2015年5月9日土曜日

片仮名綴り本の困惑と爽やかな衝撃、脱在論への共感的批判

 先月保育園に書店ハンナさんが持ってきた、やたらと片仮名綴りが多い一冊の本に注目している。上智大学はカトリックの総本山、そこからトミズム(スコラ神学と哲学)の常識を覆す論文集、宮本久雄編『ハヤトロギアとエヒイェロギア』(教友社、2015年)が出ようとは。想定外の驚きである。アウシュヴィッツ以降の神学的模索に関心があり、ふと目を凝らす。節々でハンナ・アーレントが梃子となっているようで、物語論に打開の糸目をつける点でおもしろい。中でも、ハイデガーの「存在神論」を全体主義的だと批判した宮本久雄のエヒイェ論的「脱在論」は、久々に新鮮な驚きと爽やかな衝撃をわたしにもたらしてくれた。一気に読んで得た印象では、いかにも総花的で飛躍が多い。プロテスタントのわたしたちが普段扱わない教父伝承を駆使している点は参考になるが、点と線を結ぶ仕方がアーレント以上に乱暴である。山本山と同様、前から読んでも後から読んでもHannahはHannah、これをギリシャ語でパリンドローム(Palindrom)という。社会学的視点が欠落すると、存在と無を巡るせっかくの討議も空転しよう。看板が塗り替えられただけでは、真摯な対話に深まらない。接線は交わらず平行線のままだから、「解釈学的循環」の迷路から抜け出せない(のではと危惧する)。個々の聖書解釈の妥当性を含め、脱在論への共感的批判について、本格的評価は詳しく読んでからにしたい。5月18日更新。

Shigfried Mayer(宮村重徳), copyrights © all reserved 2015, the Institute for the Interpretive Sociology Tokyo

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