2018年8月10日金曜日

勿忘草をあなたにあげる

 今日の八月九日は長崎に原爆が投下された日。犠牲になられた方々のご冥福を祈りたい。戦争を終わらせる名目で原子爆弾投下もやむを得なかったという、アメリカ側の言い訳が通用するはずがない。疎開先の菊池で叔父が原爆投下の光を見て、雷にしては大きいなとぽかんと口を開けて見た。その瞬間に被爆し喉頭がんを患った。わずか残り数日の命だった。本来なら陸軍の西部方面総監部のある熊本に投下されるはずだったが、あいにくの天気で、雲の切れ目に見えた町が偶然に長崎だったことで、投下先が急遽変更されたと聞いている。投下先が熊本なら、この私は生きてはいない。核兵器など大量破壊兵器を取引の道具にさせてはいけない。次世代を担う君たち、勿忘草(わすれなぐさ)を君たちにあげたい。

2018年7月30日月曜日

九月の研究活動再開と再編へ向けて


 三十年勤務した大学を三月に退官した後の四か月は大変でしたが、無事再就職先が決まり落ち着きそうです。ホッとしています。これより理解社会学研究所を大原社会問題研究所の嘱託として再編していく予定です。①帰国子女の現状と解決、②性不一致症候群の問題解決、③外個人就労者の不当な扱いなど、コンサルティングの機会を設け、個別或いはグループの相談に乗ります。読書会の活動は九月の再開となります。また年内に引っ越すことになりますが、何処に移ろうと座禅会(土曜日)と公開講座・聖書講義(日曜日)は続行します。

2018年6月9日土曜日

宗教と科学に未来はあるか、禅キリスト教の可能性を問う

宗教と科学に未来はあるのか。ホワイトヘッドの警句が参考になる。「形式論理学においては、矛盾は敗北を示すものである。しかし実質的な知識の進化においては、矛盾は勝利に向かって進む第一歩を表す。このことは、さまざまの意見の対立をできるかぎり許容すべしとする、ひとつの大きな理由である。この寛容の義務は、「両(ふた)つながら収穫(かりいれ)まで育つに任せよ」という言葉に要約し尽くされている。キリスト教徒たちが最高の権威をもったこの教えに則って行動できなかったのは、宗教史上の不思議の一つである。」(『科学と近代世界』、第十二章)。「宗教も科学も同じ精神で変化というものに対決しえないかぎり、昔日の力を回復しないだろう。」[1] 
変化の無常性に対する態度、無頓着にも見える仏教徒たちの行動についても同じことが言えるかどうか。いずれにせよ、宗教的神秘体験について科学的に真偽をはっきりさせる仕方は寛容性を欠くことになりかねない。動態禅の要は変化への柔軟な対応性にあり、即座の結論は控え常にオープンにしておきたい。禅学の可能性については、最近見た限りでは論点のわかりやすさと正確さにおいて「中野禅塾」の書き込みが注目に値する。中野紀和男氏は、名古屋大学生命農学研究科の退官教授、http://nakano-zenjuku.com/

Shigfried Mayer(宮村重徳)、copyright © all reserved, July 2018, the Institute for the Interpretative Sociology(理解社会学研究所)
 



[1] アルフレッド・ノース・ホワイトヘッド『科学と近代世界』、上田泰司・村上至孝訳、著作集第六巻、二四九頁以下。

2018年6月4日月曜日

ゲームは、はてしない物語、ポーズは、君の心得次第

 楽しいゲームははてしない物語、いったん始めると終わらないね。どこかで区切りをつけてお休みしないときりがないよ。心も体ももたないでしょう?ポーズ(休止符)を打つのは自分ですること、ルールを守るのは他にも大勢いる自分たちの為にすること。こどもたち、終わりを見定めて自給自足の言語ゲ-ムを始めよう。

2018年5月20日日曜日

自給自足の家政学の勧め

 私的領域での仮名遣いは、女性たちが活躍する場となった自給自足の家政学(ハウスキーピングのエコノミクス)に起因すること、プラトンの洞窟に立て籠もる「男」の哲学者(ハイデガー)を意識して、女性ハンナ・アーレントが後に『活動的生』で指摘するアクチァルな政治社会的事実関係を鑑みれば、私的領域と公共性の空間に跨(またが)る場所論的主体の発話行為を論じること無しには、ありきたりの通説などでは、とうてい痒(かゆ)い処に手が届かない。女性の方々には、自給自足の家政学をお勧めしたい。