは気づくだろう。価値観を異にしても違わず争わず、自己理解を交換しあう仕方で縁を結ぶはよし、最後は「能く自利し亦た能く利他する」関係となるよう勧められる。それでも、「縁尽くれば還た無なり」という(ダルマ、『二入四行論』)。ルサンチマンを戒める冒頭の「報怨行」(通常、前世の怨に報いる行)といい、「利他」する他者性の意識といい、縁が尽きることもあるという発話にも、インドの仏僧らしからぬ素性を偲ばせる。或いはポジティブに裏返し、「人にしてもらいたいと思うことは何でも、あなたがたも人にしなさい」(イエス、『マタイによる福音書』7:12)でもいい。要は、自分のこと(で有るか)のように隣人への関心(愛しく思い、親しみ慕う心)を持つことだろう。関心を持つとは、印欧語の再帰動詞で、隣人へと「自分を関心付ける」ことだ。持つ・持たせるだけでなく、関心は発話し発信しないと意味がない。発話は自由人で有る「かのように」行為する私の発問となって初めて、関係の濃淡を有意味に表現しよう。それは、君たち自身の自由な発話・発問に基づく、「諒解」関係取得と社会参加(アンガージュマン)の可能性(シャンス)である。
よもやの不幸な誤解から、「無縁・無援」の悲劇を我が身に被らせないために、また縁が尽きて就活を無駄に終わらないためにも、最後に二三の身近なアドバイスをしておきたい。第三者として自分を捉え直す(共感し共鳴する自己の発見)、進んで話を聞いてあげる(他者のニーズの発見と共有)、普段に親しく挨拶する(諒解関係の醸成と機会創出)、どんなに月並みに聴こうようとも、要はこの三つに尽きる。起業・開業(Entreoreneur)への心得も然り、平常心で縁興し(エンタープライズ)するに、共感・聴取・挨拶の実践ですむこと、面倒なことは何一つ無い。

Shigfried Mayer, copyright all reserved 2011 by 宮村重徳, the Institute for Rikaishakaigaku

補記: 「無援社会」をドイツ語で表記すると"familienlose Gesellschaft"、つまり「家族(の絆)無き社会」となります。核家族化に始まり家庭崩壊に陥った現状を踏まえて、詳細は別途に論じたい。

2010年11月4日木曜日

トルソーとしての「エスの系譜」

"Genealogie von ES" gilt als Torso an sich
 互盛央氏の『エスの系譜』(講談社)を一読しての感想です。ダブル受賞の評判通り、なかなか読み応えがありました。グローデック(「エスとの対話」)とフロイト(「自我とエス」)のコンフリクトは公然の秘密としても、前者は後者の引き立て役にされているだけなので、討議(ディスコース)の公平さが欠けているように思われます。フォイエルバッハとニーチェについては解釈を異にするので、別途に論じます。それでも、全体をフロイト論として読むと、論述スタイルの首尾一貫性が光ります。フロイトからニーチェ、リヒテンベルクへと遡る「エスの系譜」第一章では、緻密な論争背景の解明だけでなく、近代人の「私が思う」から非人称の「それが思う」へと論点が覆され、「語ること」から沈黙の中で「思われること」へと目線が切り替えされる。詩人をして非人称の「語ること」から「語り終えることのありえないもの」、すなわち「思われることの残響」になることが勧められる。精神分析学(精神病理学)を科学に数えるなら、一方の科学と他方の哲学及び文学が主導権を競いながら、同じエスとの対話ルートに還元される。そこがキーポイントです。個人的には、レヴィナスの思想に近いようで味わいの全く異なるアプローチに新鮮さを、エス・ルートの発見からデカルトの読み直しまでする意外な局面展開に、説得力のある圧巻のインパクトを感じさせます。
少しだけ欲を言えば、系譜の議論がリヒテンベルク止まりで、せっかくデカルトにまで言及しているのに、(ゲーテやフィヒテ・シェリングは語っても)スピノザが論じられていないのは、フロイト自身が彼には無関心であったか、(スピノザを論じるグローデックへの対抗心から?)あえて関心を示さなかったのだとしても、片手落ちのような気がします。エスの理解を違わせている何かが、その周辺に有るのではないでしょうか。スピノザは《神もしくは自然》で、神を非人称化・非人格化しており、彼の無神論は「エスの淵源」と無関係ではないはずです。ユルゲン・ヘレはスピノザを理解社会学の祖としており、その意味でもしかと問うておきたい。語るか沈黙するかのいずれであれ、エスは第三人称形の代名詞で伝える他ないモノ、わたしが常々「働くモノ」と言う場合も、ドイツ語で Es wirkt(「それ」が働くこと)ですから、多くの点で互氏と理解・関心・課題を共有しています。代名詞系に脆い、特に第三人称系が致命的に曖昧な日本語文法では捉えがたい経験でしょう。
第三章以降で触れられている通り、「エスの系譜」は反ユダヤ的なそれを含め、ユダヤ的知性と感性一般の秘密に深く関わることです。「それ」は、社会学的には「神と貨幣」(=《神もしくは貨幣》)で知られる古典的なシェーマと分かちがたい関係にあります。近代人が強い関心を抱くエスの表象には、頭のないトルソーか働くヒトの顔がない能面のイメージが強いですね。エスの世界はカオスの海、海面に立ち現れる「それ」が単頭か双頭か、貨幣の魔神の相貌が如何にであれ、これに挑む勇者・現代のマルドゥク神はいないのか、天と地(という二つの淵源)にしるしを求める見者・預言者はどこにいるのか、問われることになります。上限と下限(言葉と無)の淵が分かれるか渦を巻く「そこ」にまで両足で踏み込まないと、話題のエスをメディアの踊り場で商品化するだけで満足するか、仕立てられた流行(はやり)と平均化(人並み)を追うに忙しく、自分の時間がないヒトで有る(das Man-ist)、不安のマスクした業者や読者(迷い子)を増やすだけに終わりはしないでしょうか。「エスの系譜」を頭(カプト)のないトルソーに終わらせないためには、いずれスピノザの読み直しが促され、「働くモノ」(エス)の解明に必要となるでしょう。「それが思う」を「私が思う」ことの上位概念とするにしても、非人称(非人格化)の要件は詩人たちを必要としました。「無名とあえてなり歴史から自分を隠す」詩人に於いても然り、ヒト(ペルソーナ)に於いて働くモノ(レース、エス)のメタファー論的解釈が妥当かどうか、社会言論の真理性を巡り自我とエスが真剣な対話・熱い討議を重ねる中で、最後はセクトを含むゲマインシャフト関係の要件である、「諒解の妥当」が真理性の試金石となるはずです。その意味で、グローデックやフロイトだけでなく、ヴェーバー(『理解社会学のカテゴリー』)とハイデガー(『時間と存在』、『フマニスムス』)への学びは、必要にして十分意義あることだと「わたし」には思われます。2010年11月4日(木曜日)

Shigfried Mayer, copyright all reserved 2011 by 宮村重徳, the Institute for Rikaishakaigaku

追記: これはあくまで、初読の感想です。その後、『エスの系譜』の一年前に出版された『ソシュール 〈言語学〉の孤独、「一般言語学」の夢』(作品社、2009年)を読み進める中で、互盛央氏の問題提起が理解できたように思います。『ソシュール』を前提にして読むとしても、『エスの系譜』に感じた上記の疑問がクリアーされた訳ではありません。むしろ、「社会言論」批判という別の討議ルートでいっそう深まることになります。これについては、持論の「一般社会学言論」構想と拘わる重要な課題ですので、詳細は別途に論じることにしたい。2010年11月30日(火曜日)

2010年10月21日木曜日

働きバチと職場のハナ、格差是正の地平に臨む

Arbeiterbiene und Blumenwesen am Platz
【2013年2月17日更新】
 戦後生まれの団塊世代は働きバチ(Arbeiterbiene)である。小林多喜二の『蟹工船』(1929年)を引き合いに出すまでもなく、戦後世代を担い復興期の立役者となった男たち(M)の働きが大きい。彼らを抜きて日本の再建は語れない。高度経済成長の担い手として国際的に評価が高いとしても、下支えした無名群像の存在と共働きの過去を忘れてはなるまい。働く女性(F)が、職場の花(Dekorative Rolle der strahlenden Blumen am Arbeitsplatz)に甘んじる立場を拒否し、医者や教師また物書きとなり、国際標準からするとまだかなり低いが、最近では中間管理職に付く人も多くなった。それでも、MFの格差と不均等は是正されていない。変化の発端は、1972年に男女雇用機会均等法が制定され、女性に対する労働上の差別をなくすために為された一連の法改正である。ブッティックや自営業の主となって、本格的に社会のフロントで活躍するようになるのは、1980年より以降である。意識改革の萌芽はすでに大正デモクラシー前後に見受けられる(例えば、平塚らいてう)。それ以来戦後60年の今日に至るまで、自己意識の向上は目覚ましい。
 私が大学三年生の当時(1973年)、習いたてのドイツ語で「君は薔薇だ」と言うと、(お世辞ではなく、褒めたつもりだったのだが、運悪くドイツ語が分かったらしく)、「私は花ではない、人間です!」としっぺ返しを食らったことがある(赤面)。お灸を据えるきつい言葉にも、笑みを湛えて答えてくれたのが、せめてもの救いだった。確かに、働く自分は人間であって、蜂でないし花でもない。人(ペルソーナ)の働きをメタファーで語るに、ジェンダーの区別・色分けは不要だろうか。垣根を越え世代を越えて、ジェンダー・メタファー(gender metaphor)は働くモノの人格性・尊厳性を、言葉の栞にして密かに語り始める。
 「ユダヤ人問題」がそうであったように、決して余剰(おまけ)として「女性問題」があるのではない。啓蒙主義の受容期に於いて、国家事業の本予算に対して文化や厚生事業の特別会計を設ける余裕など全く無かったとみえる。福沢諭吉や中江兆民等の「天賦人権思想」に於いても然り、あってもせいぜい、伊藤博文第一次内閣の初代文部大臣を務めた森有正の「良妻賢母教育」レベルである。経済不況から戦争特需へと突っ走るその後の世代に、とりわけジェンダーとの関連で、「啓蒙とは何か」を根詰めて考えた日本人は皆無である。ルソーの『社会契約論』(中江訳)は一部で読まれても、 自立を勧めたカントの『啓蒙とは何か』、働く女性の人権に係わる『道徳形而上学的原論』が読まれた形跡はどこにもない。日本にカントを最初に紹介した天野貞祐(獨協大学の初代学長)でさえ、三大批判書を一部翻訳はしたが、この二書については白紙である。天野と親交のあった羽仁もと子はクリスチャン、自由学園の創設者となり、日本初の女性ジャーナリストとして、あるいは読んでいたかも知れない(つまり、予想の範囲を超えない)。
 近代に於いてさえこの始末、それでもカントと取り組んだ女性がいなかったわけではあるまい。しかしはっきりとしない。言論界の状況は昔も今も相変わらず、カントが手厳しく言うところの、自分の言葉で話せない(unmündig)・自分の悟性を使わない、参考書や翻訳書を鵜呑みにした引用三昧で疑うことがない、男女を問わず相変わらず「後見人」に依存し自分を丸投げした「未成年状態」(Unmündigkeit)ではないのか。古代史については尚更のこと、ないない尽くしの「女性問題」のルートを探すに、ジェンダー・メタファーが唯一のヒントまた貴重な手掛かりとなろう。歴史から抹殺されたか、忘れられて「すでに無い」ものが、「まだ無い」仕方で自らを語り聞かせる、資本主義社会に於いて「諒解」可能な社会的人格(Sozial-Person)は、次世代を担う君たちのシャンス(可能性)となる。

Shigfried Mayer, copyright all reserved 2011 by 宮村重徳, the Institute for Rikaishakaigaku

2010年10月18日月曜日

対話の文法、社会学のジレンマ

Grammatik des Dialogs, Dilenmma der Soziologie
 ハーバード大学のサンデル教授の講義(「これからの正義」)が話題になっている。その真骨頂は「対話型」である。「解釈学とは、対話の技法である」としたシュライエルマッハーがこれに先行する。違いは、後者がプラトン哲学をモデルとしているのに対して、サンデルがアリストテレスの哲学倫理をモデルとしていること。程度の差はあれ、政治と道徳のジレンマを解き明かす手法、ソクラテス的対話術を導入する点では共通する。映像メディアで公開された東大安田講堂での講義及びインタビューを聴いて、なるほどと頷かれた人も多いだろう。発言者の名前を逐一確認しながら、対話的に論点を積み重ね、ジレンマ解明への道筋を開示する仕方は、教師の理想である。私には、中でも彼が日本人の聴衆を意識して、さり気なく助言した次の言葉が、印象に残った。「二人称では相手(個人)を傷つけるから、一般的な話(間接批判の形)にしてはどうか。あなたの意見を第三者の議論にしてごらんなさい」。第三者の議論とは第三人称で語る・語らせること、第二人称では角が立つから、敢えて第三人称で語る仕方で相手の意見を評価することである。反対に、第三者であるかのように、第三者のそれとして聞く・聞かせると言い換えてもいい。それが印欧語文化圏の敬語法である。
 例えば古来印欧語には、親称のdu(君)に代えて敬称のSie(貴方)を使う習慣があるが、元は第三人称複数形の sie(彼ら)を転用し大文字にしただけのこと(英語のThou, Thy, Theeも同じルート)。身分社会の言語仕様と言うより、第三者の議論はマスメディアが垂れ流す過剰な情報を鵜呑みにすれば、「カオスの海」に浮沈する他ない今日だからこそ必要とされる、一般社会言論の標準的な評価仕様である点に注目しておきたい。諄いようだが、第三人称で語る・語らせることが、話し相手を敬い客観的に評価するシャンス(可能性)を分け合うことになるのである。人権思想に於いて然り、言論の自由を言う前にしかと考えておくべきだろう。先のブログ(「働くモノと自分のこと」)で、自己や自分が第三者の扱いであり、社会経済を仕切る「諒解」関係が第三人称複数形の世界に於いて成り立つことを強く示唆しておいたのも、その理由からである。歴史に於いて働くモノは、第一人称や第二人称世界(我と汝)の主観的意味を第三人称で語らせることで因果関係的に解明され、更に行為者(発話者)の目的合理性が客観的・経験的に妥当な諒解関係の形になっているかどうかで、行為の明証性・整合性を互いに問わせる。
 批判する言葉が刺々しく感情的になり、誹謗・罵倒の言葉を浴びせかけて、論争相手の人格を否定する結果にまで及ぶのは、感情豊かな日本語の世界に第三者の議論(社会言論は基本的に第三人称)の視野が欠けているか、理解が不十分なせいであろう。批判する行為は理性の要件、相手の言い分を分別し真偽や善し悪しを判断するに、悟性が使用される。人間の悟性や理性は、啓蒙主義を唱える者たちが神という親を離れて独り立ちし、聖職者や教会という後見人無しに自らを成人と見なし自立を宣言するに至ったときの、考える自分の秤縄であった。しかし、カントは『啓蒙とは何か』で当の啓蒙主義者たちが「未成年状態」を自ら招いたと厳しく批判する。これについては次回のブログで詳しく語ることにする。今はなぜ日本社会の言論人乃至言論界(ジャーナリズム)が、明治維新期の先達たちの啓蒙主義(ほとんど教養主義に近い)に習いつつも話し言葉で躓き、いまだに言論に対して未熟な「未成年状態」を脱し得ないのか、各々自分の胸に手を当てて考えてみるべき時だ。啓蒙主義に相対する立場は反啓蒙主義であるが、著作家に共感する文化人や文芸批評家たちはすべて後者に属する。「冷たい理性」に対して「感情文化」を対置させ競わせた歴史的経緯が、イデオロギー的に先鋭化した対立の深刻さを物語る。学生読者には、ヴォルフ・レペニースの『三つの文化』をお勧めする。邦訳者が付けた副題は意訳としても、「仏・英・独の比較文学」では誤解も甚だしい。問われているのは比較文学の類ではない、むしろ厳密な意味で「文学と科学の狭間にある社会学」のジレンマ!である。自然科学と精神科学という「二つの文化」論(スノー)に対して、レペニースはためらわずドイツの社会学思想を「三つ目の文化」と呼ぶ。実は、ヴェーバー(「理解社会学のカテゴリー」、「職業としての政治」)が氏の念頭にある。国会議員の諸君も、ぜひこれらを買い求めて精読して欲しい。政治的な善悪判断に予約された諒解関係を批判的に解明することで、社会正義のジレンマを討議的に紐解く仕方、第三者の目線でする冷静且つ妥当な議論の交わし方を学習してもらいたい。ニーチェが『善悪の彼岸』で言いたかったことも、そこから自ずと理解されよう。
  Shigfried Mayer, copyright all reserved 2011 by 宮村重徳, the Institute for Rikaishakaigaku

2010年10月6日水曜日

語るモノを失くしたヒトの群像、働き蜂の失踪事件

Was "es" an uns wirkt, und das verstummte Selbst ist

【2013年2月17日更新】
  働き蜂の失踪事件は、人間社会への警鐘だろう。高齢者の失踪(所在不明発覚)事件は、君たち若い世代の明日を予告する。一方に、就職未定で悩む自分がいる。他方、長い就職活動で苦労した末にやっと得た職場なのに、うまくいかない・おもしろくない・こんなのやっておれるかとキレる自分がいる。ミスマッチで悩んだり仕事を放り出したりする前に、友よ、今一度自分とは何かを考えてみて欲しい。日本語では話し手自身のことを「自分は」と表現する習慣がある。「俺は、私は」と我(ego)を主張することが憚れるせいだろうか、人称関係は不透明且つ曖昧である。聞き手を強く意識した「二項関係」(森有正)のせいだろうか、第三者の介入が嫌われる。
 印欧語で自分(Self, Selbst)は指示代名詞の同一なるモノ(das-selbe)に由来し、第三者の扱いである。人称代名詞に併記してその人自身の同一性が、主語と連動して再帰代名詞(sich)が使用されるとき、働くモノとの自己同一性が問われる。派遣されて働くヒトが苦しむのは、わたしは人(Person)であって物(Ding)ではないぞという、譲れない熱い思いからであろう。会社や団体組織で働くことに抵抗を感じフリーターである道を選ぶ人も、就職未定者を含めすでに内定を得た人も、よく考えないと、自己の余剰を捨てきれず持て余すことになる。自己とは元々関係概念なので、社会的人格と内奥的人格の間の「狭い尾根」に、君自身の現存在(居場所)を見つけなければいけない。たとえ運良く内定を得ても安心してはいけない。社会人であろうとすると、社会が機械的な歯車のようにではない、幾重もの見えざる「諒解」関係で束ねられていることに気づかされよう。
 マックス・ヴェーバーが言っているように、社会には「他の人々が予想を立ててすることに準拠して(私たちが)行為すれば、その予想の通りになるシャンス(可能性)が経験的に妥当しているということがある。それは、他の人々がその様な予想を、協定が無いにもかかわらず、自分にとって(主観的)意味の上で妥当なものとして実際に扱うであろうという蓋然性が、客観的に存在しているという理由からである」(私訳)。ここで、第三人称世界の「諒解」関係が議論になっている。もちろん、働くモノは「暗黙の了解」として鵜呑みにされる物ではなく、「諒解の妥当」を求めて取り組むべき働くヒト自身の主観的原理、いわゆる「格率」(Maxime)の問題となる。先行き不透明な21世紀の資本主義社会で働こうとすれば、働くモノに成りきるかマスクして成り済ますか、いずれにせよ人格性と非人格化の要件は避けて通れない。マルクスをフォイエルバッハとの関連で読み直すこと、カント(『道徳形而上学原論』)とヴェーバー(『理解社会学のカテゴリー』)の読み直しは尚更に必須、形見放さず君の座右の書にして、働く自分の考えるヒントにして欲しい。(プロテスタンティズムの禁欲主義的倫理に始まる)資本主義の精神は、不在の仕方でこそ生きて働くモノだから。

Shigfried Mayer, copyright all reserved 2011 by 宮村重徳, the Institute for Rikaishakaigaku