2011年5月6日金曜日

波打つ自然と自由のフーガ、歌詞あればこそ…

Wenn es keinen Text gäbe, .... über die Sprache, die Seiende zur Sympathie bringt
  考えてみると、この間二ヶ月近くは、波打つ大地と高ぶる大波に身も心も攫われ、二次災害の原発事故が相次いだ、暗いニュースばかりでしたね。5月5日の今日は「こどもの日」ということもあり、明るい話題を一つ取り上げたい。(2013年6月20日更新)
 つい先日開催された「第78回NHK全国学校音楽コンクール」中学生の部で、ロックバンドのフランプール(flumpool)が演奏した課題曲、中でもその歌詞が話題となり、全国で波紋を広げている。東日本大震災で大きな被害を受けた仙台の中学校を訪れ、生徒達にエールを送るために歌われたものだ。もし歌詞抜きで曲が演奏されるだけであったら、こんなにも若者たちの心を捉え、浸透し、共感の輪を広げることはなかったに違いない。メッセージ(時機を得た言葉)がメロディーに載せられて初めて感動を呼び、「存在への勇気」を分かち与え、リスクを恐れず前向きに考えさせる動機となったのであれば、音楽言語学や記号学の構想を再考しなくてはいけない。「証」は、存在の響きが言葉となって身(肉)に宿り、狼狽する高齢者層へと若年世代から贈り届けられた点で、関係の逆転現象を明示している。

「証」(あかし)
作詞:山村隆太 作曲:阪井一生

前を向きなよ 振り返ってちゃ 上手く歩けない
遠ざかる君に 手を振るのがやっとで
声に出したら 引き止めそうさ 心で呟く
”僕は僕の夢へと 君は君の夢を”
あたりまえの温もり 失くして 初めて気づく
寂しさ 噛み締めて 歩みだす勇気 抱いて
溢れだす涙が 君を遮るまえに
せめて笑顔で”またいつか”
傷つけ合っては 何度も許し合えたこと 
代わりなき僕らの証になるだろう
”我侭だ”って貶されたって 願い続けてよ
その声は届くから 君が君でいれば
僕がもしも 夢に 敗れて 諦めたなら
遠くで叱ってよ あの時のようにね
君の指差すその未来(さき)に 希望があるはずさ
誰にも決められはしないよ
一人で抱え込んで 生きる意味を問うときは
そっと思い出して あの日の僕らを
”またね”って言葉の儚さ 叶わない約束
いくつ交わしても慣れない
なのに追憶の破片(かけら)を 敷き詰めたノートに
君の居ないページは無い
溢れだす涙 拭う頃 君はもう見えない
想う言葉は”ありがとう”
傷つけ合っては 何度も笑い合えたこと
絆を胸に秘め 僕も歩き出す

  フランプール(flumpool)がNコンのために用意した新曲「証(あかし)」は、発表以来「勇気をもらった」・「前向きになれた」・「歌詞に共感した」など、全国から多くの反響を集めたと大変な評判である。歌詞に「追憶の破片(かけら)を敷き詰めたノートに、君の居ないページは無い」とあるように、不在の君が不在の仕方で我自身に語り掛け、不安に怯える我を慰め勇気づける。下限に向き合えた人だけが知る「身」の証、「共感」は共鳴する体のメモリアル(記憶の栞)である。だからと言って、ナイーブ(素朴)過ぎるとかセンチメンタル(情緒的)だといった通り一遍の批評はまったくあたらない。就職難で喘ぐばかりの大学生たちとは対照的に、この歌を口ずさむ中高生たちは社会の暗影に飲み込まれず、とても元気で明るい。いずれ時間の合間を見て、許可を得次第、この歌詞をドイツ語に訳出してみたい。
 聴くべきは、自然が送り込む高ぶる波(必然)に対して、今は無き友の温もりを歌詞に感じさせる繊細な言葉の調べ、スタイルは個性的で型破りだが、自由闊達な語りで縁を起こし、メランコリーの成人世界を揺さぶり、背後からその未成年状態のマスクを剥ぎ取ってみせる音。それは、自然支配を企てる者(西洋の近代合理主義者)たちに聴かれず終いの音域、大自然に対して己を謙る人(学習可能な世代)だけがよく聴きうるところの、存在と言葉のフーガ(和音的「諒解」関係)を予感させるかのような、21世紀音楽社会学の産声である。私が初期のブログ(2010年10月)で書いておいたように、何らかの理由で自然と社会の「歴史から抹殺されたか、忘れられて「すでに無い」ものが、「まだ無い」仕方で自らを語り聞かせる、資本主義社会に於いて「諒解」可能な社会的人格(Sozial-Person)は、次世代を担う君たちのシャンス(可能性)となる」と言ったのは、その意味からである。

 因みに、作詞者の山村隆太は1985年生まれの26歳、ビートルズの影響を受けて育った天才的なギタリスト。「歌うことは光」を灯すこと、人の温もりを伝えることだと言う。現代日本に於ける若者世代の平均的な感情を代表している。彼がポータルとして参与しているフランプールの歌は、次のサイトで公開されているので(若干聞きづらいが)、海外在住の方も自分の気持ちを重ね合わせ(einfühlend)、一緒に歌ってみて欲しい。

MUSIC JAPAN flumpool「証」
→ http://www.youtube.com/watch?v=941yvi_wpvw

Shigfried Mayer, copyright all reserved bei 宮村重徳, 2011、the Institute for Rikaishakaigaku

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