2011年1月23日日曜日

「分水嶺」に辿る、社会言論史考

Einführende Geschichte der Sozial-Rede an der "Wasserscheide"
 このコスモス(世界)に、「立つことの出来る場を我に与えよ」(ドース・プー・ストー)とは、古代ギリシャの哲学者が言ったことです。ドイツ語にすると、"Gib mir (Platz), wo ich stehen kann!" です。それ以来、職の場を求めるニーズは、いつの世も変わりません。マニファクチャーがイギリスで成立した近代以降、しかもフランスの人権思想に後押しをされた「機会均等法」が公布されて以来ですね、いっそう職場の争奪戦・就活の厳しさが増しています。特にデフレの時期では、需給のバランスシートが崩れるので、相当に厳しい環境が予想されます。新規採用への抑制が働いている、その様な困難な状況の中で、自分の居場所・働く場所を探すとは如何なることか、「分水嶺」に辿りつつ一緒に考えてみましょう。
 複数員で構成されるゲマインシャフト群像の歴史(働くモノとヒトの社会言論史)には、山あり谷ありの目に見える表層の起伏だけでなく、深層の至る所に見えざる岐路(水面下に隠れた分節点・分岐点)があります。ヒトで有る故の、喜怒哀楽を巡る仮初めの「共感」(シェーラ-)や、合わせ技に近い「感情移入」(リップス)でない、相手の予想することに準拠した「諒解行為」(ヴェーバー)をするにしても、ヒトで有ること(主観と人称、ペルソーナ)の屈折点・見えざる分岐点までは予想しがたい。就活中の諸君(歴史的個人)が集団社会(利害に絡むゲゼルシャフト)に埋没しない為には、働くモノの屈折点・見えざる分岐点を、第三人称の目線で追えるようにしておくこと。見えざる協定で束ねられた第三人称世界の「諒解関係」を理解し、これに応えうる自己分節化の働きを、座標上に点と線を描き繋ぐようにして、直観的に把握できるようにしておかなければなりません。
 わたしが正しいと思ってすること(主観性の原理)を、誰がしても法則的に妥当する普遍性(誰もが客観的な見積もり可能性として認めるレベル)へと高めるには、何が必要でしょうか。人格性と非人格化の働きを転倒させる、営利追求的資本主義社会の巧妙な「絡繰り」(Kunstgriff, optische Täuschung)を見破り、上下左右の出方を予想可能な言語感性を磨いて、自分たちのすること(協働行為)を、万人に妥当する意志的行為となるよう、実践理性の「格率」(カント)を高める必要があります。労働組合の運動も然りです。カントの確率論は、唯物史観の批判者で法学者のシュタムラーを論駁するヴェーバーにとって、最良の《手》引きともなる、「目的合理性」理解の要石(大前提)です。
 就活中の諸君にとって、そのようなことを考えるのは面倒かも知れません。でも、行く先が決まり働く目的がはっきりすれば、それまで面倒だった長い紆余曲折の道のりを、最短距離で済ます(合理化する)ことが出来ます。七日間仕事するのは週末に休み(有給休暇)を得るためであり、休むのは次の七日間の仕事を成し遂げるためです。目的次第で、仕事ぶりも休日の過ごし方も、今までとは一変するでしょう。目標が定まれば、無駄なことは止め余計なことは掃き捨てる、趣味の遊びも控え努めて「節約する」(貯蓄する)ようになるでしょう。これが目的合理性です。ヴェーバーは、目的合理的行為が「一番明証的」だと言っています。
 別の譬えを用いて説明します。君たちが自分で正しいと考えて目的合理的にすることが、「諒解関係」の世界で妥当する為には、生涯に一度でいい、しかし必要に応じて何度でも、「分水嶺」(Wasser-scheibe, watershed)となる「峠」(Bergpass)に佇み「安らう」(濁りを「澄ます」)という、自分を納得させるに十分な「明証性」(Evidenz)の体験が必要です。峠が分水嶺となる其処から、雨水が地下に浸透し源泉(Quelle)となるように、例えばシュワーベンの山の麓から、突如大量の水が懇々と湧き出て、ドナウ川の支流となるブラウボイレンの泉(Quelle)のように、歴代のマイスターたちが《人差し指》を立てて彼方を望ませる峠道の、分水嶺で安らう私たちの関心(Inter-esse)が、尽きることはありません。
 就活で挫折しそうな君たちへ。目の前に自分の「壁」となって立ちはだかるモノ、それが君たち自身の越えるべき峠であり分水嶺となります。考えるヒントは以下の通り、どこにでもある「路傍の石」です。若き日のハイデガーも、例外ではありませんでした。就活中の彼が「戦時短縮講義」(『大学とアカデミー的研究との本質について』、1919年夏学期)で自ら「職業」について触れるとき、同年の初頭にミュンヒェン大学でなされたヴェーバーの講演(『職業としての学問』、1919年1月)が念頭にあり、発話の動機(源泉)となっていたのではないかと考えられます。これはヴェーバー自身に於いても然り、彼が1913年に『理解社会学のカテゴリー』論文を「ロゴス」誌上に掲載して関係者を驚かせたとき、シュタムラーの『唯物史観からみた経済と法』(第2版、1906年)が直接の引き金となったとは言え、ジンメルが先駆けて発表した「理解」についての諸論文(『歴史哲学の諸問題』、1892年)があり、やはり同年の初頭に出版されたフッサールの『イデーン』1(1913年2月)を加えて、この三つが相俟って一つの《手》となり、ヴェーバー自身に「理解社会学のカテゴリー」構想を迫り実現させています。彼が佇む其処は、眼下に分水嶺を覗かせたあの「峠道」に通じています。ゴットルやマイヤーとの論争は、但し書きをする二次的参照に過ぎません。何を語りどう行為するにしても、《手》を使い「考える」ことの源泉との「近さと遠さ」が問われる所以です。
 最後に私事で恐縮ですが、私の体験を添えておきます。1999年に明治大学で為された大島淑子先生の講演、『近さと遠さ-ハイデガーの芭蕉との邂逅』(2003年)が、その後の私の研究活動を左右する分水嶺となりました。読者の中で教職経験のある方であれば、同様の「軸足の転回」を余儀なくされた体験をお持ちではないでしょうか。「分水嶺に辿る社会言論史」について、ぜひ、ご自分の貴重なご体験をお聞かせください。新年度は「文化と芸術」を担当する立場から、ハイデガーの『芸術作品の根源』(1934/35年)を取り上げる予定です。「科学への反目と詩作への信仰」(レペニース)がドイツ・イデオロギーとして流布するに至る獣道を分析し、ルサンチマン論やロマン主義系譜の批判だけでは言い尽くせない、社会言論史の「根源」(源泉・分水嶺)にまで迫ります。

Shigfried Mayer,  copyright all reserved 2011 by 宮村重徳, the Institute for Rikaishakaigaku 

2 件のコメント:

  1. ヘアーノダ2011年1月26日 21:49

    すっごく難しいお話でした。

    私のまだ少ない人生で分水嶺?みたいのがあるとすれば、高校時代、かなり大きく進路を変えたときでしょうか。たしかにある目的をもって進んだ私はとってもいきいきしていました。そのときの決断は本当に正しいものだったを今確信しております。そしてその経験は今の生活に大きく反映されています。あのときが目的合理性?ってことですかね!

    目的を見出すのは難しいと思います。しかし、今後も目的を探し続けていきたいです。

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  2. ヘアーノダ
    進路決定が最初の関門、避けて通れない一つ目の岐路ですね。私も14歳の時、家督を継ぐか勉学を優先するかで、ジレンマに陥ったことがあります。目指す行く先がはっきり見えているわけではない。すごく不安ながらも自分(の直観)を信じ、たとえベターの判断だったとしても、選んだ目標を成し遂げるまで、自分の欲するところを貫徹することです。差し当たりの自分の目的に見合った手段(勉学先・就職先・友人関係)を選ぶことで、結果は後から付いてきます。ただ、手段や目的は人間のすることですから、選択に失敗することもあります。あとは失敗の経験から何を学ぶかです。「諒解」しあう人間社会では失敗は許されないから、水面下で軌道修正する自分の覚悟性が問われます。随所に、見えざる分岐点(第二第三の分水嶺)に遭遇するでしょう。その時になっても慌てないで、今選ぼうとする道が何処へと通じているのか、自分を「呼び出す」モノの働きについて、冷静に考えてみる必要があります。ヘアーノダ、社会が求め要請する何か(目的合理的な働き)があって、それが君を選ぶ・呼び出す(berufenする)んですよ。君自身が選んだつもりでもね。神からであれ天からであれ、それを「天職」(Beruf)につくと昔の人は言ったのです。

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