2018年1月8日月曜日

成人の日に:人生五十年から人生百年の設計へ

 晴れて成人おめでとう。古来周知の警句を一つ:「鉄は熱いうちに打て」と云います。冷めて固まったら、自分の直しようが無い。他にも、「人間の一生は所詮五十年に過ぎぬ。天上世界の時間の流れに比ぶれば、はかない夢や幻のようなもの、命あるものはすべて滅びてしまうものだ。」これは、幸若舞(こうわかまい)という室町時代に流行った曲舞『敦盛』にある。若き平氏の公達・平敦盛(たいらのあつもり)をやむを得なく討ち取り、世の無常を感じて出家した熊谷直実(くまがやなおざね)の嘆きの言葉。織田信長も引用して一句を詠っている。今では人生百年の時代を迎え、君たちも一から考え直さないといけない。人生七十にして再就職も当たり前の高齢化世代である。
若き日に何をデザインするかで、一生のプラニングが成果を得るかどうか、大半が決まる。聖書には「若き日に、汝の造り主を覚えよ」とある。造り主は他でもない、臨済が云う溌溂(はつらつ)と働くモノにして、それを鼻で呼吸している君たち自身なのだ。
1月9日(火曜日)更新

2018年1月1日月曜日

年頭所感:改めて根源から描き直す〈かんな年〉宣言

 新年のご挨拶を申し上げます。二〇一〇年にブログを開設してはや七年が過ぎ、八年目に当たる今日、二〇一八年は私の人生の折り返し点、改めて根源から描き直す〈かんな年〉を宣言したい。
 合理性・非合理性の柵(しがらみ)、恣意性の結(むす)ぼれを脱構築する次世代の一般社会学言論構築へ向けて、次の一歩を踏み出すことになります。一連の史的ダルマ研究は、理解社会学のモデル研究の一環ですが、『ダルマコード‐禅に学ぶ〈自己の記号学〉』出版を梃にして次のステップに移ります。今年も理解社会学の工房にてブログをご愛読くださいますよう、どうぞ宜しくお願い致します。忌憚のないご批評を賜ることが出来れば光栄です。
 カンナよりいろはにほへの桜散る一隻履にてやれ振出しよ
(重顕、拙句)
Shigfried Mayer(宮村重徳)、1月6日(土曜日)更新                                              

2017年12月31日日曜日

定量的と定性的、社会学の基礎用語(その二)

 一年を振り返ってみると、記念写真がたくさんあることに気づきます。写真に写っている自分はドットの集合、定量的に写し出しています。正確だけど、心までは読めない・覗けない。心が有るのかどうかについて議論がありますが、レントゲン写真をとっても見えてこない。何らや影らしきものがあれば、医者に診てもらう必要がありますね。でも、影は心自体ではない。定性的とは、その人で有る性格を質的に呈する仕方。心は質的属性の働く結果を反映し、共鳴して止まぬものだから、どうにも捉え処がない。過ぎたる一年を振り返り自己の不始末を反省する為に、定量的・定性的の両面で自分を見直す・読み直す必要があります。読み直すとは、心の中に絵を描くようにですね。鈴木大拙は、それを動態禅と云う。

2017年12月10日日曜日

本題を改め『ダルマコード』とすることに

 一連の史的ダルマ研究の最新版を刊行するにあたり、本題を『ダルマコード』とすることにしました。副題は検討中、おそらく「禅に学ぶ自己の記号学」に落ち着くことになりそうです。年末年始の刊行を予定していますが、多少のずれは想定内。楽しみにお待ちください。『ダルマコード』シリーズの第一巻です。2003年にダン・ブラウンの書いた長編小説で、2006年に映画にもなった『ダビンチコード』を皆さまもよくご存知でしょう。本書は画像の謎解きでなく小説でもありません。言語経験の紐解きになる歴史研究ですので、全く異なる仕様になります。歴史小説を読者がお望みであれば、その内に書いてもかまいませんが、しばらく時間をください。12月12日(火)更新

2017年11月23日木曜日

赤ちゃんに市議会の傍聴券が必要なのか

 今朝の各紙に、「あかちゃん連れを市議会認めず」との見出しのもと、ある怪事件がレポートされていた。熊本市議会で22日、女性市議が生後7カ月の長男を抱いて議場に着席し、開会が40分遅れる騒ぎになった。長男を連れて議場に入ったのは緒方夕佳市議(42)。市議会は「議員以外は傍聴人とみなす」とした上で、傍聴規則で「傍聴人はいかなる事由があっても議場に入ることができない」と定めていることから、議長が緒方市議を注意。開会時間を遅らせて議長室で同市議を説得した。とある。熊本は私の故郷なので他人ごとでない。恥ずかしいの一言あるのみ。
 言葉も話せない・規則もわからない赤ちゃんに、いったい市議会の傍聴券が必要なのか。寝耳に水とはこれを云う。私がドイツ・テュービンゲン大学に留学中、大講義室の先頭座席に、赤ちゃん連れの学生夫婦あり、朝食用のリンゴをかじりながら講義を聴いていた。教授は遅刻する学生には厳しくて中に入れなかったが、共稼ぎの学生夫婦の様子を咎めることなく、赤ちゃんの聴講券を出すようにとの指示など出さなかった。日本はこの点でも時代遅れの感覚で無理解のまま、相変わらず女性や子供の差別をして平然としている。驚く他ない。政治界に於ける男女同権の理念も、現実に沿った柔軟且つ賢明な対応が必要となる。