2014年2月12日水曜日

ゆとり世代は「普通です」、でもネットで保守的・好戦的なのは?

  別にはやり言葉ではないのだろうけれど、自分は「普通です」と答える若者が増えている。ゆとり世代の口癖である。平均的自画像に自分を合わせようとしているだけなのかもしれない。しかし、いざネットで発信するとなると、これが意外に保守的で好戦的な性格をむき出しにする。「普通です」に、「破れ」を促す革新性は嫌われる。それは、枠組みから外されることへの不安から来ていよう。言い換えると、既定の枠組みを突破する自信がないのである。余暇を楽しむゲーム感覚に従うと、刺激的で好戦的なプレー意識が身についているので、都知事選挙でいえば、60万票の結果で示されている通り、田母神氏の宣伝工作に易々と乗せられてしまう。ツイッターで呟くことで、普段の不満が解消されているので、爆発的抗議行動や社会挑発的・革新的な行為に乗せられない、手を出すには及ばない。「普通でない」戦争行為の悲惨を知らない世代の若者たちが都知事選に積極的に参加していれば、結果は今よりもっと衝撃的な保守傾向を露わにしていたに違いない。もちろん、ゆとり世代にも多様性があることは周知の上、一枚岩でないことを念頭に置いての上である。「普通です」の言明から、未来社会の地殻変動を惹き起こす(「普通でない」社会を望まない、タブーの沈黙を破る)人物の台頭を期待したい。
 期待が大きいだけに、懸念もある。自然の働きに法則があるように、社会人の働きにもゲーム規則があることを教えるだけで済むのかどうか。何と戦うのか自分の争点が不明で目標が曖昧、推論に正確さが乏しく、理解に飛躍が多すぎる点が気になる。大学教師の一員として危機感を覚えるのは、わたしだけではあるまい。意思決定は彼ら自身がすることなので、私たちのベストチョイスを強いるわけにはいかない。ベターチョイスの選択肢を増やすことで、忍耐強く対話を挑むほかないように思われる。(2月17日更新)

Shigfried Mayer(宮村重徳), copyrights © all reserved 2014, the Institute for Interpretive Sociology Tokyo