2016年9月26日月曜日

ディスクレパンシーとイクワリティーの狭間で考える

説明しても理解できない、理解しても説明できない。迷走する台風予報の話じゃないよ。考えようとすると、ジレンマに陥るからいやだよね。でも、スマートにしか考えないでいる(ショートカットで済ますことに慣れてしまう)と、砂を手づかみにするときのように、当たり前の現実が捨象(しゃしょう)されてするりと落ちこぼれ。後に何も残らない。話が違うと焦っても、いつの間にか説明が追い付かず、理解するどころの話ではなくなる。そうでしょう?近代人が陥ったディスクレパンシーのぶい・モードは、そろそろおさらばにしたいね。
どう考えていいかわからない?さあ、スマートフォンの電源切って、何もない壁の前に座って自分に問いかけてごらん。俺って、何してんだろうって。説明しても理解できない、理解しても説明できない何かが見えて来たらしめたもの。
うん、即答とはいかないね。漢字平仮名交じりで「さらば、格差(ディスクレパンシー)を勝利方程式にする社会よ」ではどうかな。周りのみんなと同じでは退屈でしょう。正直に、あるがままを生きたらいい。でも、機会平等(イクワリティー)を模索し、皆と和合して生きる工夫をしないと、独りよがりになる。考えるって大事なことだよ。
10月9日(日)更新。
Shigfried Mayer(宮村重徳), copyrights © all reserved 2016, the Institute for the Interpretative Sociology Tokyo