2019年5月5日日曜日

元号「令和」の真意とコード化をめぐる喧噪

元号「令和」の考案者とみられている国文学者の中西進氏は、54日(土)、富山市内で講演し、「元号は国の理想を掲げるもので、国民の倫理コードだ」と語った。典拠とされる万葉集が講演のテーマで、中西氏は元号の歴史や込められた意味なども解説。「令和」については、「『令』は秩序を持った美しさ、麗しいという意味」とし、「麗しく平和をグレードアップさせていく時代」と述べたそうだ。案の定である。やはりの勘があたった。「令月にして気淑く風和らぐ」とは、オブラートのようなものである。
倫理コードとは危なかしい。せいぜい国民生活を律する管理コードの類では。思い返せば、聖徳太子の「律令」(りつりょう)政治に「和」の心得、官僚へ自戒を促すもの。令和(れいわ)時代の心が何かを考えるに、最良のヒントになろう。『万葉集』から取られた令和は、花見の盃を交わす謡言葉。「れい」は「りょう」とも読む。読み替えは詠み人の自由だが、本来官僚に向けて語られた謡言葉だから、政治的「諒解」(りょうかい)の範囲内で、実はどちらでもでいい。明治維新の王政復古と尊王攘夷の調べに怪しく鳴り響く、キング或いはエンペラーの象徴化に宗教的権威(万世一系)の影が見え隠れする。信教の自由を脅かしかねない、公私混同の危うさを免れないから、国民には冷静な判断と良心の問い合わせが必要となる。
当初、語感からドイツの諺を思い出した経緯がある。その通りだった。わたしの書斎に、ドイツから持ち帰ったポスターが貼ってある。ポスターには、“Ordnungssinn bringt stets Gewinn“の大見出し。直訳すると、「秩序のセンスが常に利をもたらす」。手前には、「立ち入り禁止」や「敷地内でのボール遊びは禁止」との注意書きが、所狭しとばかりに吹き出し状でぶら下がっている。利は公私に跨る余剰の利、つまり福利である。福利はオーダーを守るマナーあってのご褒美、スマートな快適さは廻心の美。為政者の喜びそうな標語だが、利根と鈍根の仕分けは難しく、エピキュリアニズムとポピュリズムの敷居は限りなく不透明、人の柵(しがらみ)は断ちがたく根は深い。民衆の心根に係わることは、ずばり平方根を解くようにはいかない。主権者たる国民は、古層の「通奏低音」(丸山眞男)に注意すること、自らのアイデンティティーに係わることであればなおのこと、よく考えて取り組むたたき台としてもらいたい。5月9日更新

Shigfried Mayer(宮村重徳)、copyright © all reserved, July 2019, the Institute for the Interpretative Sociology(理解社会学研究所)