2020年1月26日日曜日

得体のしれない、インフルエンサーの現象学的社会学

インフルエンザ(influenza)は、インフルエンスのイタリア語読み。冬に発生して春には収束する、得体のしれない病として大流行したので、パンデミックと呼ばれている。その昔、十六世紀のイタリア占星術者たちが「星の影響による病」と考えて名付けたことに由来する。
古来、渡り鳥の野鴨を媒体とする人畜共通の感染症として知られていた。ギリシャの医学者ヒポクラテスに最古の呼吸器疾患の記述、中国禅の『碧巌録』に野鴨の話が出てくるが、社会背景にそれが疑われる。古代日本では、平安と鎌倉時代の『三大実録』(862年)にも類した記録がある。「咳逆(しはぶき)、死者甚衆」というのがそれらしい。
今でも記憶に新しい二十世紀のスペイン風邪。マックス・ヴェーバーも犠牲者の一人、従事していた第一次大戦中の野戦病院で感染したのかもしれない。ヴェーバー家に通っていた誰かに菌をうつされた疑いも排除できない。たかが風邪、されど風邪である。
大流行した1918年当時、スペイン風邪で五億人以上が感染し、五千万から一億の人が死滅した。感染被害が人類の三割に及ぶ中、抗体を持つ高齢者は生き残り、抗体を持たない青年層を壊滅させた。その数は、二度の世界大戦での死者数を凌駕する。発生源は非参戦国のスペインでなく、合衆国アメリカのアラスカ州で見つかった野鳥の屍。スペインで発覚したのでこの名がある。世界大戦下で、最前線に補充される戦闘員の大陸間移動が係わること。戦争に明け暮れた二十世紀の特異性である。
今回の発祥地はお隣の中国、発生源は武漢の海鮮市場で売られていた野生動物(噂では蛇)。往来の激しい春節(旧正月)の時期、大型連休が始まったから訪日客も数多く、日本もうかうかしてはおれない。インフルエンザは一介の流行性感冒だが、高熱を出して悪性の肺炎・中耳炎・脳炎を引き起こす原因に。新型コロナウィルスは、致死性ではSARSに劣るが、感染力が10倍も強いので要注意。
イン・フル・エンザは、外より飛来し窓(鼻の孔)を通って流入する異物。譬えれば、飛ぶ鳥エンザの中に入る(エイリアンの影響を受ける)こと、或いは温暖化により永久凍土が解けて、淵に封じられた菌(ウイルス株)が活性化し、媒体を得て繁殖したものと言われる。悪質な日和見感染症への対策は、効力のあるワクチンがない以上、国民の不安は尽きない。
ドイツ留学中の1978年ころ、巣から落ちたカケスの子を引き取り、部屋で育てたことがある。アリストテレスと名付けていた愛鳥は、くしゃみをするようになり、一年後にインフルの風邪でなくなった。ドイツでは野鳥愛好会の一員だった自分の経緯から、この話は他人ごとでない。戦慄を覚える。運動して体力をつけても、免疫システムを破壊するウイルスに対しては、医学が発達していなかった当時、人類はなすすべを知らなったから、甚大で未曽有の被害が世界中に拡散した。
中国型国家資本主義の存亡を云々するより、人類を存亡の危機に晒す新型コロナウイルスによって、中国が自己崩壊する危険性の方が確率としては高い。環境適応力の高いウィルス変異の不気味さは比べようがない。「人類に最後まで残る厄介な感染者」(加藤茂孝、注1)に、如何なる数式も公式も当てはまらない?中間宿主が鳥か蛇なのか、カオスの担い手をめぐり学会でも議論は錯綜しており、予断は許されない。
不安のあまりマスクした世人の「ダス・マン」(ハイデガー)になりすましても、疫病の不安を主題化する『ヴェニスに死す』(トーマス・マン)に自己同期するにしても、君たち青年層を壊滅させる疫病の不気味さは、十分に語り尽くせない。
さて、此処が考え処、若年層を壊滅に追い込んだスペイン風邪と異なり、新型コロナウィルスは平均年齢73歳の持病を持つ高齢者。感染者がだれであれ、人が何処から来て何処へ行くかは不明のまま、おざなりに生きて人生を台無しにしてほしくない。最新情報では、予想に反して、感染するはずがないと思われた若年層にも広がりをみせており、状況は侮れない。
何事もなかったかのように、平然と語り振る舞うわけにはいかない。摂理論や神義論・教義学の正論を繰り返すだけでは、終ぞ安心は得られない、「神と悪魔の対話」(ゴウタマ)も精神療法以上の意味をなさないように見える。フェイク情報を刷り込ませた今日的世界の言語事情は商い人の利権絡み、インフルエンサーの「現象学的社会学」にかすかな望みを託したくもなる。注2
神も仏もあるものかと、自暴自棄にならないよう心掛けたい。不安に実体はないと悟りすます前に、マスクしたヒトの住まう世界に生きて、真理をして露呈させるのみ。当面は、ロゴセラピー(フランクル)や禅の公案で心を落ち着け、動態禅(鈴木大拙)で対処する。教会関係者も、日毎の祈りを欠かさないだけでなく、明日は我が身のことだと考え、命の危機に対する万全の備えをしておきたい。「禅キリスト教」(佐藤研)が参考になる。1月30日(水曜日)更新
注1:加藤茂孝は、風疹ウィルス胎児感染の遺伝子検査で知られる専門医(産婦人科)。国立予防衛生研究所主任研究官。『「インフルエンザ」-人類に最後まで残る厄介な感染症』は、人類と感染症との戦いシリーズ第9回、副題:「得体のしれないものへの怯えから知れて安心へ」。掲載先:モダンメディア57巻2号、東京2011年、MF1102_04 PDF文書参照。
注2:現象学的社会学は、ヴェーバーの『理解社会学』を継承し、その後フッサールの現象学に学んだアルフレッド・シュッツ提唱の研究分野。『社会的世界の意味構成』(1932年、英語版の原題「社会的世界の現象学」)参照。
Shigfried Mayer(宮村重徳), copyright © all reserved 2020. 理解社会学研究所所長、法政大学大原社会問題研究所嘱託研究員、㈱岡本カンパニー講師

2020年1月11日土曜日

ゴーン被告の虚実を問う、言質は自分を裏切らない

レバノン逃亡についてのゴーン氏の釈明が、世界の新聞紙上を賑わせている。国内の報道では、「(日本の)人質司法を耐えているたくさんの人には、私が持っている特権がない。私には発言力と金がある。他の人にはできないことができる」と語った。この発言で十分、釈明の綻びは明らか。日産の窮地を救った功績を鑑みるとしても、権力を振りかざし、金次第で自分の思い通りのことができると言って憚らない。ヴェニスの商人どころか、ロスチャイルドを連想させる。「地獄の沙汰も金次第」という諺通りだろう。法の裁きを逃れて、何をか況やである。明日12日に成人式を迎える若者と子供たち、こんな大人にはなってほしくない。
 カルロス・ゴーンはユダヤ人ではないが、フランスでは移民として、反ユダヤ主義と同列の国民的反感に晒されているらしい。純丘耀彰(すみおか・てるあき、東大卒の文学博士、大阪芸術大学芸術学部哲学教授)の指摘によれば、「フランスの支配層、財界人や政治家は、ゴーンの一件に。ドレフュス事件を重ねて見てしまっている。かつて自分たちが無実のドレフュスを悪魔島監獄に送って殺しかかった悪夢をかってに日本に投影し、自分たちの過去の罪業を贖おうとしている。しかし、フランスの庶民からすれば、ゴ-ンは「移民」であり、マクロンは「ユダヤの犬」。ただでさえ、ルペンのような極右が勢力を増しているのだから、対応を誤れば、フランス国内にくすぶる反ユダヤ、反移民の感情に火を着けかねない。いや、もう着いているのかもしれない。だから、日本が、その一方の言い分を真に受ければ、連中の内乱の巻き添えを食らう」ことに。[1]
 日本の政治家、検察官と弁護士の皆さん、これを考えるヒントにしてほしい。今後増えると予想される外国人の収監を鑑みれば、人権に係わることについてはなおのこと、「人質司法」の誹りを招かないよう、グローバル時代に見合った法制度の再整備は急務。社会言論の歴史を知らずに評論家ぶっているだけでは恥をかく、手痛い火傷どころか致命傷を被ることになる。
115日(水曜日)更新
Shigfried Mayer(宮村重徳), copyright © all reserved 2020, 理解社会学研究所所長、法政大学大原社会問題研究所嘱託研究員、㈱岡本カンパニー派遣講師



[1] 純丘耀彰「カルロス・ゴーンとドレフュス事件・パリ暴動:フランス百年のトラウマ」。

2020年1月9日木曜日

宇宙の過去問は神の数式で解けるか(その二)

通常、「数学的な美」は対称性(シンメトリー)に於いて言い表される。時間と空間は同じものと理解したアインシュタインの一般相対性理論がファイマンの念頭にある。今日究極の「神の数式」と呼ばれているのは、ポール・ディラックの方程式(Dirac Equation)である。「真空」の定義が斬新だ。
「真空とは、負のエネルギー電子が完全に満たされた状態」。通称空孔理論(Hole Theory)は、ディラック海の空孔が正のエネルギーを持ち反粒子に対応すること、真空中の空孔が光を吸収して正エネルギーに変換され、空孔だけが後に残る現象である。今日では、アンダーソンの発見以来陽電子として知られる。魔訶不思議な現象だが、数式に説得性がある。電子の持つ回転対称性と四次元時空が満たすローレンツ変換の相対性を同時に成り立たせるゲージ場での相互作用論、反粒子を含む最新の素粒子理論の特異点に注目すると、電子に対して光子(フォトン)の重さ(質量)はゼロである。


i γδ/δt Ψ + i Σγδ/δx Ψ= mΨ 、変形すると

i γδ/δt Ψ mΨ= 0 、自然単位系では
 i γμθμΨ(x) mΨ(x) 0、差し引きゼロ

「数学的美」に関する討議は、その後「自発的対称性の破れ」を指摘した南部陽一郎以来新たな局面を迎える、立てた鉛筆が倒れる処にヒントがある。それ以来、虚数を実体化する計算言語(言葉)に、対称性を破る非可換なゲージ対称性(global and local symmetry on the gauge theory)が一般に認められるようになった。ゲージは、元々測量概念である。エントロピー的否定総和から自発的対称性の破れが生じ、真空を満たす星間物質(マイナス因子)の解明に伴い、大局的且つ局所的なゲージ(強弱の判断尺度)を合わせ持つ場の運動論、神的数式のダイナミズムが発見された。
Ψ(プシー)はディラック場(スピノルの場)、m(マス)はΨの質量、左辺に時間と空間の微分項を持ち、4成分あるγ行列の値がどう変わっても全体量はいつも同じ(=0、エネルギー保存則)、量子力学的対称性乃至電磁気的相対性理論が成り立っている。ライプニッツのモナド論(無限小による微積分)に始まり、ニールス・ボーアの相補性理論を経て、近年続く新発見(「神の粒子」という異名を持つヒッグス・ボソン)に、人文科学(哲学宗教)が追い付かない。宇宙科学の先端技術者たちは神を論じ、三人の博士たちに負けず劣らず、いよいよ「神の数式」に魅了されて今日に至っている。それでも、宗教と民族の利害をめぐる争いごと(果てしない資源戦争)が収束するかどうかは、まったく予断を許さない。
運動のカテゴリーは、修士論文以来のわたしの追求課題である。過去三十年間に学習した経緯と成果から、二〇二〇年度は数多い形而上学的紐づけ(ゲージは判断尺度)を二択に絞り、「言葉と無」について思索し実践する。年頭所感なので、これ以上むずかしい話はしない。『黒ノート』で揺れるハイデガーの宗教哲学的読み直しも、「人間の神的根源」に満足せず、「民族の神的根源」に迫るアーレントの問い返しも、トーマス・マンのクルル的幻想形式の世界もその延長線上にあり、頭上に繰り広げられる光と闇のドラマトロジーは諸学を巻き込む未曽有の渦となっている。いずれも量子力学的基礎レベルの過去問の対象であることを免れない。
しかし、科学者たちはほんのわずかばかりを覗き見しているだけで、実際は「振動する紐」で奏でられる音のルートを知らず、大宇宙の壁(グレートウォール)に響く不立文字の囁きなど聴いていないか関心がない。ニュートンが告白して言ったこと、大海原の砂浜で貝殻を拾い集める少年のように、ハンブル(謙虚)であることが求められる。情報科学に於いても然り、データ主義を優先し破れを繕うことよりもっと大事なこと、文化人類学の関心枠に付かず離れず、宇宙論的視野で理解のカテゴリーの刷新と調整が必要となる。
2010年10月に本ブログを開設して10年目、2020年の今も「理解社会学」の看板を外さないのは、特殊相対性の理由がある。諸動機の布置連関から視覚的にイメージされる星座のフレームにとらわれず、ピタゴラスの聖数(数学的美)にも惑わされず、複利計算で怪しく色めくユダヤ的知性の秘密:「神と貨幣」(ジンメル)から目を離さないためである。移民系も例外でない。自らの功績に報いを求める武帝に応える、「無聖」(ダルマ)の一喝を聞き逃さないようにしたい。異論・反論があれば傾聴したい。
1月22日(火曜日)更新
Shigfried Mayer(宮村重徳), copyright © all reserved 2020, 理解社会学研究所所長、法政大学大原社会問題研究所嘱託研究員、㈱岡本カンパニー講師、東京大学大学院研究生志願中

2020年1月5日日曜日

年頭所感:宇宙の過去問は神の数式で解けるか(その一)

新年のご挨拶を申し上げます。2020年は十二支で鼠(マウス)年、理解社会学のブログを開設して10周年目の新年にあたり、流れ星に乗るマウスの尻尾で、宇宙の壁に書初めをしたい。今年は文字でなく数字、数え言葉に託し新春の初夢を載せてみたい。
広大無辺の宇宙空間では、渦巻く銀河の星々が回転し場所移動する。我々は運動の軌跡を準えるのみ。電波望遠鏡で今見ているのは、ビッグバンから数えておよそ百三十八億年前に起きた(映像が届くに、光速でもこれだけの時間がかかっている)ことなので、いま壁面四分座(へきめんしぶざ)の流星を頭上高く見るにしても、地球を含む宇宙空間の「過去問題」を解くに等しい。
人類史や民族史・宗教史などスケールが小さすぎて、巨大なガス雲の塊にミクロの塵を探し出すようなもの。実数と虚数 i の組み合わせ(複素数)を以て点と線を結ぶのが精いっぱい。それでも、四面ある平面座標にどうにか描画できるようになる。
虚数単位の i (二乗すると-Ⅰ、0未満となる)を用いて、万象を巻き上げ巨大な渦をなす創造前夜、恐竜と神々の争うカオス(混沌)の世界を解析幾何学で再現すると、反時計回りに世界が全く別様に見えてくる。
デカルトの解析学以来注目されたオイラーの等式、 i * i = -1を用いて座標平面が成り立つ。物理学者のリチャード・ファイマンを、「我々の至宝にして、数学における最も注目すべき定式である」とうならせたことで知られる。歴史の過去問題は神の数式で解く他ないと、当時高校生のわたしにそれを気づかせ指南してくれた、思い出の数式である。


は自然対数の底、ネイピア数(2.71828182845 … と無限に続く、1+1 /nn乗した数の極限、n → ∞)注1、ニヒリズムをめぐる表象文化の多事総論を黙らせるに十分であるが、世界の理論物理学者たちが競って、ヒッグス粒子の発見を以て宇宙世界の設計図に迫るも、「振動する紐」を極小単位とする超弦理論(別名:超ひも理論、Super String Theory)では、弦で奏でる音も意味も定かでない。音が資本・意味は利子の現実世界にほど遠く、壁観論の要「神即無」には遠く及ばない。(続きは→その二で)

付記:二〇二〇年(令和二年)のマニフェスト
比較宗教史の観点から要請されていることを再認識、東京大学大学院宗教学・宗教史学のみならず、駒澤大学仏教学部に禅宗史を学びなおすことで、超域文化的な対話元年を切に念願したい。水面に映る影に我が身を振り返り、脳中深層に淀む偏りを正すためである。壁を背に先輩禅師と向き合い、読者の声によく傾聴し、ブログ上の討議に参加していただけるよう、短くてわかりやすいスタイルの投稿を心掛けたい。年頭所感を二部に分けたのはそのためである。『ダルマコード:禅に学ぶ自己のテクノロジー』の公刊はその後でいい。今年もブログをご愛読いただけるよう、創意工夫を惜しまない一年としたい。
Shigfried Mayer(宮村重徳), copyright © all reserved 2020. 理解社会学研究所所長、法政大学大原社会問題研究所嘱託研究員、株式会社岡本カンパニー講師、東京大学大学院研究生志願中。

注1:自然対数の底(ベース)は、自然界では巻貝の例がある。1618年ジョン・ネイピアによって発見された対数研究の成果。ネピアの定数とも呼ばれる。厳密には、ネイピア数そのもを発見したのはヤーコブ・ベルヌーイと言われている。複利計算の用途で求められた。この数に定数記号 bを割り当てたのがゴットフリート・ライプニッツ、定数記号に e を用い始めたのがレオンハルト・オイラー(『力学』、1736年)である。デカルトはそれを取り上げ解析学の対象として一躍注目させたに過ぎない。自然対数に対して、常用対数の底(ベース)は10である。コンピューター処理に用いられる。a = e とするネイピア以来の自然対数に対して、情報科学では a = 2 とする二進対数が用いられる。半音のオクターブを表すに、音楽の分野でも二進対数が用いられている。