2019年8月1日木曜日

裂け目を繕えない、隣国のジレンマを理解する

戦後七十年過ぎても隣国は戦争状態、はったりでも言わないと負け組に、当局も勝ち組の闇市場に打つ手なし、裂け目を繕えず満身創痍のお国事情につける特効薬なし、せっかくの教会法も私事の慰め事に終始、期待される公共の精神も空回り、国際法順守も抜け穴ばかり、嘘でも自己主張しないと周りに潰される。島々の実効支配で虚勢を張るのみ。内戦状態の諸国に、拉致問題は優先的関心事でない、良心に訴える仕方は効き目がない。南北の戦争状態に南南の内戦状態を終わらせる、幾何学的精神はないものか。サムソンなど国営大企業の操作情報に耳を貸さず、疼く己の良心を問い直せ。神もしくは自然のコナトス倫理(スピノザ)が要請される。
就職難で苦しむ韓国の若年世代に提言したい。己のジレンマを因果関係から理解し、見事な神の定式とまで言わずとも、心身を無に晒して饒舌を絶ち、碧眼を以て自ら神即自然の絆となれや。ヒント:禅仏教でコナトスは胎蔵識。キリスト教で魂は自分の内なる子、誇りを捨て心を貧しくしないと、魂に神は宿らず子は誕生しない。結果:永劫に安心の家郷は見つからない。
蛇足:自民党の政策運営が由々しきことは周知の上、それ以上に韓国の反日政策の偏り(不信感の種を蒔いた自己責任は言及されず反省もなく、輸出管理の厳格化によりホワイト国の優遇措置を改め韓国が除外されるまで話が拗れるも後の祭り、不利益の結果に大慌てし責任を他国のせいにするのでは、言行の辻褄が合わない)、ポピュリズムの齎した自己矛盾は目を覆うばかり。日中間の貿易摩擦に加え、日韓の争点を新たな軋轢と戦争の口実としないために、日韓交流の文芸復興に達摩宗の宗教改革を梃子とする、若者世代のプロテスタント的意識改革と奮起を期待したい。
Shigfried Mayer(宮村重徳), copyright © all reserved 2019, the Insttitute for Interpretative Sociology Tokyo

2019年7月31日水曜日

巣の温もりに翼を得て、さまよう子らが家郷を見出せるように

「巣の温もりが翼をくれる。」とは、温もりがないと硬い殻を割れず、翼がないと巣立ちできないから。更に一歩踏み込んで、「あなたの内に宿る子供の家郷を探し求めよ。」とは、ドイツの女性心理学者シュテファニー・シュタールの書物に一貫する命題。発達障害に悩む子らに適格なアドバイスを与えている。巣立ちに翼を・自分の内にいる子に家郷をとの発想は、人格心理学や社会心理学の領野に限定されない。広く政治社会の分野にもアニメイト可能な願い事を、波形のイメージで追認し共有できる。
例えば、個の尊重と人権の保障がデモクラシーの風土を培い、言論の自由と信教の自由が資本主義の精神を温める。見えざる精神は翼を得て不在の仕方で働くもの、派生態とはそこが違う。唯物論的簒奪に終始する共産党独裁下の資本主義システム、トータリズムの国家主導型資本主義との決定的差異を見せつける。
昨今の香港に息づくプロテスタント的抵抗精神を風前の灯火とするな。イソップの童話にあるように、赤ずきんちゃんは、訪れた狼の足元を見て扉を叩く存在の正体を見破る。良心の証として何ものをも寄せ付けない、彼らこそ日中韓の若者たちが学ぶべき自己肯定のモデルではないか。自己肯定に自信がないから現状維持に票を投じるだけの若年世代に、存在への勇気を与える。籠る自分の殻を破り捨て、安心して社会の障壁を跳び越える、自立のチャンスとなろう。
シュテファニー・シュタールの原書はドイツ語、現在鋭意翻訳中。理解社会学研究所主催の読書会で取り上げる予定。テクストはコピーして手渡すが、ドイツ語が分からなくてもいい。参加して突破の手掛かりにしてほしい。受講無料。受付開始。場所と日時は選定中(東武線とうきょうスカイツリーラインの獨協大学前にあるカフェーOB松原店か、公団三郷の第一集会所)、シフト労働のために土曜日と日曜日が使えず、第一水曜日か第三木曜日夜19時半以降を予定。受講者の希望を聞き、個別の相談に応じる。
Shigfried Mayer(宮村重徳)、copyright © all reserved 2019, the Institute for Interpretative Sociology Tokyo

2019年7月4日木曜日

乱世に生きて己を全うする、してその心は

米中の貿易戦争に歯止めなく、鬩ぎ合う乱世に心すべきこと、雄弁に世界を語る言葉が軽すぎて、重圧を受け生息吐息の傷心に釣り合わぬ。軋む音色はノイズばかり、それより遊び心で謳いあげ、曇天の霞を吹っ飛ばせ。「一と言わば二を出さん、二と言わば一を出さん。」(江戸の『達磨出生記』より)。引っ越し先で、「達磨さん転んだ」と歌う母子あり、思わず頬が緩む。達磨歌に拳遊び、七転び八起きして、内心外心の偏りを正すのみ。遊び心が縁結び、歴代禪師の中で果敢に正偏(しょうへん)を問い質す、洞山五位説は偶然でない[1]、今日の脳神経科学で立証済み。
貧窮しても不惑の人、無心は見せ球でない、「反骨精神」(水上勉)を以て軸ぶれせず。兵法の他にトランプ氏が中国に学ぶべきこと、中国禅は安心壁観にルート持つ、対話問答のマイスター。上昇下降の動態に平常心失わず、自ら遜ってこそ芯は燃え光を放つ。『十牛図』と『無心』(鈴木大拙)はお勧めの必読本。共産党独裁の国家資本主義批判はその後でいい。資本主義の精神を欠落させたままで、改革派を装う赤装束の擬制はすでに綻びを見せ始めており、補助金をばらまき党員の利回りに腐心して体制維持に成功しても、下層農民たちは相変わらず蚊帳の外、いずれ自己破綻するか自壊するを免れない。ただ、中国政府は貧困対策として大規模な移住計画を実行中、プロパガンダとの噂あり焼け石に水という話も聞かれるが、その成果次第で評価も変わろう。トランプ氏が中国禅に学んで自ら変貌し、アメリカ合衆国の未来を変える可能性を排除しない。同じことが習近平氏についても言えるが、安倍晋三氏については残念ながら当たりそうな予感がしない(のは私だけだろうか?読者に聴きたい)。
Shigfried Mayer(宮村重徳)、copyright © all reserved, July 2019, the Institute for the Interpretative Sociology(理解社会学研究所)

 




[1] 洞山五位説、洞山和尚は曹洞宗の禅師。法界を偏(差別。現象。事)と正(平等。経験以前のもの。理)に分け、これを組み合わせた五つの形式(五位)で平等と差別のあり様を説明したもの、平等=無差別の世界を明らかにすることを最終目的とする。

2019年6月6日木曜日

近すぎて見えない、8050問題の地平

会社の上下関係や師弟関係と異なり、親子や夫婦の関係では、近すぎて見えないから悲劇を生む、他者性の視点欠落が顕著だ。何時迄も睦まじく尊敬しあう関係を維持するには、世代間で違う価値観を押し付けない、端的に「わたしは理解したい」(ハンナ・アーレント)、その一心で突破できる。お喋りでない、討議することでもない。「理解」を欲する処から、対話が始まる。他者として相手を敬う感覚が沈黙の帳を開き、自閉し内に籠る硬い殻を内から自然に破らせる。病んだ心を理解し諒解する経験は、相手の目線で対話するだけでも十分でない、対話は隔たりのあるコミュニケーション行為、さしあたり自己内対話(丸山眞男)で始める。自分を受け入れて強がらず弱音を吐かず、あえて心を障壁の如くするには及ばない。
壁観して安心無為、誰をも怨訴せず、怨を体して進むのみ(ダルマ『二入四行論』)、神即無に理解(心識)が達すると、神即自然の道が向こうから開ける、心即是仏の観心道に、父を忘れ逃走しないために心の覚書(神秀)、真影(仏影)が見つかるまで時を惜しまず。祖師ダルマ自身の言葉に注目、「我は昔より・・・」の懺悔告白が成実、何ものにも依存しない、何ものをも寄せ付けない、師に会えば師を殺し、親に会えば親を殺す(大東国師)、親なるは神、父は十字街路で出くわす親爺でもいい。それが誰のことかと名乗らせるまでもない。捨てられる前に自ら捨てると気取るまでもない、出自を捨て出立する覚悟が求められる。物騒な話だが、禅では立派な自立の証である。
八十歳代の親たちに五十歳代の子らが同居する、いわゆるパラサイトシングルの諸問題も同じ。違いがあるとすれば、年金暮らしの親世代への経済的依存が自立を妨げていることに気づくのが遅すぎること、過度の庇護が仕事探しに障害となっていよう。親鳥は、ある程度成長した小鳥を見放す、エサは自分で探せとばかりに巣から蹴落とすではないか。乳離れ・巣立ちが極端に遅いのが人類(ホモサピエンス)の特徴だと、居直っているわけにはいくまい。
仕事がないのではなく、誇り高き自分にふさわしい仕事が見当たらないだけのこと。国民の八割から九割近くが農民だった江戸時代と異なり、今日では農民は全国民の0.3%に過ぎない。大地の実りを享受する第一次産業の仕事(3K)を嫌がる人ばかりで、周りは皆と同じ第三次産業のホワイトカラー志望か、第四次産業で製造業がサービス業に変身、平均化されて久しい。再出発にジャンルを選ばず、スタートアップに業種を選ばない、偏りを正し脱自するチャンス、果敢にチャレンジしてほしいところだが、実際は、理想とは裏腹に、第四次産業革命後はIoTが売り物だが、スマホを片手に路頭に迷う人ばかり。地の利便性(コンビニエンシー)を享受して譲らず、自動化に伴う自己破綻のリスクが一挙に増え、不幸な殺傷事件が度重なる今日、考えることを面倒がるともう先行きがない。考えるだけで実践しないと奥行きがない。心(ラテン語でアニマ)がフラットでは、アニメーションのネタにもならない。老若男女を問わない、敬い愛すればこそ、屈折し動転する心を捉えるホモサピエンスの基本技法は、ずばり「わたしは理解したい」(アーレント)との告白で始まること、理解心理学(ヤスパース)や理解社会学(マックス・ヴェーバー)が諸君に水先案内をしてくれよう。
6月22日更新

Shigfried Mayer(宮村重徳)、copyright © all reserved, July 2019, the Institute for the Interpretative Sociology(理解社会学研究所)

2019年5月5日日曜日

元号「令和」の真意とコード化をめぐる喧噪

元号「令和」の考案者とみられている国文学者の中西進氏は、5月4日(土)、富山市内で講演し、「元号は国の理想を掲げるもので、国民の倫理コードだ」と語った。典拠とされる万葉集が講演のテーマで、中西氏は元号の歴史や込められた意味なども解説。「令和」については、「『令』は秩序を持った美しさ、麗しいという意味」とし、「麗しく平和をグレードアップさせていく時代」と述べたそうだ。案の定である。やはりの勘があたった。「令月にして気淑く風和らぐ」とは、オブラートのようなものである。
倫理コードとは危なかしい。せいぜい国民生活を律する管理コードの類では。思い返せば、聖徳太子の「律令」(りつりょう)政治に「和」の心得、官僚へ自戒を促すもの。令和(れいわ)時代の心が何かを考えるに、最良のヒントになろう。『万葉集』から取られた令和は、花見の盃を交わす謡言葉。「れい」は「りょう」とも読む。読み替えは詠み人の自由だが、本来官僚に向けて語られた謡言葉だから、政治的「諒解」(りょうかい)の範囲内で、実はどちらでもでいい。明治維新の王政復古と尊王攘夷の調べに怪しく鳴り響く、キング或いはエンペラーの象徴化に宗教的権威(万世一系)の影が見え隠れする。信教の自由を脅かしかねない、公私混同の危うさを免れないから、国民には冷静な判断と良心の問い合わせが必要となる。
当初、語感からドイツの諺を思い出した経緯がある。その通りだった。わたしの書斎に、ドイツから持ち帰ったポスターが貼ってある。ポスターには、“Ordnungssinn bringt stets Gewinn“の大見出し。直訳すると、「秩序のセンスが常に利をもたらす」。手前には、「立ち入り禁止」や「敷地内でのボール遊びは禁止」との注意書きが、所狭しとばかりに吹き出し状でぶら下がっている。利は公私に跨る余剰の利、つまり福利である。福利はオーダーを守るマナーあってのご褒美、スマートな快適さは廻心の美。為政者の喜びそうな標語だが、利根と鈍根の仕分けは難しく、エピキュリアニズムとポピュリズムの敷居は限りなく不透明、人の柵(しがらみ)は断ちがたく根は深い。民衆の心根に係わることは、ずばり平方根を解くようにはいかない。主権者たる国民は、古層の「通奏低音」(丸山眞男)に注意すること、自らのアイデンティティーに係わることであればなおのこと、よく考えて取り組むたたき台としてもらいたい。5月9日更新

Shigfried Mayer(宮村重徳)、copyright © all reserved, July 2019, the Institute for the Interpretative Sociology(理解社会学研究所)