2021年1月4日月曜日

年頭所感;希望の原理を生きて思考のワクチンとせよ

  新年の挨拶代わりに、若き日の思い出を一つ。ドイツ留学時代に遭遇したエルンスト・ブロッホ教授の強烈な印象が、今でも脳裏に焼き付いていて忘れられない。南西ドイツを流れるネッカー河畔の大学町、テュービンゲン大学の哲学部演習室に、女性アシスタントを伴って登場するないなや、老教授が雷鳴を轟かすばかりの大声で講義を始める。よく聴こえないのか、質問があると耳元でわっわと大声で伝える彼女に促されて、またしてもこれでもかと声高に、万象はそのつど既に然りと未だ然らずの間隙に生じるのだと、核心を煎じ詰めて学生たちにずばり応答する。コロナ禍の今で言えば、マスクもなしフェイスシールドも付けないで、感染リスクをものともせず、唾を撒き散らして憚らない。学生たちはその飛沫を浴びて、圧倒されてなるほどと頷くのみ。ベルリンに壁が建設された1961年から数えて28年目、198911月9日にその壁が崩壊した当時の教育現場の風景である。

 山下肇の訳では希望の原理だが、希望と原理は同格なので、原意は希望という原理である。先行き不透明なコロナ禍の感染拡大のリスクに怯えるばかりの今日に必要なことは、パンドラの箱のギリシャ神話で周知の希望は災禍でない、既にと未だの間隙を生き貫く、希望という原理の社会実践あるのみ、と言い換えることができる。ブロッホはユダヤ人哲学者、東西ドイツ分断の象徴となったベルリンの壁を念頭にした言葉、マルクシズムの系列を逸脱した異端視される存在だが、西ドイツ亡命後に親交を得てハイデガーの弟子となったルカーチに強い影響を与えた。ティリッヒの存在への勇気は、思考の系列ではハイデガーに属するが、遠からずその結果を受ける。

 青年諸君、コロナ禍で生活基盤を奪われ、何処にも立つ瀬無く苦悩する君たちに必要なことは、それでも既にと未だにの垣根に花咲く命の萌芽に目を細める、パーソナルにしてユニバーサルな働き手、微にいり際にいり、老子の天網恢恢(てんもうかいかい)であれ無名菩薩や隠れ天主が誰であれ、一人漏らさず諸君を包括する存在を内外に見極め、働くモノをヒト自身に見届ける美学の探究だろう。AIに職場を奪われ思考停止に陥る前に自分で考えてほしいこと、質問があったら受けて立ちたい。

Shigfried Mayer(宮村重徳)、copyright © all reserved 2021, 解釈学研究所所長、理解社会学研究室主任、法政大学大原社会問題研究所嘱託研究員