2015年11月11日水曜日

哲人政治家ヘルムート・シュミットの生涯を偲ぶ

冷戦の暗夜に煌めいた異彩の星が散る、哲人政治家ヘルムート・シュミット(1918-2015)を偲ぶ。昨夜故郷のハンブルクで、享年96歳の生涯を終える、20151110日没。
ヴェルト誌は「危機時代の宰相、カンツラーからドイツ人のパトリアークへ」(Vom Kriesenkanzler zum Patriarchen der Deutschen)と題して、ヘルムート・シュミットの生涯を称えている。宰相のカンツラーに代えてパトリアークとは、東方教会で言うところの「総主教」でなく、分断された国民国家と冷戦下の国際政治のことをよく考えて、カント以来の哲学政治を実践した苦労人だから、「家父長」の名にふさわしい。
1933年と言えばヒットラーが政権を奪取する時、アーレントが一時ゲシュタポに逮捕されその後パリに亡命する時期と重なるが、当時15歳のシュミットは、「ヒットラー・ユーゲントに入ってはいけない、お前にはユダヤ系の祖父がいるから」と、身内から釘を刺されたという逸話が残されている。
私が1973年ドイツに留学して翌年の1974年に、当時のジラーム事件を機にブラント首相に代わり宰相の座に就く。以来1983年まで八年半に渡り、冷戦の壁に面して怯むことなく、冷静に思考し行動する宰相となり、「永遠のライバル」意識を梃子にして、ブラントやコールを凌ぐ不朽の栄誉を勝ち取る。私のドイツ留学生活の大半は、ドイツ社会民主党(SPD)の哲人政治家と切っても切り離せない時期と重なる、個人的には思い出深い縁がある。70年代のオイル・ショックやドイツ赤軍派によるルフトハンザ機ハイジャック事件での、シュミットの迅速な対応と沈着且つ見事な解決ぶりに、各方面より驚嘆と賛意が寄せられたことはいまだ記憶に新しい。このヘルムート・シュミットに関する限り、政治家の命運はパーリア或いはパーヴェニューの議論枠内に収まらない、一歩抜きんでた存在である。いつ起きてもおかしくない、忍び寄る戦争行為に、倫理的歯止めをかけるための政策と実行に、最大限の努力を惜しまなかったユダヤ系ドイツ人だからである。
蛇足となるが、私がパイプタバコを吹かすようになったのは、滝沢克己に対するカール・バルトの勧め(「神学者はパイプを吸わないとね」)によること(笑)、愛煙家で知られるシュミット氏の影響ではない。11月12日更新
Shigfried Mayer(宮村重徳), copyrights © all reserved 2015, the Institute for the Interpretative Sociology Tokyo