2016年8月15日月曜日

ルールがあってこその国際平和の祭典でしょう?

終戦でない、敗戦のこの日(815日)に我思う。オリンピックの競技に感動するのは、仮初でも、ルールに徹した競技を皆が実践しているからだ。国際政治社会にルールがあっても、ルールを守るというのはうわべだけで、だれも本気で守ろうとしない。それはなぜか。国際ルールを無視した利権主義に覇権主義の争いが相次ぎ、誰もが辟易していよう。政治家たちがこれでは、いつになっても国民主権の平和の祭典が祝えない。確かに、諸国間での諒解規則は曖昧だが、互いの期待を読みあい先取りすることで、了了常知の信頼関係を築けるチャンスと蓋然性が、ほら此処其処に事実存在するではないですか。
「自分にしてもらいたいと思うことは、何でも他の人にする」だけでいい。これが黄金律と言われる(『マタイによる福音書』712節参照)。二度と悲惨な戦争を望まない、関係諸国が手を取り合って、諸国民や民族間の融和を図り、国際平和の絆を誓う非戦の祭典が、2020年までにと云わず、次世代を担う子供たちの日常世界に齎されるその日を間近に願いたい。平和の使徒、ダルマの安心壁観を一里塚にすれば、望まれる安楽卿が眼下に見下ろせるようになるでしょう。もう、経済不況を口実に、人間不興への無策は止めにしたいものです。
イスラム諸国とキリスト教国が争う理由など無いのです。集団的自衛権の名目で、自分の利権に拘り、密かに自我を主張する一部の困った人たちを除いてね。
Shigfried Mayer(宮村重徳)