2014年11月23日日曜日

法政大学大原社会問題研究所 国際公開シンポジウムのお知らせ

『境界地域における国民統合過程と人々の意識

-日本とアジアを中心に-』


The National Integration Process in Bordering Areas and Peoples' Consciousness: Cases of Japan and Other Asian Countries


法政大学大原社会問題研究所主催 国際公開シンポジウム

日時: 2014年11月29日(土) 13:00 - 17:30
会場: 法政大学市ヶ谷キャンパス ボアソナード・タワー19階D教室
     (〒102-8160 東京都千代田区富士見 2-17-1)
交通: JR:市ヶ谷駅または飯田橋駅下車徒歩10分(ほか地下鉄線あり)
参加料: 無料

13:00 主催者挨拶、原伸子(法政大学大原社会問題研究所所長)
     趣旨説明: 金嘉南(法政大学大原社会問題研究所准教授)
13:20 第1報告「朝鮮海峡を渡った在朝日本人と朝鮮人の都市文化統合と葛藤」
            金嘉南(法政大学大原社会問題研究所准教授)
13:50 第2報告「近代国家における文化統合の問題」
            高江洲昌哉(神奈川大学非常勤講師)
14:20 第3報告「日本華僑における台湾人意識の持続とその変容」
            何義麟(台北教育大学副教授)
15:05 第4報告「メコン地域における越境的な拝発・環境問題と市民ネットワーク」
            渋谷淳一(法政大学大原社会問題研究所兼任研究員)
15:50 コメント   羽場久美子(青山学院大学国際政治経済学部教授)
            宮本正明(立教大学史資料センター学術調査員)
17:00 質疑応答

司会: 鈴木 玲(法政大学大原社会問題研究所教授)

2014年11月10日月曜日

個人的所感:「ベルリンの壁崩壊」後、二十五周年に寄せて

ちょうど25年前の1989119日に、東西ドイツを隔てていた「ベルリンの壁」が一挙に崩壊するという、画期的な事件がありました。長く続いた「冷戦構造」が一気に崩れた象徴的事件でしたね。わたしはすでに198610月に帰国していたので、日本で聞き知って驚いたのは当然です。当時のベルリンは孤島のように、周囲に張り巡らされた鉄条網を初め、3メートル近い高さの分厚い石壁で仕切られていた光景を何度も目撃しています。ベルリンは三度ほど訪問した記憶があり、越境しようとして無残に射殺された東ドイツ市民のニュースを聞くたびに、我がことのようにひどく悲しんだものです。国境を越えようとする外国人のわたしたちにも、厳しいチェック体制が敷かれていました。バスに乗り込んできた兵士がカバンを開けよと迫り、不審なものが入っていないかと、躍起になっていましたからね。
当時西ドイツのコール首相は大した政治家ではありませんでしたが、やはりあのゴルバチョフ(当時のソ連邦の大統領)が鍵ですね。あの人がいなかったら、ベルリンの壁が崩壊するなど、夢のまた夢に過ぎなかったことでしょう。「人が法を追う」仕方、いくら法の公義を求めても、所詮追うだけでは何も始まらなかった。厳密な意味で、「法が人を追う」、つまり理に適う人物を得て初めて、公義の法が成し遂げられ、世紀の大変換をもたらしたと言えそうです。これは三蔵法師の言葉ですが、法が慕い求める人物足らんとする若者の出現を期待したい。

Shigifried Mayer(宮村重徳), copyrights © all reserved 2014, the Institute for the Interpretive Sociology Tokyo

2014年11月9日日曜日

今年は節目の記念尽くめ、自分を翻さないと訳せない、仕事人の粋と気概を

 今年はいい意味で記念尽くめですね。大学創設50周年や学園創設130周年どころの話ではない。法要宗の祖とされる玄奘が没して、今年で1350回忌に当たるのですね。仏典の翻訳に生涯をささげたヒトの苦労が偲ばれます。「玄奘三蔵院伽藍 大唐西域壁画特別公開」が、9月から11月末まで、奈良の薬師寺で催されています。「玄奘三蔵1350年御遠忌記念」ということで、8月には東邦音楽大学主催「薬師寺音舞台」も披露されました。
 達磨大師が入寂された「達磨忌」では、528年だと1486周年、536年だと今年で1478周年、節目となる再来年の2016年、或いは4年後の2018年が楽しみです。
 どうしてこのような話になるかと言えば、最近は史的ダルマ研究の集大成の為に、漢訳文献を読むことが日増しに多くなり、難解な仏典や景教典を読むにつけ、翻訳の大変さが身に沁みてわかるからです。旧来のように、漢文に返り点や送り仮名をつけて読み下しているようでは不十分、訓読しているようでは、とても理解が追いつかない。
 人生は長いようで短い。物事を大成するには、よき師とよき友、何よりもよき秘書の三つが必要です。それだけでもまだ足りない。後世に遺すとなると、優れた翻訳者・通訳者が欠かせません。玄奘三蔵にして然り、鳩摩羅什や菩提流支にして然り。ずばり、翻訳は文化、翻訳者は無形文化財です。疎かにはできません。通訳者の曇林なくしては、ダルマの存在も働きも忘れされていたことでしょう。
 西欧では、マルティンルーターがヴァルテブルク城に立て籠もり、旧新約聖書をドイツ語に翻訳した1534年から換算すると、今年で500周年記念になります。没年の話しではないですが、考えてみると、『マルコによる福音書』が通説通り紀元70年頃に成立したのだとすると、今年で1944周年です(個人的には、私にとって記念の年)。マルコがギリシャ語訳に苦労したという話は聞かれませんが。いずれにせよ、気が遠くなりそうな話ですね。ブログの読者諸君も、原書から翻訳することの苦労話を糧にして、「自分」を翻さないと訳せないからね。大事な人に読んでもらうには、共感を呼ぶ仕事人の粋と気概を抱いてほしいものです。(11月10日更新)


Shigfried Mayer(宮村重徳)、copyrights all reserved 2014, the Institute for the Interpretive Sociology Tokyo