2012年11月12日月曜日

プライドは大事に、清く収めてこそ自分上手

【11月15日更新】
 自分のプライドを取り戻さないと、何も始まらないケースがまずあります。軽い気持ちからであっても、むやみに他人をからかったり、根も葉もないうわさを引き合いに出して、生きる誇りを傷つけたり奪ったりすることは許しがたいことです。その反面、プライド(気位)が高いばかりに、たいていは自分のプライド(面子)が許さないことに起因して、失敗する人のケースが意外と政治家(とその取り巻き連中)、知識人や文筆家に多いですね。
 プライド(誇り)って、シェーム(恥)の対概念かその裏返しでしょう。自分の名誉にかかわることで、通常は自尊心(Stolz, Selbstgefühl)のことを指しています。なぜか日本のメディアだけが大騒ぎしていて、欧米諸国ではあまり話題にならない、のが気になります。「この糞ったれ、恥を知れ!」(Scheiße, schäm dich!)という言葉を日常的に使うことはありますけどね(笑)。政治的討議の場ではまずありえない。政治討論の放映には誠意と気迫と品位があって、留学先のドイツで生放送を毎日聞いていて楽しかった記憶が今でも鮮明にあります。井戸の中の蛙では仕方がない。諸君には海外留学をお勧めしたい。
 さて、日本の政治社会の言論界はどうかというと、相変わらずのプライドとシェームが入り乱れた泥仕合の様相を呈しています。本質的な議論は棚上げされたまま、誰かをこき下ろすか血祭りにででもあげないと収まらないか気が済まない。でしょう?朝夕の紙面をにぎわすのは、相手の人格を誹謗する文言の応酬ばかりで、もううんざりですよね。違いますか?
 対面上プライドは大事ですが、角が立つようなら清く収める・掃き捨ててこそ、空の間合いで魅せるコミュニケーション技法も上手になれる、と日ごろからわたしは思っておりますので、生活世界を平常底で生きるための自分の隠しモットーにしています。
 みなさんはどうでしょうか、恥と名誉の泥仕合を収束させるためにはどうしたらいいのか、みなさんの率直なご意見を伺わせてください。グローバル社会を生きようとすれば、日本は「恥の文化」だから仕方がないと、言い捨てにして話を終わらせない、生きたコミュニケーションの工夫、思い切ったコモンセンスの刷新が必要です。では、どんな?

Shigfried Mayer, copyrights all reserved, by 宮村重徳, the Institute for Rikaishakaigaku