2011年1月15日土曜日

「結んで開いて」はルソーの世界

Kinderlied "Hände zu und auf mal", basiert auf Rousseaus Welt
  本年度は、レペニースが『三つの文化』論で提起する、文学と社会学のジレンマを取り上げ論じてきました。振り返ってみれば、「二つの文化」論(スノー)に第三の文化位相としての、ドイツ社会学思想に着目し力を注いだ分、啓蒙主義発祥の地フランスが遠のいた感を拭えません。そこで今回は久々に、隣国フランスに纏わるこぼれ話、とっておきの話をしておきたい。
先日縁があって、社会福祉法人千歳会のキリスト教系保育園の誕生会で、「結んで開いて」と題して短い講話をしました。最初は(0歳児の)グーで、一二三と親指から順に開いていきます。童謡のスタイルは、指を「結んで開いて」いく数え歌の類です。この童謡は日本でもよく知られており、保育園や幼稚園の園児も歌えるほどですが、肝心の由来となると意外に不明な点が多い。数え方の習慣は以前からあったのでしょうが、「結んで開いて」の曲と歌詞は、確かにルソーの時代のものです。ルソーが1752年に作曲したもの(翌年の1753年一般公開の、オペラ『村の占い師』第八幕のパントマイム劇で演奏された)に、後から歌詞として付けられたという事実に基づいています。歌詞の歴史を調べてみると、最初のは1773年にジョン・フォーセットが作詞しています(”Lord, dismiss us with Thy blessing”、「主よ、ここを立ち去るわたし達に、あなたのご加護(祝福)を!」。ジャン・ジャック・ルソーの原曲に採用された歌詞には、グリーンヴィルの名称(Greenvilleは讃美歌名)が付けられていることでも分かるように、最初に採用されたこの歌詞は讃美歌でした。最初の受け皿が讃美歌とは、意外でしょうか。原曲を元にした『ルソーの新ロマンス』(作曲者不明)はその二年後の1775年、『メリッサ』(チャールズ・ジェームズ)のラブソングは、五年後の1788年ですから、先行順位は変わりません。
  しかし肝心の、「結んで開いて」の歌詞と原曲の繋がりが恣意的か必然的かについては、どうもはっきりとしません。 この繋がりの真相を解明するために、①幼児教育のコモンセンス、②社会教育のイデアール、の二点に絞り込んで考えてみましょう。典拠となる文献も口伝もないために、推測に頼らざるを得ませんが、中江兆民が1871年フランスに渡航後、現地の家庭でなされる幼児教育の実際(リアル・コモンセンス)を見聞し、「結んで開いて」する《手》の重要性に気づいたのではないでしょうか。更に、自由民権運動の思想が社会教育のイデアール(「社会契約」に基づく自然状態の発見)に貫かれていることに、目を見張らないはずはなかったのではと推測されます。「結んで開いて」する《手》の仕草は、「社会契約」の理想からもたらされる「自然状態」の発見と模倣、当事者のクライエントに導き《手》を意識させない、さり気ない自然な《手引き》で有るかのように再現する、教育的指南も親権者の工夫に過ぎなかったのかも知れません。しかし、それが教育面だけでない、欧州大陸を震撼させる社会思想史的事件にまで発展します。
当時18世紀の啓蒙主義世界を席巻した「見えざる手」を巡り、「二つの文化」思想が関与しています。例えば、ルソーの「隠された《手》」(『エミール』、『新エイローズ』)のモティーフは、ある時は家庭教師の《手》に、またオペラ『村の占い師』では、都会と田舎を舞台にした失恋騒動の背後で、二人の主人公を和解へと仕向ける占い師の《手》として貫かれています。これは、「パストラル文学」の特徴と見られているように、「隠された《手》」がもたらす平和的秩序や、隷属的でない自由な関係、ルソーが主張する「社会契約」関係からもたらされるべき自然な人間関係(祝福された自然状態)に一貫しています。原曲とは別に、ドイツ系イギリス人のヨハン・バプティスト・クラーマーの変奏曲『ルソーの夢』は、二年後の1775年に作曲されています。この楽譜がイギリスで発行されたのが1812年、すでに18世紀初頭、マンデヴィルの『蜂の寓話』(1705 / 1714年)論争で一悶着した後のイギリス社会では、アダム・スミスの「道徳感情論」が定着しており、人為的な「見えざる手」が神の摂理を補完する役割、「自利の私悪は公共の益」(マンデヴィル)を口実にして、私悪を善に繋げる有用性を認める論議にまで発展する中で、功利主義者たちの格好の関心事として浸透しています。「見えざる手」と「隠された手」、この二つは政治経済と文学及び社会学上の倫理的モティーフとして、同じルートの上にあり、どこかで「臍の緒」に繋がっているものと考えられます。ドイツでは、国民経済学者で歴史学派のロッシャーがこれを有機体世界論に取り入れて論じ、ヴェーバーがこれを『ロッシャーとクニース』論文(1903~1906年)で論駁し斥けたのが20世紀初頭ですから、音楽方面にドイツ系の関係者がいたとは言え、いかにドイツが(フランスやイギリスに対して文化意識の上で、少なくとも時間的に)「後進的」であったか分かります。ヴェーバーの『理解社会学のカテゴリー』(1913年)に先だって刊行されたボンセルスの『蜜蜂マーヤの冒険』(1912年)も、後発のドイツ的特殊性を考える上で見逃せない作品です。いずれも、実は三つの文化圏(カルヴィニズムの世界)内でやり取りされた「諒解関係」の事件簿なのです。
その上で改めて、「結んで開いて」を読み直してみると、これまた意外にも、「見えざる《手》」と「隠された《手》」を使うメタファーの世界に行き着きます。すると、「作詞者不明」のこの歌詞は、ルソーのよき理解者であった中江兆民自身の記憶を元に、彼が或いは彼に共感したところを、1947年に誰か(共感者の一人)が小学校一年生用の音楽教科書の歌(文部省唱歌)として作詞したのではないか。確かに、ルソーの世界でこそ、「結んで開いて」の真意が読み解かれうるのではないか、と考えられるからです。日本の場合はどうでしょうか。古来インドと中国との間で三つの文化を、はたして「結んで開いて」きたと言えるでしょうか。「結んで開いて」は童謡の世界といえども、私たち日本人が過去に経験したことのない、欧州大陸に啓蒙主義の文化(反啓蒙主義を含む、社会言論思想)を根付かせ繁栄させた、結んで開く「諒解」関係の世界を偲ばせるに足る、山椒一粒の「言語事件」と言えそうです。
最後に、ルソーには全く言及しないハイデガーですが、《手》のモティーフをゲッシック(Geschick、送り届けられるモノ)に読み取ることが出来れば、都会と農村(大地)のコンフリクトというシェーマでは、二人の関心は一致します。デリダの『ハイデガーの手』については、ジェンダー・メタファアー(Geschlechts-Metapher)の根幹に係わることなので、詳細は別途に論じたい。

(以下は、誕生会でした話しの骨子です。幼児向けのお話「ルソーの夢」を大人向けに書き直しておきました。関心があったらお読みください。)
誕生日祝いに、わたし達はたくさんの贈り物をいただきます。贈り物は、自分の手で受け取るもの。つまり、手を「結んで開いて」の順で受け取ります。最初はグーです。グーは0歳児のしるしです。保育園では、「結んで開いて、手を打って結んで、また開いて…」と歌う、つまり「結んで開いて」の順です。でも一二三と数えるときは、日本人はなぜかその反対に、「開いて結んで」の順です。おかしいですね、イエスが生まれたベツレヘムやキリスト教国の欧米では、例外なく「結んで開いて」の順で数えます。「開いて結んで」の順ではないのです。ものを数えるときはいつも、「結んだ」手を「開いて」いって、十一からまた「結ぶ」でしょう。最初はグー、一から十までは、親指から順に「開いて」いって、紅葉(もみじ)の形にします。十一からは反対に、手指を折りたたみ、「結んで」いくようにして数えます。わたし達がまだお母さんのお腹にいたときは、手をこぶしにして「結んで」いただけですね。でも、おぎゃーと声を出して無事生まれたら、お婆ちゃんかお母さん(自然)にやさしく孫の手を「開いて」いただいたことでしょう。そこはまるで、ルソーの『エミール』の世界ですね。
 《手》には指が五本、両手あわせて十本です。最初はグーに「結んで開いて」をたくさん練習して、あとで大きくなってから、自分の手で何でも掴めるようになるために、神からいただいた最高の贈り物なんです。私がまだ高校生だった頃、クリスマスのお祝いに、瀬戸内海に浮かんだ小さな島にぽんぽん蒸気船に乗って、ライ病の療養所(大島青松園)に行ったことがあります。機能回復訓練所で、開いた手の形をしたセルロイドの板を刃物で削る、感染の恐れがある危険な作業をお手伝いしました。ライの病気にかかった人は、夜寝る前に五本の指にセルロイドの板を付けたままにして寝ます。どうしてそんなことをするのかというと、寝てる間に開いた指が縮んで閉じてしまうからなんです。縮んで閉じた指は二度と元には戻りません。ですから、毎日朝起きたら一番に、セルロイドの板を取り去って、「結んで開いて」をせっせせっせと一日中練習するんです。どんなに体が悪い人でも、「結んで開いて」を何度も練習することで、神のくださる祝福を自分の手にすることができるようになるのです。

Shigfried Mayer, copyright all reserved 2011 by 宮村重徳, the Institute for Rikaishakaigaku


脚注: 原曲の楽譜と歌詞については、以下のリンクを辿って参照してください。
Greenville, Jean-Jacques Rous­seau, 1752 (MIDI, NWC, PDF)
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