2021年12月29日水曜日

往く年来る年、文殊の知恵で、転換の節目・突破の糸目を探る

改革開放の中国共産党の台頭と介入で、資本主義と社会主義の秩序が崩れて見通しつかず、欧米の自由市場の世界は混乱し暗澹としている。その中でこそ、危機に学ぶ心を忘れないようにしたい。

大事なことは多言を要せず、実行あるのみ。いたずらに、コロナ禍の社会混乱に動じない。宗教社会学も再建の見通しがない中で、ヴェーバーの記念碑的作品に着目しつつ、盛り上がりの機運を待ちたい。しばらく投稿なく、読者を心配させて申し訳ない。わたし個人については、禅の祖師ダルマに倣い、宇宙の壁を背に瞑想入りして安心無為、結果:多くの収穫あり、いずれ公表したい。ネガティブな因果を絶ち、ポジティブな転換の可能性を模索することを忘れないようにしている。発問して憚らない。閃いたことは、忘れないよう書き残しておくといい。読者には、よき新年を願いたい。

Shigfried Mayer(宮村重徳)

2021年10月4日月曜日

フラウドの濁流にのまれ漂流しないために

  コロナ禍で生活資金に困り果て、藁をも掴みたい一心で、手にした支援情報がやらせのフェイク、最後の頼みが二束三文のフラウドとは、こっちの水が甘いよ・ノーサイドだよとの安全保障宣言も空手形、オ-ルタナティブのどれもこれもフェイクにフラウドのオンパレード、簒奪する側も救済支援の側も、金品をせしめ掠め取るだけの、同じ穴の狢(むじな)とは困ったもの、始末に負えない。怠惰・欺瞞・高慢な根性の、腐った精神につける薬はない、有効なワクチンはない。断捨離(だんしゃり)しかない。

ネトウヨのイムポーザーがAI仕掛けで攻勢を強める、真偽すり替えの策動に惑わされない、熾烈な詐欺サイトの情報戦争に根負けしない、ダークヴェブサイトの温床を知り、巧妙なトリックに騙されないよう、ここは無理をせず慌てず一切応じないこと、大きく息を吸って自分をフラットにして、仰向けに波間に浮沈するだけでいい、ほらできたね、それでいい。

欲張らず無心になれば、立ちはだかる壁の向こうに、青天霹靂(せいてんへきれき)の世界が自ずと空け開ける。月並みで恐縮だが、古来の諺にあるように、「捨ててこそ、浮かぶ瀬もあれ」は本当だね。

仕事がない・金がない・居場所がないと嘆く前に、自分の足で歩いてみよう。チャリンコに乗って町を出て野山を駆け巡り、突破のしるしを天地に探してごらん。日払いでもいいじゃない、資金ゼロでもすぐ始められる、アントレの仕事ならいくらでもある。

咲かせる花は目下萎れていても、天からのもらい水ですぐ息を吹き返すよ。非正規労働で何の保証もなく、生活困窮に陥った若年世代の諸君も、オーバーエイジで行き場がない高齢者の諸君も、ほら水を得た魚のように、溌溂(はつらつ)と生きることができる。

非正規労働者・非常勤講師として三十年間働いて、半生を無事生き抜いたわたしが、三十年永続勤務のご褒美(表彰状・感謝状)を大学からいただいたのは、つい三年前のこと。三年間働いたアマゾンジャパンを後にして、前人未踏の獣道を歩むも辞さず怯ず恐れない。次から次と常識を覆す新たな出会いあり、通常この年齢ではあり得ない、アントレプレナー資格者のわたしに、異業種から再三のオファーあり、目を細める・・・

壁観(へきかん)して安心無為、面壁(めんへき)でもいい、心を落ち着け、立ちはだかる壁と向き合うといい。避けて通れない、回り道はない。越えるしかない。無名法師のダルマが、ウォールゲイジングの実体験からわたしに語らせること。これは、マイスター・エックハルトの神即無の理解と実践に共有される。

参考文献:久松眞一『東洋的無』(法蔵館)

Shigfried Mayer (宮村重徳)

2021年7月16日金曜日

若者たち、無症状で感染源とならぬようワクチン接種を勧めたい

  ワクチンの副反応にまつわるフェイクニュースに耳を貸さないこと、不安もあるだろうが、他者を思う気持ちを共有すること、他人を思いやる心・利他の精神をもって、自分のレベルを高めようではないか。20代から50代までの若者たち、次世代を貧しさのどん底に貶めず、疫病のゆえに文明を没落させないために、君たちが奮起してワクチン接種する他に選択肢はない。あえて批判的共感を期待して、自然の大洪水や大震災におどおどしない、一部で人為性が疑われるコロナ・ウイルス禍にも挫けない、物流優先のダークマターに心許さず、反骨の精神を生きて希望の松明を燈すことを忘れない、持続可能な社会の条件だね。心して、翌檜(あすなろ)の一本松になってほしい。

Shigfried Mayer(宮村重徳)

 

2021年7月13日火曜日

阿部一族の言論について

 社会評論も利に踊りまた踊らされて空回り、離合集散するだけの皮相な政治劇も大山鳴動してネズミ一匹の「一億総活躍」論。火の粉を払うために咄嗟に思いついた発言だから、難民問題を回避する理由にはならない。肝心のロゴス(語るモノ)が曖昧で不透明な阿部一族の言論、菅一族に代わっても変わらず、国民の声に耳を傾けているとは言い難い。国民不在の党派戦略と派閥抗争の病巣にメスを入れないとね。単独では無理、グループ単位での作業療法が効果的。質問があったらどうぞ。
Shigfried Mayer(宮村重徳)

2021年7月12日月曜日

ダスト(塵埃)からなる人の存在についてマジに考える

  ハンナ・アーレントには、いつもわくわくどきどきさせられる。例えば、定位置化された中世以来の順位、瞑想的生(Vita Contemplativa)と活動的生(Vita Activa)をひっくり返してみせる。スイッチの切り替えに半端ないから、はっとさせられ、なるほどと思う。本ブログではとりあえず、二択のシェマティズムで課題を整理するのも悪くない。

インマヌエル・カントで言えば、頭上に瞬く星辰と内なる道徳の二つ、高度に進歩した情報技術社会の今日では、ガス状の星屑と塵(スペースダスト)からなる星間物質は、ブラックホールに吸い込まれて、新星誕生の栄養源になるらしい。

昼夜を問わず燦燦と頭上に降り注ぐ、毎日5200トンものコスミックダストが、ひとたび地球の大気圏に入ると、大気中の汚染物質に毒されて、生命環境を育むか蝕むものに大変身、ハウスダスト(屋内の塵や埃)に紛れ込む。大きい順で三つに分類される。微生物類のモルト(黴、真菌)やバクテリア(細菌)、非生物のウイルス(病毒、病原体)の媒体となる。前者はティック(壁蝨、ダニ)を媒体とするが、ハウスダストを掃除し寝具類を除菌すれば済む。しかし、後者は厄介者、新型コロナ・ウイルスのように、感染経路不明なエアロゾル(空気感染)を介して、より質(たち)の悪い働きをする。

不気味なその悪さを遮断するに、どのような思考のワクチンが必要で有効かを考える。ダスト(塵埃)からなる人間の条件、呼吸や新陳代謝の営みに避けがたいが、光と影・陰と陽のペアとなって働くモノの営みには、元となるDNA構造と解釈可能なRNA機能の二面、螺旋状に伸びる二本鎖の長い紐あり、紐づけされた酵素の組み合わせは、条件や環境次第で変異する。神秀のように、鏡に付着するダスト(塵埃)を日々努めて払拭しないと、瞑想的生も中途半端に終わる。

活動的生は、イデオロギー(観念形態論)の呪縛を打破するが、マルクス・エンゲルスの物質決定論で片付かない側面も忘れない。メッセンジャーRNAのワクチン接種にも選択可能な権利があるように、(因みに、私はファイザー製でなくモデルナ製を選んだ)、言論と信教の自由を公共的正義の要件とする。

活動的生は、トータリズム(全体主義)のリスクに晒されている。慈善事業は共産党主導のお墨付きを要さず、権威主義にも頼らない、ヘゲモニズム(覇権主義)をひた隠しにしたプロパガンダに流されない、日本共産党の志位委員長の中国批判の矢は、その点で的を得ている。自由意志に基づいて移動する存在にシャドー(影)のように付きまとう、ペアとなるものを排除せず、現象学的解釈学乃至理解社会学の対象とすることができる。

それにしても、ミクロであれマクロであれ、世界の根本事象はなぜいつもペアなのか。グリーンの「振動する紐」にして然り、紐解きは解釈学(ヘルメノイティクス)の最も得意とする課題、一方に物質のヒュレー(質量)とエイドス(形相)、これを内から動かすプシュケー(心・霊魂)とプニューマ(精神)が他方にあり、マルクスの「資本論」に加え、ヴェーバーの「プロテスタンティズムの倫理」再考を促し、不在化した「資本主義の精神」にまで討議を遡らせる。クラウドの公開討議場に、ぜひ大塚久雄の再登場を願いたい。

マージナルマン(境界人、アルフレッド・シュッツの用語)への覚悟性は、ウォール・ゲイジング(壁観)する禅師のそれと共通する、物事に静と動あり、動態禅(鈴木大拙)の実践課題は未明のダークマターやブラックホールの謎解きにもかかわること、宇宙の壁に瞑想入りするダルマへの学び、「さまよえるユダヤ人」に話題は尽きない。

バルドヘッド(禿げ頭)はソクラテスとダルマに共通する。前者は当局の用意した毒を飲んで死を選んだが、後者は解毒剤を多用したせいで、歯が欠けて見る影もない。養毛剤も高度な歯科技術もなかった時代のこと、英語のバルドはドイツ語の副詞バルトに由来、加齢に伴い薄毛となり、誰であれ「やがて」そうなる高齢者の宿命であるが、ミッシング・ティース(欠歯)は人為的、何らかのヴァイオレンス(暴力)に抵抗する精神の証、これだけはマスクやウイッグをつけても覆い隠せない。ミッシング・リングについては、水上勉の『禅とは何か、それは達磨から始まった』(新潮選書)を一読されたい。

帽子がマスクの役割を果たしたケースに事欠かない。例えば、ロシアの画家ナタルヤ・ネストロヴァの画像(2011.3/11のマイブログ記事「帽子のある生活世界の原風景」)、最近では、マルクス・ガブリエルのメイン・コンセプト、ガイスト(精神)を参考にしてほしい。7月14日(水曜日)更新

Shigfried Mayer (宮村重徳)copyright © all reserved 2021、法政大学大原社会問題研究所嘱託研究員、理解社会学研究室主任、NGO / NPO法人キャッチ・アシャ-・コム代表

 

脚注1:フランスの学会誌の報告では、地球には毎日5200トンのコスミックダスト(宇宙塵)が降り注いでいたことが判明している。東京大学の観測装置「トモエゴゼン」のレポートでは、宇宙から地球に降り注ぐ質量は毎日1トン、

脚注2:NGO花紐社は10年前に宣言済み、NPO法人キャッチ・アシャー・コムにアップグレード中、新たなドメインが取得できたら、追ってお知らせ申し上げます。慈善活動の詳細については、パワーポイントで作成したものをアップロードする予定ですので、しばらくお待ちください。

2021年5月20日木曜日

パンデミックを終わらせる人間の条件とは

 コロナ禍という未曽有の事件をしり目に、諸学の危機を吹き抜けて、安心無事の宗教学が台頭する。これは、禅の祖師ダルマに学んで、壁観(へきかん)して初めてわかること、旧約聖書『コヘレトの言葉』729節に「神は人間をまっすぐに造られたが、人間は複雑な考え方をしたがる」とある。まっすぐにとはシンプルに、複雑に考えるはコンプレックスの複合的(複利計算的)に考えると言い換えてもいい。

直線に対して曲線を好み、直球勝負に対して巧みに変化球を多投する。これをヒントに、言葉を弄し好奇心から付加価値を追い求めてもよし、その反対に、あえて何も語らず、「仏即是無心」を以て追い求めざるもよし、不安を煽る有事の危機をしかと理解し、安心無事を人道ならぬ獣道にたどること、危機に瀕した事象の虚実を貫いて働くモノを理解する、右回りに神即自然でもいい、左回りに仏即是無心でもいい、歴史の表舞台から退いて無名とあえてなり、自ら無となって働くモノ(根源者、インフルエンサー)を理解しないと、アッバー父の働きに迫れない、複雑に解釈するヒトの知恵も生かせない。

新約聖書『ヨハネによる福音書517節』にある、一切の働きを厳しく禁じる安息日でも、「わたしの父は今なお働いておられる。だから、わたしも働くのだ」との、イエスの言葉が終ぞ誰にも理解できない。真理は饒舌でない、イザヤが4515節で語るのはパラドックス、隠れたる神(デウス・アプスコンディトス)は言葉の綾でない。神は人をまっすぐでシンプルに造られたが、人がコンプレックスにしたがる、それはなぜか。我先にと競い、ワクチン接種予約にひた走る前に、自分の胸に手を置いてよく考えてほしい。

わたしたちが享受する生物学的遺伝子DNA解析やmRNA改変を駆使した先端モデルのワクチン開発技術は、神の領域に深く踏み込んで久しい。もはや造り主を畏れる人なく、医者・為政者のだれも予期せぬ結果に責任が取れない。AIを占い師とし、貧富の格差を広げる機械仕掛けの神・金の小牛の前にひれ伏す日が近いのは目に見えている、これでは先行きが危ぶまれる。

パンデミックを終わらせる人間の条件は何か。危機のピークを見極め安心無事を得るに、尋ね求めるもよし、追い求めざるもよし。大事なことは、イザヤ書511節にある、自分のルートを見失わないよう、「あなた方が切り出された元の岩、掘り出された岩穴に目を注ぐこと」、中国禅で壁観(ビクアン)することに等しい。

道元の言葉(『正法眼蔵』)では心身脱落に脱落心身の両側面を忘れない、偏らないための側写法だ。真理追及のスタイルは真逆だが、アプローチは多様にして多角的なアングルに時間差があっていい。人生半ばで自分を立ち枯れにしない、貧しさを乗り越えて豊かさを身に着けるにも、変位と正位の双極面に意味の位相を見極める上で、パラボレーの技法は役に立つ。詳細は、幻冬舎で出版準備中の『ダルマ・コード』を後で参照してもらいたい。

Shigfried Mayer(宮村重徳)、copyright © all reserved 2021, 理解社会学研究所所長、法政大学大原社会問題研究所嘱託研究員、日本基督教団正教師

2021年5月3日月曜日

心が折れそうな君のために、賢治の詩を朗読する

コロナ禍で苦しむ日本の友へ、マルクス・ガブリエルの哲学はむずかしすぎてわからない、手がつけられない若者たち、今にも心が折れそうな君たちに、新実存主義を先取りした日本モデル、宮沢賢治の詩集から『春と修羅』一読をお勧めする。英語表記のメンタル・スケッチ・モディファイドとは、様々な気苦労で「移り行く心のスケッチ」、文中のツィプレッセンは糸杉、ドイツ語だね。複数形になっている。糸杉は砂漠にも生い茂る神木、旧約聖書の『イザヤ書』(41:19, 60:13など)参照。

読者も詩を各自読み上げて、心に響くメッセージを一緒に確かめてもらいたい。全文は青空文庫にあり、ダウンロードしてアマゾンのキンドル(kindle)でいつでも読めるようにしておくといい。鈴木大拙(『無心』、岩波文庫)の「動態禅」に共鳴するところがある。『考えるヒント』(小林秀雄)以上に、『理解社会学』(ヴェーバー)への確かな手がかり・先行く道を塞ぐ障壁を超える足掛かりになればいい。

春節の因縁、今日は5月3日、4月にブログ掲載予定だった。『春と修羅』は192248日の日付になっている。

 

春と修羅

mental sketch modified

心象のはひいろはがねから
あけびのつるはくもにからまり
のばらのやぶや腐植
[ふしょく]の湿地
いちめんのいちめんの諂曲(てんごく)模様
(正午の管楽(くわんがく)よりもしげく
 琥珀
[こはく]のかけらがそそぐとき)
いかりのにがさまた青さ
四月の気層のひかりの底を
唾(つばき)し はぎしりゆききする
おれはひとりの修羅なのだ
(風景はなみだにゆすれ)
砕ける雲の眼路(めぢ)をかぎり
 れいろうの天の海には
  聖玻璃(せいはり)の風が行き交ひ
   ZYPRESSEN
[ツィプレッセン]春のいちれつ
    くろぐろと光素(エーテル)を吸ひ
     その暗い脚並からは
      天山の雪の稜さへひかるのに
      (かげろふの波と白い偏光)
      まことのことばはうしなはれ
     雲はちぎれてそらをとぶ
    ああかがやきの四月の底を
   はぎしり燃えてゆききする
  おれはひとりの修羅なのだ
  (玉髄
[ぎょくずい]の雲がながれて
   どこで啼くその春の鳥)
  日輪青くかげろへば
    修羅は樹林に交響し
     陥
[おちい]りくらむ天の椀から
      黒い木の群落が延び
       その枝はかなしくしげり
      すべて二重の風景を
     喪神
[そうしん]の森の梢から
    ひらめいてとびたつからす
    (気層いよいよすみわたり
     ひのきもしんと天に立つころ)
草地の黄金をすぎてくるもの
ことなくひとのかたちのもの
けらをまとひおれを見るその農夫
ほんたうにおれが見えるのか
まばゆい気圏の海のそこに
(かなしみは青々ふかく)
ZYPRESSEN
しづかにゆすれ
鳥はまた青ぞらを截
[き]
(まことのことばはここになく
 修羅のなみだはつちにふる)

あたらしくそらに息つけば
ほの白く肺はちぢまり
(このからだそらのみぢんにちらばれ)
いてふのこずゑまたひかり
ZYPRESSEN
いよいよ黒く
雲の火ばなは降りそそぐ

 

Shigfried Mayer(宮村重徳)、copyright © all reserved 2021, 理解社会学研究所所長・法政大学大原社会問題研究所嘱託研究員

 

2021年3月29日月曜日

人工知能と実質倫理学の喫緊課題、ベーコンに学ぶ

  人工知能AIは、ボリュームの傾向を予測し偏りを定量分析できても、傾向や偏りの良し悪しを定性判断できない。物事の良し悪しは人の目線を必要とする、分析総合判断する実質倫理学(シェーラー)の課題、殊更に人倫形而上学(カント)と言わずとも、富の収奪と偏り・拡大する貧富の差に人目(日常の観察者、人間感覚)が必要なわけを理解する。心身の入出力のスイッチを確かめ、社会的自己の整腸活動を助ける倫理学のフィールドである。

 フランシス・ベーコンの『レビヤタン』(ヘブライ語でリヴァヤータンは『ヨブ記』の怪獣)を参考にすれば、人工国家は砂上の楼閣か天がけるバベルの塔の試みでない。既成国家制度への挑戦だったことがわかる。一党独裁的国教会の権威への果敢なチャレンジ、愉快ではないか。コロナ禍ですべての価値秩序が壊れエントロピー(破局)に陥って見通しが着かない今日、カモフラージュされた数値データに騙されない。

ワクチン接種が終わっても油断しない、マスクとソーシャルディスタンスが欠かせない、言葉を食する存在者の生活改善は二十一世紀枠の喫緊的課題、まずは徹底した口内ケアから、ベーコンエッグ(笑)にオールブラン(発酵性食物繊維)、加えてヨーグルトがお勧め。ウイルスの変異株に屈しない自助能力を高め、民主化運動の自己免疫力を取得させる、柔軟な知性改善の実験モデルケースとして参考になるかも。

Shigfried Mayer(宮村重徳)、copyright © all reserved 2021、解釈学研究所所長・理解社会学研究室主任、法政大学大原社会問題研究所嘱託研究員

2021年2月8日月曜日

ストーはラガー、ストウと違う、禅のマイスター修行へ一里塚

 わたしの好みはメルシャンの赤ワイン、酸化防止剤未添加のグラス二杯を寝酒とする。心地よい就寝と目覚めは保証付き。飲みやすさではリキュール類の本麒麟もいいが、中でもラガービールが一番のお気に入り。ストー(stow)は仕分けしてバッグに仕舞い込む、倉庫はストアハウス(storehouse)、ドイツ語でラーガー(Lager)に収める、戦略物資を蓄える・レーゲンする(legen)、フィールドに設営された陣営をラーガーという。ラガーは英語のストーに同義、物品をスキャンし棚のバッグにストーする、仕入先がストア、ストア(store)はいつでも取り出せるよう戦略的に蓄える、その点でストー(stow)と異なる。

何でこの話かと言えば、わたしが今㈱アマゾンジャパンで目指す仕事目標がストーマスター(stow master)だから。ストーする効率性を競う、マイスター修行に年齢は不問。二十代の青年たちに負ける気がしない、起き上がり小法師は不屈の人・禅の祖師ダルマに倣うことが、日毎夜毎の楽しみとなっている。振り返れば、九年間ウォールゲイジング(壁観)して今はエイジングゼロ、老いることを忘れて久しい。大事なことは、ストレスを溜めない・ストーしたものは流して後に何も残さない、悔いの在庫を脳幹に残さない。

新型コロナウイルスの脅威を何者ともしない。無念や怨念・祈念までも掃き捨て空の実践(ケノーシス)を惜しまない。ワクチンもまたトリックの一種、トリックまがいの薬物療法にも依存しない、真に自律・自立への道をたどる旅心、もちろん煩悩(パッション)の一を離れてゼロの悟りは無い。〇・△・□の達磨図で知る、彷徨(さまよ)えるヒトに共有された一里塚、これは大島淑子(フライブルク禅アカデミー主幹)のハイデガー研究を経て、マイスター・エックハルトの神即無を理解して初めて見えた峠道、牧師にしてダルマの禅に学び掴み得たこと、職場でストーマスターを志すに至ったのは偶然だが、日々是好日は偽らざる心境。すべて、ヴェーバーの理解社会学で後付けすることができる。ヤスパースやフランクルの時代精神の病理学は、適宜の傍証となる。

 虚無勢力の爆発的感染拡大にも恐れを知らず、普段から口内ケアに細心の注意を払うことで、彼我の公衆衛生を最優先する、その上で混沌とした政治社会経済の界面下に働く力のモーメントを理解すること。禅師が教えるソーシャルディスタンス、しかと面壁して目を凝らせば、身辺にダークマターの見えざる経路が見えてこよう。追ってお知らせするが、早晩研究会か読書会を再開する。3月27日更新

Shigfried Mayer(宮村重徳)、copyright © all reserved 2021, 理解社会学研究所所長、哲学宗教解釈学研究室主任、法政大学大原社会問題研究所嘱託研究員

2021年1月4日月曜日

年頭所感;希望の原理を生きて思考のワクチンとせよ

  新年の挨拶代わりに、若き日の思い出を一つ。ドイツ留学時代に遭遇したエルンスト・ブロッホ教授の強烈な印象が、今でも脳裏に焼き付いていて忘れられない。南西ドイツを流れるネッカー河畔の大学町、テュービンゲン大学の哲学部演習室に、女性アシスタントを伴って登場するないなや、老教授が雷鳴を轟かすばかりの大声で講義を始める。よく聴こえないのか、質問があると耳元でわっわと大声で伝える彼女に促されて、またしてもこれでもかと声高に、万象はそのつど既に然りと未だ然らずの間隙に生じるのだと、核心を煎じ詰めて学生たちにずばり応答する。コロナ禍の今で言えば、マスクもなしフェイスシールドも付けないで、感染リスクをものともせず、唾を撒き散らして憚らない。学生たちはその飛沫を浴びて、圧倒されてなるほどと頷くのみ。ベルリンに壁が建設された1961年から数えて28年目、198911月9日にその壁が崩壊した当時の教育現場の風景である。

 山下肇の訳では希望の原理だが、希望と原理は同格なので、原意は希望という原理である。先行き不透明なコロナ禍の感染拡大のリスクに怯えるばかりの今日に必要なことは、パンドラの箱のギリシャ神話で周知の希望は災禍でない、既にと未だの間隙を生き貫く、希望という原理の社会実践あるのみ、と言い換えることができる。ブロッホはユダヤ人哲学者、東西ドイツ分断の象徴となったベルリンの壁を念頭にした言葉、マルクシズムの系列を逸脱した異端視される存在だが、西ドイツ亡命後に親交を得てハイデガーの弟子となったルカーチに強い影響を与えた。ティリッヒの存在への勇気は、思考の系列ではハイデガーに属するが、遠からずその結果を受ける。

 青年諸君、コロナ禍で生活基盤を奪われ、何処にも立つ瀬無く苦悩する君たちに必要なことは、それでも既にと未だにの垣根に花咲く命の萌芽に目を細める、パーソナルにしてユニバーサルな働き手、微にいり際にいり、老子の天網恢恢(てんもうかいかい)であれ無名菩薩や隠れ天主が誰であれ、一人漏らさず諸君を包括する存在を内外に見極め、働くモノをヒト自身に見届ける美学の探究だろう。AIに職場を奪われ思考停止に陥る前に自分で考えてほしいこと、質問があったら受けて立ちたい。

Shigfried Mayer(宮村重徳)、copyright © all reserved 2021, 解釈学研究所所長、理解社会学研究室主任、法政大学大原社会問題研究所嘱託研究員