2022年8月19日金曜日

春先に修羅場の予感、夏場も不安な暗夜行路のDX

  今なぜ再度、宮沢賢治の『春と修羅』の話かといえば、春はスプリング(Spring)、新芽を膨らませ葉の表面を張る季節もともと「跳ねる」意味があることからバネ(弾力的なスイッチか安全弁のホックを指すどのような変異ウイルスのリスクに晒されても動じない跳ね返す心のバネ、柔らの術を身に付ける、コロナ禍のカオスに惑わず獣道に迷わぬよう、自分のルートを探りあて、根源Ursprung)から離れた距離と角度を測るのみ

 猛暑の夏場に終戦日を迎え、DXの商機にもたつきながら、水分塩分の補給だけは欠かせないが、強靭なシステム体に心のバネがないspringlessと、弱り目に祟り目(Weak eyes and course eyes, or: Misfortunes never come single [singly].、話題中のローコードにノーコード、せっかくのアイディアも絵に描いた餅になりかねない、社会的自我も内奥的自我も仕分け漏れ、戦わずしてホックを失い衰退する。 

 サイクルエラーなどこわくない、ビンエラーがなくなるまで、シンプルに何度も流し直せばいい。解釈は力だからね、ワクチン開発でも然り、最新情報に絶えず更新しないと、効力を失い萎びて使えなくなる。8月31日更新

宮村重徳(Shigfried Mayer), copyright © all reserved 2022, 法政大学大原社会問題研究所嘱託研究員