2011年10月19日水曜日

3.11から222日、復興の光と影 【最新レポート】

Licht und Schatten nach der Katastrophe (frische Berichterstattung an Ort und Stelle)
【11月1(火)更新、数値データ補正、論述構成の組み替え、海外向け】
昨日(10月18日)、福島の磐城から避難した役所の女性に話を聞いた。原発に近い村が津波に襲われ、村長の金庫が流されたという。後に回収された時、中味が言い分と一致しない ことには、所有者に戻らない。そこで、幾ら入っていましたかと聞かれた村長は、(ばれたから仕方がないので)正直に3億円だと答える。その通りだったので、警察官 は本人に金庫を引き渡したという。紛れもなく、これは原子力産業への協力で得た資金である。原発で潤うモノは億の単位でない、数兆円規模の金が影で人心を蝕む事件、ばれない限り隠し通す言論自由の悪用、こういった「神もしくは自然」(スピノザ)を加工し商品化して、富(属性)を貪り合う簒奪事件の象徴的な事実関係から、決して目を逸らしてはいけない。千年に一度と言われる今回の地震と津波は、一方で自然災禍に根負けしない、日本人の謙虚で不屈なイメージを喚起した。しかしその反面、これまで国策としてもて囃された原子力政策の脆さと自己矛盾を一気に露呈しても見せた。このことを念頭に置いて、震災の事件簿を再整理しておきたい。
311日(金曜日)に東日本大震災が起きて早七ヶ月、222日が瞬く間に経過し、今日1019日(水曜日)で223日目になる。周知のように、大津波によって東京電力福島第一原子力発電所の事故(四度の水素爆発)があった点で、88年前(1923年)の9月1日に起きた関東大震災とは様子を異にする緊急事態となった。震災直後の4月以降、私がこのブログで繰り返し予測した通りになっている。そこで示唆しておいたことを踏まえ、最新の事実関係を見ながら整理し纏めておいたので、参考にしていただきたい。
①復興計画が遅ればせながら確実に実施され、被害を受けた方々は仮設住宅に避難し、近郊の避難所に無事収容された。略奪等の不穏な動きはなく、関東大震災の時のような虐殺事件はなかった。ボランティア活動による被災地支援拡大。義捐金配分の遅滞が問題化。旧住民の多くは県外に移住して帰還できず、不便なディアスポラ(離散)の生活を余儀なくされている。新聞各紙のアンケート調査では、帰還希望者は7割から4割に減っている。
②大地震に襲われ大津波に攫われて壊滅的な被害を受けた海沿いの東北の町々は、今では瓦礫の処理が進み、一面「更地」になってはいるが、高台移転の計画が実施される段階にある。実際は、国による私有地買い上げと高台や内陸部の代替地の確保が進まず、長期的ビジョンの再建計画が足枷となって、実施が滞っている。
③原発事故は限りなく冷温停止状態に近付いており、年内に冷温停止の「前倒し」が可能な射程にある。また緊急避難区域の一部解除も始まった。被災地の学校も再開されつつある。事故の収束宣言を出すのは時期尚早だとしても、工程表通りうまくいけば収束は間近い(政府筋の話)。危険度では同レベルでも、チェルノブイリ原発事故の再現とはならなかった。原子炉建屋にカバー設置が始まり、汚染水浄化装置も80%上の稼働率となっている。近隣児童の甲状腺検査も始まっているが、今のところ異常は報告されていない。
④菅政権下では、東京電力の「撤退」を斥け、浜岡原子力発電所の永久停止が決められた点は評価できるが、政局の不穏を招き行き詰まってしまった。野田政権に変わってから本格的復興の足並みが揃い、政局の不穏さは全く聞かれなくなった(輿石幹事長就任の成果)。東京電力の賠償計画実現に向けて閣議決定あり、政府(国家)が責任をもってバックアップする仕組みが出来上がった。
⑤食材(農産物)に関する風評被害が一段落、他方では東北固有の海産物を扱う地元産業施設の集約化が進んでいる。自動車部品メーカーの再建も順調に進み、部品調達の国際的需給バランスの逼迫していた課題が解決されつつある。
などと書けば、光の部分ばかりが目立つことだろう。しかし、震災復興プロセスに光あれば影もまたあることを忘れてはいけない。大半の被災者は、身内・自宅・財産を失ったままである。未だ日の当たらない「影の国」(Schattenreich)に生きることを余儀なくされている現実を鑑み、以下では、今なお私たちを苦しめている影の部分に光を当てて、現状の最新レポートとしたい。
見えざる死の影の脅威、放射能の恐さについては言うまでもなく、毎日が「除染・除染」の話題で、新聞紙上はどこも持ちきりである。汚染された食材を摂取して内部被爆を受けないようにするにはどうしたらよいのか、それが今では汚染された土壌をどう「除染」するか、全国民の関心は其処に集約される。初めは牛に与える藁にストロンチウムが検出された事件に始まり、原発周辺の家屋や校庭、通学路に降り積もった放射能の塵を取り除くこと、つまり土壌を「除染」する他ないことが判明した。それを受けて、福島市全体の家屋や土壌の除染が、今日決まったばかりである。表土の下5センチを剥ぎ取り、建造物には高圧洗浄機で降り積もった塵を洗い落とすだけで、三年間で1兆数千億円の巨額な費用がかかるという。一度の洗浄で片付けばいいが、国民が「命の平和」を取り戻すには、金額の大きさはさしたる問題ではない。汚染土壌を保管する中間貯蔵施設の受け入れは、「諒解関係」を望む社会の試金石である。
9月には埼玉の狭山丘陵に広がる茶畑の茶葉から基準値の5倍以上の放射線量が検出された。また関東各地の浄水場を初め、私の住む三郷の浄水場でも、ストロンチウムの成分が検出されて肝を潰したばかり。917日には、東京都足立区の区立東淵江小学校の敷地内で、毎時399マイクロ・シーベルトの放射線量が検出され、同日に栃木県の県立栃木農業高校が鹿沼市の業者から購入した授業用の腐葉土から、暫定基準値を大幅に超える29600ベクレルの放射性セシウムが検出されたことで、周辺住民の目は不安のレベルを超えて点となり、内心戦々恐々としている。年間許容量の2ミリシーベルトに比べると低い、身体に直ちに影響を与えるほどの数値ではないと説明されても、それでも自然ではあり得ない数値だから、子を持つ親たちにとっては不安である。どぶさらいも満足にできない、我が家の庭仕事にさえ手が出ない。放射能が空気中の塵に付き、雨が降った際に落ち葉に付着したか、軒先の澱みに一時的に溜まったものだとしても、誰であれ背筋が凍る怖い話である。土壌を除染し高圧洗浄機で洗って流せるものなら一件落着、というわけにはいかない。だから、最近では自分たちで計測器を使って放射線量を計る人たちが増えている。文部科学省の設置した計測器では17マイクロシーベルト、しかし緊急避難地域の住民が自分で計測してみると、実際の数値は20マイクロシーベルトに上っている。同じエリアで計測したはずなのに、いったいこの差は何なのか。文科省に直接聞いてみると、「計測はするが、(数値の)評価はしない」という(今朝のNHKドキュメンタリーから)。
「原子力の平和利用」という大義名分で、「命の平和」を脅かした事実関係(社会倫理的には背任行為!)を、我々は決して忘れてはならない。啓蒙主義世界発足以来、近代人(モデルネ)が自ら招いた「未成年状態」(Un-mündigkeit)について、次の世代に語り継がなければならない。我々は皆、その目撃者・証言者(Zeuge)である。自然で有るモノ(存在の仕様)を忘れ、自然にないモノ創りで露呈したヒト社会の未熟さは、自らの悟性使用を怠った(カント)と言うより、実用主義・功利主義の名目で誤用・悪用したせいではないのか。自然支配の旗頭を任じる近代人が自ら招いた算定の狂い、科学的知性乃至技法の陥穽(eine Falle)から、一時も目を離してはなるまい。陥穽とは、常々利回りから生じる屈折事件である。理解の助けとして、今は古典となったが、マルクスの『資本論』再読をお薦めする。自然概念を再考するに、スピノザの『エチカ』は最高の考えるヒントとなろう。

追記: 先程のNHKドキュメンタリーでは、哀れにも飼い主に放置されたペットや家畜が、野生化し繁殖しているという報告あり、改めて「自然と社会」(の相互依存関係)について再考を余儀なくされた視聴者も多いことだろう。率直な感想・意見を請いたい。

Shigfried Mayer, copyright all reserved 2011, by 宮村重徳, the Institute for Riakishakaigaku

2011年10月3日月曜日

ローカル文化のグローバル指数、一周年の工房

Wie aus drei lolalen ein globales Kulturgut als Kapital zu schlagen ist  
【10月15日(土)更新】
「ローカル文化のグローバル指数」と銘打ったが、ローカル文化がグローバルな発展を遂げる際の指数或いは指標が何か、それついて長々と論うつもりはない。ブログ開設一周年を記念して、口火を切るための前置きである。
日本には古来、三つのローカル(出雲・伊勢・東国、奈良・京都・大阪など)から、固有な文化が圏域を越えて栄えた経緯がある。地勢的三角形の意味付けは信憑性に於いて疑わしいが、それ自体支配社会学的勢力論と無関係ではない。ローマ・コンスタンティノーポリス・エルサレムの三つを主教座とする勢力事情に係わることでもあるが、ひとまず三一的ドグマの法教義学的言論とは区別しておきたい。三世紀の華厳経のように、数字の三に纏わる教えを伝える文書はアジアに少なくない。すでに西方では、2世紀の法学者テルトリアーヌスに始まり、その後4世紀のアリウス論争を経て、アウグスティーヌスで完成を見た三一論の潮流が一方にあり、中央アジア西域はその流れを受け、サンスクリット語の文化圏に強い影響を受けた、それなりにグロ-バルな多言語の文化圏、ヘレニズム社会独自の共鳴体域を構築している。アポロン風の仏像や三体の如来像など、事例を挙げればきりがない。ともかく、我々の関心は如何なる教義学にも非ず、三つのローカルからグローバルな文化圏を形成する社会勢力論にある。
10世紀の日本に始まる国風文化は密教的色彩が濃いが、それはインドや中国からの強い禅文化の影響であったこと、三つ巴の影響関係は周知の事実である。他方で、インドや中国大陸での仏教の密教化の背景に、ゾロアスター教(祆教)・マニ教(摩尼教)・キリスト教(インドではトマス派、中国では景教、ネストリウス派)の影響、ポジティブな受容や習合があった事実も否定できない。この三つは異民族系の外来宗教の意味で、通常軽蔑的に「三夷教」と呼ばれている。後にイスラム教(回教)を含めて「四夷教」というが、ここでは合理数の三に注目したい。密教への影響関係には温度差がある。空海に於いては、祆教や景教と密かな接触があったものと推測される。
史的ダルマのケースでは、少し様子を異にする。同じ合理数でも、三でなく二と四が問題となるところが彼らしい。二と四は、ナーガールジュナ(流樹)の中道にある二諦と四諦を指すものか、さもなければオリゲネス的発想である可能性も排除できない。道に入る際の2は東西の地理的(風土的)隔たりを前提とし、4は3プラス1の可能性がある。討議のヒントはこれで十分であろう。ダルマ自身にユダヤ人クリスチャンの素性があった可能性については、京都大学で開催された一昨年の宗教学会での発表の際に示唆しておいた。高野山で修行する諸君にとって、そういったことは言語道断だろうか。そうでなければ、少なくとも想定外の驚きであろう。高野山に眠る故エリサベス・ゴルドン婦人なら、「やはり」と満面笑みを湛えて大歓迎されるに違いない。空海のケースと異なり、ダルマの教え(『二入四行論』)は密教とは無関係であるが、二つある生没年のデータとマニ教や浄土系僧たちとの抜き差しならないコンフリクトに巻き込まれ、最後は毒殺未遂事件にまで発展した内外の事情から、そのマスクが割れる。遠からず、永寧寺焼失事件も、それと無関係ではなかったに違いない。
ところで、単純に西洋近代と比較することは出来ないが、文化指数としての三には、東西を問わず興味深い関連が見られる。フランス・イギリス・ドイツを軸とした三つの文化(自然科学・精神科学・社会学思想)は、理性の働きを重視する啓蒙主義文化のメルクマールである。これに対して東洋には古より存在の技法があり、西洋とは「異なる仕方で考える」ことを実践した人々が確かにいる。現に、残された作品群には科学的志向は見当たらないが、インド・中国・日本という三つのローカルな「風土」(和辻哲郎)に培われた、悟性文化圏独自の閃きが観察される。今日のニーズからして、新古典的なグローバル文化資本構築の是非が注目されてよい。しかし、如何にしてそれは可能か。悟性も理性も基本的に理解のカテゴリーに属すること、持論の「理解社会学のコンプリメンタリズム」(東西文化の相補論)が、必要且つ十分な手掛かり・足掛かりを読者に提供し得たかどうか。それは畢竟、働くモノとヒトで織り為される「芸術作品の根源」(Ursprung des Kunstwerkes)に拘わること、指南の不足分について以下で私なりの反省をしておきたい。
 仮初めの家であっても、建物は砂の上にではなく岩の上に建てないと、暴風雨に晒されると流され、すぐに倒壊してしまう(マタイによる福音書7章24~27節参照)。昨年10月6日に「理解社会学の工房」を開設して以来早一年になるが、日本の政治社会言論はあたかも砂地か沼地のようで、何処にも掴み所が無く、杭や楔を打とうにもなかなか岩盤にまで届かないか、曖昧さ故にどうにも落ち所が見つからない。その意味では、「理解社会学研究所」は未だ粗末な茶室、客はまだかと待ちぼうけする、孤独な茶人の仮住まいに過ぎない。
 元はと言えばハイデガーの研究から始めたことだが、やがて史的ダルマの研究に没頭する中で、同時代の平行事例(ネストリオスなど)を東西の分水嶺にまで尋ね、南北のルートに踏み込んで史料を集め、関連を詳しく調査して初めて分かったこと、ヴェーバーに学び「理解社会学」の方法論的探求から学び得たものを含め、この十年間は実り多き歴史発見の連続だった。ブログを開設して半年後の311日に起きた東日本大震災によって一時中断を余儀なくされていたが、自然と社会について東西で異なる考えを突き合わせ、理解を深め改めるよい機会となった。研究成果の一部を昨年の学会で発表した際の過剰なまでの感情的反発を見る限り、まだその時でないのかも知れない。随時公開しながら、いずれ評価を世に問う時期が来よう。
社会学言論の討議スタイルでブログに今公開しているものは、執筆中の「一般社会学言論講義」に書ききれない事例分析を初め、大半が欄外注の部類に相当する。自然や本性の言語理解については、無神論者の烙印を押されながら神に酔える人、スピノザの自然概念(Deus sive natura)を第三の解釈項として参照することになる。果たして予告通り、インド・中国・日本の三つのローカルからグローバルな文化資本を発信することが出来るかどうか、「神と貨幣」を巡る社会言論の真性(即審美性でない!)論議の行く末について疑心暗鬼する人の方が多いだろう。波紋の大きさに驚くのはまだ早い。まだこれは予震に過ぎない。本震はこれからである。講義草稿全体の完成まで、あとしばらくお待ちいただきたい。


脚注: 文中でいう「文化資本」は、ピエール・プルデューの概念とは少し異なる。文化資本とは、わたしの場合、交換価値を有する諒解妥当な言語資産、働くモノ(働くことの宗教的動機・主観的意味)が利害に絡むゲゼルシャフト結成に係わる限りでの文化形成的資本(カプト、働き手である人材を含む、無形文化財の権利保持者)

Shigfried Mayer, copyright all reserved 2011, by 宮村重徳, the Institute for Rikaishakaigaku