2015年8月9日日曜日

悪夢の大量破壊兵器、霞む赤と黒の記憶、戦後七十年によせて

 遮二無二有事体制の安保関連法案を通した安部現政権の政治判断の過ちを正すに、被爆者を偲ぶ8月の今がそのよいチャンスではないか。
 敗戦濃厚な状況下で、原爆投下は必要でなかった。戦争を終わらせる手段としても、故意に非戦闘員の大量殺人を狙った原爆投下は到底赦せない。戦勝国・敗戦国を問わず、世界市民の感情としてはそうであろう。もっとも、日本が仕掛けた第二次大戦と大東亜共栄圏の構想自体が間違っていたのだから、文句の付けようはないのだが、矛を収める時を逸したことで、政府は悲惨な末路を辿ることを国民に強いることになってしまった。「引き際」のむずかしさを思い知らされる。
 戦時下とは言え、人類史上あってはならない未曾有の事件、人の形をとどめない焼けただれた塊に、赤と黒に塗りつぶされた地獄絵に、戦争を知らない世代の君たちは今何思う?
 私は思う。虚無化と廃人化をもたらすだけの大量破壊兵器(a Weapon of Mass Destruktion)の使用禁止を唱えるなら、昨今のイラク戦争に限らず。原爆投下の第二次世界大戦にまで遡って、自らの襟を正す必要があるのではないか。ピューリタンのアメリカがカトリックの長崎にまで原爆を投下する必要がどこにあったのか。ルーズベルトとトルーマンの政治戦略に一抹の逡巡・錯誤はなかったのか。
 矛盾したこの気持ちを理解できるのは、オバマさん、歴代アメリカの大統領の中で貴方の他にいない。政治的決断の迷走と過誤の可能性を理解できるのは、合衆国の大統領の中で貴方しかいない。民主党・共和党の次期大統領候補者に当面望めそうにない。過去の大戦を振り返り、その反省をもとに責任を自覚した上で、戦争行為を憎みはしても、私たちはアメリカ国民を憎んだり、ロシアが望むような「戦争法廷」に訴えることを望んだりしません。どこまでも、平和を願う日米双方の子供たちの為です。日本にお越しの際には、広島と長崎の被爆地を訪問し、痛みを共有するアメリカ国民の良心ある所を子供たちに示してください。
 ケネディー駐日大使、ぜひオバマ大統領訪日の際に現地で献花していただけるよう働きかけてください。戦争を退け平和を愛する一国の大使として、日米間の諒解関係深化を促し、明日を担う世代の育成と交流の仲介をされることを心より願ってやみません。
8月20日更新

Shigfried Mayer(宮村重徳), copyrights © all reserved 2015, the Institute for the Interpretaitive Sociology Tokyo

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