2013年9月18日水曜日

《手作業》で楽しむモノ造りの原点、XPをセブン化する(改造マニュアル)

【9月27日(金)更新】
書斎兼事務所には、まだ3台のXPマシーンがある。その内、最近まで使用していた旧主力マシーンを Windows 7 に改造した。マザーボードはAsus製(B85M-E)、その他必要な部品をドスパラで買い集め、すべて手作業で組み上げた。マニュアルを手順と言うが、手順書にこだわらず、長年培ってきたプロ並みの勘と技術で、6日間で仕上げた。久々に味わうモノ造りの充実感だ。
8年間使って金属疲労を見せていた旧主力機が、Windows 7 Pro の翼をつけて、いま見事なフェニックスの雄姿を見せ始める。筐体が Muse なので、雄姿というより見た目にかわいらしい飛鳥のイメージ。メモリーも8ギガに増やし、新たに購入したMicrosoft Office Pro に一新して執筆環境は整い、研究書の再版・新版に向けて内実共に意気揚々である。
三菱のブラン管モニターは3年前にすでに壊れ、頼みとしてきたNanao FlexScanモニターも1年前からお疲れで半壊状態。高価な国産品に買い替える余裕なく、安価な(韓国製LGと台湾製ACERの)液晶モニターを二つ購入する。世を挙げてみんなが、やれi-Phone だやれi-Padだと騒ぐ中、働くモノを見る手動環境は一応整った。唯一の贅沢品は、GoForce GTX 650チップのグラフィックボード(LEADTEK)。今のところ、これで満足している。残る2台のXPマシーンは、いずれ年内にリナックスで再構築する予定。
改造に際して予期せぬ事態が幾つかあった。一つは、Win 7 の設定ファイルデータをバックアップしておいたのに、Win 7 Proではこれが認識されず大半復元できなかったこと。泣く泣く(内心では、しめしめと笑みを湛えて)ソフトはすべて手動で再インストールした。手動は確かに面倒だったが、それはそれ、けっこう愉しみガイのある作業だった。結果は良好、実は古いソフト(大半は32ビット対応)は新しいOS環境(64ビット)下で使えないものが多い。必要なものだけを再インストールすることで、レジストリー関連で無駄がなくなり、その分スリム化し動作が軽快になった点はいい。二点目は、XPでアンインストールするのを忘れていたために、版権上の理由から幾つかのソフトを買い替えなければならなかった。三点目は、ドキュメントの所有権を刷新したので、元に戻せないなどなど。今更二重ブートにしても、どうなるものか疑心暗鬼している。
改造の注意点: くれぐれも上書きインストールしないように!ドライバーの違いなどからトラブルの元となる。またXP自体の改造より、Win7が動作する環境を先に作る(新しいHDにクリーンインストールする)こと、これが一番安全で最も基本的なコンセプト。その後で、XPで使用していたHDを繋いで、データを移行すればいい。但し、最近のマザーボードにはSerialATAのコネクタしかないので、XPで使っていたIDE-HDが繋げない。そこで、Centuryから販売されている IDE-SATA変換アダプターを使って繋いでみた。しばらくはうまくいっていたが、時々認識されなくなる現象が起きるようになった。つまり、ドライブが見えたり消えたりの大忙し(*)。何とか必要なデータだけはコピーして取り出したが、トラブルがあったと言えば、これくらいである。
結論、①手作業(ハンドワーク)はモノ造りの原点である。工作は楽しいから、ホモ・ファーベル(homo faber)で有ることは一生やめられない(笑)。それは働くヒト自身の改造にも係わること、君たちにもお勧めしたい。便利なスマートフォンで鈍った悟性(理解し判別する力)がリフレッシュされよう。②引っ越しお任せソフトは一切使用せずにすべて手作業で済ませたので、経済効果は抜群。浮いた資金は次に備え貯蓄できた。トータルで部品の7万円+ソフトの2万円=計9万円の出費だが、ショップで完成品を買えば18万円を下らない、付加価値の高い立派なものに仕上がった。手作業が節約に役立ったことは、言うまでもない。
(*)対策として、MCO㈱ミヨシのSATAケーブルを新たに購入し、付属していた脱落防止用のタグをつけたら、その後比較的安定している。

Shigfried Mayer(宮村重徳), copyrights all reserved 2013, the Institute for Riaishakaigaku

2013年9月4日水曜日

一杯の茶でブレイクする新たな世界、詩人・塔和子さん追悼記

 2013828日、ハンセン氏病の詩人・塔和子さんが、83歳で逝去された。心より、追悼の意を表したい(9月6日更新、データ補正)。
 振り返れば、あれは196312月のこと、わたしが高校生で若年18歳、クリスマス祝会を開くために大島青松園を訪れた時、あなたは一夜明けて次の日に、わたしを自宅に招待してくれた。洗礼を受けられる一年前、クリスマスの祝日でしたね。何気なく差し出された茶碗に手を付けて、ためらいつつも飲んだわたしを、固唾を飲んで見守ってくれた塔さんの、あの熱い眼差しを忘れることができない。菌が外に出ないという意味で健常者の扱いを受けているとしても、その人の茶碗で飲み物を口にすることは危険だとされ、少なくともひどく憚られていたから。誰がためらわないでおれようか。
 一瞬のためらいにも、薬師の神を信じあなたを信頼して茶を飲んだ(未成年で怖いもの知らずの)僕を、驚きを隠さず目を細めて見守ってくれた。塔和子さん、心を揺さぶるたくさんの詩をありがとう。安らかに眠れや主のひざ元で、天窓の星の光となって輝けよ、闇夜に舞う風光の美・いのちの詩を歌うあなたの声を、いつまでも天地に響かせ僕たちに聞かせてよ。

 朽ち行く存在の深み(混沌の淵源)を看破し、無の苦衷から命を謳い上げる(「本質から湧く言葉で」、大岡信)謳う詩が数多くある中、今でも私の心に刺さる塔さんの詩、「新しい世界」は一見何の変哲もない詩のようだが、自分の殻を破れずに鬱に陥り、四方壁の孤独な世界に引きこもる君、就活で疲れ路頭に迷い立ち竦んでいる君たちへのメッセージだろう。破って飛び出そうとしても、(当時は)不治の病のため一歩も島の外に出ることが許されなかった人の歌である。
 
*詩のモティーフとなっている聖書の言葉、マタイによる福音書9章16-17節については、2010年12月に投稿した5番目のブログ「ワイナリー革新の技法」を参照のこと。
「破る」はブレイク、「破れた」はブロークン。「破って出る」はブレイク・スルー。その意味で何度も読み返してみて欲しい
(以下は『いのちの詩』から、塔和子詩選集、編集工房ノア、2003年、41-43頁)
 
 「新しい世界」


破れたものは
繕わぬがいい
繕ったところで醜さばかりが残る

太陽は雲を破って光りを漏らし
蝉は殻を破って飛び立つ
私は心の破れ目から言葉を引っ張り出す

物の破ればかり繕っている貧乏所帯も
破って飛び出すところがあれば
破るにこしたことはない

破る破れ
破り破れる
破って捨てよう合わなくなった小さな服
小さな城
破って飛び出さなければ
自分が縮むだけだ
破ったら
破ったものは気前よく捨てよう
破れた夢も
壊れた話も
夢よもう一度などと
みみっちいことを言うな
出てきたところは
いつも
 新しい世界だ

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