2012年12月12日水曜日

時節因縁の大事なお知らせ

 クリスマスを一週間後に控えた16日は、大事な衆議院選挙日に当たります。わたし自身、本年度の4月より、三足の草鞋を履いて東奔西走する多忙な毎日を強いられてまいりました。そのために年末の行事日程が目白押しになっており、諸研究会は日程変更を余儀なくされました。次週予定のハイデガー研究会は、第5日曜日の12月30日午後5時からに変更いたします。場所はいつもの北千住駅前東口にあるカフェ・サンロード、時節因縁の開花を待ったこの一年の総括をします。
理解社会学研究会のメンバーも、時間の許す限りお越しください。ハイデガー哲学と政治のスタンスを、ヴェーバー理解社会学との関連で解き明かしながら、わいわいと和やかに年を越すのも悪くない。選挙の結果がどうであれ、表層世界の喧騒を超えて、政治的「存在」を暗くしたり光らせ輝かせる何か、働くモノのエスが見えてくるかもしれません。どなたでも関心のある方はお越しください。初めての方、一同心より歓迎いたします。

Shigifried Mayer(宮村重徳), M. Anton Kolakovski, Steffi Clemens

2012年12月3日月曜日

マスクに黒子、ほくろの点移動について

【12月15日、更新版3】
先行き不透明な今回の衆議院総選挙について、田原総一郎氏がさりげない言葉で、意味深長なコメントをしている。
 「嘉田さんというピュアな人を看板にして、バックには一癖も二癖もある人たちが集まった格好だ。クリーンイメージの嘉田新党で彼らが黒子に徹することができるかどうか。嘉田さんはそうした新党をまとめ議席をどこまで伸ばすことができるか。不安は残る。」(日経BP Net Mail 12/03、田原総一郎の政財界「ここだけの話」:「 守りの民主、攻めの自民。クリーンイメージの嘉田新党は大丈夫か」)  //引用終わり

すでに前回のブログ(「失敗した政治主導の駆け込み寺」)で指摘しておいたように、混乱した政局の原因は、官僚依存脱却の失敗にあった。その反省に立って民主政権3年の評価に絡み、今回の選挙がある。今回の選挙戦の特徴は、政治と官僚の閾を横断するマージナルな争いとなっている点だ。
嘉田さんだけでない。石原さんも橋下さんも、被るマスクは政治家であり(前または現)知事である。知事は選挙で選ばれた特別職の地方公務員、国家試験に合格して各省庁に配属されたエリート官僚と異なることはもちろんだが、選挙で選ばれた国会議員や地方議員に比べると、公務員である限り官僚の一員である。知事は地方自治体を指導する立場にあり、地方官僚を代表してその職務を遂行する。働く場所が中央であれ地方であれ、官僚の位が上級であれ下級であれ、国家公務員には黒子に徹して国民のために自分を捨て、公共的職務(公務)を全うする責務がある。知事に国会議員との兼職が禁止されている点を除けば、責務はほぼ同じである。
それに対して政治家(国会議員と地方議員)は、黒子であるより政治の表舞台に立って陣頭指揮を執り、必要にして有効な政策を練り実現する緊急性の高い課題を背負っており、官僚依存は建前上もご法度か本音では保身腐心の隠れ蓑にされていることが多い。
日本未来の嘉田党首がいくらピュアなイメージのマスクをしていても、曲者ぞろいの政治家たちを同じ屋根の下に纏めきれるのか、それとも彼ら(小沢グループ)に逃れ場・隠れ家を提供することで、本音では頭角を現したい連中の勢いに飲み込まれるのか、今のところすべては未知数であり予断を許さない。政治家と官僚が旧来の依存し癒着した利害関係を改め、今が取り直し・仕切り直しの時であることを思えば、即断は禁物である。小沢さんが嫌われ阿部さんが好まれるのもマスクしだい、というのも困ったことだ。党首自ら黒子となって働くモノに徹するのは、いったいどちらだろうか。大衆受けする甘いマスク(ポピュリズム)に騙されてはなるまい。脱インフレを、戦争特需で解決できるといった期待を抱かせるのは、挑発的で危険極まりない。
ところで、「黒子」とは何だろうか。黒子はヘルパー、芝居の晴れ舞台で演じる主役を背後で支えるわき役である。「黒子」が表舞台に出ることはまずない。出たら本末転倒で、その時点でお芝居はお終い、映像画面はカットされる。「黒子」はフランス語でスフレーァ(Souffleur)、主演者が台詞(セリフ)を忘れないよう、背後でセリフづけの役割に徹するのみ。ドイツ語では ein schwarz-gekleideter Bühnenhelfer(ビューネンヘルファー、直訳で、黒装束のステージヘルパー)。某辞書にKastengeist(カステンガイスト、上流階級の「社会偏見」)とあるのは、ちょっと理解しがたい。これではまるで、語源がカースト(階級制度社会)の排他意識と直接関係があるかのようで、無用な誤解を生じる。
漢字の黒子には、そういった意味合いはない。三省堂の『全訳・漢字海』によれば、黒子は本来マスク(面)の「ほくろ」という意味、地図の上では「小さい土地」、太陽の黒点が例に挙げられている。転義的に「黒衣の人」、つまり黒衣を纏った仏僧の総称でもある。官僚であれ政治家であれ、自分(私心、党派的エゴ)を捨てて国民に仕える、それなりに「黒衣の人」であることに徹することができるかどうか、政治的「存在」の真意が問われる。そこが、仕切り直しの試金石となろう。師走の選挙では、脱原発が本心から出たものかどうか、党首のマスクをよく見破り、黒子たちの動向(=ほくろの点移動)をしっかりと座標に見極めたい。
話を本題に戻すと、黒子(省庁のエリート官僚)が利権を占有する構造に誰がメスを入れることができるのか。すでにドイツで実験済みの、脱原発を謳えば当然電気代の高騰が見込まれる、その結果国民の負担が増大する厳しい状況にどう対処するのか、立候補の説明責任が問われよう。デフレを脱却するにしても、クリーンなエネルギー政策を打ち出すにしても、基本は原資のエネルギ-(x)を商品のエルゴン(y)に変換する、一次関数(y = f (x))の知恵比べ、猿まねでない、ホモサピエンスのすることである。必ずどこかに、マージンを操作する隠しの切り札=切片(+b)のプラスアルファーがある。まずは、お手並み拝見と行こう。
 Shigfried Mayer, copyrightsⓒ all reserved, by 宮村重徳, the Institute for Rikaishakaigaku

2012年11月29日木曜日

失敗した政治主導の『駆け込み寺』

【12月1日更版】
多党が乱立する今日の日本政治の状況は、「官僚依存からの脱却」を謳いながら失敗したか途上にある、民主党政治のツケなんでしょう。さすがのドジョウ政治でも、分厚い官僚制度の壁は未だ破れそうにない。そのような中で、第三勢力を狙う新党結成と再編の動きがあわただしい。地方行政の長(知事)までが中央政界の変革に手を出し挑戦する事態は、評価の良し悪しはともかく、それ自体新しい時代の幕開けなのかもしれません。ただわたしには、脱原発や卒原発を名目的に標榜することで、そこを失敗した政治主導の「駆け込み寺」にしたいか、行き場を失った小政党の受け皿も一時の隠れ蓑に過ぎないように思われます。政治の転換期に、耳目を引くスローガンを立て、一気に流れを作るのが、小沢一郎氏の好む選挙用の得意技ですからね。政治哲学の片鱗もない政策的な摺合せ(「諒解」)もない野合だから、国民を動かす運動にはならず、有効な得票を期待することは難しいでしょう。未来日本の党首の手腕は、全くの未知数ですし、首を挿げ替えても・・・、国民のだれが国政を任せる気になるのでしょうか、疑問です。
「政治的動物」(アリストテレス)を突き動かしているエス(刺激的情報)には、格別の注意が必要です。政治言論には選挙用の見せ掛けが多いから、マニフェストの謳い文句にはくれぐれもご用心ください。「政治的存在」の言行一致に目的合理性の信憑性が問われます。不思議なことに、どの政党にも官僚依存脱却失敗の反省がない。残念なことに、あってもまともな総括すら聞かれない。
混沌としたそのような時だからこそ、就活世代の君たちが積極的に選挙に参加して、自分たちの世代を盛り上げてほしい。明日の社会がどうなるのか、不安でいっぱいの暗夜行路ではあるけれども、キャスティングボードを握るのは、君たち以外にはいないのだから。啓蒙主義以来の「未成年状態」(カント)からの脱却は、官僚を含む政治的「存在」とは何かを、君たちが自分の大地に踏みとどまり、しっかりと考えることなしには不可能だということを、決して忘れないでほしい。ロードマップとなる模範解答はありません。暗夜を「手探り」で模索してください。快適なタッチパネルもありません。「素手・素足・素顔」で探してください(笑)。
それでは困る?考えるのは面倒で嫌?そこで最後に考えるヒントを一つ、暗部(ナチスとのタッチ)を嫌疑するあまり、存在を明るみに出すハイデガーの画期的な質問状(epochmachende Fragestellung)までゴミ箱に捨ててしまわないようにね。諄いようですが、ハイデガーとヴェーバーへの学びは、未来日本を考える人のための必須要件です。

Shigfried Mayer, copyrights © all reserved, by 宮村重徳, the institute for Rikaishakaigaku

2012年11月12日月曜日

プライドは大事に、清く収めてこそ自分上手

【11月15日更新】
 自分のプライドを取り戻さないと、何も始まらないケースがまずあります。軽い気持ちからであっても、むやみに他人をからかったり、根も葉もないうわさを引き合いに出して、生きる誇りを傷つけたり奪ったりすることは許しがたいことです。その反面、プライド(気位)が高いばかりに、たいていは自分のプライド(面子)が許さないことに起因して、失敗する人のケースが意外と政治家(とその取り巻き連中)、知識人や文筆家に多いですね。
 プライド(誇り)って、シェーム(恥)の対概念かその裏返しでしょう。自分の名誉にかかわることで、通常は自尊心(Stolz, Selbstgefühl)のことを指しています。なぜか日本のメディアだけが大騒ぎしていて、欧米諸国ではあまり話題にならない、のが気になります。「この糞ったれ、恥を知れ!」(Scheiße, schäm dich!)という言葉を日常的に使うことはありますけどね(笑)。政治的討議の場ではまずありえない。政治討論の放映には誠意と気迫と品位があって、留学先のドイツで生放送を毎日聞いていて楽しかった記憶が今でも鮮明にあります。井戸の中の蛙では仕方がない。諸君には海外留学をお勧めしたい。
 さて、日本の政治社会の言論界はどうかというと、相変わらずのプライドとシェームが入り乱れた泥仕合の様相を呈しています。本質的な議論は棚上げされたまま、誰かをこき下ろすか血祭りにででもあげないと収まらないか気が済まない。でしょう?朝夕の紙面をにぎわすのは、相手の人格を誹謗する文言の応酬ばかりで、もううんざりですよね。違いますか?
 対面上プライドは大事ですが、角が立つようなら清く収める・掃き捨ててこそ、空の間合いで魅せるコミュニケーション技法も上手になれる、と日ごろからわたしは思っておりますので、生活世界を平常底で生きるための自分の隠しモットーにしています。
 みなさんはどうでしょうか、恥と名誉の泥仕合を収束させるためにはどうしたらいいのか、みなさんの率直なご意見を伺わせてください。グローバル社会を生きようとすれば、日本は「恥の文化」だから仕方がないと、言い捨てにして話を終わらせない、生きたコミュニケーションの工夫、思い切ったコモンセンスの刷新が必要です。では、どんな?

Shigfried Mayer, copyrights all reserved, by 宮村重徳, the Institute for Rikaishakaigaku

2012年10月27日土曜日

エスを考える力に、マテリアをヒトの器に象るには

【2013年2月04日(月)更新】
 コンピューター技術の進展には、目を見張るものがありますね。私自身は、1986年頃に三洋電気のワープロ(サンワード)を、その後同社のAXパソコンを買ったことに始まり、歴史は長いです。、当時はまだ Windows 2.0の世界でしたが、IBM DOS 5.0 を経てその後Windows 3.1からOS/2 まで自在に使いこなしていたので、そうとうのヲタクでしたね(笑)。 それでもコンピューター関連の技師やプログラマーにならなかったのは、私がそれを常に考える道具としてのみ扱かっていたからです。マルチリンガルな文書を作成するにはどういうプログラミングが必要かを理解しつつ、試行錯誤で自作したプログラムやマシーンは数え切れません。
 当時面白いプログラムがあって、Who ist God?(「神様ってだ~れ?」)と言うんだけど、アイコンをたたくとね、マイクロソフトのビル・ゲイツの顔が表示されたので、驚いた記憶があります。今日では、アップルのジョッブズさんの顔になるでしょうかね。
 前回のブログの続きを書くと、便利なスマートフォンやアイフォンを使うとしても、考える余裕を如何にして残すか、私の関心はそこにあります。邪魔なら捨てる、それが私の信条です。タッチパネルでなくても、電話やメールでの連絡は従来の携帯電話機器で十分だから、まだ買ってまで使う気にはならない。それでも、電子書籍関連のタブレット(キンドルやネクスス7)には強い関心があってね、近日中に発注したいと思っています。もちろん、それには目的があってのこと、古典や近現代の貴重なテクスト資料をPDF化し、いつでもどこでも読める機会を手にしたいということ。更に、それを使い考えた結果を公共の善に役立てないと、これまた意味がない。
 何を買い求め使うにしても、プライベートな趣味で終わらせず、「それ」を考える道具としマテリアを「載道の器」に象る工夫が必要だと考えています。君たちも買ったらいい。ただ、使う目的意識を大事にしはっきりさせておかないと、便利さあまりにその内考えることさえ面倒だと思う、考える要件を必要としなくなる恐れも避けがたいので、衝動買いをしないようにね。気が付いた手足がなくなって、ららんらんと光る眼球だけしかない、鬼太郎の親父さんのようにならぬよう(笑)、くれぐれも注意してくださいよ。
 「それを考える道具に」と言ったけど、「それ」は内外に働くモノのエスのことです。では、ここで問題です。(衝動を含む)エスを考える力にする、マテリアをヒトの器に象る工夫ってあるのかな?あるとすれば、どうやって?さぁどうぞ、全身を耳にしてお伺いします。

Shigfried Mayer, copyrights all reserved, by 宮村重徳, the Institute for Rikaishakaigaku