2020年2月26日水曜日

公教育の師範モデル、宗教の世界を語る斬新なスタイルに注目

 縁あって、昨年秋より東京大学本郷キャンバスの講義を聴講した。休日が月曜日という個人的制約あり、藤原聖子教授の講義「宗教史概論」に参加した。どこにも角々した言葉なく、満遍なく目配せし不安や疑問を残らず吸い上げる、対話型の講義スタイルも半端でない。優に500人を収容する大教室で、問題点を整理して無用な偏見を正される、圧巻である。学生たちに複数の選択肢を提示、史料の真偽は宗教史学で検証し、ヴェーバー社会学に準拠して納得の諒解ポイントを各自取得させる、その発見術的講義スタイルにぶれはなく、公教育の師範モデルに値する。アーレントとは気性もタイプも違う方だが、久々に活動的生を対話実践する師に巡り合えた感がする。
 個人的には、ヨーロッパ近代の聖書批評学で研ぎ澄まされた論争スタイル(史的イエス論では、ケンカ腰の印象を免れない)を捨てないと、広い共感ポイントと共鳴可能な公共空間が得られない。師に対面すると、自分に欠けていたものが露呈する。わかりやすい教科書レベルの公共性言論への不十分な取り組み、読者聴衆への不親切さに気づかされる。
公教育の師範モデルを目の当たりにし、改めて宗教の「世界を語る」にも、然るべき一般社会学言論のルール(運用規則)があること、経験妥当な範例を見せつけられて、共感すること大である。教科書検定論争のど真ん中で、ヴェーバーの価値自由の立場を貫いておられる。ホピュラー性を阻む自己原因の一端を思い知らされて、カルチャーショックを受けた。正直な感想である。
これまでわたしが書き綴ってきた諸論考(史的ダルマ論を含む)にも、論争の経緯から拘りや思い入れ故の偏りがありはしないか、垢抜けしていないぞと批判されているも同然、改めて神即無の命題集を零元の目線で一から書き直し、面奬の壁世界を解体し、壁観論を再構築する必要性に迫られている。藤原先生を禅師に見立てるつもりはないが、これはわたしにとってエンライトメントに相当する、一般言語学特殊講義(ポスト宗教史学派の社会言論)へのヒント以上に、覚醒と転回の機会を与えてくださった先生に、感謝を申し上げたい。
 一般読者には、藤原先生の『教科書の中の宗教:この奇妙な実態』(岩波新書、2011年)の他に、最新作『三大宗教 天国と地獄 QUEST』(大正大学出版会2008年)をお勧めする。教科書レベルのわかりやすい目線で検定外の取りこぼしがないのかどうか、評価は読者自身に判断をゆだねたい。
Shigfried Mayer(宮村重徳)、copyright © all reserved, 理解社会学研究所所長、法政大学大原社会問題研究所嘱託研究員、㈱岡本カンパニー講師、PKO法人キャッチ・アシャ―・コム代表



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