2015年3月21日土曜日

スマートデヴァイスは禁断の木の実、自分を見失わないよう半目で考えよ

 高度な情報処理機能を満載としたノートパソコンの登場は今や昔の話し。アイパッドやスマートフォンが発売されて間もないのに、今度はスマートウオッチがアップルから発売された。便利で快適になった反面、利器を使う人間のお頭は一向に賢くなっていない。論文不正で話題となったコピーアンドペースト(copy & paste, Kopie und Einfügen) の弊害も今や昔。アイパッドやスマートフォンが発売されて間もないのに、今度はスマートウオッチがアップルから発売されたね。人のお頭が賢くなっていない証拠に、女子のスカート内を投影する教師や僧侶が紙面を賑わしている始末。禁断の木の実を食べた人間たちは、際限ない快の追及故に悪用するばかり、奈落の底を徘徊して恥じるところが無い。世代を問わず思考停止の状態では困ったもの、先行きが危ぶまれる。
 「快」ばかりを追求して思考停止になるより、多少つらくても「不快」な経験に学んだらいい。不便さが発見に繋がるように、「不快」なことって意外と大事なターニングポイントだってこと忘れないで。自分と向き合うことが嫌だったり、他人と話すことが不得意また面倒でも、苦痛や摩擦があればこそ進歩・成長がある。当たり前だけどね、たまにはスマートフォンの電源を切って、自ら考える癖を身に着けよう。
 K君にSさん、オンラインの自動翻訳など信用してはいけないよ。コピペを止めるために、まず日本語に翻訳しない、独文はドイツ語で理解する、パラフレーズ(分節化)するだけでいい。「或る時は著者を忘れて言葉に戯れ、或る時は言葉を忘れて著者と戯れる。」(シュライエルマッハー)。多少は苦労しないとね、考える力は身につかないよ。
 近代人が神を考えることを忘れて以来、カオスの勢力に太刀打ちできない。フェイスの取り込み(友達選び)に失敗して、仮想世界のライン上で立ち往生しているじゃない。そこで半目になって考える、自分に立ちはだかっている壁は何だろうと。でもね、見えざる壁を前に或いは壁を背にして存在や無(の真性)を考える・瞑想するにしても、孤独な実存ではすぐに行き詰るよ。何を語り何をするにしても、ハンナアーレントが言うように、基本的に二人(対となる要素)で理解する(Verstehen zu zweit)工夫、複数性の対峙的アングル(男と女、神と人、天と地、筆者と読者、私的・公共的領域)が必要だね。それも適度にピーンと張ってないと顔は輝かない、念願の生は躍動し始めない。強く張りすぎると切れる、緩すぎると音は出ない。でしょう?君たちの意見・本音を聞きたいな。
(3月23日更新)
Shigfried Mayer(宮村重徳), copyrights © all reserved 2015, the Institute for the Interpretive Sociology Tokyo