2011年5月6日金曜日

波打つ自然と自由のフーガ、歌詞あればこそ…

Wenn es keinen Text gäbe, .... über die Sprache, die Seiende zur Sympathie bringt
  考えてみると、この間二ヶ月近くは、波打つ大地と高ぶる大波に身も心も攫われ、二次災害の原発事故が相次いだ、暗いニュースばかりでしたね。5月5日の今日は「こどもの日」ということもあり、明るい話題を一つ取り上げたい。(2013年6月20日更新)
 つい先日開催された「第78回NHK全国学校音楽コンクール」中学生の部で、ロックバンドのフランプール(flumpool)が演奏した課題曲、中でもその歌詞が話題となり、全国で波紋を広げている。東日本大震災で大きな被害を受けた仙台の中学校を訪れ、生徒達にエールを送るために歌われたものだ。もし歌詞抜きで曲が演奏されるだけであったら、こんなにも若者たちの心を捉え、浸透し、共感の輪を広げることはなかったに違いない。メッセージ(時機を得た言葉)がメロディーに載せられて初めて感動を呼び、「存在への勇気」を分かち与え、リスクを恐れず前向きに考えさせる動機となったのであれば、音楽言語学や記号学の構想を再考しなくてはいけない。「証」は、存在の響きが言葉となって身(肉)に宿り、狼狽する高齢者層へと若年世代から贈り届けられた点で、関係の逆転現象を明示している。

「証」(あかし)
作詞:山村隆太 作曲:阪井一生

前を向きなよ 振り返ってちゃ 上手く歩けない
遠ざかる君に 手を振るのがやっとで
声に出したら 引き止めそうさ 心で呟く
”僕は僕の夢へと 君は君の夢を”
あたりまえの温もり 失くして 初めて気づく
寂しさ 噛み締めて 歩みだす勇気 抱いて
溢れだす涙が 君を遮るまえに
せめて笑顔で”またいつか”
傷つけ合っては 何度も許し合えたこと 
代わりなき僕らの証になるだろう
”我侭だ”って貶されたって 願い続けてよ
その声は届くから 君が君でいれば
僕がもしも 夢に 敗れて 諦めたなら
遠くで叱ってよ あの時のようにね
君の指差すその未来(さき)に 希望があるはずさ
誰にも決められはしないよ
一人で抱え込んで 生きる意味を問うときは
そっと思い出して あの日の僕らを
”またね”って言葉の儚さ 叶わない約束
いくつ交わしても慣れない
なのに追憶の破片(かけら)を 敷き詰めたノートに
君の居ないページは無い
溢れだす涙 拭う頃 君はもう見えない
想う言葉は”ありがとう”
傷つけ合っては 何度も笑い合えたこと
絆を胸に秘め 僕も歩き出す

  フランプール(flumpool)がNコンのために用意した新曲「証(あかし)」は、発表以来「勇気をもらった」・「前向きになれた」・「歌詞に共感した」など、全国から多くの反響を集めたと大変な評判である。歌詞に「追憶の破片(かけら)を敷き詰めたノートに、君の居ないページは無い」とあるように、不在の君が不在の仕方で我自身に語り掛け、不安に怯える我を慰め勇気づける。下限に向き合えた人だけが知る「身」の証、「共感」は共鳴する体のメモリアル(記憶の栞)である。だからと言って、ナイーブ(素朴)過ぎるとかセンチメンタル(情緒的)だといった通り一遍の批評はまったくあたらない。就職難で喘ぐばかりの大学生たちとは対照的に、この歌を口ずさむ中高生たちは社会の暗影に飲み込まれず、とても元気で明るい。いずれ時間の合間を見て、許可を得次第、この歌詞をドイツ語に訳出してみたい。
 聴くべきは、自然が送り込む高ぶる波(必然)に対して、今は無き友の温もりを歌詞に感じさせる繊細な言葉の調べ、スタイルは個性的で型破りだが、自由闊達な語りで縁を起こし、メランコリーの成人世界を揺さぶり、背後からその未成年状態のマスクを剥ぎ取ってみせる音。それは、自然支配を企てる者(西洋の近代合理主義者)たちに聴かれず終いの音域、大自然に対して己を謙る人(学習可能な世代)だけがよく聴きうるところの、存在と言葉のフーガ(和音的「諒解」関係)を予感させるかのような、21世紀音楽社会学の産声である。私が初期のブログ(2010年10月)で書いておいたように、何らかの理由で自然と社会の「歴史から抹殺されたか、忘れられて「すでに無い」ものが、「まだ無い」仕方で自らを語り聞かせる、資本主義社会に於いて「諒解」可能な社会的人格(Sozial-Person)は、次世代を担う君たちのシャンス(可能性)となる」と言ったのは、その意味からである。

 因みに、作詞者の山村隆太は1985年生まれの26歳、ビートルズの影響を受けて育った天才的なギタリスト。「歌うことは光」を灯すこと、人の温もりを伝えることだと言う。現代日本に於ける若者世代の平均的な感情を代表している。彼がポータルとして参与しているフランプールの歌は、次のサイトで公開されているので(若干聞きづらいが)、海外在住の方も自分の気持ちを重ね合わせ(einfühlend)、一緒に歌ってみて欲しい。

MUSIC JAPAN flumpool「証」
→ http://www.youtube.com/watch?v=941yvi_wpvw

Shigfried Mayer, copyright all reserved bei 宮村重徳, 2011、the Institute for Rikaishakaigaku

2011年4月18日月曜日

政治の《技量》が試金石に、収束へのシナリオ

Unschüsselige Politik und ausbleibende Techinik der  Bürokraten sind reif zum Abbruch.
【4月28日更新】 
 2011年4月17日(日)、東京電力の勝俣恒久会長が記者会見で、福島第1原発1~4号機の「収束工程表」を発表し、原子炉内の水が100度以下で安定する「冷温停止」になるまで、最短でも6~9カ月かかるとの見通しを明らかにした。ひとまず、最悪のシナリオは避けられた。福島原発の事故が同じ危険度のレベル7(深刻な事態)に引き上げられたとはいえ、前回わたしが予測しておいたとおり、第二のチュルノブイリとはならない「見通し」が示された点では、一応の評価をしたい。しかし、IAEA(国際原子力委員会)のフローリー事務次長がその報告を受け、ウィーンの本部で12日に記者会見した際に、福島原発とチェルノブイリ原発の二つの事故は「構造や規模の面でまったく異なる」と指摘している。曖昧な日本語では分からないが、今回の日本原子力安全保安院の発表はいかにも唐突である。では、ロシアの当局が伝えるような「政治的判断」だったのだろうか。わたしは必ずしもそうは思わない。ドイツ語で言えば、「見通し」の発話がまだ現実話法でなく、おそらく接続法第二式(仮定法)の範囲を出るものでないと考えられる。但し、外交辞令として希望的観測を述べたに過ぎないのではなく、それなりに事態(国際的影響関係)の深刻さを受けとめたいとする覚悟性と、収束への手順を踏まえた率直な決意表明と受けとめたい。下限のリスクを見極めるにまだ迷いがあるのだろうか、この「収束工程表」の推進自体を妨げる「想定外」の事故が起きることは想定されていないように見える。発話の真意がぶれる曖昧なこの一点に、海外在住の読者の注意を促しておきたい。いずれレベルダウンし事態が工程表通り収束に向かうとしても、グローバル時代に於ける「諒解」妥当な社会言論の如何にが、よりいっそう真剣に問われる所以である。
 今回の原発事故で明らかになったことは、政治家の非力さ(決断の遅さ・政策実現への説得性の無さ)と、リスクに立ち向かう下級官僚の凄さ・技量のすばらしさである。東京都消防庁のハイパーレスキュー隊も、消火活動に動員された警察官や自衛官の部隊と同様、国家に仕えるお役人、つまり末端の位でも立派な官僚たちなのである。彼らが自己犠牲を厭わない「侍」の末裔であるという海外メディアの賞賛ぶりには、正直に言って驚かされる。ドイツと同様日本の官僚たちは、位の有る無しに拘わらず、滅私奉公を肝いりで実践する。我が身の危険と死を恐れたりはしない、ただそれだけのことである。臨済が言う「一無位の真人」(しんにん)の境にはほど遠いとしても、日常世界では近接性のある原風景であろう。身内を失っても挫けない東北人の粘り腰、強さと優しさに仏教的精神の素養また背景があるのは間違いないが、それは官僚の問題とは別であろう。官僚組織の一員である彼らには、自分の命を賭して国を守る義務・国民を助ける責務があるのだ。国会でどたばた会議や泥仕合を演じることしか能がない国会議員たちを見る限り、評価する国民の厳しい目線に変化の兆しをみることは望めない。国家百年の計に立った政治哲学と政策実行力、何よりも国民をなるほどと頷かせる説得性のある言語能力が問われることになろう。私が提唱するところの「社会学言論」は、諒解刷新の為に狼煙(のろし)を上げることである。
 ハーバード大学のサンデル教授が独自のコミュニタリズム論で彼らを賞賛するのは、中国官僚の頽廃ぶりやアメリカ合衆国官僚のさじ加減(自己犠牲的行為に金銭的保証と報償を求める打算性)を告白しているに等しい。その彼らは一様に、リスクを売り物にはしても、本当はリスクの怖さを知らない。リスクを知らない美学は、頭痛を一時和らげるだけの鎮静剤のコマーシャル論である。では、危機的状況を収束させるに必要なことは何かと言えば、自己再建を助ける「見事な技術」(Schöne Kunst)である。その為に、カントの『判断力批判』とフッサール晩年のマニュスクリプト、更にヴェーバー理解社会学への学びは必須となろう。しかし、それでも何かが足りない。下限のリスクについては、ハイデガー(とその弟子大島淑子『禅、別様に考える』)との取り組みを避けて通れない。個人的な関心で言えば、ケノーシス論の今日的課題・明日のリスクを引き受ける社会的自己の要件として、「官僚論」は見逃せない。もちろん、かく言う私が官僚政治を弁明する立場にないことだけは、明言しておきたい。公共性のマスクをしたヒトの巧みな働きは、君たちが期待するほど真っ直ぐではない。「公共の哲学」といえども、考えるところは標準的で公平に見えても、リスクに身を晒すときの遂行の実態は極めて複雑である。趣味を嗜む日常性が脅かされる不安が有るからであろう。「繊細なる精神」論でない、手応えのある諒解ゲマインシャフトの「身体論」が求められていよう。
 「官僚依存からの脱却」をモットーに掲げながら、民主党は政策実現に失敗しているのではないか、国民の不安は募るばかり。それは、政権を自民党に戻せば解決するといった単純なことではない。官僚丸投げの自民党政治に期待できる明日はない。では、無差別に働くモノ(自然の猛威)から国民の生活を守り平和と安全の社会(ゲマインシャフトの正義)を実現するのは誰なのか、(最後は共産党か公明党かなどと、他人事のように)安穏と言い争っているときではない。忘れてはいけない、長い間東電を甘やかし原発危機対策を蔑ろに放置させてきたのは自民党政権であり、連立を組んだ公明党の諸君も責任を免れない。首をすげ替えるだけで、トルソー(胴体部分)が変わらないとすれば、元も子もない。霞ヶ関の高級官僚たちを尻目に、無位に甘んじる下級官僚たちの技ありの力量を抜きにしては、君たちの自由と安全が保証されないとすれば、政治が官僚の技量を謙虚に受け入れつつ、自分たちの党派党略的見せ場作り(作為性)をかなぐり捨てて、国民総意の「命の安全と安心」が保証される、相互主観的に「諒解」可能な環境世界を構築することへ目的意識を一段と高め、普段にリスクと向き合う生活世界の技法と手技(Kunst)の万全を期して、「平常底」に生きるヒトの知恵を結集する以外にはないではないかと、私は問い返したい。働くモノとヒト(res et persona)がよく共鳴する「諒解関係」のゲマインシャフトをグローバルに実現するという課題、それは理論理性と実践理性の批判的課題を手綱で橋渡しする、厳密な意味で「21世紀の美学」の課題となろう。政治への関心の有無に拘わらず、テクスト研究「主観性の世界と芸術作品の根源」の受講乃至聴講、せめても当ブログでの討議への参加を期待しまた歓迎する。

追記: 
 4月23日(土曜日)現在、仏原子力大手アレバ社による放射能汚染水の徐染施設の前倒し設置と、USAの軍事用ロボットによるモニタリングが実施されている中、 早期の成果が期待される。今でも振度4~6程度の余震が絶えない毎日だが、その数も日を追うごとに少なくなっており、遠からず危機的事態が沈静化し収束するのも間違いない。後は、被災地の復興が目まぐるしく進行する中、「想定外」の地震や津波による原子力施設への影響がこれ以上無いことを祈るのみである。
 
Shigfried Mayer, copyright all reserved 2011 by 宮村重徳, the Institute for Rikaishakaigaku

2011年4月6日水曜日

「水と安全」は、ただでは手に入らない

"Wasser und Sicherheit sind nicht umsonst zu bekommen" (Isaja Ben-dasan)..  
【4月6日更新版】 
「水と安全は、ただで手に入る」ものと日本人は考えているが、実はそうではないと反駁したのが『日本人とユダヤ人』の著者イザヤ・ベンダサン(山本七平)である。この警句が示唆していた安全神話の脆さを、東北関東大震災による原発事故を目の当たりにした読者は、直に実感し痛切に思い知らされたのではないか。判断の明暗を分けるのは、水資源に恵まれた環境から来る安全への無頓着さではなく、頬被りする「危うさ」の問題であり、その尺度の違いである。未曾有の危難を乗り越えるには、人為的な限界認識の危うさ(擬制の仕組み)を見破ることが必要となる。
はたして原子力の平和利用は、東京電力福島第一原発事故を受けて破綻するのだろうか。徒に恐怖心や疑心暗鬼だけが先行する中で、人間が誇る先端技術科学が危機を迎える際の「限界」認識について論じておきたい。個人的な所感を申せば、日本はこの危機を粘り強く乗り越えるだろう。信頼できる情報筋からの話として申し上げると、第二のチェルノブイリ原発事故とはならないと思われる。その証拠に、関係者の命がけの献身的な作業が今も不眠不休で続けられており、原発の冷却システムが比較的安定し始め、放射能漏れも高濃度とは言え一部の水たまりに限定され、収束状況にあるわけではないが一応コントロール可能な範囲に収まってきており、ひどく危険な拡散状況ではない。とは言え、危機が去ったわけではない。四つの震源が連動して起きた今回の事件は、「想定外だった」で済まされない、そういった言い訳が通用しないことだけは肝に銘じておかねばなるまい。国難の危機は過ぎ去り、日本はよく耐えた・危機を乗り越えてくれたと誰が賞賛し誰が賞賛されようとも、自然災害と人的災害というダブルパンチへの備えの不十分さと見通しの甘さへの反省は、今後否が応でも必要とされよう。
毎日新聞ロサンゼルス支局吉富裕倫特派員の4月3日付の報告では、「東京電力福島第1原発と同型の原子炉を設計した米ゼネラル・エレクトリック(GE)社の元技術者、デール・ブライデン バー氏(79)が毎日新聞の取材に応じ、原子炉格納容器について「設計に特有の脆弱(ぜいじゃく)さがあった」と指摘した上で、開発後に社内で強度を巡る議論 があったことを明らかにしたと伝えている。GEでマーク1の安全性を再評価する責任者だったブライデンバー氏は、75年ごろ「炉内から冷却水が失われると圧力に耐えられる設計ではないことを知り、操業中の同型炉を停止させる是非の議論を始めた」。当時、福島第1原発を含め約10基が米国外で稼働中であった。上司は「(電力会社に)操業を続けさせなければGEの原子炉は売れなくなる」と主張し、議論を封印したと指摘している。やはり、経済的利権が絡んでいたようだ。当初から、破綻するとデリバティブ以上に怖い人類の末路が予想される、リスク商品のインフラを売り物としていたのだ。昨年十月に日本原子力安全委員会が纏めた報告を東電は入手しており、対策を渋っている。そんなことを言い始めると「商売にならぬ」が本音と言うことだろう。すると、今回の原発事故は想定範囲内の人為的災害だったと言わざるを得ない。もし脆さ・危うさを排除できない設計ミスが事実であったのだとすると、これは人間の尊厳性を無視(後回し)した由々しき倫理的問題を抱えており、今後日本を含め国際社会の原子力利用と危機管理を議論する際に、避けて通れない重大な討議課題となろう。 
→ http://mainichi.jp/select/weathernews/news/20110330dde003040003000c.html 
とりあえず大事なことは、月並みの言い方で恐縮だが、「災いを転じて福となす」(Aus der Not eine Tugend machen)に必要な、断固たる決意と実行力であろう。古来日本人は、「雨にも負けず風にも負けず」(宮沢賢治)、幾多の自然災害にあっても挫けず、辛抱強く危難を耐え抜いてきたではないか。後は、自然の変則性や人為的失敗から何を学ぶかである。100年・500年の計では足りない、1000年の計で対策を練り直す必要があろう。超自然の神でも想定しない限り、自然は誰かが憎くて地震を起こすわけではなく、人間界を滅ぼそうと企んでいるわけでもない。地下のマグマの熱伝導でプレートが軋み、大陸間の軋轢(力のアンバランス)を調整しているに過ぎない。対策を練るべきは、危うさに疎い我々人間自身についてである。結論から申し上げれば、危機意識は人間知の陥穽、己の「限界」(Grenze)を知ることにあり、それは取り扱う仕方・方法論の類でない、主観的措定を越えて働くモノ(エス)に対する人自身の有り方と深く関係する。専門人の方法論や技術的存在の仕様(Seins-weise)云々でなく、人としての有り様(Seins-art)のことだ。科学者も政治家も、職人や芸術家と変わらず考え方はリニアルでない、「真っ直ぐでない」(一筋縄に行かない)、「複雑なことを考えたがる」(『コヘレト』7章29節)点で同じであろう。
「複雑なことを考える」とは、ドイツ語では viele Künste machen (「多くの芸を編み出す」)ことだ。程度の差はあれ、面倒な複雑系(Komplexität)に係わる限り、技術(Technik)は技法(Kunst, Art)である。いずれであれ、理論や政策の及ばざるところ(つまり、言葉という上限)と、臨界実験の失敗から陥っているところ(つまり、無という下限)への、二重の倫理的責任性が問われることになる。周辺世界のノイズをカットし、人間(主観性)に都合のいいデータだけを寄せ集めただけ(の知識社会学を含む、諸科学)では、叡智を極めたとはとても言えない。客観性の帽子を被っていても、被る人の主観性次第でデータは書き換えられるから、富と支配への野望が尽きない限り、「想定外だった」という言い訳が聞かれなくなることは先ずない。原発から30キロ内外の生活世界住民たちに、そういった言い訳は全く通用しない。死への覚悟性を言うにしても然り、これだけは個人の自由であり、誰にも強制は出来ない。長く住み慣れた土地を愛する人に、屋内退避の勧告や避難指示は過酷であるが、やむを得ない場合もある。諒解世界でのノイズの震源地は、差し当たりまた大抵は、リニアル(線形)を望まない人間自身(のエス、不安の余りマスクするヒトのゾルゲと思惑)に他ならない。この点で(諄いようだが、繰り返して言う)、ハイデガー(とその弟子・大島淑子)に学ぶこと大である。
Fazit: Die Kunst macht aus der Not eine Tugend. 
現時点で、風評被害ほど怖いものはない。不確かな情報をネタにしてあたかも確定した事実であるかのように、購買欲をそそる特ダネに仕立て我先にと一早に報道し、徒に「不安」を煽り立てるばかりのジャーナリズムには困ったものだ。私が日頃から口を酸っぱくして言うところの「社会言論」(世論)の批判的吟味と「一般社会学言論」の構築は、緊急を要する課題である。せめても、関東大震災の二の舞だけは防がなければならない。今後については二つの選択肢が有るのみ。一つには、生活世界の飲み水まで危険に晒す原発を、広島と長崎での被爆の体験を持つ日本が、殊更に必要とする理由がどこにあるのか、はなはだ疑問である。このさいに、原発を廃止して水力発電・火力発電へ「一歩後退」(Schritt zurück)することが、国家と国民の選択すべき賢明な途ではないかと思われる。或いは二つ目に、それでも科学革命の進歩を信じて、一連の変則性から学んで、難問(アポリア)を克服する新たな仮説が生まれるまで、辛抱強く待ち続けるかである。トーマス・クーン(『科学革命の構造』、99頁)に拠れば、危機は通常科学のルールの適用範囲を確かめさせるが、危機なしではニュートリノ発見に要する莫大な努力は説明不可能であったし、パリティー非保存の法則が提唱され検証されることもあり得なかった。ただ、それが科学史的に如何に重要であるとしても、被災者とは縁遠い話であることも事実であろう。
何はともあれ、波に攫われた生活世界の住民たちの叫びが、聞き届けられなければならない。事は、不足する物資の補給で済むことだろうか。利便性を満喫したい現代人の尽きない欲望(エス)を満足させるために、電力の需要が際限なく増える事態に備え、一律の計画停電で不公平な犠牲を強いるも避け難いというのであれば、快適さや利便性を犠牲にしてでも、飲み水や生活の安全性を優先して確保すべきではないのか。「万物のアルケー(始原)は水である」(ターレス)。澄んだ水か汚染した水のいずれであれ、その扱いは人間の尊厳性に係わる、基本的人権の要件であろう。
ところで、被災者(他者)のために自分を犠牲にするとは、目的合理的に(利権に絡む実体あるモノを)「捨てる、空にする」ことだ。でも、誰が何の「諒解」もなく自分(主観性の富)を捨て空にするだろうか。いずれ、21世紀に必要なアスケティズム(健全な禁欲主義、相互主観的節制論)について論じてみたい。考えて欲しい。「水と安全」は、ただでは手に入らない。今学期の主題に挙げた「美学的感性」に基づく対話的諒解の技法(Gesprächs-Kunst der Einverständnis)が必要とされる事由を考えて欲しい。差し当たり此処では原発の是非について、読者の皆様の意見をお伺いしたい。 

付記: 海外在住の方々のために、取りあえず現状の報告を兼ねて、現在鋭意書き込み中です。原発に関する新たな情報が入り次第、このブログ記事を改訂します。
追記: 最終的に、震災の名称が「東日本大震災」とされました(4月1日)。海洋汚染の原因が見つかりました。取水口に亀裂が生じ、そこから汚染水が海岸沿いに流出していたとのこと。コンクリート材を注入する試みが失敗に終わり、特殊の強力な樹脂を注入して汚染を防ぐ試みもうまくいかなったようです(4月2日)。いずれの原子炉も廃炉となる公算が高く、安全に廃炉とするまでには十数年の歳月が必要だと予測されています。震災後の復旧支援活動は、政府と市民たち自身の手により、活発に且つ整然と為されており、一部住民による不穏な動きは全く見られません(4月3日)。

Shigfried Mayer, copyright all reserved 2011 by 宮村重徳, the Institute for Rikaishakaigaku

2011年3月13日日曜日

「波」に攫(さら)われる、生活世界の原風景

Die von den tobenden Wellen fortzureißende Lebenswelt als Ur-Landschaft
【4月13日更新】
2011年3月11日(金曜日)14時46分(日本時間)、「東北地方太平洋沖大地震」(正式名:東日本大震災)が目の前で起きた。先ずは、天災に見舞われた方々、犠牲者と残されたご遺族の方々に心からお悔やみを申し上げ、亡くなられた方に哀悼の意を表したい。外より見ればわたし自身が広域被災者の一人だとしても、書棚が転倒して専門書が「瓦礫の山」になった程度のこと、未曾有の激しい震動に書棚が耐えきれず、シェリングが先に落ちて下敷きとなり、その上にコントとフォイエルバッハが次々と床に叩き落とされて、足の踏む場もないほど山積した状態となった他は、危険が身に及ぶほどのことではなかった。いつも読めるように手前に積んでいたから先に落ちたまでで、意味ありげな解釈の紛れ込む余地などない。それにしてもひどい、まるで大地が酩酊しているかのように(als hätte der Boden einen Kater)、家屋・電柱・木々が上下左右にゆらゆらと足下で大きく揺らぎ、天地が軋み地平線が撓むようなあの奇妙な感触は忘れがたい。振度5でこうだ。では振度7でどうなるのか、想像を絶する悲惨な光景がリアルタイムで放映されている。
普段はのどかな漁村の風景、山間に開けた僅かな平地に突然激しい揺れが襲いかかり、家財道具が吹っ飛び、ぎしぎしばりばりと木造家屋が壊れていく。狼狽え絶句している暇など無い。津波警報が出て5分も経たない内に(あくまで体感、目撃情報では20分後)、すでに背後から囂々とうなりを立てて津波が押し寄せ、易々と堤防を越え瞬く間に町全体に襲いかかる。後ろを振り返らず手に何も持たず、着の身着の侭で高台へと逃れた人だけが間一髪で救われた。生死の分け目に紙一重の偶然、逃れるに5分の余裕もなかった。高台から見られた壮絶な風景、津波が押し寄せ、あっという間に町中の建造物を飲み込み、家も車も舟もすべてを押し潰し流していく。「家が…家が…」と絶句する高齢者、「お母さんがいない…」と泣き叫ぶ女の子、「妻が…子供がいない」と嗚咽する男性、「親がいない…連絡が取れない」と取り乱す女性、「一度に、仕事も職場も肉親も失った…、これからどうしたらいいのか」と肩を落とし呟く青年。いずれも、高台にいるからこそ言えたこと、残り大半の方々は必死に叫ぶ言葉を誰にも聴かれることなく、大「波」に攫(さら)われ濁流に呑まれて、未だに行方が分からなくなっていると。…
恐るべきはマグニチュード9.0の大地震より、人間の予測を遙かに越えて、壊滅的な働きをした巨大津波の方だろう。「なみ」(波)が巨大なうねり(die tobende Welle)となって押し寄せ、「工作的人間」(homo faber)の誇る社会建造物と人為的自然環境を容赦なくなぎ倒し、身も体も家も車もすべて攫っていった。同僚の山根一眞教授の被災地レポートによると、「海が見える場所、海岸に近い低地はことごとく破壊され尽くされていた。「津波に流された」という表現は正しくなかった。「津波にぶっ壊された」と言 うのがふさわしい。自動車は高速道路での正面衝突のように破壊されているものが多かった。爆撃を受けたような家屋は残骸が残っているのはまだましで、まっ さらな土台だけしかない建物が少なくなかった。被害のありようは、地域によって異なることも分かった。仙台の南、阿武隈川より南の破壊され尽くされた海岸沿いの地域は海砂が覆われてい たが、石巻市では湾の底に溜まっていたものなのか、ヘドロまみれの場所が多かった。地震発生から3週間、そのヘドロが乾き、悪臭を放つ粉塵として舞い始め ており」、呼吸器官への影響が心配される。「リアス式海岸が続く石巻市北上町から南三陸町へと続く細い道路、国道398号線は何カ所かが寸断され…、土盛りの上に鉄板を敷くなどの 応急工事で通行可能になっていたが、道路沿いの入江にある漁港、その奥に続く低地の集落は、巨大なハンマーを思いきり振り下ろして叩き潰したような光景が 続く。建物の上にちょこんと乗っているクルマ、民家に突き刺さっているトラック、海岸から離れた山の裾野に鎮座する漁船。仙台空港周辺では軽飛 行機が流されて1カ所に固まっているシーンも報じられていた。自動車が空を飛び、船は陸を進み、飛行機は水に浮かんで進む……、悪い冗談としか思えない光 景が、これでもかこれでもかと続き途絶えることがない。そして、数多くの方々の命が奪われた」。→ http://business.nikkeibp.co.jp/article/tech/20110408/219368/ 
まるで、思う我の主観と客観(思惟と延長)・《私と外の世界》(Ich und Außenwelt)の合理主義的区別は自分勝手で恣意的だと言わんばかりに、また「神的自然」 (Gottesnatur)など所詮人間中心的考えの隠れ蓑に過ぎないとあざ笑うかのように、一瞬にして人間の集落を飲み込み一掃する自然の「猛威」(die tobende Welle)を、今私たちは目の当たりにした。科学を嗜む近代人の末裔である我々は、自然破局(Katastrophe)が神々の怒りでなく悪魔の仕業によるものでもない、深層にあるプレート(海面下の大陸の岩盤)のずれにより歪みが生じ地震波を生んで、巨大な「なみ」のうねりを起こしていること、現象が深層の変化に連動した結果を露わにしたに過ぎないことを知っている。としても、「なみ」のある喉かな生活世界が泥と油と廃材に塗れ、あたり一面どす黒い廃墟(Ruine)と化すまで僅か数十分の出来事、原風景の余りの変わりようを否が応でも見せつけられて、誰もが語る言葉を失い自失呆然としているのではないだろうか。
もはや、技術によって得た自然界の征服者たる立場を自負する、近代人(個と集団)の意識レベルの問題ではない。日本一の防災の技術を誇る町の堤防も、高度の情報や通信技術を駆使した最新の道具さえ全く何の役にも立たない現実を目の当たりにして、防災を軸とした都市計画の徹底的な見直しと文明論の仕切り直しを余儀なくされよう。主観とペルソーナ文化を誇る我々が自然を見くびり過ぎていたのか、それとも我々人間の科学技術の進歩が追いつかぬほど、自然界の奥行きが深いのか。世界の東西を問わず、我々がまだ、「叡智界」の住民でないことだけは確かである。
三陸海岸の住民たちは、過去の地震と津波の体験から高台移住の必要性を十分知っていたし、親の代から知らされていたはずだ。最新鋭の防波堤と度々の防災訓練にもかかわらず被災したのは、危険を承知の上で海岸沿いで家業を営み商いする方が便利であり、実際に楽だったからではないか。15メートル級の高波にも耐えうる鉄壁の防波堤を造ることが困難ならば、海岸3キロ以内の平地には宅地を造らせない、住宅地は高台のみとし、平地には耐震構造の高層建造物以外は原則禁止するほどの大なたを振るわないと、今回のような惨事が繰り返されることになろう。民主党が唱える「政治主導」(politische Führerschaft)は、ここでこそ必要とされよう。少なくとも、政治的手腕(Staats-klugheit)に技ありの力量(Begabung mit der Staats-kunst)が試されるのは、生活現場の現に其処である。
自然は法則的だとしても、その働きは一見して「無差別」である(例えば、地震や津波は襲う場所や人を選ばない)。問題は対応する人間の側にあり、「自分」のことを考え複雑に行動するから(一筋縄には行かないという意味で)厄介である。最小限必要となるのは、防災の圏域を越える商いや生活上の利便性に走らない・走らせない、全住民と役人たち自身の意識改革であり、次に自然の脅威と向き合う新たな町造りに必要な、「諒解ゲマインシャフト関係」の理解を徹底し、内外の危機管理を日常的に共有する関係を実現することだろう。そのためには、「自然と社会」のコンフリクトの原点に立ち戻って考える(「理解社会学」する)必要があろう。
「なみ」の問題解決は並大抵ではない、波紋するモノとヒトの知恵比べと言えよう。それはカントが指摘する、「叡智界」(または可想界、intelligible Welt)で働くモノ(物自体)の人格性の謎に迫る、難問中の難問(アポリア)である。ジンメルのように、両者の間をシンメトリーに捉えて済むわけではないと思われるが、シェーラーの天才的知性(共感論)でもってしても解決せず、最後は有機体的な「世界観の哲学」に挑み挫折を強いられた、非人格性(非人格化)を巡る実践理性の解釈課題である。無差別に働くモノの脅威に向き合うヒトの言語感性と技法(Kunst)の如何にが問われ、同時に我々の覚知或いは統覚(Apperzeption)の哲学的要件が、「現象学的社会学」(シュッツ)或いは「理解社会学の共感論的批判」(ギデンス)の目線で吟味されつつ、最後は「言葉と無」という上限下限の極み(大島淑子)から厳しく読み直されることになろう。

追記: 大地震による東京電力福島原子力発電所の一部損壊の事件は、単にエネルギー供給といった社会政策上の問題でなく、国民の命にかかわる重大な国家的危機管理の要件であるので、これについては三陸海岸の都市設計の問題と同様に、詳細は別途に論じることにしたい。なお、被災体験のみならず、各自の思い・ご提案をお聞かせください。随時、当ブログのコンテンツに反映して参ります。 

Shigfried Mayer, copyright all reserved 2011 by 宮村重徳, the Institute for Rikaishakaigaku

2011年3月1日火曜日

「帽子」のある、生活世界の原風景

Die huttragende oder aufrecht zu behütende Lebenswelt als Ur-Landschaft
3月と言えば「雛祭り」の季節、ということで、今回は特に肩の凝らない、見て楽しい話をすることにします。中でも、生活世界に欠かせない「帽子」(der Hut)について、一緒に考えてみましょう。帽子の歴史はとても古いようです。頭に帽子を被るのは、ヘルメットのように頭部を「保護する」(behüten)または 「保護される」という目的以外にも、1780年以降ヘレンフート(Herren-hut)の名の通り、初めは男性用として「保護されている」(in guter Hut sein, unter der Hut sein. /die Hut)身上を保証するモノでした。最初の素材には、17世紀までビーバーの皮(Kastor-hut)が好まれていましたが、それが豚革のフェルツ(Filz-hut)に変わり、次第に絹の製品(Seiden-gewebe, Silk-hat, 上)が主力となり、新旧大陸の市場を席巻します。やがて大量生産可能な安価な、ビロード(中)や麦藁(下)製の代用品に変わります。注目すべきは、帽子それ自体が支配社会学的な造形物(象徴)だったことです。しかしその後は男性に限らず、女性たちも自分の身を美しく着飾るために被るようになりましたね。女性解放が進んだ今日では、帽子本来の意味が薄れスタイルも変容しました。
そもそも、欧米の男性たちが被っていたシリンダー状の頭部と広いツバを持つあの奇妙な帽子、のっぽのシルクハット(Zylinder-hut, Silk-hat)は何だったのでしょうか。現代日本人は帽子を被る習慣がないので、想像つかないでしょうか。右下のイラストをご覧ください。古来帽子は社会的身分、つまり自分の「身」の権威と尊厳(Autorität und Würde)を表す象徴、ステイタス・シンボルとして広く愛用されていました。例えば、イギリスの故チャーチル首相やアメリカ合衆国のリンカーン大統領、デンマークの哲学者キルケゴール、ハリウッド映画の天才チャップリンの肖像画を思い出せば想像がつくでしょうか。
今回ブログで考えてみたいのは、帽子が特定の社会的役割(自分らしさ、人格性の要件)を果たしているという点です。歴史を遡るとすぐに分かることですが、殊更に帽子を必要とし今でも愛用している人々がいます。ユダヤ系の人々です。それはいったいなぜでしょうか。
例えばナタールヤ・ネストロヴァ(Natalya Nestorova)は、1944年生まれのユダヤ系ロシア人の画家で、ロシアに於けるユダヤ人文化の精神的支柱となった女性です。「過ぎ去った時代の絵画」(Die Bilder aus der vergangenen Zeit)などを主題に、小鳥・帽子・小舟などのメタファー(隠喩)をふんだんに使用して、他に類のない非常にユニークな作品を残しています。最初の絵は「ロシアの遍歴者たち」(Russian Wanderlings)、次の絵は「飛び去った鳥」(“Vogel, der wegflog” Bird that flew away)、三番目は代表作の「壊れた翼」(Your Wing is broken)です。とくとご覧ください。(但し著作権の関係上、私的観賞以外の目的には使用しないでください。右上のシルクハットのイラスト以外は、ライセンスフリーではありません、ご注意ください)



  
                                                           
         
皆さんがこれらの絵から何を想像されるかは、とても楽しみです。詳細は後でお聞きすることにして、最初の絵の特徴は、公共の場でマスクをしたヒト(das Man)の「顔つき」(Mask, Gesicht)、二番目の絵は、転んだ人の「顔」、飛び去った鳥(飛鳥)へ戸惑い慌てる「視線」、魂消た様子でもんどり打つ「体」の動き、それに顔を剥き出しにして傍らに落ちる「帽子」です。 三番目の絵は「堕落天使」(ルシファー)のことではありませんよ。就活中の「君の翼がブロークンしてしまった」かに見える、リスクとブレイクアウトを予感させる、衝撃的な造形イメージです。背景がネストロヴァの好む「郊外」でなく、頽廃した「都市文化」の頭上で有る点に注目してください。
次の絵は「舟」(“Schiff”、1966年)です。「ボート」に乗るカップルは、密かに「身」を寄せて生きる、自分たちの世界をイメージしたものです。その下にある「(モスクワ)郊外を散歩する人たち」(Spaziergaenger)の絵と合わせてご覧ください。


   

               
背景の遠近法云々より、ここでも「帽子」が特徴的です。ボートに乗った二人は、自分たちの顔を帽子で隠していますね。「彷徨えるユダヤ人」たち(Wanderling Jews)の特徴・心情をよく言い表しています。下の絵は、遙か極寒の東方へと監視の目(追っ手)を逃れ、モスクワ郊外を安堵して「散歩する人々」です。彼女(ネストロヴァ)は民衆の画家として、苦渋に満ちた遍歴者たちの生活世界の只中で、「平常底」を生きるヒトたちの姿をストレートに描いています。「ネストエロヴァが描くキャラクタのほとんどの顔は、観る人から隠されている」。何よりも「壁として宇宙の深部にある見えざる宇宙の智慧の泉に瞑想入りする」仕方で、「観る人からその顔を背けている」(A.ゲルツマン)のです。ユダヤ人男性は「帽子」に、ユダヤ人女性は「鳩の翼」に、ユダヤ人であれば誰であれ、ジェンダーフリーの「壁」(Wand, Wall)に自分の「顔隠し・神隠し」をする他ないのです。
  よく考えてみると、日本でも幕末までは旅の道中「三度笠」を被ったり、野武士や虚無僧のようにすっぽりと頭部を覆う深い「笠」を愛用していました。その目的は、自分の「身」を隠すため、公共の面前では匿名で有る必要があったからだと思われます。その証拠に、忍者や隠密であれば半開きの笠に代えて、字義通り「覆面」するわけです。それに対して、仏法僧たちが笠を被って修行の旅をするのは、自分の栄誉・家族・財産を捨てて「頭陀行」の証をするためでしょう。禅では、「無名とあえてなり、歴史から自分を隠して生きる」ダルマ門下生(松岡由香子)が、そのお手本だと言われています。「悟るということも無い」から、称号も戴冠もいらない、つまり無冠です。ところが、キリスト教でもカトリックの修道院では、一定の役職を表す帽子(身の位を指す一種の戴冠)がありますね。例えば、ローマ教皇が頭部に被る煌びやかなモノに注目してみてください。プロテスタント教会では、全く見られないことです。「キリストのケノーシス」(自分を無とする実践)をするにしても、牧師に帽子や戴冠は一切無用と言うことでしょうか。牧師が帽子を被るのは、せいぜい個人の趣味の範囲でしか見られません。やはりユダヤ系の人々に、帽子を被る格別の理由・必要性があったことは、歴史が教える疑えない悲しい実物教訓です。これは、より深層の「先験的主観性」(フッサール)を「最終産物」(Endprodukt)とする・見なすだけでは説明できない、忘れられた生活世界・忘れられない過去性(忘れてはならないホロコースト)を振りかえさせる討議のシャンスとして、皮肉にも『存在と時間』(ハイデガー)の避けて通れない課題、「ユダヤ教とケノーシス」の問題(レヴィナス)となるでしょう。もっとも、ユダヤ人のフッサールだけでなく、ハイデガーも森を散策するときは、自分の帽子を被っていたようですが、これは風土的な身なりでしょう。(続)

Shigfried Mayer , copyright all reserved 2011 by 宮村重徳, the Institute for Rikaishakaigaku


脚注:
このブログ記事は、拙著『史的ダルマの研究-ボーディ・ダルマと「彷徨えるユダヤ人」』(出版準備中)で展開した内容から、ほんの一部を分かりやすく日常言語で紹介したものです。次回は、「「障害」のある、生活世界の原風景」です。「生活世界の現象学」シリーズの一環として、四季の折々に投稿するつもりです。上記の拙著は、出版費用が整い次第、刊行する予定です(スポンサー募集中)。
       Natalya Nestorova の画像は、Lehmann College Art Gallery・The City University New York の管理下で展示されています。旧いアーカイブについては以下のアドレスで参照、Archives → http://www.lehman.edu/vpadvance/artgallery/gallery/
 Loschek, Ingrid: Reclams Mode- und Kostümlexikon. Stuttgart 5. Aufl. 2005.; A. Gerzmann のエセーについては、後で報告します。  
③ 松岡由香子、『慧可伝』(花園大学禅学研究所)