2023年2月23日木曜日

AI仕込みの神様はパンドラの箱か?メタバースから新実在主義宣言へ、批判的共感の礎石

    

  AI仕掛けの神様は玉手箱か、それとも対話型は誘い水、実はパンドラの箱なのか?メタバースから新実在主義宣言へ、ヌーソシオロジーからの批判的共感が、晴れ舞台のクラウドに。

 蚊帳の中で、「大入道に小入道、真っ暗入道、そら入道」と、伯父(宮村光徳)の指が壁に影法師を描き言い放つ。不気味な謳い文句が、未だ脳裏から離れない。

 渦巻く雲海の急流に立つ瀬なく、竿さす浅瀬などあるものか、まして天空では酸欠避けがたく、マスクしても未知の細菌感染を防ぎようがない。

 天窓破り失墜して台所の床へ、包帯巻かれ救急搬送されて、ふと我に返ればよもやはてなのクリニック。

 メタバースでは、アバターに痛みは情報として共有できても、顔と顔をつき合わせてする、パーソナル対話の自己体験の積み重ねをぬきにしては、確かな手がかり足がかりとなる意味論的フィールドは捉えられないよ

 メタバースがAI仕込みで神のお面つけようと、もろに鬼面隠さず迫ろうと、僕は怯まずたじろがない。ヌーソシオロジー(理解社会学)でこそ、マルクス・ガブリエルの新実在主義へ批判的共感の礎石を取得できよう。

 一歳未満の赤ん坊・十一歳時のクラウド体験・その七倍の歳月を経て救急車で搬送されて、十一日間の入院を余儀なくされた今回の事件が、不思議また不思議、「希望という災い」を箱壺に残して、なぜか三つ折り三つ巴に重なり合う。

宮村重徳(Shigfried Mayer)、

copyright © all reserved 2023, 法政大学大原社会問題研究所嘱託研究員