2015年11月15日日曜日

憎しみを返さない、でも、どうやって?理解し共感して辿る峠道

 パリ同時多発テロ事件はイスラムを詐称するグループの犯行、人類に一時的な禍根を残すだけで、何の得るところもありません。イスラムの友人たちも大迷惑でしょう。これでヨーロッパ共同体がシリア難民を受け入れる機運にブレーキがかかり、受け入れ態勢は一時不安定になるかもしれませんが、信教の自由と宗教の寛容を大事にするキリスト教社会の基盤が崩れることはありません。それより、一緒に考えてみませんか。憎悪の応酬は一切を血染めにし破壊するだけで、何も得るところがない。だとすると、他に道を探さないと受け入れ先は望めない。でしょう?彷徨えるユダヤ人たちは、パーリア民族(賤民)として二千年の歴史を彷徨い、同化と異化に苦しみつつ、統合への道のりを苦労して模索してきました。おそらく、イスラム教徒の皆さんがヨーロッパ共同体に定着するには、同じくらいの気が遠くなるような歳月が必要となるでしょうか。大事なのは敵味方の偏見を捨てて彼らに学ぶこと、受け入れ側も忍耐を失わないことです。
 「君たちに憎しみをあげない」と語ったフランス人映画ジャーナリスト、今回の事件で愛妻を失ったアントワーヌ・レリスさんの言葉に、FBで共感の輪が広がったことは周知の事実ですね。今ここでは取り上げません。それに代えて、先駆的事例をひとつご紹介します。安心無為で壁観するダルマ(禅の開祖、ペルシャ系外国人僧、私見ではユダヤ系難民の子)は、師自ら罪責を告白することで、弟子たちに憎悪の応酬を退ける道の実践(自己のテクノロジー)を教え、一切の宗教的・社会的偏見の壁を突き破って、誰もが安心無為で共感し共存できる青天霹靂の峠道へとたどり着くことができました。アブラハムを父祖とする限り、兄弟宗教だからいがみ合うのでなく、むしろ兄弟だからこそ手を取り合い親しく学び合えるのではないでしょうか。ダルマの禅は宗教でなく運動だから、改宗する必要がない。安心して学ぶことができます。
 唯一残されている漢文の『二入四行論』は奥深く、読めば読むほど味わい深い。私に「理解社会学」(マックス・ヴェーバー)と取り組むきっかけを与えてくれたテキストです。今読んでいるのはハンナ・アーレントの『活動的生』(「人間の条件」)ですが、古代と近代を問わず、理解社会学は有効です。古今東西真理への学びに、宗教・民族・思想の違いは無用、隔ての壁を理解し共感して辿る峠道、これを思考の対象とするに不足はありません。よかったら、声をかけてください。
 11月27日更新
Shigfried Mayer(宮村重徳), copyrights © all reserved, the Institute for the Interpretative Sociology Tokyo


2015年11月11日水曜日

哲人政治家ヘルムート・シュミットの生涯を偲ぶ

冷戦の暗夜に煌めいた異彩の星が散る、哲人政治家ヘルムート・シュミット(1918-2015)を偲ぶ。昨夜故郷のハンブルクで、享年96歳の生涯を終える、20151110日没。
ヴェルト誌は「危機時代の宰相、カンツラーからドイツ人のパトリアークへ」(Vom Kriesenkanzler zum Patriarchen der Deutschen)と題して、ヘルムート・シュミットの生涯を称えている。宰相のカンツラーに代えてパトリアークとは、東方教会で言うところの「総主教」でなく、分断された国民国家と冷戦下の国際政治のことをよく考えて、カント以来の哲学政治を実践した苦労人だから、「家父長」の名にふさわしい。
1933年と言えばヒットラーが政権を奪取する時、アーレントが一時ゲシュタポに逮捕されその後パリに亡命する時期と重なるが、当時15歳のシュミットは、「ヒットラー・ユーゲントに入ってはいけない、お前にはユダヤ系の祖父がいるから」と、身内から釘を刺されたという逸話が残されている。
私が1973年ドイツに留学して翌年の1974年に、当時のジラーム事件を機にブラント首相に代わり宰相の座に就く。以来1983年まで八年半に渡り、冷戦の壁に面して怯むことなく、冷静に思考し行動する宰相となり、「永遠のライバル」意識を梃子にして、ブラントやコールを凌ぐ不朽の栄誉を勝ち取る。私のドイツ留学生活の大半は、ドイツ社会民主党(SPD)の哲人政治家と切っても切り離せない時期と重なる、個人的には思い出深い縁がある。70年代のオイル・ショックやドイツ赤軍派によるルフトハンザ機ハイジャック事件での、シュミットの迅速な対応と沈着且つ見事な解決ぶりに、各方面より驚嘆と賛意が寄せられたことはいまだ記憶に新しい。このヘルムート・シュミットに関する限り、政治家の命運はパーリア或いはパーヴェニューの議論枠内に収まらない、一歩抜きんでた存在である。いつ起きてもおかしくない、忍び寄る戦争行為に、倫理的歯止めをかけるための政策と実行に、最大限の努力を惜しまなかったユダヤ系ドイツ人だからである。
蛇足となるが、私がパイプタバコを吹かすようになったのは、滝沢克己に対するカール・バルトの勧め(「神学者はパイプを吸わないとね」)によること(笑)、愛煙家で知られるシュミット氏の影響ではない。11月12日更新
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2015年11月8日日曜日

燃えさしの萌えを明りに聞き上手、ロゴペディアに秋波を

 昔から、「物言えば唇寒し秋の風」という。炎上するだけで後味が悪い。働くモノにじっと聴き入る余裕も工夫もないと、所詮炎上は避けられない。それよりは、「燃えさしの萌えを明りに聞き上手」(拙句)、ここでロゴペディアに秋波を送りたい。
 ロゴぺディア(Logopädia)は、字義通りロゴセラピー(言語療法)の応用分野、今日では言語聴覚士(dt.: Logopädist, Therapeut für Sprech-erziehung, eng. :Speech-language-therapist, ST)を育てる専門職のコース。ロゴマークの歴史を一瞥できるサイトの宣伝とは無縁な話だよ。ロゴペディアは、18世紀半ばドイツとスイスで始まり、20世紀のアメリカ合衆国でようやく医療関係者を中心に、失語症や認知障害のリハビリテーションを扱う技能職となる。言いだしっぺ(発起人)は、スイス改革派教会の牧師で教育学者のハインリッヒ・ケラー(1728-1802)。牧師にもたまにすごい人がいる(笑)。
 周りの人と同じことを言い、皆と同じことをしていてもつまらない。でしょう?思考と言語に関心のある学生なら、いっそ他の人に真似のできない、自立思考の対話スキルを身に着け、ロゴペディアで身を立てたらいい。ライン(Line)でお馴染みの炎上劇に見られる、言葉に絡む苛めの社会現象は、未成年者に限られない。見かけ上の保守と革新を問わず、出自の和洋・東西を問わず、どの国のどの言語ゲマインシャフト(話し言葉の圏域)に属しようとも、差し当たりまた大抵は言語発達障害に起因する要素が強い。よって、言語聴覚士は職業選択をする際に見逃せない大事なオプションの一つとなる。高齢化と少子化に拍車がかかる今後の日本社会では、自称成人世界の未成年状態を脱し世代交代を円滑にするために、働くモノにじっと聴き入るヒト(言語聴覚士)の役割がますます必要とされるのではないか。
 補足:ダルマに目を入れる作業は、個別に目のつけ方が異なるので、単独対面では限定的、オブザーバー(第三者)を含むグループ単位での作業療法が最も効果的。 11月9日更新
Shigfried Mayer(宮村重徳), copyrights © all reserved 2015, the Institute for the Interpretative Sociology Tokyo