2014年11月9日日曜日

今年は節目の記念尽くめ、自分を翻さないと訳せない、仕事人の粋と気概を

 今年はいい意味で記念尽くめですね。大学創設50周年や学園創設130周年どころの話ではない。法要宗の祖とされる玄奘が没して、今年で1350回忌に当たるのですね。仏典の翻訳に生涯をささげたヒトの苦労が偲ばれます。「玄奘三蔵院伽藍 大唐西域壁画特別公開」が、9月から11月末まで、奈良の薬師寺で催されています。「玄奘三蔵1350年御遠忌記念」ということで、8月には東邦音楽大学主催「薬師寺音舞台」も披露されました。
 達磨大師が入寂された「達磨忌」では、528年だと1486周年、536年だと今年で1478周年、節目となる再来年の2016年、或いは4年後の2018年が楽しみです。
 どうしてこのような話になるかと言えば、最近は史的ダルマ研究の集大成の為に、漢訳文献を読むことが日増しに多くなり、難解な仏典や景教典を読むにつけ、翻訳の大変さが身に沁みてわかるからです。旧来のように、漢文に返り点や送り仮名をつけて読み下しているようでは不十分、訓読しているようでは、とても理解が追いつかない。
 人生は長いようで短い。物事を大成するには、よき師とよき友、何よりもよき秘書の三つが必要です。それだけでもまだ足りない。後世に遺すとなると、優れた翻訳者・通訳者が欠かせません。玄奘三蔵にして然り、鳩摩羅什や菩提流支にして然り。ずばり、翻訳は文化、翻訳者は無形文化財です。疎かにはできません。通訳者の曇林なくしては、ダルマの存在も働きも忘れされていたことでしょう。
 西欧では、マルティンルーターがヴァルテブルク城に立て籠もり、旧新約聖書をドイツ語に翻訳した1534年から換算すると、今年で500周年記念になります。没年の話しではないですが、考えてみると、『マルコによる福音書』が通説通り紀元70年頃に成立したのだとすると、今年で1944周年です(個人的には、私にとって記念の年)。マルコがギリシャ語訳に苦労したという話は聞かれませんが。いずれにせよ、気が遠くなりそうな話ですね。ブログの読者諸君も、原書から翻訳することの苦労話を糧にして、「自分」を翻さないと訳せないからね。大事な人に読んでもらうには、共感を呼ぶ仕事人の粋と気概を抱いてほしいものです。(11月10日更新)


Shigfried Mayer(宮村重徳)、copyrights all reserved 2014, the Institute for the Interpretive Sociology Tokyo