2020年3月15日日曜日

新型コロナのパンデミックに思考のワクチンが必要では

新型コロナウイルス(Covid19)は、十年前のSARSと同様、呼吸器官にダメージを与えるが、命を息する存在に感染して、人類の知的活動(コミュニケーション行為、慣習)に誤動作を引き起こす。後追いの対症療法では間に合わない。
「人類史上初の人間の思考そのもに感染するものかも知れない」(倉重宣弘)とは、論理の飛躍か形容矛盾に聞こえるが、隠喩か換喩でなら影響関係が理解できる。確かに、新型ウイルスは、これまでとは少し様子が違う。身体器官へのダメージより、経済活動を営む人(エコノミック・アニマル)の息の根を止める勢いは止まず、感染経路がつかめず、遮断できない。ソーシャル・マインドへの影響は見逃し難い。超高齢化したホモ・サピエンスへの挑戦と言えそうだ。
倉重氏は㈱ネイティブの代表取締役、コンピューターウイルス(CV)に似た特異性に注目している。代替手段を考えることで、「思考の誤動作に対抗する最大のワクチン」とすることができるのか。「止めることが止められない」現状では、鼻から息する存在(ヘブライ語でヌシャマー)に理解及ばず、肝心の「考える倫理」(藤原聖子)に孫の手が届かない。厄払いの大祈願を起こしつつも、自力で考える世代の立ち上がりを期待したい。「思考のワクチン」を提唱する倉重氏自身は若い世代の有望な代表者、その投稿は、https://nativ.media/16738/2/ を参照されたい。
Shigfried Mayer(宮村重徳), copyright © all reserved 2020, 理解社会学研究所所長、法政大学大原社会問題研究所嘱託研究員、㈱岡本カンパニー講師

x
x

2020年2月26日水曜日

公教育の師範モデル、宗教の世界を語る斬新なスタイルに注目

 縁あって、昨年秋より東京大学本郷キャンバスの講義を聴講した。休日が月曜日という個人的制約あり、藤原聖子教授の講義「宗教史概論」に参加した。どこにも角々した言葉なく、満遍なく目配せし不安や疑問を残らず吸い上げる、対話型の講義スタイルも半端でない。優に500人を収容する大教室で、問題点を整理して無用な偏見を正される、圧巻である。学生たちに複数の選択肢を提示、史料の真偽は宗教史学で検証し、ヴェーバー社会学に準拠して納得の諒解ポイントを各自取得させる、その発見術的講義スタイルにぶれはなく、公教育の師範モデルに値する。アーレントとは気性もタイプも違う方だが、久々に活動的生を対話実践する師に巡り合えた感がする。
 個人的には、ヨーロッパ近代の聖書批評学で研ぎ澄まされた論争スタイル(史的イエス論では、ケンカ腰の印象を免れない)を捨てないと、広い共感ポイントと共鳴可能な公共空間が得られない。師に対面すると、自分に欠けていたものが露呈する。わかりやすい教科書レベルの公共性言論への不十分な取り組み、読者聴衆への不親切さに気づかされる。
公教育の師範モデルを目の当たりにし、改めて宗教の「世界を語る」にも、然るべき一般社会学言論のルール(運用規則)があること、経験妥当な範例を見せつけられて、共感すること大である。教科書検定論争のど真ん中で、ヴェーバーの価値自由の立場を貫いておられる。ホピュラー性を阻む自己原因の一端を思い知らされて、カルチャーショックを受けた。正直な感想である。
これまでわたしが書き綴ってきた諸論考(史的ダルマ論を含む)にも、論争の経緯から拘りや思い入れ故の偏りがありはしないか、垢抜けしていないぞと批判されているも同然、改めて神即無の命題集を零元の目線で一から書き直し、面奬の壁世界を解体し、壁観論を再構築する必要性に迫られている。藤原先生を禅師に見立てるつもりはないが、これはわたしにとってエンライトメントに相当する、一般言語学特殊講義(ポスト宗教史学派の社会言論)へのヒント以上に、覚醒と転回の機会を与えてくださった先生に、感謝を申し上げたい。
 一般読者には、藤原先生の『教科書の中の宗教:この奇妙な実態』(岩波新書、2011年)の他に、最新作『三大宗教 天国と地獄 QUEST』(大正大学出版会2008年)をお勧めする。教科書レベルのわかりやすい目線で検定外の取りこぼしがないのかどうか、評価は読者自身に判断をゆだねたい。
Shigfried Mayer(宮村重徳)、copyright © all reserved, 理解社会学研究所所長、法政大学大原社会問題研究所嘱託研究員、㈱岡本カンパニー講師、PKO法人キャッチ・アシャ―・コム代表



2020年2月23日日曜日

仏心との対話:欧米人がマスクしないわけ

仏心さん:欧米人がマスクしないのはどうしてかと、ネット(SNS)で話題になっていますが。

シグフリート:なぜ欧米人がマスクをしないのかだって?その理由は簡単さ、顔はマスクで隠すものではない。顔を隠すと不気味にみえるからでもない。顔がマスクであり、ガーゼのマクスが顔なのではない。自分の顔は付け替えできない、個として生きる権利・譲れない人権の象徴だから、犯罪人か病人でもない限り、素顔にマスクなど着けない、マスク=重病人という負面のイメージが強いから、素顔を隠したり素面を覆ったりしない。これは自己理解の根幹にかかわること、公衆衛生上のいかなる理由にも優先します。

仏心さん:なるほど、・・・

シグフリート:ハイデガーの弟子エマニュエル・レヴィナスの「顔の現象学」を一読すればわかります。

仏心さん:今韓国では、「新天地イエス教会(新天地イエス教証の幕屋聖殿)」という新興宗教(異端)の布教活動で、新型コロナウイルスの拡散が話題になっていますが・・・

シグフリート:中国(武漢)が病原菌の発祥地でなくとも、変異に人為性を疑わせる病原体の漏洩地なら、日本寄港のクルーズ船(ダイヤモンド・プリンセス号)や韓国(大邱)は温床地、ウイルスには格好の媒介地にすぎません。旗艦国や各国厚生労働省の手には負えない。疫病の痕跡は、教科書記述から削除しても、百害あって一文の益もなし。
 人類の知恵を結集しないと感染ルートを遮断できない、虚無化の勢いは止められず、世界疎外はおろか、生態系破壊から人類史破局の招来は免れないでしょう。コンピューターウイルス以上に、新型肺炎の感染経路は見えないから、面倒でもあり厄介でもある。自己免疫システムを攻撃するシャドーの働き(インフルエンサー)には、他力本願でなく自力で突破する、安心壁観の道(ダルマの禅)を模索するほかないでしょう。3月4日更新
Shigfried Mayer(宮村重徳)、copyright © all reserved 2020, 理解社会学研究所所長、法政大学大原社会問題研究所嘱託研究員、㈱岡本カンパニー講師 

2020年2月3日月曜日

危険物管理失敗のつけを国民にまわすな、万国民の人権と言論の自由を尊重せよ

昭和は説教強盗魔事件(2年~4年)に二・二六事件(11年)、平成はオウム事件(7年)、令和はゴーン事件(元年)で始まった。令和2年は新型コロナウイルス感染騒動で幕を開けた。昭和は思想犯取締法(思想犯保護観察法、11年)、平成はセクト団体防止及び取締法(12年)、令和はどんな取締法で始まるのか。ネット上のフェイクニュース対策の取締法は施行準備中と聞くが、新型ウイルス関連では、中国(武漢)訪問の履歴のある外国人の入国禁止令に始まり、遂には自国民の中国渡航禁止令となるのか。生物化学兵器禁止条約(昭和50年発効、日本では昭和57年)をザル法にしないために何が必要か。地球温暖化と無縁ではないが、そればかりでない、疫病の蔓延に予断は許されない。
今回の新型ウイルス性肺炎の拡大事件は、自然災害とは言えない要素が強い。案の定、ウイルスの自然変異でなく人工的変異が疑われている。危険物管理失敗は人為的災害である。ちなみに、今回の事件の発祥地・武漢センター区から10キロの目と鼻の先、海鮮市場からは30キロの地点に中国科学院ウイルス研究所微生物菌毒種保存センターあり、実験動物のずさんな管理から一部が市場に漏れ出回ったのではと、事件性が指摘されている。アメリカやイスラエルの軍当局の情報ではもっぱら公然の秘密。隠蔽体質を理由に、フェイクニュースだと断定はできない、限りなく疑わしくもあくまで推理であり、噂の真偽は確かめようがない。
 未必の故意(みひつのこい)か、事は共産党国家のメンツに係わること、初動の遅れに人災の疑いあり。今や世界中が感染しの危機的状況にある。公共データに漏れた人たちが大勢いる。チャーター機を使って自国民を本国に送りかえることのできる富裕国と異なり、東南アジアからの出稼ぎ労働者、タイ・ベトナム・フィリッピン出身の外国人たちはもっと悲惨だ。どこにも行き場なく誰にも顧みられない。生命保険がないから医者にみてもらえず、封鎖された感染地武漢の路頭に捨て置かれようとしている。注1
自国民ファーストが原則だから、マイノリティーの犠牲は仕方ない、と言って済まされない。中国政府が責任を感じてこの人たちにも配慮するかどうか、見通しが示されていない以上、とうてい期待できそうにない。アジアのために日本になすべきことがあるとすれば、そこだろう。マスク贈呈の美談で話を終わらせず、国境なき医師団のような、疫病対策の専門医療チームを派遣すべきではないか。感染死の危機に瀕した万国の労働者を差別なく救済するためである。注2
 空気感染(エアロゾル)が疑われる中、感染死は待ったなしの状況だ。苦境の中国を変貌させる動機があるとすれば、自他の国籍を問わず差別なく、万国の労働者を友として救済することを欲するかどうか。普遍的意思が問われている。それは人類愛と言うほかにない。曖昧な反省では事を仕損じ傷口を広げるのみ。全体主義の精神を正し党利党略を捨てないと実現できない。禅問答で云う「繋驢蕨」(けいろけつ)のジレンマを脱することは不可能に近い、人権無視に言論弾圧の現状では、習近平政権には所詮無理難題かも。
2月19日(水曜日)、3月9日(月曜日)更新
注1:1月31日(金曜日)付の毎日新聞の報道では、「封鎖前に「500万人あまりが市外に出た」と明かした。これは武漢に来た出稼ぎ労働者など流動人口を含むとみられ、現在900万人が市内にいる」という。地方の農村から都会へ出稼ぎにきた中国人だけでない、海外からの出稼ぎ労働者を含むは当然。当局発表のデータは疑わしい。カンボジアについては不明だが、国境付近で多くの感染者が出ていると聞いている。
注2:アメリカ合衆国の国家経済会議委員長クドロー氏から、医師団派遣の要請が中国からあったとも言われるが、中国側の反応がない、断られたとも聞いている。中国側の受け入れ態勢が整っていないのだろう。
Shigfried Mayer(宮村重徳), copyright © all reserved 2020, 理解社会学研究所所長、法政大学大原社会問題研究所嘱託研究員、㈱岡本カンパニー講師

2020年1月26日日曜日

得体のしれない、インフルエンサーの現象学的社会学

インフルエンザ(influenza)は、インフルエンスのイタリア語読み。冬に発生して春には収束する、得体のしれない病として大流行したので、パンデミックと呼ばれている。その昔、十六世紀のイタリア占星術者たちが「星の影響による病」と考えて名付けたことに由来する。
古来、渡り鳥の野鴨を媒体とする人畜共通の感染症として知られていた。ギリシャの医学者ヒポクラテスに最古の呼吸器疾患の記述、中国禅の『碧巌録』に野鴨の話が出てくるが、社会背景にそれが疑われる。古代日本では、平安と鎌倉時代の『三大実録』(862年)にも類した記録がある。「咳逆(しはぶき)、死者甚衆」というのがそれらしい。
今でも記憶に新しい二十世紀のスペイン風邪。マックス・ヴェーバーも犠牲者の一人、従事していた第一次大戦中の野戦病院で感染したのかもしれない。ヴェーバー家に通っていた誰かに菌をうつされた疑いも排除できない。たかが風邪、されど風邪である。
大流行した1918年当時、スペイン風邪で五億人以上が感染し、五千万から一億の人が死滅した。感染被害が人類の三割に及ぶ中、抗体を持つ高齢者は生き残り、抗体を持たない青年層を壊滅させた。その数は、二度の世界大戦での死者数を凌駕する。発生源は非参戦国のスペインでなく、合衆国アメリカのアラスカ州で見つかった野鳥の屍。スペインで発覚したのでこの名がある。世界大戦下で、最前線に補充される戦闘員の大陸間移動が係わること。戦争に明け暮れた二十世紀の特異性である。
今回の発祥地はお隣の中国、発生源は武漢の海鮮市場で売られていた野生動物(噂では蛇)。往来の激しい春節(旧正月)の時期、大型連休が始まったから訪日客も数多く、日本もうかうかしてはおれない。インフルエンザは一介の流行性感冒だが、高熱を出して悪性の肺炎・中耳炎・脳炎を引き起こす原因に。新型コロナウィルスは、致死性ではSARSに劣るが、感染力が10倍も強いので要注意。
イン・フル・エンザは、外より飛来し窓(鼻の孔)を通って流入する異物。譬えれば、飛ぶ鳥エンザの中に入る(エイリアンの影響を受ける)こと、或いは温暖化により永久凍土が解けて、淵に封じられた菌(ウイルス株)が活性化し、媒体を得て繁殖したものと言われる。悪質な日和見感染症への対策は、効力のあるワクチンがない以上、国民の不安は尽きない。
ドイツ留学中の1978年ころ、巣から落ちたカケスの子を引き取り、部屋で育てたことがある。アリストテレスと名付けていた愛鳥は、くしゃみをするようになり、一年後にインフルの風邪でなくなった。ドイツでは野鳥愛好会の一員だった自分の経緯から、この話は他人ごとでない。戦慄を覚える。運動して体力をつけても、免疫システムを破壊するウイルスに対しては、医学が発達していなかった当時、人類はなすすべを知らなったから、甚大で未曽有の被害が世界中に拡散した。
中国型国家資本主義の存亡を云々するより、人類を存亡の危機に晒す新型コロナウイルスによって、中国が自己崩壊する危険性の方が確率としては高い。環境適応力の高いウィルス変異の不気味さは比べようがない。「人類に最後まで残る厄介な感染者」(加藤茂孝、注1)に、如何なる数式も公式も当てはまらない?中間宿主が鳥か蛇なのか、カオスの担い手をめぐり学会でも議論は錯綜しており、予断は許されない。
不安のあまりマスクした世人の「ダス・マン」(ハイデガー)になりすましても、疫病の不安を主題化する『ヴェニスに死す』(トーマス・マン)に自己同期するにしても、君たち青年層を壊滅させる疫病の不気味さは、十分に語り尽くせない。
さて、此処が考え処、若年層を壊滅に追い込んだスペイン風邪と異なり、新型コロナウィルスは平均年齢73歳の持病を持つ高齢者。感染者がだれであれ、人が何処から来て何処へ行くかは不明のまま、おざなりに生きて人生を台無しにしてほしくない。最新情報では、予想に反して、感染するはずがないと思われた若年層にも広がりをみせており、状況は侮れない。
何事もなかったかのように、平然と語り振る舞うわけにはいかない。摂理論や神義論・教義学の正論を繰り返すだけでは、終ぞ安心は得られない、「神と悪魔の対話」(ゴウタマ)も精神療法以上の意味をなさないように見える。フェイク情報を刷り込ませた今日的世界の言語事情は商い人の利権絡み、インフルエンサーの「現象学的社会学」にかすかな望みを託したくもなる。注2
神も仏もあるものかと、自暴自棄にならないよう心掛けたい。不安に実体はないと悟りすます前に、マスクしたヒトの住まう世界に生きて、真理をして露呈させるのみ。当面は、ロゴセラピー(フランクル)や禅の公案で心を落ち着け、動態禅(鈴木大拙)で対処する。教会関係者も、日毎の祈りを欠かさないだけでなく、明日は我が身のことだと考え、命の危機に対する万全の備えをしておきたい。「禅キリスト教」(佐藤研)が参考になる。1月30日(水曜日)更新
注1:加藤茂孝は、風疹ウィルス胎児感染の遺伝子検査で知られる専門医(産婦人科)。国立予防衛生研究所主任研究官。『「インフルエンザ」-人類に最後まで残る厄介な感染症』は、人類と感染症との戦いシリーズ第9回、副題:「得体のしれないものへの怯えから知れて安心へ」。掲載先:モダンメディア57巻2号、東京2011年、MF1102_04 PDF文書参照。
注2:現象学的社会学は、ヴェーバーの『理解社会学』を継承し、その後フッサールの現象学に学んだアルフレッド・シュッツ提唱の研究分野。『社会的世界の意味構成』(1932年、英語版の原題「社会的世界の現象学」)参照。
Shigfried Mayer(宮村重徳), copyright © all reserved 2020. 理解社会学研究所所長、法政大学大原社会問題研究所嘱託研究員、㈱岡本カンパニー講師