2022年1月23日日曜日

年頭所感:宇宙の壁に映える、君の陽だまりに、仮初の処得て

 読者の皆様に、遅ればせながら、新年のご挨拶を申し上げたい。

九死に一生の冬景色、神さま仏さまも雪ダルマ、悠々と大空を滑ってござる、

マスクしてメガネが曇り行き先を見失い、チャリンコから転げ落ちて仰向けに、リュックに背負った冬装備の重さでバランスを失ったせいだが、ひやりはやっとの骨折体験も何のその、どっこいおいらは生きている。

果たせるかな、宇宙の壁に映える、君の陽だまりに処を得て、仮初でもコロナ禍で折れかけた心身は癒されぬ。

安心のコルセットで身を固めるもよし、物質と精神を巡る自己回路のジレンマを脱し、臍(ほぞ)の峠を越えて一里塚、富士山・男体山・浅間山・赤城山・筑波山を一望できる、さいたま市桜区荒川の堤防で、終日冷たい寒風に身を晒しながら、一抹の懸念も悔いも後に残さないよう、更に考えを深めている。

マックス・シェーラーの「コスモスの中の人間」では、マルティン・ハイデガーの存在論の問題提起に答えられない。その先を行くには、理性と悟性・神話と宗教の言論(ロゴス、ラティオ)の系譜を究めつつ、閉塞した社会経済の合理性に、突破口が必要。されど、神智学(テオソフィー、ルドルフ・シュタイナー)の思弁(夢幻)に走らず、ニューサイエンスの焼き回しにも追随せず、いかに優れた直観でも、エヴィデンスなければ、所詮思弁(スペキュレーション)にすぎないのだ。

太陽系外に陽だまりを求めるに、どのような深奥の智慧(ヌース)が必要か、ヌースを語る汝は何者なるか、科学的信仰(疑似宗教)に陥らぬよう、求められる思考回路のオン・オフに、必要且つ十分条件は何か、挙げて見よ。求められるポストモダンの宗教改革は如何なるか、予断無く考えるヒントを、無底の淵に求めて、壁観ダルマの試行錯誤は、今日も明日も不断に続く。

Shigfried Mayer(宮村重徳)、2022年新年、三郷にて