2013年10月2日水曜日

寒露の季節、旧稿に「大なた」、新稿に「大わらわ」の近況報告

秋分の日(9月25日)はとっくに過ぎて、寒露の季節(10月8日から)となりましたね。見渡せば、いつの間にか、至るところが秋の深まりを色濃く感じさせる今日この頃。私が今していることといえば、一昨年のプラハ講演の原稿に「大なた」をふるい、新たな論文(書き下ろしの新稿)に仕上げるために「大わらわ」の毎日。長年の課題だった「史的ダルマの壁観」について総括する傍ら、「一般社会学言論講義」の草稿造りに、余念なく溌剌として取り組んでいます。そのせいか、とにかくお腹が減ります(笑)。
ところで、大わらわは漢字で「大童」と綴ります。武士が戦場で「髪を振り乱して奮闘する」ように、企業戦士が「形振り構わず仕事に打ち込む様子」を表しています。それにしても、なぜ「大童」と書くのか、三省堂の『漢字海』で調べても、肝心の記述はどこにも見当たりません。『平家物語』に、「兜も落ちて、おほわらわになり給ふ」とあります。「童」は「わらべ・わらわ」の読みなので、子どもが我を忘れ夢中になると髪が乱れることから、大人が兜を脱いで大の童よろしく、髪を振り乱し夢中になって仕事に取り組んでいる姿を、大人げなく燥(はしゃ)いでいると、揶揄しているのでしょうか。語源辞典では、「童」は3歳から10歳くらいの元服前の子供で、髪を束ねないで垂らしている姿を指すとのこと。髪の乱れの形容から生まれた言葉だったんですね。他方、「童」にはなぜか「頭髪が抜け落ちている」という意味もあるようで、抜け毛が気になる私には、こちらも気にはなりますが(笑)。
 それはともかく、年内に論文をドイツ語で完成させる緊急の必要性があり(大学の紀要掲載は2014年6月予定)、ブログ記事に時間を割く機会が減りそうです。そのため、師走に予定している年次総会を除き、毎月開かれている理解社会学研究所の読書会等は、しばし休会とさせていただきます。ご了解ください。(10月8日更新)


Shigfried Mayer(宮村重徳), copyrights © all reserved 2013, the Institute for Rikaishakaigaku

2013年9月18日水曜日

《手作業》で楽しむモノ造りの原点、XPをセブン化する(改造マニュアル)

【9月27日(金)更新】
書斎兼事務所には、まだ3台のXPマシーンがある。その内、最近まで使用していた旧主力マシーンを Windows 7 に改造した。マザーボードはAsus製(B85M-E)、その他必要な部品をドスパラで買い集め、すべて手作業で組み上げた。マニュアルを手順と言うが、手順書にこだわらず、長年培ってきたプロ並みの勘と技術で、6日間で仕上げた。久々に味わうモノ造りの充実感だ。
8年間使って金属疲労を見せていた旧主力機が、Windows 7 Pro の翼をつけて、いま見事なフェニックスの雄姿を見せ始める。筐体が Muse なので、雄姿というより見た目にかわいらしい飛鳥のイメージ。メモリーも8ギガに増やし、新たに購入したMicrosoft Office Pro に一新して執筆環境は整い、研究書の再版・新版に向けて内実共に意気揚々である。
三菱のブラン管モニターは3年前にすでに壊れ、頼みとしてきたNanao FlexScanモニターも1年前からお疲れで半壊状態。高価な国産品に買い替える余裕なく、安価な(韓国製LGと台湾製ACERの)液晶モニターを二つ購入する。世を挙げてみんなが、やれi-Phone だやれi-Padだと騒ぐ中、働くモノを見る手動環境は一応整った。唯一の贅沢品は、GoForce GTX 650チップのグラフィックボード(LEADTEK)。今のところ、これで満足している。残る2台のXPマシーンは、いずれ年内にリナックスで再構築する予定。
改造に際して予期せぬ事態が幾つかあった。一つは、Win 7 の設定ファイルデータをバックアップしておいたのに、Win 7 Proではこれが認識されず大半復元できなかったこと。泣く泣く(内心では、しめしめと笑みを湛えて)ソフトはすべて手動で再インストールした。手動は確かに面倒だったが、それはそれ、けっこう愉しみガイのある作業だった。結果は良好、実は古いソフト(大半は32ビット対応)は新しいOS環境(64ビット)下で使えないものが多い。必要なものだけを再インストールすることで、レジストリー関連で無駄がなくなり、その分スリム化し動作が軽快になった点はいい。二点目は、XPでアンインストールするのを忘れていたために、版権上の理由から幾つかのソフトを買い替えなければならなかった。三点目は、ドキュメントの所有権を刷新したので、元に戻せないなどなど。今更二重ブートにしても、どうなるものか疑心暗鬼している。
改造の注意点: くれぐれも上書きインストールしないように!ドライバーの違いなどからトラブルの元となる。またXP自体の改造より、Win7が動作する環境を先に作る(新しいHDにクリーンインストールする)こと、これが一番安全で最も基本的なコンセプト。その後で、XPで使用していたHDを繋いで、データを移行すればいい。但し、最近のマザーボードにはSerialATAのコネクタしかないので、XPで使っていたIDE-HDが繋げない。そこで、Centuryから販売されている IDE-SATA変換アダプターを使って繋いでみた。しばらくはうまくいっていたが、時々認識されなくなる現象が起きるようになった。つまり、ドライブが見えたり消えたりの大忙し(*)。何とか必要なデータだけはコピーして取り出したが、トラブルがあったと言えば、これくらいである。
結論、①手作業(ハンドワーク)はモノ造りの原点である。工作は楽しいから、ホモ・ファーベル(homo faber)で有ることは一生やめられない(笑)。それは働くヒト自身の改造にも係わること、君たちにもお勧めしたい。便利なスマートフォンで鈍った悟性(理解し判別する力)がリフレッシュされよう。②引っ越しお任せソフトは一切使用せずにすべて手作業で済ませたので、経済効果は抜群。浮いた資金は次に備え貯蓄できた。トータルで部品の7万円+ソフトの2万円=計9万円の出費だが、ショップで完成品を買えば18万円を下らない、付加価値の高い立派なものに仕上がった。手作業が節約に役立ったことは、言うまでもない。
(*)対策として、MCO㈱ミヨシのSATAケーブルを新たに購入し、付属していた脱落防止用のタグをつけたら、その後比較的安定している。

Shigfried Mayer(宮村重徳), copyrights all reserved 2013, the Institute for Riaishakaigaku

2013年9月4日水曜日

一杯の茶でブレイクする新たな世界、詩人・塔和子さん追悼記

 2013828日、ハンセン氏病の詩人・塔和子さんが、83歳で逝去された。心より、追悼の意を表したい(9月6日更新、データ補正)。
 振り返れば、あれは196312月のこと、わたしが高校生で若年18歳、クリスマス祝会を開くために大島青松園を訪れた時、あなたは一夜明けて次の日に、わたしを自宅に招待してくれた。洗礼を受けられる一年前、クリスマスの祝日でしたね。何気なく差し出された茶碗に手を付けて、ためらいつつも飲んだわたしを、固唾を飲んで見守ってくれた塔さんの、あの熱い眼差しを忘れることができない。菌が外に出ないという意味で健常者の扱いを受けているとしても、その人の茶碗で飲み物を口にすることは危険だとされ、少なくともひどく憚られていたから。誰がためらわないでおれようか。
 一瞬のためらいにも、薬師の神を信じあなたを信頼して茶を飲んだ(未成年で怖いもの知らずの)僕を、驚きを隠さず目を細めて見守ってくれた。塔和子さん、心を揺さぶるたくさんの詩をありがとう。安らかに眠れや主のひざ元で、天窓の星の光となって輝けよ、闇夜に舞う風光の美・いのちの詩を歌うあなたの声を、いつまでも天地に響かせ僕たちに聞かせてよ。

 朽ち行く存在の深み(混沌の淵源)を看破し、無の苦衷から命を謳い上げる(「本質から湧く言葉で」、大岡信)謳う詩が数多くある中、今でも私の心に刺さる塔さんの詩、「新しい世界」は一見何の変哲もない詩のようだが、自分の殻を破れずに鬱に陥り、四方壁の孤独な世界に引きこもる君、就活で疲れ路頭に迷い立ち竦んでいる君たちへのメッセージだろう。破って飛び出そうとしても、(当時は)不治の病のため一歩も島の外に出ることが許されなかった人の歌である。
 
*詩のモティーフとなっている聖書の言葉、マタイによる福音書9章16-17節については、2010年12月に投稿した5番目のブログ「ワイナリー革新の技法」を参照のこと。
「破る」はブレイク、「破れた」はブロークン。「破って出る」はブレイク・スルー。その意味で何度も読み返してみて欲しい
(以下は『いのちの詩』から、塔和子詩選集、編集工房ノア、2003年、41-43頁)
 
 「新しい世界」


破れたものは
繕わぬがいい
繕ったところで醜さばかりが残る

太陽は雲を破って光りを漏らし
蝉は殻を破って飛び立つ
私は心の破れ目から言葉を引っ張り出す

物の破ればかり繕っている貧乏所帯も
破って飛び出すところがあれば
破るにこしたことはない

破る破れ
破り破れる
破って捨てよう合わなくなった小さな服
小さな城
破って飛び出さなければ
自分が縮むだけだ
破ったら
破ったものは気前よく捨てよう
破れた夢も
壊れた話も
夢よもう一度などと
みみっちいことを言うな
出てきたところは
いつも
 新しい世界だ

Shigfried Mayer(宮村重徳), copyrights © all reserved 2013, the Institute for Rikaishakaigaku 

2013年8月25日日曜日

世代を繋ぐコンセントプラグに異変、スマート化で何がショートするの?

【9月4日(水)更新】
 厳しい残暑が続きますね。今回のブログの話題は、暑さしのぎに軽めのPPsP(パチンコ・パソコン・スマートフォン)。世代を繋ぐコンセントプラグ3Pに異変が。中落ちして、3相交流から2極接地へ還帰する?情報機器のスマート化(smartening up)が進む中で、いわゆる3Pがショートしてピンハネされるという、夏夜の怖いお話(笑)をひとつ。
 パチンコの原型はピンボールで、コリントゲームと呼ばれている。昭和初期に実用化されたモデルは、実は子供の遊び道具だった。球がお星様やお月様の穴に入ると、キャラメルなど菓子類が出てくるので、玉遊戯菓子販売機という。それがいつしか憂さ晴らしする大人の遊び道具になった。何とも、不思議ですね。今では、スマートボールに同じ昭和の名残が見受けられます。
 余りがジャラジャラ出るようでないと、豊かさは実感できない?のだという。本当だろうか。無暗に打っていれば、いつかは球が目当てのホールに入るに違いないと信じて疑わない人が多い。実際は、釘目(特定ピン)の傾き加減で流れが変わり、入るか入らないかが決まっているようです。無暗にと言っても、それなりに手触りの経験則に従った確率論の一種なんでしょうが。
 無暗によいしょ(いいねボタンを押)していれば、いつかは素敵な人と出会えると信じているフェイスブックの愛好者に似ていないとは言えない。打てば小槌の効用は西洋釘にない、和釘でも使わないと、念願の友との出会いは叶わず、絆はうまくいかない。無暗に財政出動していれば、いつしか景気は持ち直してくれようと固く信じて疑わないのも同様で、国民をばかにした阿部政権の経済政策に、どんな釘が必要且つ有効だろうか。歯止めが効かなくなる前に、壁面して冷静に考えてみるべきでしょう。
 IBMPC互換の重厚なパソコン装置(PC文化)の凋落だけが目につく中で、パチンコ文化とスマートフォン世代がなぜか軽快に躍動し、2極接地で奇妙に共存しています。(球を)打つと(パネルを)タッチするのにアナログとデジタルの差はありますが、またセンサーの感度も比較にならないとしても、基本的なコンセント機能では同じ、最後はショートするかピンハネされる。機械言語の不足分をタッチセンサーで補うとしても、諒解言語(コンセンサス)を理解しないユーザー(プラグインする人)の存在が、見た目には自由になったようでも、相変わらず不自由のままネットを漂流しているのではないか。自由になりたいともがけばもがくほど、プラグの紐がピンに絡まって身動きが取れなくなる(依存症に陥る)のではと心配でならない。
 (神を、或いは何も)考えずに済む自由は、人で有ることの忘却である。結論:手先の感触に惑わされてはいけない。中落ちせず(スマホに委ねず、暗算に頼らず、途中式を書き出して、約分した残りがないかを自分で確かめられるよう)、考える人が要請されています。
 但し、トータルで = 0 にならないと、二次方程式*は成り立ちません。変形** して平方完成すると、同じ数値で±がつく二つの根が得られます。さて、機器をスマート化する(smarten up)ことで、左辺の存在要件(大抵は3項式)をショートさせないためには、右辺の無(= 0)と向き合う思索と工夫が欠かせません。いいですか、最後はイコール・ゼロとなるかどうか、天秤にかけて自分(の存在意味)を量る等式の問題です。円錐曲線を扱う三次方程式でも、基本は同じです。但し、根は三つになります。
 因みに、Smarten upの意味は、「こぎれいにする」こと。ドイツ語では、heraus-putzen です。結果として頭脳を「賢くする」。でも、注意してください。パネルを無暗にタッチするだけでは、賢くなりません。かえって、お任せでは愚かになる。スマホが大好きで手放せない君たちには、きっと反論か何か違った意見があるはず。質問はいたってシンプル、スマート化で何がショート(短絡・脱落)するのか?です。では、お聞きしましょう。さぁ、どうぞ。
 脚注: 二次方程式の基本形と別形、第一の基本形では二つの根は別の数値、第二の変形では同じ数値の±α
ax^2 + bx + c = 0,  ** x^2 + px + q = 0、これを\left( x - \alpha \right)^2の形に変えて平方完成する。わからないときは、解の公式を使うこと。

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2013年8月7日水曜日

君は平和のプライムナンバー、ペアの素数となって輝けよ

Be a Prime-number of Peace!
初めに、68年前に広島・長崎に投下された原爆のゆえに、亡くなられた方々のご冥福を、残されたご遺族の皆様に神のご加護を祈りたい。原爆の犠牲者は、忘れてはならない歴史の記憶、戦争を憎み平和を恋い慕う命の栞である。一昨年に起きた福島第一原発の被害も、疑いなくその延長線上にある。(8月15日更新)。
 
 富に目が眩めば、血肉・骨肉・霊肉の戦い止まず、惨事は収束しない。国民諸君、二度と戦争を望まずの固い誓いはどこに行ったの?原爆禁止は原発禁止の願いでなくて何であろうか。汚染された土と水が増え続けて処理能力が明日にもマージンに達し、東日本海岸全域が汚染された地下水に浸され全土が水没しようというのに、君たちはいつまで指をくわえたまま、原発産業(いつでも転換可能な軍需産業!)の余剰の富にだけ目が眩んで、いったい何を追い続けるつもりなのか。「強い日本」を夢見て軍事国家への道を邁進する、アベノミクスの危険な賭けは、財務大臣麻生太郎氏のお粗末でケチな(=出し惜しみした)ナチス発言を遥かに上回る、平和国家でない好戦国家へのあからさまな願望・挑戦ではないか。阿部晋三首相、平和立国を願った戦後68年があたかも無駄であったかのように、(真に平和を望む国民の神的)存在を忘れてどこに行くの?羊と狼のマスク(仮面)を巧みに使い分けていても、いずれマスクは容赦なく背後から剝ぎ取られ、改憲を名目とし隠れ蓑とするファッショ的存在者の素顔は暴かれよう。若者たちを見くびってはいけない。
 若者よ、有り余るモノ(余剰)を期待する前に、自分たちにとって和音の素となる数、比の一の値を探し出せ。あえて平和のプライムナンバー(双子素数)*たれ、非核運動を担うしんがりの素子となって、互いのフェイスを輝かせよ。君たちに与えるアドバイスはこれしかない。原発再稼働だけは容認していけないよ!目先の富(ばら撒かれる貨幣)に目が眩まされないようにするには(これしかない)、人に欠けたる最高の富・豊かさの記号として「神を考える」こと、不在なる仕方・無として己を働かせるモノの如何にを理解することから始める他にない。(フォイエルバッハ、マルクス、ハイデガーの再読は必須!、私にとっては「臍(ほぞ)の峠・キリストへの長い道のり」。)
* 脚注:プライムナンバー(Prime Number)とは、1とその数以外は正の約数が存在しない(割り切れない)自然数で、無限に存在すると考えられている。すでに、ユークリッドによって証明されている。もちろん、同名の競走馬とは無関係。素数でない数は合成数と言われる。双子素数(Twin Prime Number)は、現代数学でも未解決の魅力ある思考課題。ツィンとなる数に(3, 5)(5, 7)(11, 13)などがある。2以外はすべて奇数だが、差が2であるようなペアの素数であればいい。素子は電子回路の用語、素数は数学用語で領野は異なるが、あくまで代えがたい個の働きを語らせる算術のメタファーである。

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