2016年12月22日木曜日

故・柳田聖山先生を偲ぶ

 禅関係書の中で、私が一番よく読むのは、柳田聖山先生編集の『二入四行論』と主著『ダルマ』ですね。以前聖書を読んでそうだったように、これも手垢で汚れ、ぼろぼろになる寸前です。住まいの隣が曹洞宗の慈眼寺とあって、最近は日本達磨宗の『三論』と取り組んでいます。禅宗史の常識を覆す『中世禪籍叢刊』が京都の臨川書店から出版されています。「近代のプロテスタント宗教改革に似た」何かが古代日本を席巻した。西洋直輸入のキリスト教が日本で流行らないわけです。ボンヘッファーが云う「宗教改革なきプロテスタンティズム」の萌芽を見ているようで、密教以上に目が離せません。日本曹洞宗の躍動に期待したい。

2016年12月10日土曜日

語り得ざるモノへの畏敬

ダルマの禅には奥深いものがあり、汲めど尽きせぬ学びの毎日です。み言葉への学びと同時に、語り得ざるモノの働きに傾聴することがどれほど大事か、思い知らされています。

2016年12月3日土曜日

沈黙の大衆(サイレント・マジョリティー)の賭け

 アメリカ合衆国の次期大統領にトランプ氏が選ばれた背景に、「沈黙の大衆」、サイレント・マジョリティーの賭けが働いていたことは間違いない。経済的手腕を買ったのだろうか。それでも、移民系を排除する排外主義的政策に懸念は尽きない。シリコンバレーのベンチャー企業は、例外なく移民系の創業者たちである。スティーブ・ジョンズにして然り、グーグルやヤフーを生んだのも、移民系の人々の活力の故である。Succes follows people, not the thechnologyとは、それを物語る。トランプ現象が、アメリカの大国主義的経済復興を夢見るだけであればいずれ破綻しようが、意外な展開もあり得る。国際政治に断定は禁物である。大統領就任後に、一抹の望みではあっても、同氏が変身する可能性を、誰も一概に否定することはできない。錆びくれた鉄の町デトロイト周辺の経済復興に成功するかどうか、シリコンバレーに代わる具体策があるのか、お手並み拝見の試金石となる。
 ということもあり、これを機に、世代を風靡する「現象とは何か」を考えてみるのも悪くない。さしあたり、フッサールの現象学(『イデーン』)を学び直すことから始める。フッサールで物足りないと思えば、シュッツから読み始めてもいい。いずれもドイツ語原文での講読会であるが、「無の現象」を真摯に受け止め、社会学言論の対話課題として捉え直すことが目標である。関心があったら、声をかけてほしい。12月6日(火)更新

 

2016年11月14日月曜日

エヌ・ピー・オー法人、花紐社の立ち上げについて

 ブログサイト「理解社会学の工房」を初めて六年の歳月が経ちました。読者の皆様には心より感謝申し上げます。実は、これに前後して「花紐社」(かちゅうしゃ)というベンチャーを創設していましたが、多忙な研究活動の為に休眠状態でした。この度長年の研究論文が完成したこともあり、七年目に当たる次年度に、この花紐社を本格的なエヌ・ピー・オー(NPO)法人として登録し活性化することにしました。設立目的は、世代交代を支援し円滑にすることです。無牧で困っている教会、後継者・代務者がいなくて困っている組織、立ち往生のリスクに晒されている寺社等を登録していただき、ご相談に乗ることに致します。
まずは情報をお寄せください。思想・信条・宗派・宗門のいずれを問わず、相談を受け付けます。何ができるかは、何を必要とされるのか、それ次第です。応援説教や宗教講話でお助けすることも出来ます。教会や寺社が閉鎖・廃屋に追い込まれる前に、皆で知恵を出して協力し、明日の世代を担う子供たちの為に有用なコミュニティーまた生涯学習の場所として再生できるよう努めていく所存です。必要となる協力者の申し出があれば歓迎します。また資材の寄付や資金援助を受け賜わることができれば光栄です。11月15日更新。
 理解社会学研究所長、花紐社代表、宮村重徳

2016年11月9日水曜日

若者たちの夢を打ち砕いた最悪のシナリオ、どう向き合うの?

  ドナルド・トランプ氏のアメリカ合衆国大統領選出で、誰が喜んでいるのか知りたいものだ。少なくとも若者たちではない。錆びた鉄の町デトロイトを中心とした失業者達を含め、白人を中心とした没落組、壮年以上の人々が彼に投票したと聞いている。彼に何等かの変革への望みをかけた気持ちはわかる。しかし、政治音痴の彼にである。明日を担う若者たちの失意は隠せない。多民族国家の合衆国が今後どうなるのか成り行きを見守る他ないが、こんなにも見通しが立たない選挙結果を見るのは初めてだ。明日の見通しが立たないということは、正直に言って怖い話である。新大陸に夢を託したハンナ・アーレントの政治哲学が、不毛な荒れ地に晒されて忘れ去られようとしている。残念だが、アメリカンドリームの化けの皮がはげ落ちるのを見守る他ない。

2016年11月1日火曜日

久松愼一『無の成就』の独訳者・平田高士氏を悼む

 僭越ながら、一言コメントすることをお許しください。Die Fülle des Nichtsを「無の無量さ」と訳したのでは誰も共感しません。久松眞一先生の「東洋的無の性格」は、「無の成就」でこそ驚くのです。1975年頃だと記憶していますが、指導教授のユンゲルに久松愼一先生のドイツ語訳本を私が誕生日のプレゼントに差し上げたところ、「ダス・イスト・アーバー・ウンメークリッヒ」と叫んでおいででした。邦訳すると、「無が成就する?そんなことはあり得ない、不可能だ!」となります。久松先生の御本を平田高士氏か共訳者のJohanna Fischerが die Fülle des Nichts 訳出されたとき、欧米人の驚きを予想してそのように訳されたのではないでしょうか。言葉は存在の家(ハイデガー)、語ったことが成就すると言えば、誰でも理解できます。しかし、語らなかったこと、そもそも無いもの、無なるものが成就するなど考えられないからでしょう。驚嘆し唖然とする他ない。そうではないでしょうか?
 訳者の平田高士氏が2006年に亡くなられたとのこと、FASサイトの常盤義伸先生のご報告で知りました。遅ればせながら、心よりご冥福をお祈りいたします。11月3日(木)更新、Shigfried Mayer(宮村重徳)

2016年10月16日日曜日

「心」は有るの?それとも無いの?よく考えてみると

「心」は有るのか。言語派社会学者の橋爪大三郎は無いと云う。では、苦労ばかりの人生に意味がないというとき、その意味なるモノは何処かにあるのか?リトマス紙で試してみても、何の色も検出されない。困ったことに無色透明である。生きると云うことが意味あることだとして、その「意味の意味性」を実証しようとしても、所詮無理難題で無駄なことではないか。確かめようが無い。心についても同じことが言える。心が無ければ苦労しない。「存在する意味」など見える代物でない。見えないものを見る、それが宗教また哲学の課題だろう。社会学でも変わりない。意味の意味性は、実体性が有るのか無いのか確認を待たない。それ以前の問題だろう。言語ゲームの解説ではいずれ行き詰まる。我が身で有るの意味は何か、その如何にを考えることから一切は始まる。そうではないか。意味は有るモノでなく、共に考えて一体を為すモノ、ゲマインシャフト(共同体)の構成的要件である。論理実証主義者のお喋りは程々にして貰いたい。読む限り、キリスト教と仏教の基本認識に間違いが多くある。橋詰大三郎『「心」はあるのか』(ちくま新書)を読んでの感想文。


2016年9月26日月曜日

ディスクレパンシーとイクワリティーの狭間で考える

説明しても理解できない、理解しても説明できない。迷走する台風予報の話じゃないよ。考えようとすると、ジレンマに陥るからいやだよね。でも、スマートにしか考えないでいる(ショートカットで済ますことに慣れてしまう)と、砂を手づかみにするときのように、当たり前の現実が捨象(しゃしょう)されてするりと落ちこぼれ。後に何も残らない。話が違うと焦っても、いつの間にか説明が追い付かず、理解するどころの話ではなくなる。そうでしょう?近代人が陥ったディスクレパンシーのぶい・モードは、そろそろおさらばにしたいね。
どう考えていいかわからない?さあ、スマートフォンの電源切って、何もない壁の前に座って自分に問いかけてごらん。俺って、何してんだろうって。説明しても理解できない、理解しても説明できない何かが見えて来たらしめたもの。
うん、即答とはいかないね。漢字平仮名交じりで「さらば、格差(ディスクレパンシー)を勝利方程式にする社会よ」ではどうかな。周りのみんなと同じでは退屈でしょう。正直に、あるがままを生きたらいい。でも、機会平等(イクワリティー)を模索し、皆と和合して生きる工夫をしないと、独りよがりになる。考えるって大事なことだよ。
10月9日(日)更新。
Shigfried Mayer(宮村重徳), copyrights © all reserved 2016, the Institute for the Interpretative Sociology Tokyo


2016年9月11日日曜日

生きるも働くも甲斐あればこそ、ずばり「意味の意味性」次第だね

早稲田大学の大隈講堂で催された第75回日本宗教学会の公開講演、上智大学名誉教授クラウス・リーゼンフーバーの「意味への問い」に、久々の爽やかな共感を覚えた。ぼそぼそとお話になるので聴きとるのが大変だったが、「意味の意味性」としてあるものが存在と繋がる。存在そのものに意味があり、それが一方で宗教の根幹に係わり、他方で哲学の根本問題にも触れる。意味のあるところから考えることが始まるのだと言われる。ずばりその通りだと思う。いつか以前に、大島淑子先生が「指の指性」で同様のことを仰っていたことを思い出す。ハイデガー卒業など以ての外、読み直しは必至だね。
 もう一つの発見は、帝京大学濱田陽氏の「文化の時計」としての「十二支考」論。野生の思考として南方熊楠の十二支考を考察される。内に蓄えられた曖昧な記憶層が、鍬でぐいぐい耕し直される体験をした。リーガロイヤルホテルでの懇談会のご馳走よりも、ずっと味わい深い話の連続に感謝あるのみ。私が発表した「ダルマの壁観と譬喩解釈-宗教社会学言論考」は、学術大会に一輪の花を添える程度に過ぎないが、研究成果には大いに満足している、今夜はぐっすりと眠れそう。
9月12日更新
Shigfried Mayer(宮村重徳)

2016年8月29日月曜日

ひょっとしてグー、じっと見てパーの夏祭り、終わりにしたいね

   おませだね、冴えてるね、子どもたち、驚くようなことを口にする、何事も平気で問うて憚らない。ポケモンGOとなると、子どもも大人もない。夜空を彩る打ち上げ花火に、見とれる世代の違いを感じさせない。ひょっとしてグー、じっと見てパーの夏祭りで話を終わらぬよう、しっかりと心の緒を締めないと、ねぇ、タモリさん。
  僕たちも大人の振りを捨てて、子ども心を取り戻しもっと素直になりたい。初めて問うことであるかのように、憚らずに自分に問いたい。自分に対するように、ダルマさんに倣い、万人に対する開かれた、実りある対話の秋を願いたい。

2016年8月15日月曜日

ルールがあってこその国際平和の祭典でしょう?

終戦でない、敗戦のこの日(815日)に我思う。オリンピックの競技に感動するのは、仮初でも、ルールに徹した競技を皆が実践しているからだ。国際政治社会にルールがあっても、ルールを守るというのはうわべだけで、だれも本気で守ろうとしない。それはなぜか。国際ルールを無視した利権主義に覇権主義の争いが相次ぎ、誰もが辟易していよう。政治家たちがこれでは、いつになっても国民主権の平和の祭典が祝えない。確かに、諸国間での諒解規則は曖昧だが、互いの期待を読みあい先取りすることで、了了常知の信頼関係を築けるチャンスと蓋然性が、ほら此処其処に事実存在するではないですか。
「自分にしてもらいたいと思うことは、何でも他の人にする」だけでいい。これが黄金律と言われる(『マタイによる福音書』712節参照)。二度と悲惨な戦争を望まない、関係諸国が手を取り合って、諸国民や民族間の融和を図り、国際平和の絆を誓う非戦の祭典が、2020年までにと云わず、次世代を担う子供たちの日常世界に齎されるその日を間近に願いたい。平和の使徒、ダルマの安心壁観を一里塚にすれば、望まれる安楽卿が眼下に見下ろせるようになるでしょう。もう、経済不況を口実に、人間不興への無策は止めにしたいものです。
イスラム諸国とキリスト教国が争う理由など無いのです。集団的自衛権の名目で、自分の利権に拘り、密かに自我を主張する一部の困った人たちを除いてね。
Shigfried Mayer(宮村重徳)

2016年7月22日金曜日

二〇一六年七月現在、研究経過報告

 右手にダルマの『二入四行論』、左手にアーレントの遺稿『精神的生』。取り合わせは偶然ですが、意外な共通点があって面白い。瞑想的生と活動的生をかけて何と解く、その心は精神的生?でしょうか。
 食する暇も惜しみ寝る暇も忘れて、僭越ながら、目下ダルマの『二入四行論長巻子』の訳注書を鋭意執筆中です。日本に戻ってこなかったら、ついぞ取り組むことも無かったであろう課題ですね、感無量です。小鹿が原野を駆け抜けるように、年甲斐もなく、充実した毎日、心が躍動して押さえるのに一苦労です。
 早稲田大学で開催される秋の宗教学会で、「ダルマの壁観と譬喩解釈 -宗教社会学言論考」を発表する予定。その一部成果を紹介できると思います。それから、三月に『独逸学研究』70号に公開したドイツ語論考の正誤表を作成中、次年度に各大学に配布する予定です。
Shigfried Mayer(宮村重徳)

2016年7月4日月曜日

不思議な縁ですね。あなたに魅了されて底知れない

 ハイデガーやアーレントの比ではない。無名法師のダルマさん、あなたの『二入四行論』に魅せられ、今度は慧可に驚かされて余りある、食する暇も寝る暇も惜しまれるほど、毎日が発見と驚きの連続です。
 詳細は、秋に早稲田大学で開かれる日本宗教学会学術大会で発表します。それまでお楽しみはお預けです。

付記:7月10日(日)は参議院選挙の日ですが、予定通りアーレント公開セミナーを開きます。詳細は、イベント・アラカルト参照。

2016年6月25日土曜日

イギリスの国民投票は拙速、すぐに揺り戻しが来るよ

 残留派と離脱派が拮抗していると思ったが、国民投票の結果には正直驚かされた。イギリス国民は欧州連合離脱を意思表示したが、必ずやしっぺ返しが来る。スコットランドや北アイルランドで国民投票が実施されたら、今度は各地でイギリスからの独立運動が再燃し、国家分裂の危機から窮地に陥るだろうと考えられる。すると、反動として揺り戻しが起きるに違いない。わたしはそう読んでいる。EU残留に期待をかけていたイギリスの青年たち、まだ決着がついたわけではない。あきらめず、時が熟するのを待ちましょう。まずは身の回りの経済的混乱を鎮めることが大事だね。

予想した通り、早速揺り戻しが始まった。今日付のドイツの代表紙ツァイトのニュースによると、イギリス国民投票の結果をめぐり、2度目の国民投票を求める声が広がっている。政府が設けるオンライン請願サイトに100万件以上、現在150万件に近い署名が殺到している。イギリスでは、新たに国民投票を行うには立法手続きが必要で再実施は難しそうだが、サイトに登録された請願内容は、「投票率が75%以下で、残留派か離脱派が60%に達してない場合は、2度目の国民投票を行うべき」というもの、政府に新しい規則の履行を求めている。
そもそもEU残留と離脱を巡る問題は、僅少差の過半数で決着すべき問題ではない。そうでないと、過半数の国民が切り捨てられることになるから、民主的国家に相応しくない。署名者は残留派の若者やビジネスマンが多いロンドン中心で、25日午前までに約116万件の署名が寄せられた。前日の24日には署名が殺到し、一時サイトが使えなくなったという。このサイトで署名が10万件を超えると、議会での議論を検討する対象になる。離脱の結果が覆るわけではないが、150万人の署名を政府が無視できるはずがない。今後の進展に注目したい。
日本の若者たち、7月10日(日)は君たちの出番だよ。(6月27日更新)
Shigfried Mayer(宮村重徳)

2016年6月23日木曜日

つながりすぎてうざいよね

  若者世代のファイスブック離れに、歯止めがかからないようだね。せっかく盛り上がった交流の場も、いつの間にか中高年(親世代)に乗っ取られて、つまらなくなっている?つながりすぎて、つながりたくない?普及しすぎて低調になり、フェイスブックのサービスから逃げ出してどこに行くの?行く当ても無かったら、こっちにおいでよ。コーヒー飲んで、一緒に楽しく語らいましょう。堅苦しいフェイス対フェイスでなくても、気楽に相談して、つながりすぎてうざいその気持ち、ごみ箱に掃き捨て、曇より後晴れに切り替えよう。

2016年6月10日金曜日

二〇一六年度公開セミナー、アーレント講読会のお知らせ

 獨協大学での本年度テクスト研究、「アーレントに学ぶ、全体主義-虚無勢力との戦い、或いは無との対話」は、いよいよ盛り上がっています。就職活動で出席できない人は、当大学の卒業生を中心にした公開セミナーの講読会に参加されることをお勧めします。場所や日時は、Events a la carte(各種イベント)に掲示してあります。基本的に毎月第二の日曜日、午後5時開催です。週日は就活で忙しくても、これなら参加できるでしょう。大学外の受講希望者も大歓迎。次回は6月12日(日)、参加費無料です。Shigfried Mayer(宮村重徳)

2016年6月5日日曜日

ぶりっ子でぶきっちょな俺たち、有るがままの自分でいい

人付き合い下手糞で、ぶりっ子の君はマイノリティー
風変りで気難しい、空気読めない俺もマイノリティ-
メジャーでなくていい、マイナーでもいいじゃん、ねぇ
いつかぎゃふんと言わせてよ、マジョリティーにお線香
一人気を吐き二人で和む、三人揃ってもうメジャー気分
ぶきっちょな俺で何が悪いと、気を吐いてもお腹はグー
頓のお話し有り難いけど、豚かつのネタええぞとな、
今日は就活、明日は婚活、次は何するあてもなく
グーチョキパーで上の空、のんちゃんいいな雲の上
悟りなんて糞くらえ、有るがままの自分でいいじゃん
俄雨に傘なしでずぶ濡れの、これでいい、
身丈に合わない黒いスーツ、無くていい
スマホ片手に木偶の某のひとり言

(小ダルマ君の詩、「落書き帳」から)
覚書:小ダルマめ、こましゃくれたことを言いおって、それにしても、いつの間にかこんなことまで言えるようになるとは、感無量です。6月8日更新。
Shigfried Mayer(宮村重徳)、copyrights © all reserved 2016, 転載禁止

2016年5月12日木曜日

京大の思い出と反省、げんて ん皆無とした理由について

二〇〇九年十一月十一日から十二日にかけて、京都大学で開催された日本宗教学会主催の第六十八回学術大会に於いて、「史的ダルマ論の試み、生没年の秘密」を発表して六年が過ぎ、はや七年目に至る。仏教学対象の第九部会で発表するのは初めてだったために、当時その場に居合わせた方々の一部過剰な反応には驚かされた。今振り返れば、祖師ダルマの伝承を巡る宗門間の討議状況を知らずに臨んだ責任はあったかもしれない。短い時間内で論点を纏め、こん詰めて発表したせいもあり、言葉足らずだった点は否めない。
その直後、関西で教会施設への消火器投げ入れ事件があったことを新聞で知り、もしやと関連性を疑ったが、心に留めたままにしておいた。二〇一三年頃から、You-Tubeで盛んに禅をやり玉に挙げる動画が流されるようになり、正直に驚いた。まさか私の研究が悪用されているのではと心配するに至り、二〇一四年のブログに「げんてん皆無の現状では、誤謬推理が跋扈しよう」の記事を投函した次第である。禅に学びダルマを慕う故の歴史研究であるのに、事実関係は不明だが、仮にであれ、禅を誹謗し罵倒する材料に使われるとは思いもよらなかった、心外だったからである。単刀直入な物言いで気持ちを害された方がいれば、この場を借りてお詫びを申し上げたい。
 
 覚え書き:その時のブログに匿名者の書き込みがあり、言葉の行き過ぎを注意されたが、あれはYou-Tubeで逞しく罵声を浴びせかけた人たち自身の経文にある言葉をお返ししに過ぎない。「餓鬼」云々は、私が勝手に使った言葉ではない。
個人的な所感であるが、サンスクリット語の文字や原典の権威に依存しない、「げんてん皆無」(不在の精神)でこそ、原点を通る直線や法線が自在に描けると今でも確信している。反論があったらお聞きしたい。
自ら壁観して九年、対話を望む心に於いては誰にも負けない、十分な覚悟が私にはある。茶室にて対座し、お茶を啜りながら分かり合える機会があれば光栄である。今秋早稲田大学で開催される宗教学会でお会いし、膝を交えて直接に意見を交換できれば嬉しい限りである。
この際に読者に臨むことは、対話を望むお気持ちがあれば、匿名でなく堂々と名乗りを上げてもらいたい。それだけである。無名の法師に徹し寂然無為で臨んだダルマには、それなりの理由・避けがたい事情があった。高度情報社会の今日では、匿名性はむしろ対話の牆壁となりかねない、無明に陥るリスクを孕んでいるから、名乗りあうことで初めて真摯な対話が成り立つと私には思われる。
5月13日(金)更新
Shigfried Mayer(宮村重徳), copyrights © all reserved, the Institute for the Interpretative Sociology Tokyo

2016年5月2日月曜日

アンチセミティズムを反ユダヤ主義と混同しない

 さすがに、アンチジャイアントのファンとアンチタイガースのファンを混同する人はいないでしょう。でも見渡せば、反ユダヤ主義と反セム主義を混同して疑わない、困った人たちが万といるよ。ほら、アンチの矛先・指定先が違うでしょう?アンチジュダイズム(Antijudaism)は宗教的偏見で、ユダヤ人憎悪(Judenhass)で知られている。アンチセミティズム(Antisemitism)は人種的偏見で、ホロコーストという集団殺戮の原因となった。1945年以降、問題の質が変わったんだね。ところが、英語の辞書を見てもドイツ語の辞書を見ても、困ったことに「反ユダヤ主義」としか書いてない。いっそカタカナ表記で、アンチセミティズムとすればいいのでは。、
 アーレントは、この違いを大前提にして『全体主義の根源』を書いたのに、翻訳者も出版社も全巻を通じて知らぬ顔、反ユダヤ主義で押し通しているよ。これでは読者があまりにもかわいそう。コンフューズの種をまき散らしているようなもの、読めば読むほど混乱するだけ。プロがこれでは、アマの君は安心して読めない・任せられないでしょう?大事なことは、そろそろ君も辞書におさらばして「自分で」読む、「自分を」読む、そうならないとね。手摺なしに自ら考えるのが、一番大事な宝物となるはずだよ。やってごらん。
 関心のある諸君は、是非北千住に来て、一緒に原書で読み合わせ、オリジナルの凄味を自分の目・耳・舌で確かめてもらいたい。「自分」周りの偏見と差別の温床を見破る糸口・突破口にするといい。5月5日(木)更新
Shigfried Mayer(宮村重徳), copyrights © all reserved 2016, the Institute for the Interpertative Sociology Tokyo

2016年4月15日金曜日

歪む大地に怯まない、安心住まいの故郷を求めて

昨夜(414日に)起きた熊本大地震は、阪神・淡路大震災と同規模の震度7を記録した。今朝(4月16日)未明に本震に見舞われ、今も震度6前後の余震が相次いでおり、収束する気配は見られない。原因は、益城(ましき)町にある日奈久(ひなぐ)断層帯(全長約81キロ・メートル)が南北に大きく横ずれしたためだと説明されている。これに、もう一つの布田川断層帯がクロスし連動して、被害をいっそう大きくしている。震源地が10キロ前後と浅かったせいか、建物の被害は大きかった半面、犠牲者の数が41人で相対的に少なかったとしても、関係者にとって何の慰めにもならない。亡くなられた方々を偲び、ご遺族に哀悼の意を表したい。
最大加速度が阪神・淡路大震災の2倍に達し、余震は史上二番目に多かったという報告にも心底驚かされた。17日付のニュースでは、地震発生回数が2004年の新潟県中越地震を超え、最多のペースとなった。肥後弁で「魂消た」(たまげた)という。熊本は生まれ育った私の故郷、母の住む実家があり、他人ごとではなかった。これが戦争による人為的災害ではなしに、自然災害によることだから、仕方がないとため息をついているわけにはいかない。地震と戦争に揺さぶられても屈しない、歪む大地に怯まないのが、肥後もっこすの真骨頂だろう。記憶の断層に思いを馳せて、もう一度よく考えないといけない。どんなリスクにも備えがある、安心して住める故郷としての大地の環境造りを、背水の陣を敷いて考えないとね。私たちが逃げ腰・弱腰では、子供たちに申し訳ない。
4月18日(月)更新
Shigfried Mayer(宮村重徳), copyrights © all reserved 2016, the Institute for the Interpretative Sociology Tokyo

2016年4月11日月曜日

X線で暗部を覗かれることを拒まれた?回転運動の真相は ...

 今年2月に打ち上げられたX線天文衛星「ひとみ」が、思わぬトラブルに陥ったらしい。326日以降通信が途絶え、一部分解した模様(予想図)が放映された。原因が宇宙ゴミの衝突によるのでなければどうしたのかと、関係者を当惑させている。ひょっとして、X線で「暗部を覗かれる」ことを、宇宙の主(ぬし)に拒まれたのか?ブロークンアウトの原因は、楽しい謎に包まれている。誰だって暗部は見せたくない、人間なら当然だろうけどね(微笑)。
 もちろん、ダークパーツに意識があるはずはないから、X線で「暗部を見られたくない」という擬人法的言い方は当たらない。さてジョークはそこまでにして、以下で率直な疑問を取り上げてみたい。当加速度運動をしている物体は、慣性という力のモーメントにより、通常は姿勢を保ったまま、定められた軌道上を直進するはずだ。そうであるのに、X線観測衛星自体が回転運動するという現象は、何らかの外からの力が作用しないと起きないのではないか。姿勢制御の異常は、それ以外にどうやって説明できるのか。科学者たちは、なぜ宇宙ゴミ衝突のケースを予め排除しようとするのだろうか。宇宙ゴミはいつも見えるものばかりだろうか(例えば、不可測な衝撃波の塊など)。完璧を期したはずの天文衛星の造りに何らかの脆弱性があったと仮定して、想定外の内部原因で分解したのだと考えると、かえって説明に困るのではないか。どなたか疑問にお答えいただく方があれば、喜んで拝聴したい。
 付記: 宇宙研究開発機構(JAXA)の発表によると、制御プログラムのミスによる誤動作?だという。よく聞くメーカー好みの自己弁解に聞こえる。では聞きたい。誤動作を引き起こしたのは、プログラミング・ミス以外に原因はないと言い切れるのかな?見えざる外部要因などあり得ないと?
 4月18日(月)更新
Shigfried Mayer(宮村重徳)

2016年4月10日日曜日

便利さと楽しさに微睡まず、良心的拒否権の発動を

コンビニエンス文化はアメリカ発だけど、字義通り便利で申し分ないですね。ストアは二十四時間営業で、欲しいものはたいてい揃っているし生活も楽ちん。その上いつでもどこでも好きなゲームを楽しめるなんて、日本は願ってもないパラダイスかな?でも注意してください。君たちがスマホゲームを満喫し微睡んでいる間に、困ったことが今起きようとしています。
《お家のため》・《お国のため》という大義名分を必要としない、自分のために生きていい、自由で平等なはずの現代社会に、《天皇家のため》・《日本国のため》に生死を共にすべきだという、いつか来た道・七十年前の戦時体制の復刻版を目指す、安倍政権の「憲法改正案」がまかり通ろうとしています。現行憲法の「前書き」と改正案のそれを読んで比較してみてください。つぶさに読めば、その違いは一目瞭然です。君たち18歳以上の国民の自由を制限し、いつの間にか怪しげな戦争時代の大義名分を脳裏に刷り込ませようとしています。いいですか、「国民主権」に代えて「国家主権」が発動され、君たちに徴兵義務が負わされようとしているのです。スマホがあってもツイートしてもどうにもならない、格差が広がってじり貧かどん詰まりになる状況を自分に想定してみてください。
「全体主義」への関心が君たちを襲い、君たちがこれに呪縛されて身動きできなくなる前に、みんなで声を大にしてノーと言いプロテストし続けないと、改正されてしまうと後の祭りです。若者たち、便利さと楽しさに心奪われず勇気を出して、虚無勢力に負けない・集団の苛めに挫けない、国民としての主権・個人の良心的拒否権を発動しなさい。
4月11日(月)更新
Shigfried Mayer(宮村重徳), copyrights © all reserved 2016, the Institute for the Interpretative Sociology Tokyo

2016年4月2日土曜日

ダルマの壁に逆比で迫る、独逸学誌に本論公開

 お約束通り、『ボーディ・ダルマの壁観』論(独文、Die Wandanstaarung des Bodhi-Dharma. Zur Selbst-erfahrung des Leib-Seins)を、獨協大学紀要:「ドイツ学研究」70号に掲載しました。すでに、日本宗教学会で小出しに発表はしてきましたが、あるのはレジュメのみ、断片的です。本格的なダルマ研究(本論)の公開は今回が初めてです。ドイツ語文をお読みになれる方で、ご意見があれば喜んで承りたい。史的ダルマ論は理解社会学研究の古典モデル、「逆比の思考」でやっとここまでたどり着けました。最後まで読んでいただければ、禪に対する私のスタンスも、お分かりいただけるものと存じます。
 出版費用が工面できずに未だに「出版準備中」の『史的ダルマの研究』(日本語)とは別に、こちらの邦訳版が先になるかもしれません。完成まで少しお待ちください。
 昨夜(3月31日)は小石川後楽園涵徳亭で定例の、花一匁の教員打ち合わせ会。独逸仕込みのダルマ論刊行に、一樽相当の祝い酒を頂きました。
追記:論考の抜き刷りをご希望の方はお申し込みください。国内であれば無料でお送りいたします。国外の方には一部送料をご負担していただければ光栄です。いずれ獨協大学の学部サイトから、PDF文書がダウンロードできるようになるはずです。それまでお待ちになってもかまいません。
 5月3日(木)更新
Shigfried Mayer(宮村重徳)

2016年3月15日火曜日

職を探す君の「活動的生」に何が足りない?

 パーソナルな有用性は、チームワーク力で試されます。何をしたいのか・何ができないか、自分の限界を弁えつつ、個別に期待された役割を演じるだけでは何か足りない。対他的に調整しいつでも自己修正できる能力が必要です。コミュニケーション行為に挫折はつきもの。相手がいるからね。でも、ダルマさんのように、自分に壁となって働くモノがわかれば、七度転んでも八度目に起きることができます。無の重心が座っているから、転んでもすぐ起き上がる。老若男女の差はありません。格差是正について相談があったら応じます。いつでもどうぞ。

Shigfried Mayer (宮村重徳), copyrights © all reserved 2016, the Institute for the Interpretative Sociology Tokyo

2016年3月11日金曜日

東日本大震災五年目に際し、犠牲者に黙祷

五年間(2011年3月11日)に起きた東日本大震災で愛する子ら・肉親を失われた方々の痛みを共有し、黙祷したい。五百年に一度の大津波で起きた原発事故、人為的災害の教訓を忘れないために、ここに連帯を誓いたい。
Anton Kolakovski, Steffi Clemens, Shigfried Mayer

2016年3月8日火曜日

古株に新芽、ソーシャル・パーティーの萌えを夢見る

 アメリカの民主党をまねただけではうまくいかなかった。原因:リベラルさが不十分、党員気質が全くリベラルでなかった。結果:自民党(アベノミクス)の独走を許した。同名を残してもうまくいくはずがない。そこで提言したい。大原社会問題研究所でいま社会党の文書編纂が進んでいるが、お蔵入りにするにはもったいない。いや、間違っている。歴史は宝の山である。リベラルにしてマイルドな社会主義者、サンダース氏の躍進は考えるヒントになる。社会運動の原点に戻り、若い世代を結集するフレッシュな政治母体、若い世代をその気にさせるソーシャル・パーティー(クラウド上の「社会党」)を立ち上げ、各党をソーシャルネットワークに組み込めばいい。護憲・立憲に拘らず、全体主義的潮流を退け、隣人愛と社会正義の実現、国際平和・国民融和をマニフェストすることで、隣国や難民に慕われる国家形成を目指せるだろう。合衆国では不可能でも、古い切り株のある日本でなら、新芽が育つ可能性はきわめて高い。同床異夢の野合より、クレバーで現実的だと思われる。もっとも、中途半端な自由論やイデオロギーで粉飾された偏見を脱却しないと無理でしょうけどね。朝ドラの満面の輝きを執行部に望めば、世代交代以外に道はない。
 3月11日(金)更新
Shigfried Mayer(宮村重徳), copyrights © all reserved 2016, the Institute for the Interpretative Sociology Tokyo

2016年3月4日金曜日

合衆国政治の停滞を憂慮する

 ジョーカーの独走で共和党は失速する。1860年代にはリンカーンが名を連ねる共和党ですが、政治に無知なトランプ氏の暗躍で、同党に於ける政治思考の貧困は目に余る。民主党の肩入れをするつもりはないが、国際平和外交の持続を期待させるにはベターチョイスでいく他ない。優勢なクリントン氏に迫るサンダース氏の勢いは予想外で画期的。ぜひアメリカ合衆国に第三の絆・社会党を築いてもらいたい。
 見渡す限り、どこも暗澹としていますね。それより、一緒にアーレントの『全体主義の起源』でも読みませんか。民族・宗教・経済に絡む政治の歴史が紐解けます。毎月第二週目の日曜日夕方7時より、JR北千住駅東口前のカフェーサンローゼで、2016年3月13日に第一回の会合を持ちます。受講無料、在学生のみならず、卒業生・社会人の参加も歓迎します。大事なのは、透徹した目と考える努力を惜しまないこと。(後半部の公示は、一定期間後、Events a la carteに移します)
Shigfired Mayer (宮村重徳)

2016年2月22日月曜日

後ろ向きの政策は、イギリスに相応しくない

 逃げ腰のイギリスは見たくない。孤立のメルケル首相を助けなさい。フランスとドイツにイギリスの三国があってこそのヨーローパ文化だから、危機の時局に屋台骨を畳み、欧州共同体の舞台から降りるマネはしてほしくない。難局の今だからこそ、かつて大英帝国を築いたアングロサクソン人たちの国際経験豊富な知恵あるアドバイスとサポートが必要ではないか。
 2月22日更新
Shigfried Mayer (宮村重徳), copyrights © all reserved 2016, the Institute for the Interpretative Socilogy Tokyo

2016年2月13日土曜日

見るに遅く・聴くに聡く考えよ、ニヒリズムの「いろは坂」で立往生しない為に

 無限遠の宇宙の壁に聴き入り、無知の知を悟り、己の鬼面と向かう勇気さえあれば、人類に為し得ないことは何もないと思われます。でも世間は、百年前(1918年)にアインシュタインが一般相対性理論に基づき予言した「重力波」、極微な時空のずれを発見して、今世界中が大騒ぎしていますよね。地上では、血を血で洗う民族紛争がし烈さを増し、未曽有の避難民に手を焼き、人を動かす存在の力学・良心の重力波さえ聴き取れていなというのに!
 獨協大学で取り扱う本年度のテクスト研究は、「アーレントに学ぶ、全体主義の起源、或いは虚無勢力との戦い。」とします。主題はいずれ、「無との対峙」にならざるを得ません。伏線として、ハイデガーの『形而上学とは何か』を梃に、遺稿「黒いノート」の謎解きにも迫ります。アーレントの『全体主義の起源』は大冊で、到底一人で読める分量ではない。でも「三人寄れば文殊の知恵」というように、昨年度の成果を踏まえて、グループ学習で大冊も無事読み通せる、と確信しています。いいですか、虚無勢力を率いるニヒリズムとの戦いで肝心なのは「無との対話」です。当然、西田哲学と久松の東洋的無の思想と対峙することは避けられません。ご期待ください。関心のある方は、今から準備して(ドイツ語原書と邦訳書に)目を通しておいてください。学外者で関心のある人のために、理解社会学研究所の公開講座或いは読書会を3月から再開して、その中で取り上げる予定です。希望者は申し出てください。聴講無料です。2月17日更新
Shigfried Mayer (宮村重徳), copyrights © all reserved 2016, the Institute for the Interpretative Sociology Tokyo

2016年1月31日日曜日

反ユダヤ主義と反イスラム主義を混同せず、先ず「偏見からの解放」を!

 宗教的寛容の是非や隣人愛による難民救済には限度がある。無暗な政治プロパガンダに乗せられないために必要なことは、反ユダヤ主義と反イスラム主義が同じでないことを認識し、それがどれほど困難であっても、執拗な宗教的偏見から解き放たれる第三の「道」を一緒に模索する他ない、と私には思われる。
 ユダヤ教・キリスト教・イスラム教、三者三様の利害関心が複雑に絡むので、一筋縄では行かない。諒解ポイントを模索するEUの道は依然険しいが、子供たちの世代につけを回さないために、ここは仏に学び般若の知恵を籍(か)りて、また老子・荘子の道に学んで「偏見からの解放」を求め、良心の有無を確かめ合うことから始めたい。
 原点を通る直線の傾き(正接)さえわかれば、X軸上の共有点(α、β)が見つかるだろう。あとはその差分から学習して、それぞれに自己調整すればいい。現に解決意思の「良心」があれば、いくらでも財源は後からついてくる。

Shigfried Mayer (宮村重徳), copyrights © all reserved 2016, the Institute for the Interpretative Sociology Tokyo

2016年1月14日木曜日

狭き門、冬は帳(とばり)の寒稽古(かんげいこ)

センター試験を目前にして、ビビっている君たちに。
 狭き門、冬は帳(とばり、夜半)の寒稽古(かんげいこ)。人並では報われない、人一倍苦労しないと通れない。逆巻く風に怯(ひる)んでいては、春風に酔う前に負け犬よ。七転び八起きのダルマさんに、倣って目を入れ春菖蒲(はるしょうぶ)、見届けるまで周りの風圧に屈しない、あと一歩の勇気と考える工夫で大勝負。弱音吐きたい自分に負けない .. 深川にしょぶの花咲く垣根越え。跳んでみせてよ君の気概、駄目で元々しょうぶを諦(あきら)めず。失敗から学ぶ心意気さえあれば、ほら垣根もぴょん、狭き門もすいすいだね。君の目前に、道は自ずと空け開いてくる。
 Shigfried Mayer(宮村重徳), copyrights © all reserved 2016, the Institute for the Interpretative Sociology Tokyo

2016年1月1日金曜日

九百九十一万人の君たちに、無位の真人たる道を勧める

新年明けましておめでとうございます。「理解社会学の工房」を今年も引き続きお愛読いただければ、光栄に存じます。
東洋の十二支でいえば、西暦2016年は申年(さるどし)にあたり、日本には9,910,000人います。斯く言う私も九百九十万分の一の身の上にて、読者の皆様に心よりご挨拶申し上げます。
過ぐる年に職場の有力者・有名人たらんとして失敗した人、無位・無名(非正規労働者)の儘で年越し蕎麦を食った無念の君たち、自称無神論者や一神教徒の諸君も、新年には史的ダルマの「安心無為」、臨済和尚が説いた「無位の真人(むいのしんにん)」に学ぶよい機会、この年をまたとない転換の年にしてもらいたい。
夢中で悟ったつもりの仏法僧だけでない。祀ったつもりで習合するばかりの、八百万の自己に踏ん切りがつかない神主の君たち、己を無にして十字架の道を歩まれたキリストに倣えど正直うまくいかない、道半ばで頓挫している牧師の君たちにもお勧めする。ハイデガーに学んでハイデガー知らずの、哲学専攻の君たちには絶対見逃せない、無心で学ぶ身体現象学の事始め。尊敬する禪師の皆様の理解と共鳴を期待しつつ。
 平成28年西暦2016年元旦、達摩忌(~536年)で1480周年の縁日に
Shigfried Mayer (宮村重徳), copyrights © all reserved 2016, the Institute for the Interpretative Sociology Tokyo