2011年1月23日日曜日

「分水嶺」に辿る、社会言論史考

Einführende Geschichte der Sozial-Rede an der "Wasserscheide"
 このコスモス(世界)に、「立つことの出来る場を我に与えよ」(ドース・プー・ストー)とは、古代ギリシャの哲学者が言ったことです。ドイツ語にすると、"Gib mir (Platz), wo ich stehen kann!" です。それ以来、職の場を求めるニーズは、いつの世も変わりません。マニファクチャーがイギリスで成立した近代以降、しかもフランスの人権思想に後押しをされた「機会均等法」が公布されて以来ですね、いっそう職場の争奪戦・就活の厳しさが増しています。特にデフレの時期では、需給のバランスシートが崩れるので、相当に厳しい環境が予想されます。新規採用への抑制が働いている、その様な困難な状況の中で、自分の居場所・働く場所を探すとは如何なることか、「分水嶺」に辿りつつ一緒に考えてみましょう。
 複数員で構成されるゲマインシャフト群像の歴史(働くモノとヒトの社会言論史)には、山あり谷ありの目に見える表層の起伏だけでなく、深層の至る所に見えざる岐路(水面下に隠れた分節点・分岐点)があります。ヒトで有る故の、喜怒哀楽を巡る仮初めの「共感」(シェーラ-)や、合わせ技に近い「感情移入」(リップス)でない、相手の予想することに準拠した「諒解行為」(ヴェーバー)をするにしても、ヒトで有ること(主観と人称、ペルソーナ)の屈折点・見えざる分岐点までは予想しがたい。就活中の諸君(歴史的個人)が集団社会(利害に絡むゲゼルシャフト)に埋没しない為には、働くモノの屈折点・見えざる分岐点を、第三人称の目線で追えるようにしておくこと。見えざる協定で束ねられた第三人称世界の「諒解関係」を理解し、これに応えうる自己分節化の働きを、座標上に点と線を描き繋ぐようにして、直観的に把握できるようにしておかなければなりません。
 わたしが正しいと思ってすること(主観性の原理)を、誰がしても法則的に妥当する普遍性(誰もが客観的な見積もり可能性として認めるレベル)へと高めるには、何が必要でしょうか。人格性と非人格化の働きを転倒させる、営利追求的資本主義社会の巧妙な「絡繰り」(Kunstgriff, optische Täuschung)を見破り、上下左右の出方を予想可能な言語感性を磨いて、自分たちのすること(協働行為)を、万人に妥当する意志的行為となるよう、実践理性の「格率」(カント)を高める必要があります。労働組合の運動も然りです。カントの確率論は、唯物史観の批判者で法学者のシュタムラーを論駁するヴェーバーにとって、最良の《手》引きともなる、「目的合理性」理解の要石(大前提)です。
 就活中の諸君にとって、そのようなことを考えるのは面倒かも知れません。でも、行く先が決まり働く目的がはっきりすれば、それまで面倒だった長い紆余曲折の道のりを、最短距離で済ます(合理化する)ことが出来ます。七日間仕事するのは週末に休み(有給休暇)を得るためであり、休むのは次の七日間の仕事を成し遂げるためです。目的次第で、仕事ぶりも休日の過ごし方も、今までとは一変するでしょう。目標が定まれば、無駄なことは止め余計なことは掃き捨てる、趣味の遊びも控え努めて「節約する」(貯蓄する)ようになるでしょう。これが目的合理性です。ヴェーバーは、目的合理的行為が「一番明証的」だと言っています。
 別の譬えを用いて説明します。君たちが自分で正しいと考えて目的合理的にすることが、「諒解関係」の世界で妥当する為には、生涯に一度でいい、しかし必要に応じて何度でも、「分水嶺」(Wasser-scheibe, watershed)となる「峠」(Bergpass)に佇み「安らう」(濁りを「澄ます」)という、自分を納得させるに十分な「明証性」(Evidenz)の体験が必要です。峠が分水嶺となる其処から、雨水が地下に浸透し源泉(Quelle)となるように、例えばシュワーベンの山の麓から、突如大量の水が懇々と湧き出て、ドナウ川の支流となるブラウボイレンの泉(Quelle)のように、歴代のマイスターたちが《人差し指》を立てて彼方を望ませる峠道の、分水嶺で安らう私たちの関心(Inter-esse)が、尽きることはありません。
 就活で挫折しそうな君たちへ。目の前に自分の「壁」となって立ちはだかるモノ、それが君たち自身の越えるべき峠であり分水嶺となります。考えるヒントは以下の通り、どこにでもある「路傍の石」です。若き日のハイデガーも、例外ではありませんでした。就活中の彼が「戦時短縮講義」(『大学とアカデミー的研究との本質について』、1919年夏学期)で自ら「職業」について触れるとき、同年の初頭にミュンヒェン大学でなされたヴェーバーの講演(『職業としての学問』、1919年1月)が念頭にあり、発話の動機(源泉)となっていたのではないかと考えられます。これはヴェーバー自身に於いても然り、彼が1913年に『理解社会学のカテゴリー』論文を「ロゴス」誌上に掲載して関係者を驚かせたとき、シュタムラーの『唯物史観からみた経済と法』(第2版、1906年)が直接の引き金となったとは言え、ジンメルが先駆けて発表した「理解」についての諸論文(『歴史哲学の諸問題』、1892年)があり、やはり同年の初頭に出版されたフッサールの『イデーン』1(1913年2月)を加えて、この三つが相俟って一つの《手》となり、ヴェーバー自身に「理解社会学のカテゴリー」構想を迫り実現させています。彼が佇む其処は、眼下に分水嶺を覗かせたあの「峠道」に通じています。ゴットルやマイヤーとの論争は、但し書きをする二次的参照に過ぎません。何を語りどう行為するにしても、《手》を使い「考える」ことの源泉との「近さと遠さ」が問われる所以です。
 最後に私事で恐縮ですが、私の体験を添えておきます。1999年に明治大学で為された大島淑子先生の講演、『近さと遠さ-ハイデガーの芭蕉との邂逅』(2003年)が、その後の私の研究活動を左右する分水嶺となりました。読者の中で教職経験のある方であれば、同様の「軸足の転回」を余儀なくされた体験をお持ちではないでしょうか。「分水嶺に辿る社会言論史」について、ぜひ、ご自分の貴重なご体験をお聞かせください。新年度は「文化と芸術」を担当する立場から、ハイデガーの『芸術作品の根源』(1934/35年)を取り上げる予定です。「科学への反目と詩作への信仰」(レペニース)がドイツ・イデオロギーとして流布するに至る獣道を分析し、ルサンチマン論やロマン主義系譜の批判だけでは言い尽くせない、社会言論史の「根源」(源泉・分水嶺)にまで迫ります。

Shigfried Mayer,  copyright all reserved 2011 by 宮村重徳, the Institute for Rikaishakaigaku 

2011年1月15日土曜日

「結んで開いて」はルソーの世界

Kinderlied "Hände zu und auf mal", basiert auf Rousseaus Welt
  本年度は、レペニースが『三つの文化』論で提起する、文学と社会学のジレンマを取り上げ論じてきました。振り返ってみれば、「二つの文化」論(スノー)に第三の文化位相としての、ドイツ社会学思想に着目し力を注いだ分、啓蒙主義発祥の地フランスが遠のいた感を拭えません。そこで今回は久々に、隣国フランスに纏わるこぼれ話、とっておきの話をしておきたい。
先日縁があって、社会福祉法人千歳会のキリスト教系保育園の誕生会で、「結んで開いて」と題して短い講話をしました。最初は(0歳児の)グーで、一二三と親指から順に開いていきます。童謡のスタイルは、指を「結んで開いて」いく数え歌の類です。この童謡は日本でもよく知られており、保育園や幼稚園の園児も歌えるほどですが、肝心の由来となると意外に不明な点が多い。数え方の習慣は以前からあったのでしょうが、「結んで開いて」の曲と歌詞は、確かにルソーの時代のものです。ルソーが1752年に作曲したもの(翌年の1753年一般公開の、オペラ『村の占い師』第八幕のパントマイム劇で演奏された)に、後から歌詞として付けられたという事実に基づいています。歌詞の歴史を調べてみると、最初のは1773年にジョン・フォーセットが作詞しています(”Lord, dismiss us with Thy blessing”、「主よ、ここを立ち去るわたし達に、あなたのご加護(祝福)を!」。ジャン・ジャック・ルソーの原曲に採用された歌詞には、グリーンヴィルの名称(Greenvilleは讃美歌名)が付けられていることでも分かるように、最初に採用されたこの歌詞は讃美歌でした。最初の受け皿が讃美歌とは、意外でしょうか。原曲を元にした『ルソーの新ロマンス』(作曲者不明)はその二年後の1775年、『メリッサ』(チャールズ・ジェームズ)のラブソングは、五年後の1788年ですから、先行順位は変わりません。
  しかし肝心の、「結んで開いて」の歌詞と原曲の繋がりが恣意的か必然的かについては、どうもはっきりとしません。 この繋がりの真相を解明するために、①幼児教育のコモンセンス、②社会教育のイデアール、の二点に絞り込んで考えてみましょう。典拠となる文献も口伝もないために、推測に頼らざるを得ませんが、中江兆民が1871年フランスに渡航後、現地の家庭でなされる幼児教育の実際(リアル・コモンセンス)を見聞し、「結んで開いて」する《手》の重要性に気づいたのではないでしょうか。更に、自由民権運動の思想が社会教育のイデアール(「社会契約」に基づく自然状態の発見)に貫かれていることに、目を見張らないはずはなかったのではと推測されます。「結んで開いて」する《手》の仕草は、「社会契約」の理想からもたらされる「自然状態」の発見と模倣、当事者のクライエントに導き《手》を意識させない、さり気ない自然な《手引き》で有るかのように再現する、教育的指南も親権者の工夫に過ぎなかったのかも知れません。しかし、それが教育面だけでない、欧州大陸を震撼させる社会思想史的事件にまで発展します。
当時18世紀の啓蒙主義世界を席巻した「見えざる手」を巡り、「二つの文化」思想が関与しています。例えば、ルソーの「隠された《手》」(『エミール』、『新エイローズ』)のモティーフは、ある時は家庭教師の《手》に、またオペラ『村の占い師』では、都会と田舎を舞台にした失恋騒動の背後で、二人の主人公を和解へと仕向ける占い師の《手》として貫かれています。これは、「パストラル文学」の特徴と見られているように、「隠された《手》」がもたらす平和的秩序や、隷属的でない自由な関係、ルソーが主張する「社会契約」関係からもたらされるべき自然な人間関係(祝福された自然状態)に一貫しています。原曲とは別に、ドイツ系イギリス人のヨハン・バプティスト・クラーマーの変奏曲『ルソーの夢』は、二年後の1775年に作曲されています。この楽譜がイギリスで発行されたのが1812年、すでに18世紀初頭、マンデヴィルの『蜂の寓話』(1705 / 1714年)論争で一悶着した後のイギリス社会では、アダム・スミスの「道徳感情論」が定着しており、人為的な「見えざる手」が神の摂理を補完する役割、「自利の私悪は公共の益」(マンデヴィル)を口実にして、私悪を善に繋げる有用性を認める論議にまで発展する中で、功利主義者たちの格好の関心事として浸透しています。「見えざる手」と「隠された手」、この二つは政治経済と文学及び社会学上の倫理的モティーフとして、同じルートの上にあり、どこかで「臍の緒」に繋がっているものと考えられます。ドイツでは、国民経済学者で歴史学派のロッシャーがこれを有機体世界論に取り入れて論じ、ヴェーバーがこれを『ロッシャーとクニース』論文(1903~1906年)で論駁し斥けたのが20世紀初頭ですから、音楽方面にドイツ系の関係者がいたとは言え、いかにドイツが(フランスやイギリスに対して文化意識の上で、少なくとも時間的に)「後進的」であったか分かります。ヴェーバーの『理解社会学のカテゴリー』(1913年)に先だって刊行されたボンセルスの『蜜蜂マーヤの冒険』(1912年)も、後発のドイツ的特殊性を考える上で見逃せない作品です。いずれも、実は三つの文化圏(カルヴィニズムの世界)内でやり取りされた「諒解関係」の事件簿なのです。
その上で改めて、「結んで開いて」を読み直してみると、これまた意外にも、「見えざる《手》」と「隠された《手》」を使うメタファーの世界に行き着きます。すると、「作詞者不明」のこの歌詞は、ルソーのよき理解者であった中江兆民自身の記憶を元に、彼が或いは彼に共感したところを、1947年に誰か(共感者の一人)が小学校一年生用の音楽教科書の歌(文部省唱歌)として作詞したのではないか。確かに、ルソーの世界でこそ、「結んで開いて」の真意が読み解かれうるのではないか、と考えられるからです。日本の場合はどうでしょうか。古来インドと中国との間で三つの文化を、はたして「結んで開いて」きたと言えるでしょうか。「結んで開いて」は童謡の世界といえども、私たち日本人が過去に経験したことのない、欧州大陸に啓蒙主義の文化(反啓蒙主義を含む、社会言論思想)を根付かせ繁栄させた、結んで開く「諒解」関係の世界を偲ばせるに足る、山椒一粒の「言語事件」と言えそうです。
最後に、ルソーには全く言及しないハイデガーですが、《手》のモティーフをゲッシック(Geschick、送り届けられるモノ)に読み取ることが出来れば、都会と農村(大地)のコンフリクトというシェーマでは、二人の関心は一致します。デリダの『ハイデガーの手』については、ジェンダー・メタファアー(Geschlechts-Metapher)の根幹に係わることなので、詳細は別途に論じたい。

(以下は、誕生会でした話しの骨子です。幼児向けのお話「ルソーの夢」を大人向けに書き直しておきました。関心があったらお読みください。)
誕生日祝いに、わたし達はたくさんの贈り物をいただきます。贈り物は、自分の手で受け取るもの。つまり、手を「結んで開いて」の順で受け取ります。最初はグーです。グーは0歳児のしるしです。保育園では、「結んで開いて、手を打って結んで、また開いて…」と歌う、つまり「結んで開いて」の順です。でも一二三と数えるときは、日本人はなぜかその反対に、「開いて結んで」の順です。おかしいですね、イエスが生まれたベツレヘムやキリスト教国の欧米では、例外なく「結んで開いて」の順で数えます。「開いて結んで」の順ではないのです。ものを数えるときはいつも、「結んだ」手を「開いて」いって、十一からまた「結ぶ」でしょう。最初はグー、一から十までは、親指から順に「開いて」いって、紅葉(もみじ)の形にします。十一からは反対に、手指を折りたたみ、「結んで」いくようにして数えます。わたし達がまだお母さんのお腹にいたときは、手をこぶしにして「結んで」いただけですね。でも、おぎゃーと声を出して無事生まれたら、お婆ちゃんかお母さん(自然)にやさしく孫の手を「開いて」いただいたことでしょう。そこはまるで、ルソーの『エミール』の世界ですね。
 《手》には指が五本、両手あわせて十本です。最初はグーに「結んで開いて」をたくさん練習して、あとで大きくなってから、自分の手で何でも掴めるようになるために、神からいただいた最高の贈り物なんです。私がまだ高校生だった頃、クリスマスのお祝いに、瀬戸内海に浮かんだ小さな島にぽんぽん蒸気船に乗って、ライ病の療養所(大島青松園)に行ったことがあります。機能回復訓練所で、開いた手の形をしたセルロイドの板を刃物で削る、感染の恐れがある危険な作業をお手伝いしました。ライの病気にかかった人は、夜寝る前に五本の指にセルロイドの板を付けたままにして寝ます。どうしてそんなことをするのかというと、寝てる間に開いた指が縮んで閉じてしまうからなんです。縮んで閉じた指は二度と元には戻りません。ですから、毎日朝起きたら一番に、セルロイドの板を取り去って、「結んで開いて」をせっせせっせと一日中練習するんです。どんなに体が悪い人でも、「結んで開いて」を何度も練習することで、神のくださる祝福を自分の手にすることができるようになるのです。

Shigfried Mayer, copyright all reserved 2011 by 宮村重徳, the Institute for Rikaishakaigaku


脚注: 原曲の楽譜と歌詞については、以下のリンクを辿って参照してください。
Greenville, Jean-Jacques Rous­seau, 1752 (MIDI, NWC, PDF)
http://ja.wikipedia.org/ ← 「むすんでひらいて」を検索、日本語で解説


2011年1月2日日曜日

年頭所感:友と対話に恵まれた一年を

Guten Rutsch ins Neujahr,  und angenehme Unterhaltengen mit den Freunden!
皆様、明けましておめでとうございます。昨年10月にブログを開設して早三ヶ月、様々な反省点があります。ヒントだけでなく、教えたがり屋の一面が前面に出すぎた嫌いがありました。いみじくも朝日新聞2011年度元日版の一面記事で、編集委員の氏岡真弓さんが提案しておられるように、「答は対話の中に」あり、「教えずに教える」、つまり正解を教えずに、対話の中で自ら考えることを教えるべきだ、という意見が正鵠を得ています。ドイツ留学の当初、わたし自身シュライエルマッハーの「解釈学」と「弁証法」を専攻していた経緯があり、ニーズについてはよく承知しております。帰国後社会学に専念する中で、ヴェーバーの「理解社会学」の解釈課題として、社会学言論の発問と対話の弁証法モデルを、探求の課題とするようになった背景には、そのような理由があります。「対話の文法、社会学のジレンマ」で指摘しておいたように、言葉が曖昧な日本語世界では、合理的な対話が成り立たないから、格別の工夫が必要とされます。「疑う」も「信じる」も中途半端な言論世界では、いつどこで言葉が暴発し、暴力的に語るモノに抗し得ず、家庭崩壊・学級崩壊が起きてもおかしくありません。そこで、「疑う」と「信じる」を絶対化しない、疑わしい自己超越物は「一旦括弧の中に入れる」(フッサール)こと、その上で「考える」工夫を凝らす必要があります。卑近な例ですが、次のコージブスキーの言葉が印象的です。
「楽に生きる術が二つある。すべてを信じるか、すべてを疑うかだ。どちらの場合も、考えずにすむ。」(アルフレッド・コージブスキー)。原文の英語では、
 There are two ways to slide easily through life; to believe everything or to doubt everything; both ways save us from thinking.” 
因みに、ドイツ語に訳してみると、以下のようになります:
Es gibt zwei Wege, unbelastet mit Leichtigkeit unser Leben zu verbringen. Nämlich, entweder alles zu glauben, oder alles zu bezweifeln. Beide sind uns dabei behilflich, ohne Denken auszukommen.“  (Alfred Korgybski, übersetzt von Shigfried. Mayer)
手当たり次第に不信感を募らせすべてを疑えば、「絶望する」以外に選択肢はありません。でも反対に、耳にすることを鵜呑みにしたり安易にすべてを信じたりすれば、「盲信する」ことになります。断定することは簡単でしょうが、最後まで真意を問い質し「考える」・考え抜くことは、誰にとっても面倒で苦痛を伴います。しかし、自分に壁となって立ちはだかるモノと対話する(ダルマ、「壁観に凝住する」)中で初めて、苦の意味(因果関係)が分かれるのだとすれば、対話する中ですでに答は与えられています。自分を苦しめるコンフリクトの原因が分かれば、誰でも苦に耐えられる、問題解決のシャンスを「待つ」ことが出来る、苦楽のポイントを「予想する」ことが出来る、そのような予想に準拠して行為する(回避行為を含め、一歩後退の余地を残し、名誉ある退路を互に保証する)ことが、苦にせずに難なく出来るようになるでしょう。ヴェーバーが語る「諒解行為」の関係は、商い行為に限らず、そのような文化的・倫理的な広がりを持った概念です。グローバル・ネットワークの世界はカオスの海、その中で「諒解関係」を構築しようとしても、一筋縄ではいかないでしょう。さて、皆さんはどうお考えでしょうか?今年はぜひ、忌憚のないご意見を伺わせてください。
今年(二丸イレブンの年)は何としても、発問して自ら考える、よき友と対話に恵まれた一年を皆様に祈りたい。家庭や学級の崩壊に歯止めをかけ、経済と人間デフレから脱却する、社会の自己再建が可能となることを切に願いつつ、今年を「理解社会学」の元年としたい。個人的には、読者の予想に準拠し、柔軟に発問に受け応え出来るような、ブログ問答集をオープンスペースで書き綴ってみたいと存じます。

Shigfried Mayer, copyright all reserved 2011 by 宮村重徳, the Institute for Rikaishakaigaku

2010年12月26日日曜日

クリスマス神話と「ローマの平和」

Weihnachtenmythos und "Pax-Romana"
 日本中どの街角を訪ねても、クリスマス商品で大賑わいですが、クリスマス自体の詳しい由来など誰も知らないようですね。キリスト生誕のお祝い事だと知っている人でさえ、1223日のクリスマス・イブくらいしかご存じない。クリスマス行事が23日に始まり、26日まで続くことまで知る人はもっと少ない。ローマ帝国の国家行事だったことなど、知る人は皆無です。クリスマス休暇は一ヶ月近くあります。そもそも、12月を定番とするクリスマス行事がキリスト教のお祭りであるというのは、歴史的には少しおかしな話です。と言うのも、確かにベツレヘムに幼子イエスが誕生したという福音書物語に由来することですから、キリスト教と無関係ではありません。しかし、23日の前夜祭を含め、24日まで待降節(アドベント)が続き、12月25日が肝心の降誕祭(クリスマス)だというのは、長い間キリスト教の伝統とされながら、成立の事情は全く違います。元はと言えば、名もない非合法のキリスト教徒集団が、一躍ローマ帝国の国家宗教になって以来のこと、つまり、コンスタンティーヌス大帝が312年に、十字架を錦の御旗にミルヴィウス橋の辺でマクセンティウスに勝利して、翌年リキニウス帝とミラノ協定結んだ後、ローマ帝国をキリスト教化する基礎を築いたのが始まりとされています。実は、それまでローマ帝国の軍事宗教であったミトラス教の冬至祭(サテルヌス祭)が1217日に催されており、それが一連のクリスマス行事の起源なのです。もっとも、行事の形式や日程は踏襲しても、コンテンツは全く新しいのだと言われます。キリスト教が国家宗教の営為を受け継いだのは、ミトラス教の冬至祭だけでない。その後の長い歴史に於いて、種々様々な異教の伝統祭をキリスト教の慣習として取り入れ、自家薬籠中のものとしていった経緯があります。祝祭に肖り蜜や富を得んとして、国を挙げての神話的行事に群がる蜂蜜巣作りの世界、表向きはいわゆる「ローマの平和」で象徴される、お国のために働くモノとヒトの交流、「諒解」ゲマインシャフト(corpus consentionis)の古典的モデルが、こうして成り立っています。古典的と言ったのは、農業以外に核となる産業がない古代ローマ社会(societas)の事情があり、更には「ローマの平和」を保証する「諒解関係」が市民レベルでなく、祭りに政(まつりごと)を執り行う官僚レベルの話だからです。、
 ところで、サンタクロースの話にように、原資料になかった話が後代に於いて追加され混入してきた事例は後を絶ちません。例えば、キャンドル・サービスに使う台座の植物が何かご存じでしょうか。赤い実を付けた「宿り木」(Mistel, mistletoe)です。その「宿り木の下でキスをする」とよい縁結びになるという、昔からの言い習わし(Kuesse-freiheit unter dem Mistelbaum)が評判となって慣習化し、クリスマス行事として欧米に定着していった背景には、いずれも北欧神話(ゲルマン系民族の神話)が係わっています(日本では、皆目知られていませんが)。由来が異なるにも拘わらず、キリスト教の行事として広く認知されて、今日にまで至っています。もっとも、ローマ帝国に侵入するゲルマン民族が異教からキリスト教に改心した際に、旧来の祭儀を持ち込んだというのが真相でしょう。政局に勝利したが為に失われた何かが、現に其処に有るのです。「ローマの平和」(Pax Romana)の下、マスクしたヒトの現存在ルートに係わる「社会言論」の変容が、法の実定化と富の実体化に裏打ちされて、ローマに通じる街道の要所に設置された、バザール(商い市場)でモニターされます。
 福音書物語の「原資料」が何であったかについては、「イエスの語録」(Q資料)説・「受難物語」優先説・ガリラヤの「イエスという男」説(田川)など、聖書学会周辺では複雑な議論が多々あり、一般読者が理解するのは困難でしょうから、このブログでは取り上げません。一つだけはっきりしていることは、「誕生物語」が最後に追加されたという事実です。ヘロデ王による幼児虐殺という、暗いイメージの政治スキャンダルを報告をするマタイと異なり、一転してルカでは、天使と羊飼いに彩られた明るい田園風景のイメージと、平和のメッセージで一杯です。ルカが福音書の冒頭でローマの有力政治家テェオフィロスに献呈していることで分かるように、キリスト教が反ローマ的な政治団体ではない、むしろ積極的に「ローマの平和」に寄与する、柔順な小羊の集団なのだという、イメージ造りに腐心している様子が一目瞭然です。しかし、クリスマス行事に関して、具体的なことは何も示唆されていません。
 では、本来「原資料」になかった(で無かった)要素が、なぜまことしやかにキリスト教の伝統行事として、(で有るかのように)語り伝えられるようになったのでしょうか。ヒントを一つプレゼント。クリスマス神話を物語るヒトの存在は、実は「神もしくは貨幣」(で有る)モノの秘密です。さすが、「神もしくは自然」を語ったスピノザは偉い!で、ひとまず話を終えておきましょう(笑)。教団会計を左右するモノ語り「で有る」も「で無い」も、同じ神か貨幣の裏返しに過ぎないことが多い。それほど、「神もしくは自然」の富(属性の共有と交換、働くモノの因果)を満喫するか収奪する、人間の自己管理責任は大きいということです!

Shigfried Mayer, copyright all reserved 2011 by 宮村重徳, the Institute for Rikaishakaigaku

2010年12月20日月曜日

ワイナリー「革新」(旧稿改訂)の技法

Erneuerung der "Schläuche" (alten Manuskrips), in weinarischer Kunst 

【2012年2月2日更新、誤字等訂正】
 拙著『人(ペルソーナ)・働き・存在』について、読者より再販の問い合わせがありました。クリスマスをめどに、再版でなく改訂版を準備中でしたが、出版費用の調達がむずかしい。考えてみれば、その後の社会学分野での精力的な研究成果と整合性を取る必要があり、そのためには旧資料その侭の再販や、照合しているリソースのミスマッチを正しただけの改訂版では十分でない。いずれ新書にして、改めて世に問う方が無難であり正解であると判断するに至りました。聖書にも、「新しいブドウ酒を旧い革袋に入れる人はいない。そんなことをすれば、革袋は破れブドウ酒は流れだし、どちらも台無しになる。新しいブドウ酒は新しい革袋に入れるものだ。そうすれば、どちらも長持ちする」(『マタイによる福音書』9章17節、私訳)と言われているとおりです。ペットボトルのような便利な容器がなかった時代のこと、羊や山羊の骨と内臓を取り除き、裏返しにして袋状に仕上げ、首もとを飲み口にしただけの粗末なもの。取り立てのブドウ酒(ワイン)は酸味が強いので、旧い革袋(スキン)に入れると劣化し裂けてしまう。ユダヤ教の旧い体制に真新らしいキリスト教精神の一部を取り入れて、旧いユダヤ教の生活形式を取り繕うとしても、継ぎ接ぎのミスマッチから裂け目が生じ、両方とも台無しにすると警告している。これが必ずしも昔話でないことは、無機質のガラス製ビンやペットボトルより、有機質のワインスキンがワイナリーやエコマークのマーケットで、好んで用いられている現状を考えてみればいい。生ビールや日本酒では、樽に相当するでしょうか。翻って、著者の生の声を送り届ける、書物の改訂について考えれば、ワイナリー仕込みの編纂が課題となるでしょう。ここではさしあたり、著作の一部修正による継ぎ接ぎでなく、抜本改正・全面改訂への勧めとして理解しておきたい。古来、「革新」とはその字義通り「皮革を新たにする」、革製の道具・武具を改める」ことに喩えられています。とりわけワイナリーには、以上見たように、「革新」(旧稿改訂)の技法を学ばせる、大事なヒントがあります。以下では、執筆の動機と経過、書の成り立ちと改訂の必要について説明責任を果たすことで、クリスマス・プレゼントを出し損ねたことへのお詫びに代えたいと存じます。

 本書(初版本)は1999年の秋以降数年に渡り、フライブルク禅アカデミーの大島淑子先生が明治大学でなされたご講演を拝聴した際に、大悟するところがあり一気に書き下ろしたもの、一般読者向けの哲学入門書です。限定出版だったせいもあり、書店でご覧になった方はおそらくおいでにならないでしょう。大島先生に触発されて取り組んだのが、初期ハイデガーの『オントロギー』(事実性の解釈学、1923年)と『存在と時間』(1927年)の二書でした。旧稿・新稿のどちらであれ、リソースと一体になっています。執筆スタイルもリソース次第ですから、原資料の扱い方(理解と解釈の仕方、入れ方・盛り方を含む)が異なると、先程の譬えで言えば、革袋と葡萄酒の新旧関係から、いずれ裂け目が生じます。あくまで譬えですから、過度にアレゴリカルな意味付けは禁物です。姑息なまでに旧稿削除を常としていたハイデガーと異なり、スペイン風邪で急逝したヴェーバーの場合、トルソーの「頭」に当たるはずの一部を除く、ほとんどが旧稿の侭である「遺稿」の扱いを巡って、同様の問題が発生しています。ソシュールの場合は新旧のいずれもない、一部の原資料を除けばトルソーもない、学生たちの「聴講ノート」頼りの「暗中模索」といったところでしょうか。バルトは、『ローマ書講解』の旧稿も新稿も隠し立てせず、改訂前後のすべてをオープンにしていました。わたしの場合も隠し立てなど一切無用、新旧改訂のポイントは三つ、原則オープンにしています。いずれも方法論に係わることなので、難解だと思われる方は、遠慮なく次の段落にスキップして下さい。

 先ずは理論的に、命題間の整合性を高めました。初期ハイデガー研究の成果を踏まえて、「人(ペルソーナ)に於いて働く存在」の地平を解明するのが目的です。現に其処で働くモノの如何にを、三つの位相に分節化する移行形態として捉え直します(通時論)。更に三つの関係子(言葉・体・貨幣)との絡み具合を再調査し、文化資本的な成り立ち・構造を解明します(共時論)。最後は、全体をメタファー論的な社会学言論の、弁証法的な討議課題として探求します(討議論)。
 次は実践的・具体的に、リソースの再編に伴う読み直しと最適化、参照する事例と実例の後付を強化しました。人格性(ペルソーナ文化)理念の興隆 → 現象学的働き(パフォーマンスとしての非人格化)の解明 → 存在の地平(オントロジー)の探求は、その後の調べで、シェーラー・フッサール・ハイデガーの論争史に見て取ることが出来ます。
 最後は応用面で、必要な課題修正を試み、言語経験上の妥当性を高めました。解釈項を参照する際に討議の前提となる第三人称系が限りなく曖昧で機能していない日本語文化の批判は、避けて通れない課題です。それでも、森有正の日本語批判(二項形式・現実嵌入)と八木誠一の宗教言語論(禅問答の論理分析)だけでは片付かない、様々な分野でのリソースの読み直しが必要となりました。その後の議論を踏まえると、参照していたリソース(旧資料)の大胆な組み替えが必要とされ、それに伴い改訂は避け難くなりました。

 この著書が出版された2004年11月の時点では、まだヴェーバーとハイデガーの接点は明らかにしておりませんが、政治家でもあった晩年のヴェーバーがリテラーテン(著作家と親交のあった出版関係の文化人・社会評論家)批判を展開する中で、就職活動中の若いハイデガーに影響を与える事件がミュンヒェンで発生します。二人が遭遇するその現場へと向けて予備的研究をすることに、拙著(初版)の狙いがあります。「宗教社会学的メタファー論考」という副題から分かるように、一般人向けに分かりやすい「言語哲学入門」を主たる課題としています。世論として通用している「社会言論」批判を展開する中で、言葉の連鎖と共鳴に「言語事件史」を読み取り可能な「一般社会学言論」講義を構築することが出来るかどうか、本書執筆の正念場を迎えることになります。
 当時、表向きはヴェーバー論とソシュール論の突き合わせはまだなされていませんが、伏線としてはすでに予想されていたこと、その後講読会で学習した副次的産物です。ヴェーバーやソシュールが思いもつかなかった「社会学言論」という新たな課題分野を拓き、最後は「理解と解釈」社会学から「諒解」関係の経験妥当域を取得するために必要となる技法を収集しつつ、弁証法的思索と討議(dialektischer Diskurs)による、慣用的な「社会言論」(konventionelle Sozial-Rede)批判として、「一般社会学言論」講義(Lektüre der Allgemeinen Sprachwissenschaft nach der soziologischen Kategorien)を構築すること、そこに本論の最終目標があったことは、事後的になりますが敢えて明言しておきたい。改訂新版では「弁証法」とは何かを再定義し、それがヘーゲルやマルクスに於いても然り、論理や物自体の自己展開を可能とする「法則」科学的なものであるより、むしろ優れて人格的な諒解行為を必要とする言語経験の第一要件であること、非人格化(非人称化・非人間化)を強いる官僚制や制度言語の社会に於いてであれば尚のこと、働くモノとヒトの影響史的・位相幾何学的探求が、妥当な「諒解関係」構築を目指す「一般社会学言論」に固有な課題であることを論証します。ソシュールの原資料の中で最後まで曖昧の侭に使用されている、「社会協定」という言葉遣いの真意に迫ることにもなります。
 はたして、ソシュールの言う「社会協定」はデュルケームの概念だとしても、協定があるかのように行為する「諒解」概念とどう違うのか。デュルケームとヴェーバーでは概念理解に違いがあり、コンセプトの隔たりは小さくないとしても、同じ欧州大陸内のフランスとドイツでの話、思考スタイルの違い以上に出るものではない。二人は主題の変域・共鳴域を同じくしており、関心の方向性・概念の近接性に重なる部分があって当然だろうと考えられます。そこで更に一歩踏み込んで、東西世界で異なる「諒解関係」が有るの無いのか、有るとすればその如何にを問い吟味しつつ、無ければ「語り終えることの無い」モノの働きを語らせる、非人称的「言語事件」の解明が促されます。
 最後は、ネストリオスや「史的ダルマ論」の研究成果を踏まえて、上限(言葉)と下限(無)へ迫る問い("Zen -anders denken?Zugleich über Zen und Heidegger" での大島淑子先生の命題)が無駄ではなかった、と私は言いたい。現に其処から、有意味且つ生産的な討議の「一般社会学言論」講義へと繋がる、後退不可能な確かな一歩が踏み出されたことを、読者と一緒に喜び祝いたいと願う次第です。改訂版の出版は、大島先生と出会った時から数えて七年目にあたる、来春以降を予定しています。原資料の再仕分けをする中で、改訂新版が別のタイトルを冠することは避け難いことを、予め示唆しておきたい。

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